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探偵は推理しない  作者: 寿
10/24

その3


 翁はテントにもぐり込むと、クーラーボックスを引っ張り出してきた。中には氷水と缶ビールがぎっしり。一本取り出してトッププルを引く。小気味よい音を立てて、ビールの口が開いた。翁は喉を鳴らして、金色の液体を飲む。

「朝っぱらから飲酒ですか?」

「探偵さんもヤルかい?」

「いえ結構、車ですから」

 すでにゴキゲンな翁は笑った。

「心配御無用、探偵さん。ワシも車じゃよ!」

「ダメでしょそれ!」

 私は缶ビールを取り上げた。いや、正しくはビールの缶を取り上げたと言った方がいいだろう。

 つまり中身のビールは、すでに翁の胃袋の中だった。

「なかなかお固いですなぁ、探偵さん……プシッ」

「だからすぐに次を開けるなって!」

「さっきからうるさいなぁ、探偵さん。飲みたいなら飲みたいって言えばいいのによぉ……」

「それで飲みかけを私に押し付けない! ……ってさらに新しいの開けるのかよっ!」

「カンパ〜〜イ」

「もう、どう言やいいんだよっ、この年寄りっ!」

 翁はすでに、缶を大きく傾けていた。

 仕方ない。中身を捨てるわけにもいかないので、私もいかせてもらうことにする。

「いや、朝から飲むビールは、実に旨いですなぁ、探偵さん!」

「まったくですな。……ところで翁?」

「なんでしょう?」

「翁も車と言ってましたが、どこに停めたんですか? 駐車場は私の車だけでしたが」

 翁は斜面の下を指差す。のぞき込んでみると、ろくに道も無いような場所に、RV車が停まっている。もちろん迷彩柄で、草木を使ったカモフラージュがほどこされていた。

 その車のつけたものだろうか、タイヤの跡がある。……およそ、人間でさえ登るのが難しそうな斜面に……。

「……………………」

「なにか言いたそうですなぁ、探偵さん」

「登ってきたんですか? ……あの斜面を」

「面倒くさいから、跡は消しませんでしたがのぅ」

「マジですか! スゴすぎでしょ! つーか消すってナニ? 車の跡を消せる翁、何者さ!」

 聞きたいですか?

 翁は微笑む。それも、暗い眼差しで。

 私は目をそらし、ビールを飲み干した。

「おっといけない、なっちゃんはどうなったかな?」

「年寄りの話は聞いておくものですよ、探偵さん」

 外道老人ば放っておいて、私はファインダーをのぞき込む。

「……………………」

 しかし、視界はブラック・アウトしていた。レンズ・キャップを外し忘れたかのようだ。しかしレンズキャップは確かに、コートのポケットに入っている。私はカメラから目を外した。これが翁のいたずらだとしたら、どうしてくれようと怒りを込めながらだ。

「ハイ、探偵さん。何してるのかしら?」

「マダム!」

 ラフなコートに黒のニット。さらにデニムのパンツという、カジュアルないでたちのマダムであった。しかもノーメイク。それでいながら美貌を損なっていないあたり、彼女も妖怪の類いなのかもしれない。そのマダムが、望遠レンズをむこう側からのぞいていたのだ。

「探偵さん、若い女の子相手にのぞき?」

「どうしてここに?」

「井上さんと探偵さんの楽しそうな声が聞こえてきたから」

 あれが楽しそう? 少々疑問が残ったが、そこは聞き流すことにした。

「のぞきなんかではありませんよ、マダム。井上翁のお孫さん……夏海ちゃんが、何やら事件に巻き込まれている予感がしましてね」

「ふむふむなるほど。よく見えるわね、このカメラ……パシャッ」

「勝手に写さないでくれないか、マダム」

「可愛らしいじゃない、夏海ちゃん。探偵さん、あとで焼き増ししてねパシャッパシャッ」

 ……まったく、かなわない人だ。フィルムもタダではないというのに。というか、デジタル世代でおかしくない年齢なのに、よく「焼き増し」などという言葉を知っているものだ。

 まあ、相手は仕事を斡旋してくれるブローカーのような存在。ムゲにはできない。私はマダムのやりたいようにさせることにした。

「マダム、こっちで一杯どうかの? 旨いビールが冷えとるぞ」

「あら井上さん、残念だわ。私、今日は車なのプシュッ」

 車とか言いながら開けてるし。それもためらい無しに。

「あらあら、どこかの探偵さんと違って、イクねぇマダムも」

 あっという間に、マダムは一本空けてしまった。

 まだ朝だ。

 世の中は、これから動き出す。

 それなのに飲酒である。

 私も缶ビールに口をつけたが、それはあくまでつき合い程度。コンパの大学生や町内会のオヤジじみた飲み方ではない。ここは強調させていただく。

 私はあんな飲んべえとは違う。ハードボイルドなのだ。一緒にされては困る。

 いや、いけないいけない。仕事に集中しなくては。私は今、なっちゃんの監視に来ているのだ。ビール片手にピクニックをしているのではない。テントのそばに腰かけて、乾き物をかじりながらビールをやっている二人とは違うのだ。

