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07話 「予兆」

 真駈は、ため息をついて続ける。


「お前がどういう意図をもって、俺が魔法を使えるといった発言をしたのか、正確なところは分からない。

 けどな、俺はこう思えるんだよ。お前があの日、一日学校を休んで、他校の女生徒と遊んでいるのがバレてしまった。その時に、真っ先に頭をよぎったのが、喫茶店でのお前の不用意な行動によって魔法の存在が明るみになったかどうか。

 当然だな。そんなものが表立ったら、とんでもない騒ぎだ。お前は恐らく、自分の行動が明るみに出た時点で、喫茶店での魔法の使用についても知られたと推測し、それが何処まで漏れたのか探るため俺に鎌を掛けようとした――まあ、そんなところだろうな」


 マズいマズいマズいマズい――――


 これまでの一連の行動の全てが裏目に出てしまっている。

 実際、真駈の言っていることは何一つ根拠はないし、事実とも異なる。

 しかし厄介なことに、その発言全てが間違いではなく、真駈の真意を知ろうと鎌を掛けたことは事実だ。そして、自らのその安易な行動一つが、真駈に致命的な疑惑を植え付けてしまった。


 何もかもが裏目、裏目である。


「彼方を疑いたくはないけど、そう考えると、お前の一連の行動にも納得がいくんだよな。

普段学校に居残りしないお前が、俺と接触するために図書室で時間を潰していたこと。

その日には目的が達せられないと見るや、今度は入念な準備をして、俺と放課後に会う約束を取り付けたこと――いや、よく考えたな彼方」


「ち、違います」


「もし俺が、彼方の企みに気付かずにいたら、どうなったんだろうな?

何処まで情報が漏れたのかを把握するため、言葉巧みに誘導されて、最期には口封じに殺されていたのかな?」


「違うんですよ、先生!」


 駆は、力の限り叫んだ。真駈は、言葉を切る。


 苦しかった。

 悔しかった。

 言葉にならないこのもどかしさで、胸が押し潰されそうになる。


 真駈は、静かに問うた。


「何が違うんだ、彼方?」


 答えられない。

 誤解を解こうにも、語ることの出来ない事実があまりにも多すぎるし、何よりも、真駈の駆に対する疑惑が大き過ぎる。真駈の凍てつくような視線が痛い。

 駆が何も言わないと見るや、真駈は再度問う。


「彼方、お前は何を考えている? お前の発言の中で、世界が滅ぶとか言っていたけど、それが狙いなのか?」


 違う。俺の狙いは寧ろ、それを食い止めたいくらいだ。

 駆は、唇を噛みしめ、そこから血が滲み出る。


「黙っていても分からないぞ?」


………すみません、今の自分には語るべき言葉を持ち合わせていません。


「………………………」


 そのまま、長い沈黙が降りた。駆も真駈も、何も言わない。

 このまま、この時間が永遠に続くかと思われた。



 突如、教室の扉が開いた。


 ガラガラという音に、駆は現実に引き戻される。


「あっ、すいません、真駈先生。こんなところにいらしたのですね。ちょっと御時間よろしいでしょうか?」


 そんな風に、申し訳なさそうにお伺いをたてるのは、真駈と同じく、駆の学校で教鞭を執る馳部であった。真駈は、即座に対応する。


「はい、構いませんよ。どうしましたか?」


「ちょっと、生徒の進路指導の件について相談がありまして…………」


 馳部は、今年で新任3年目となる若手教師である。

 社会人としても3年という節目を迎えて、ようやく仕事も板に付いてきたかという時に、教員人生初めての、最終学年の担任という大役を任される状況にあった。なので、馳部は分からないことや、相談したいことがあれば、真駈に、その都度アドバイスを受けている様子であった。


