その5
まさかこの年寄り、年甲斐もなく女性にもてるため、本気であれこれ研究しているのではあるまいな。
鏡の前でポーズ。だけど年寄り。
男性ファッション誌を読みふける。だけど年寄り。
切れっ切れのダンスを披露。だけど年寄り。
一見滑稽に見えるかもしれないが、イマドキの若者を押し退けて美女を獲得する姿を想像したら、笑うに笑えなくなってしまった。
「どうした探偵さん。尻のかゆみをガマンしたみたいな顔で」
「いえ、翁の本気がまぶしすぎて、軽い目眩を感じただけです」
「探偵さんもイイ年なんじゃから、そろそろ相手を決めたらどうじゃ? なんだったら、夏海を貸そうか?」
「お気遣いなく。ですが翁、自分の孫を貸すとか貸さないとか、そういう発言は控えてください。怒られますよ、なっちゃんに」
奇妙な笑い声をあげて、翁はビールを傾けた。これで何本目だろうか? ゴミ袋には空き缶が無造作に放り込まれている。
私もいささか水っぽくなったグラスを空けた。クーラー・ボックスから氷を拝借し、マダムが残していったバーボンを注ぐ。今度はケチらない。指二本分の高さまで遠慮なし。いわゆるダブルだ。そいつを氷がなじまないうちに一口。キリッと冷えた部分と、バーボンそのものの芳醇な部分とを、口の中でブレンドさせる飲み方。それが私のスタイルだ。
「お? 探偵さん、見てみなさい。面白いことになってきたぞい!」
翁は自前のカメラをのぞいていた。
私の自分のカメラに飛びつく。ファインダーをのぞき込むと、井上夏海の姿は消えていた。
「……………………!」
なんということだ。酔っぱらいにつき合っていたら、なっちゃんを見失ってしまった。血の気がひく思いにとらわれながらも、私は望遠レンズを左に振った。
「……なんだ、休憩時間じゃないですか」
井上夏海は席を立って、級友と談笑していた。
そっちじゃないそっちじゃないと、翁も笑う。
「教室でなくて玄関じゃよ、玄関」
「?」
言われるまま、再びカメラを降る。すると大遅刻もはなはだしい女子生徒が、悠々と登校してくるのが見えた。
「……………………?」
だが、違和感がある。女子生徒はスラリとした長身だ。だが、そこは違和感の元じゃない。美しい黒髪も目をひくが、そこも違う。振り向いた女子生徒に、私は息を飲んだ。
女子生徒は、マダムだった。そう、セーラー服にポニーテールの、マダムだった。
彼女はレンズ越しに私と目を合わせ、美しくウィンクしてきた。こちらの姿が見えているかのようなウィンクだったが、マダムなら見えていても不思議はない。なにしろさっき、肉眼でなっちゃんの姿をとらえていたのだから。
「さすがはマダムじゃな。ラフなスタイルも制服も、ポニーテールも似合ってるわい」
「いや、私としては推定三十路手前のマダムが、あの格好をするところに賛辞を送りたいですね」
私がもらすとファインダーの中でマダムは、玄関のドアに手をかけたまま、動きを止めた。そして再び振り返り、私の目を見る。
表情は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「……聞こえたのう」
「……聞こえましたね」
もう疑うことはできない。マダムは我々が見えているし、声が聞こえている。そしてそのことに、疑問は感じない。
何故かはわからぬが、納得はできる。
マダムなら、できると。
しかし危機感は薄まった。マダムはアッカンベと舌を突き出し、プイッと背を向ける。ぷんすかぷんぷんという可愛らしい擬音を残して、玄関をくぐったからだ。その姿がなんとも、少女少女しているやら微笑ましいやら。
「……どうやって謝りましょうか?」
「ワシぁ何も言っとらんぞ」
「機嫌だけは直してもらいたいですな」
とりあえず、ブランド物やアクセサリーでごまかせる人ではない。そんな安い女性などではない。だからなおさら、どのように機嫌を直してもらうか、悩ましいところである。
「お、マダムの入場じゃ」
翁の声に、カメラを教室に振る。マダムは井上夏海の教室に現れた。ごく当たり前な顔で、マダムは教室を横切る。もっとも本人は当たり前な顔だが、周りの生徒……特に男子は、その美貌に目を奪われている。マダムを見た生徒たちは、すべからく金縛りにでもあったように、フリーズしてしまっていた。
「お、夏海がマダムに気づいたぞ?」
「すごいな、なっちゃん。目と口が真ん丸に開いてますわ」
「……のう、探偵さんや」
「なんですか?」
「マダムは何故にあそこまで、自信満々なのかね?」
「まああれだけ美人なら、私でもセーラー服を着るかもしれませんな」