 まだまだ中身の残ったビールを、軽く一口。私はファインダーに目を戻す。

 ホームルームは終わったようだ。井上夏海は机の上に教科書を並べている。その様子に変わったところは無い。友達と談笑したり、教科書を眺めたりと、いたって普通の様子だ。

「何も起きないわね、探偵さん」

 マダムの声。

「張り込みってのはそういうものさ。いつ、何が起こるかわからない。だけど油断も隙も見せられない。忍耐の仕事なんだよ」

 私はファインダーから目を離した。

 隣のマダムに探偵のウンチクを語って聞かせる。

 しかしマダムは、カメラも双眼鏡も手にしていない。

「……マダム?」

「なにかしら?」

「見えるのかな?」

「なにが?」

「肉眼で、なっちゃんの姿が」

「見えないの、探偵さん?」

「……………………」

 私は答えなかった。徐々にギャグマンガがかってきたこの世界に目眩を感じたのと、あまりにも「見えて当然」という言い方をマダムがしてきたのと、ダブルで攻め立てられたからだ。

 そして、「マダムは何者なんだ?」という当然の疑問を打ち消す。この街では、他人の過去を詮索してはならない。それがルールだからだ。

 マダムはスルメの干物を細い指で裂いて、上品に口へ運ぶ。

「ダメよ、探偵さん、私の横顔ばかり見てちゃ。あなたにはなっちゃんを監視する仕事があるのよ?」

「朝から飲んでる人に言われたくないですな」

 私はキャメルを一本抜き出して火を着けた。

「あら、私はバーのマダムよ? マダムがお酒飲んじゃいけないのかしら?」

「からみ酒ですか、マダム。酔ってますね?」

「こんな時は、酔ってないわよ、って言うのが様式美よね?」

「いえ、おかまいなく。気遣いだけで結構ですから」

 いつの間にかマダムは、先ほどの缶を空けたらしい。また新しい一本を開封している。

「探偵さんや」

 反対側から翁の声。しかも酒臭い。これには私の体も、拒否反応しか起こらなかった。

「あんた、たかが缶ビール一本空けるのに、いつまてかかってんのじゃい」

「私はね、旨いものはチビチビやるのが好きなんです。すみませんが、放っといてもらえませんか?」

 翁はビニール袋を押しつけてきた。中には魚やイカ、タコなどの干物が入っている。

「ビールがはかどらないのは、コレが足りないからでしょうな。遠慮はいりません、好きなだけつまんでくださいな」

「太っ腹ですな、翁」

「年頃の孫娘を守ってもらうんじゃ。礼のかわりですわ」

 欲しい訳ではないが、翁と報酬に関する話し合いはしていない。こちらが勝手にやっていることだからだ。

 しかし翁はいま、礼のかわりと言った。魚の干物で料金の代わりにするつもりなのかもしれない。

 このことをなっちゃんが知ったら、どう思うだろうか? 気を悪くすること受け合いだろう。場合によっては翁にむかい、布団叩きの棒がうなりをあげるかもしれない。

 しかしそれも、親族のコミュニケーションというやつだ。私が口をはさむべきではない。

「ところで探偵さん、なっちゃんが事件に巻き込まれているとかなんとかって話だったわよね。あの娘、どんな事件に巻き込まれてるの?」

「いえ、それが私の勘が根拠ってやつでね……」

 今朝のなっちゃんの様子を説明した。あの溌剌とした娘が、瞳を曇らせた一瞬。不安や心配を抱えているかのような表情。そこに感じた事件の匂い。

「なるほど、嫌な予感が探偵さんを動かした、という訳ね?」

「お恥ずかしい限りで」

「それも、若い女の子をのぞき見できる特典つきで」

「マダム、私は子供に興味は無いのだが……」

「探偵さんの年齢からすれば、高校生相手でもロリコンと呼ばれる資格が充分にあると思うんだけど、その辺りはどうなのかしら、このスケベ」

「マダム……どうして君は話をこじらせたがるんだい?」

 マダムは私を見た。そして形も色合いも美しい唇に、ビールの缶をあてる。先ほど開封したばかり、中身たっぷりの一本だ。それをマダムは……。

 一息で空けやがった。

「ふぅ……話をこじらせたがるのはね、探偵さんケプッ。それは私がいままさに、酔っ払っているからよ〜〜っ!」

 いぇ〜〜い、と歓喜の声をあげるマダム。笑い上戸のように、上機嫌で笑いはじめる。

 それでも美貌は損なわれない。むしろ無邪気な少女のように可愛らしい。

 美人は卑怯だと、私は思った。可愛らしい娘が美人を気取っても、背伸びしているようで可愛らしいとしか思えない。可愛らしい、から卒業できないのだ。

 だが美人は美しいだけでなく、仕草や表情ひとつで可愛らしさを演出できる。

 なっちゃんがこの場にいなくて、本当によかった。こんな可愛らしいマダムを見たら、女としての自信を根こそぎ持っていかれただろう。


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