 真駈は、使っていた椅子を元の位置に戻し、立ち上がる。


「分かりました。では、ここでは何ですので、場所を変えましょうか」


「彼方との用事は宜しいので?」


 馳部は、先に何らかの相談を受けていたであろう駆へ目を向ける。


「ええ、既に用事は済みましたから。これ以上ここにいる意味はありません」


「………何かありました?」


 駆と真駈との間に、ただならぬ雰囲気を感じたのか、馳部は、真駈にそう尋ねた。


「それについては後程。ちょっと今回の件については、私も正直、どう対処して良いか図りかねていますので」


「彼方が、また何かやらかしたのですか?」


 事態が把握出来ていない馳部は、駆と真駈の様子を交互に見比べ、そう推察する。


「まあ、やらかしたと言えば、やらかしたとも言えますし、或いはこれからやらかすという言い方も出来ます。

 いずれにせよ、放っておけば、更に大きな事態に発展することにもなりかねません」


「は、はあ………」


 真駈の持って回った言い方に、馳部はどう反応して良いか戸惑っている様子であった。


 すると真駈は、もうここには用がないとばかりに教室を出て行こうとする。

 それを慌てて追いかける馳部に対して、真駈は、教室の扉の前で立ち止まると、忠告をした。


「馳部先生、今後出来る範囲で構いませんので、それとなく彼方の動向を注意して見ていて下さい。

その上で、何か怪しい動きがあれば、必ず誰かに相談するようにして下さい」


 馳部は、思わず足を止めて真駈を見遣った。


「真駈先生、それはどういうことですか?」


 真駈は、こちらを振り返るや否や、駆を一瞥し、それから馳部へと視線を移した。


「実際に何か確証がある訳でも、明確な証拠となるものも一切ありませんが、どうにもきな臭い。なので、念のためという意味合いで捉えて頂いて構いません。それで何もなければ、こちらとしても何の問題もありませんから」


 それは、馳部に対しての注意と言うよりも、寧ろ、駆に対する牽制と見てとれた。

 お前は、これから監視されることになる。だから何もするな、ということだろう。


 馳部は、色々と腑に落ちないといった表情をしながらも、渋々といった様子で頷いた。


「………まあ、分かりました。

けれど、真駈先生。後程きちんと説明はして下さい」


「それは勿論ですよ。――という訳だ。あまり余計なことはするなよ、彼方」


 真駈は、最後にそう念を押して教室を後にした。馳部も、チラリと駆に視線を向けた後、それに続く。

 馳部が扉を閉めた音が止むと、教室は静寂に包まれた。

 駆は暫くの間、その場を動くことが出来なかった――






 いつになく、慌ただしい一日だった。

 遥は、今日一日をそう総括して、一人帰路に就く。

 普段よりも、疲労が多く感じられた。というのも、今日は駆からの要請があり、本日の放課後の情報収集を中止し、代わりに駆の友人との交流を図って欲しい、とのことだった。

 遥が、駆はどうするのかと聞けば、どうやら終焉後の世界で、不審な死を遂げた人物と同様の魂を持つ、真駈という教師に会うとのこと。

 話を聞いていくうちに、この間階段の踊り場で出会った教師だと思い至るも、どうやら危ない橋を渡る様子。出来ることなら止めたかったし、本当は一緒に付いて行きたかった。

 でも、駆が友人の要望を聞いてやってくれと、あまりに申し訳なさそうに頼み込むものだから、おいそれと無下には出来ず、結局は承諾してしまった。


「でも、正直、安請け合いはするんじゃなかったかな」


 私は、ポツリとそう独りごちる。

 勿論、駆の友人との時間がつまらなかった訳でもなければ、その友人が嫌いとか、性格的に合わないということでもなかった。

 それでも何故だか、楽しいという気持ちよりも、疲れたという感情がそれを上回っていた。


 実際に会ったのは、私を入れて4人。

 駆から聞いていたのは、明君という男の子だけだったけれど、その明君自身が、いきなり二人きりだと警戒するし、互いに気まずいからという理由で、気を利かせてくれたようだった。


 本当に、終始気を使ってくれていたと思う。

 私が、この世界のこと――その辺は、上手く誤魔化して説明してくれていると思うけど――に詳しくないことを知っていて、その都度気に掛けてくれていた。

 そうした、皆の様子があまりに一生懸命で、こっちも逆に申し訳なくて、結局お互いが気を遣い合っていたのかもしれない。


 その時にふと、最初に私が駆と一緒にこの世界で遊んだ時には全く正反対だったなと思い出し、笑う。

 私は、駆に何一つ気を遣うことをしなかったし、向こうもそれは同じだったと思う。駆との関係と、その友人たちとの関係では、何が違うのだろう?


 自分を偽らなくて良いから?


 うん、それもあるかもしれない。

 駆となら、正体を隠さなくて良いのは凄く気が楽だ。この世界の常識や、分からないことについても、気兼ねなく質問出来てストレスもない。


 波長が合うか合わないか?


 うーん、私そういうのあまり信じていないけど。成る程、もしかしたらそれもあるかも知れない。

 確かに、世の中には、性格や価値観の違う人が沢山いて、そうした全ての人に分け隔てなく接したり、自分のありのままを表現するのは、本当に難しいと思う。


 色々と頭を悩ませ、ああでもない、こうでもない、と呟く。

 そうしてようやく、私にとって、しっくりくる答えを見つけられた気がした。


「そうか。私にとって駆は、ある意味どうでも良い関係なのかも」


 私は、社会での人の繋がりというのは、関係の連続性を如何に保つかにあると思う。

 個々人には当然、それぞれの思惑やエゴや下心がある。

 それが、他人との関係において、不快であったり不都合であったりしても、それが表面化しなければ、問題として提起もされず、認識もされない。勿論、関係は壊れないし、連続性も保たれる。日常に破綻は生じない。


 関係を保つための関係。


 凄く冷たい言い方になるけど、私と明君たちとの間柄は、今のところこの言葉に集約されるのではないだろうか。


 逆に考えてみたら、駆が私に持ち出した明君の頼みごとを、仮に私が断ったとしても、多分駆は何とも思わなかったんじゃないかな、とも思う。


 私と駆の関係は、打算がない、或いはお互いに何を思われようとどうでも良いのかもしれない。

 そうだとするなら、本当に大切なものって、案外どうでも良いものか、それに限りなく近いものなのかもしれないと思った。


 そんなことを考えていると、目の前に、私が暮らすアパートが映る。

――ああ、ようやく今日一日が終る。

 夕食は、明君たちと食べてきたから、後はシャワーを浴びて、寝るだけだ。


 私は、ポケットから携帯電話を取り出す。

 ディスプレイには、着信履歴も、メール受信記録も表示されていない。


「何よ、駆の奴。どうなったのか、連絡ぐらいしてくれても良いのに………」


 一瞬、何か予期せぬ事態が起きたという想像が脳裏をよぎり、不安に駆られたが、栓なきことだと思い直す。

 もし、駆に何かがあったとしても、私にはどうしようもない。


 今日はもう遅いし、明日の朝にでも確認しようと考えながら、玄関の扉を開けようとポケットから家の鍵を取り出そうとし――ふとその手が止まった。


 その理由は、家の鍵を何処かで紛失してしまったという、間抜けな事情ではなくて。


 私の視線の先には、玄関前で、駆が遥の帰りをじっと待つように佇んでいた。

 私は目を丸くする。


「えっ、駆? 何、どうかしたの?」


 駆は、私に視線を向けた。駆の口が、重々しく開かれる。


「夜分遅くにすまない。ちょっと状況が変わったから、直接報告しに来た。

状況はかなり悪いから、心して聞いてくれ――――」






 時計の針の、時を刻む音が室内で聞こえる。

 駆は、今日の真駈とのやり取りを、遥に出来る限り詳細に語った。


 後に残るのは、気まずい沈黙。


 幸いと言って良いのか、気まずさと申し訳なさを感じているのは駆だけで、目の前の遥は、それらをさほど気にしてはいないようだ。多分に、呆れや不満といった表情を滲ませてはいたが。


「………何で、一日でこんなに状況が悪化するのかな」


「面目ない」


「しかも、これ完全に自滅だよね? 自ら、背水の陣で事に当たっておいて、いきなり八方塞がりとか、意味が分からないんだけど」


「ごめんなさい」


 駆は、平身低頭して許しを乞う。


「相手の持つ手札を把握せずに、安易に手札を切って、次の相手の一手がジョーカーでした、って笑えないよ?」


「本当に申し訳ございませんでした」


 遥は、的確に駆の傷を抉り、そこに塩を塗りたくった。駆は、ひたすらに額を床に擦り付けて謝り続けるしかない状況に陥る。

 駆にとっては、ある意味、真駈に責められた時間以上に、精神的打撃は大きいかもしれなかった。


 やがて、一通りの駆のミスを指摘して一応は満足したのか、遥は本題に入る。


「誤解しないでほしいんだけど、私は別に状況が悪化したことにむくれてるんじゃないの。その原因の一端は私にもあるし、それについて責めるつもりも、その権利もない。

 ただ、結果如何に拘わらず、私そっちのけで勝手に物事を判断して、一人で行動したことに対して拗ねてるんだからね」


 遥の指摘した点は、ここに来るまでに、駆自身も反省したことではあった。

 終焉後の世界で得た情報を元に仮説を立て、それを確かめるべく行動に移すまでの、一連の流れ全てが自分の独断であり、無意識に、遥を蚊帳の外に追いやってしまっていた。


「多分、駆は物事の始めから終わりまで、基本一人で完結しているんだと思う。

自分が成すことは自分でやるという発想が前提にあって、物理的にどうしようもない時は、仕方なく他人を頼るんだろうけど、一人で出来てしまうことは全部一人でやるタイプなんだろうね」


 確かに、駆にはその傾向があった。

 基本一人でやる方が、面倒が少なくフットワークも軽いため、迅速に物事を実行して処理出来る。組織的行動よりも、臨機応変に立ち回ることが出来るのも魅力だ。

 そして何より、駆自身で、常に己の責任は己で完遂する、という意識が根底にあったからと言えた。


 すると、遥は、まるで駆の心の中を見透かしたかのように続ける。


「駆が一人で物事を片付けることに対して、どう考えているのかは知らない。迷惑を掛ける申し訳なさや、一人で手早く終わらせたい気持ちがあるのかも知れない。

 けど、今更、私と駆との間で迷惑も何もないでしょう? もう既に遠慮し合う仲じゃないし、何を言われたところで驚きもしないよ。

 駆の決断力や、責任感の強さは、私も尊敬してる。けど、その分周りが見えていなくて、真摯さも足りなかった。現状の打破を求めて、先走った結果がこれ」


 駆は、遥の発言を一つひとつ噛みしめるように聞き、やがて敵わないな、と呟いた。


 己に責任を科すことと、排他的であること。


 この二つの境界線は、とても曖昧であると思う。

 以前に駆は、己の責任は己だけのものと結論付けた。それは間違っていないと思うし、今でもその答えは変わらない。


 けれど、もしその思いが強すぎたらどうか。

 己が全てを背負うと言うのなら、それは必然的に、他人の責任をも背負うことに他ならない。


 人一倍強固な責任感は、実は排他的だ。

 そこには、他人が介在する余地はなく、いずれあらゆる責任に、一人押し潰される。

 遥の言葉で、それに気付かされた。


「とにかく、今後は絶対に一人だけで判断して、勝手な行動を取らないと約束して。何か事態を動かすような時は、必ず一緒だから。

一人だけで、問題を抱え込まないで」


 駆の瞳を正面から見つめる、遥のその切実な眼差しは、欺騙も韜晦も一切許さないと告げていた。

 駆はそれに強く頷く。


「分かった、約束する」


 己の責任と、他人の責任。


 それらの所在は、いつだって曖昧で、明確な線引きは難しい。時にそれは転嫁され、或いはうやむやにされる。

 そうした不条理を、駆は何よりも嫌い、それらを己の戒めとした。

 しかし、今回はそれが仇となってしまったのだろう。

 己の責任とは、最後まで向き合わなけばならない。だが同時に、それが独り善がりであってもいけなかったのだ。


 己のそうした欠点を、少しずつ改めていこうと思う。


「それで、今後はどうする?」


 駆の議題設定に対して、遥は、無難ではあるけど、と前置きをして口を開いた。


「取り敢えず、表面上は大人しく学生生活を送るしかないでしょうね。

放課後の情報収集についても、学校での活動は、念のため控えた方が良いかもしれない」


「だろうね。となれば、学校外での活動拠点を定めて、学校が終わり次第そこへ向かう形をとった方が良いかな。

幸い、情報端末さえあれば、何処でも特に支障はない」


 いざとなれば、この町の図書館もある。あらかじめ、パソコンなどを持参しておけば、下校後に速やかに立ち寄ることが出来て、大した時間的なロスも出ない。

 駆たちの学校の校則でも、学業に差し障りのない範囲でのパソコンや、タブレット端末の使用、持ち込みは禁止されていないため、その点も特に問題はない。


「まあ、前向きに捉えるなら、先生方に監視はされるものの、今までとやることは特に変わらないと言えるな」


「そうね。そもそも、人類社会が滅びるのだって、あと5年も先のことでしょう。

今から、事態が劇的に変わる訳じゃないんだから、項を焦ったところで碌なことがないよ。――今回が正にそうでしょう?」


 遥の的を射た指摘に、駆も苦笑を浮かべるしかなかった。


「違いない。――ただ、真駈先生が、人類社会終焉の未来と何か関係があるのかについては、最低限把握しておきたかった。

 結局、うやむやになってしまったけど、その真偽がはっきりするだけでも、その後の対応が全く違うものになるからな」


 駆のそのような懸念に対しては、遥も同意を示す。


「確かにそうだね。それについては、今回の一件ではっきりとした検証方法が使えない以上、こちらも真駈先生の動向を注視しつつ、慎重に判断していくしかないかも」


「その点は、腹の探り合いだな」


 駆は、これまでの話を整理しながら、現時点での最善は何かを考える。真駈の、駆に対する疑いを持たれるような行動を避けて、なおかつ人類社会終焉を防ぐための、何らかの手立てを得る。

 これらの条件を満たす、その方法とは――


「………なあ。今出来る最善って、結局は現状維持ってことになるのかな?」


 何故だか、怖ず怖ずといった様子で、駆に尋ねられた遥は、暫しの間、思案に暮れる素振りを見せた後、これまた恐る恐る口を開いた。


「…………そう言うことになるよね?」


「…………ですよね」


「ですねー」


 やがて、手詰まりなこの状況を誤魔化すように、二人しておどけて笑い合う。


 現状は、最悪だ。

 具体的な展開が、何一つイメージ出来ず、日々の行動の一つひとつが、正解か曲解かどうかも分からない。そのくせ、人類社会が滅びるという結果だけは分かっている。

 ならばもう、状況が動くのを待つしかない。こちらからのアプローチは最小限に、情勢の変化を見定めることに神経を集中させる。今はそれが、最良であろう。


そう結論付けて、駆は立ち上がる。

夜はもう遅い。長居してしまって、遥には申し訳ないことをした。


「話は委細了解した。取り敢えずの方針は、それでいこう。

じゃあ、夜も遅いし俺は帰るよ。また明日学校で」


「うん、また明日ね」


 互いにそう挨拶を交わし、駆は玄関に向かう。すると、それを見送る遥が何かに気付いたように、あっ、と小さく声を上げた。


 訝しげに振り返る駆。


「ねえ、駆って帰りは電車だっけ?」


「ああ、そうだな。歩くには、ちょっと距離があり過ぎる」


「もう終電、過ぎてるよ?」


 そう言って、遥は、室内の置き時計を指で示す。

 そこには、いつの間にか日付の変わった現在の時刻と、そのような時間まで気付かず長居してしまった事実を指していた。


 以下、長い沈黙が降りる。


 現状は、最悪だ。ならばもう、状況が動くのを待つしかない――








 夜の帳が、辺り一帯を包み込んでいる。天頂付近で輝く月が、闇に覆われた校舎を明るく照らし出していた。

 その校舎のとある一室に、窓から差し込む月明かりに照らされた、二つの影があった。その内の一つは、その月明かりを浴びて、その正体を映し出す。


 その月光が晒すのは、新任3年目の若手教師である、馳部であった。表情から窺える、ギラギラとした眼差しは、普段のどことなく弱々しい物腰を、微塵も感じさせない態度を示していた。

 その馳部は、その奥にいる、もう一つの影に話しかけている。


「――ということは、彼方は人類がほぼ絶滅した、未来の世界の事情を知っている可能性があるということですか?」


「ええ。でなければ、突然、雲居 遥という学生――恐らくは、未来の記憶を持つ魂と同期を果たした遥ですね――がこのタイミングで転入して来るとは思えません。

その時から、もしかしたらという予感はありましたね」


 馳部の問いに応じるその影は、窓から差し込む月明かりを、避けるように位置していた。そのため、暗闇に紛れたその素顔は、残念ながら窺い知ることは出来ない。


「確かに、真駈先生に伺いました、彼方とのやり取りを知った今となっては、そう認識すべきでしょうね。

 彼方が喫茶店で、何もないところから煙草の火を着けた、という目撃情報は真実であり、つまりは一緒にいた他校の生徒が、先日、ウチに転入してきた雲居であると。

 そして、その雲居が、実は真駈先生と同じく魂の再接続を果たした遥という人物であり、煙草の火は、その者の使う魔法によって点火された、というのが考えられる可能性でしょうかね?

 そう考えれば、その遥と言う人物の転入時期や、魔法の目撃情報、彼方の一連の行動について辻褄が合いますから」


「そうですね。その線で考えていくのが妥当でしょう」


 そうした影の発言の後、馳部は一度言葉を区切り、真駈から聞いたであろう駆と真駈のやり取りを思い出したのか、一人小さく嘲笑しながら口を開いた。


「それにしても彼方の奴、真駈先生に対して、あからさまな鎌掛けだったらしいですね。

『魔法』と『5年後に人類社会の終焉』というキーワードを織り交ぜて、反応を伺ったとか」


目の前の影は、ゆっくりと頷く。


「それを聞いて、疑惑が確信に変わりましたよ。

 終焉後の未来では、魔法という概念は存在しますし、何よりも、あの世界での生き残りの方々は確かに、人類社会終焉を2050年と認識していますからね」


「しかしですよ、彼方の意図したことは理解出来ますし、方法自体はセオリー通りではあるのですがね。いかんせん、それを実行出来るだけの能力や、対人経験が足りていないでしょうよ。それを理解せずに、自分から墓穴を掘ったら意味ないですよね」


 くくく、と笑う馳部とは対照的に、もう一人の影は、実に厄介ごとが舞い込んだ、と言わんばかりにため息を付く。


「馳部先生、決して笑いごとではありませんよ?

問題は、彼方がそれらの情報を事実と考えていて、更には、本人が当事者意識で物事を捉えていることでしょう。

人類社会が崩壊する未来を防ぎたい彼方と、人類社会を終焉に導いた真実を知りたい人類の生き残り。利害は一致しているし、そうなれば、互いに協力する流れになります」


 深刻な語り口で、話をする影。

 それを聞いて、さしもの馳部も笑いを引っ込め、真面目な面持ちで切り出す。


「………成る程。その協力の過程で、真駈先生が、これらの事実に関与しているという疑いを抱くに至ったという訳ですか……」


「その通りです。私自身、向こうにある死体をきちんと隠蔽しなかったのが大きく、その疑いに拍車をかけてしまいました。

 今となっては、誰の目にも留まらない場所で処理出来ていなかったのは痛いですね………」


 自らの行いを振り返る影は、声のトーンを落とす。その声は、心なしか落ち込んでいるようにも聞こえた。


「まあ、今までの話が事実であるなら、終焉での未来で、真駈先生に当たる人物の死亡が表立った時点で、自然この時代の真駈先生が疑われることは、自明の理ですよね。何故、そんな分かりやすい証拠を残してしまったのですか?」


 馳部のこのような発言には、見通しが甘いのではないか、という厳しい追及の色が表れていた。

 影は、己の行動の結果を反省しつつ、口を開く。


「正直なところ、運が悪かったと言わざるを得ません。

 元々、死体を積極的に隠蔽しなかった理由は、内輪揉めの誘発によって、疑いの目を身内に向けさせ、それによる内部対立の狙いがあったためです。

 そして万一、今回のように、終焉後の未来で死亡した者の魂が、終焉以前の過去の肉体と同期した可能性を想像するに至ったとしても、そもそも、日本だけで一億人を超える人口の中から、その魂と対になる肉体を特定することは困難であり、本来それを確かめる術はなかったはずなんです。


 推測するに、今回の件も、5年後に迫る人類社会終焉の原因究明が主な調査であったのでしょう。まさか本人たちも、終焉後の未来で死亡していた人物の魂と、同じ因果関係を持った人物と出会うなんて思いもしなかったでしょうね」


「けれど、何の因果か、その想定外の出来事が現実に引き起こされている、ということですか」


 馳部はそう言うと、やれやれと肩をすくめて、それはすぐに深刻な表情へと切り替わる。


「困りましたね。相手の意図はどうあれ、結果として真駈先生が疑われることになるとは。

これは実際にマズいのではないですか?

まあ、終焉後の未来の真駈先生が、こちらに同期して来た線で疑われても、それ自体は特に問題はないかも知れませんが…………」


「馳部先生の仰る通りです。向こうが、この時代へと同期するに至った原因や背景が把握出来ない以上、単に疑いが掛かる程度は、別段致命的という程の打撃ではありません。

 が、実際問題あまり良い傾向とは言えないですね。私も、終焉後の未来での証拠を完全に隠蔽出来た、とは言えませんから」


「ならば、いずれ何らかの証拠が明るみになった場合に、それを足掛かりにして、未来の真駈先生を殺さねばならなくなった事情や、人類社会終焉の真実にまで辿り着く可能性がある、ということですね」


 馳部の奥にいる影が、小さく頷いた気配を見せる。


「最悪、そうなることは想定しておかなくてはなりません。――いやはや、本当に参りましたね。私に対する疑いの目を逸らすために、色々と工作したことが裏目に出てしまいました」


「どうしましょうか。まさか、このままにしておく訳にもいかないでしょう?」


 馳部の問いかけに、暗闇に紛れた影は考えを巡らしているのか、暫く沈黙が流れた。途中、何度か身じろぎをしたのか、ギシッと小さく椅子が軋む音が聞こえる。

 やがて、馳部に声が掛かった。


「馳部先生、お手を煩わせることになるので、非常に申し訳ないのですが、ここは疑いの元凶を処理する方向で行きたいと思います」


「――処理、ってことは、真駈先生をですか!?」


 驚愕で目を見開く馳部に対して、黒い影は慌てて補足する。


「勿論、殺せと言うつもりはありませんよ。私だって、そこまでは望んでおりませんし、勘弁してほしいところです。


 要は、印象深い事件を起こして、疑いの目を別なものに向けてしまおう、という単純な理屈ですよ。まあ、子供騙しのようなものですね」


その説明を聞き、馳部は合点がいったように頷いた。


「成る程。相手の、真駈先生に対しての警戒の程度に拘わらず、疑っていた人物が襲われたとなれば、その疑惑が濃厚になる代わりに、その事実を隠蔽しようとした何者かに意識が向けられる。

 そして、その犯行が、私たちに何の関係もない部外者による行為であれば、そこから再び真実に辿り着くのは至難の業、という訳ですか」


「その通りです。まあ、その事件を裏で手引きする存在に感づかれるというリスクはありますが、ある程度のカムフラージュは可能ですし、それに見合うリターンはあると考えます。――馳部先生、如何でしょうか?」


 闇に潜む影は、馳部に対して、再度確認の意を込めて尋ねた。


「私としては、それで構いません」


 馳部は、それに了承する。


「助かります。それでは、この計画の実行に当たっての時期や人選は、全て馳部先生に一任します。

その方が、下手に私が干渉するよりも、私たちの繋がりが判明しづらいと思いますから。


 それと、当然ですが、私はこの事件に乗じて、暫く身を隠すことになりますので、この計画に関しては、少々派手に行って頂いても全然構いません。

 その後のことも、ほとぼりが冷めるまでの間、彼方たちの動向を含め馳部先生にお任せします」


「ああ、確かにそうなりますね。分かりました。

――さて、これでようやく、覚えたての魔法を試す機会が訪れるかもしれません」


 馳部が、冗談めかしてそう言うなり、闇に紛れた影はフフフ、と含み笑いを漏らした。


「そうですね。馳部先生は、飲み込みが早かったですから、まさかこんな短期間で修得出来るとは思いませんでした。

 まあ、この世界では、あまり事が大袈裟になるような使い方は出来ないでしょうが、工夫次第で役立つ場面はいくらでもあると思いますよ」


「ありがとうございます。そう言って頂けると、非常に嬉しいですね。

今回の計画に関しても、ご期待に添えるよう頑張ります」


 そう言い合いながら、二人して笑う。

 ともすれば、周辺の住民に聞こえてしまうのではないかと言えるくらいに、この静寂な空間で二人の声は不気味に響き渡るのであった――



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