05話 「深まる謎」
帰省先で、まとまった時間が確保出来たので投稿します。
今後こそ、4日再開を予定しています。
肉体は魂に依存する。
魂の情報に基づいて、肉体は構成されており、それは同一の魂であれば同様に、同一の肉体をもった生命体が一定の周期ごとに存在しているということでもある。
つまり、終焉前と終焉後の彼方駆という肉体は、魂のもつ情報に基づいた同一の肉体であり、遥もそれは同様である。
そして、遥の話では、終焉前の世界で教師を勤める真駈という人物も、同一の肉体が終焉後の世界に存在するというのだが――
舞台は、これまでの学生生活の日常から、人類社会終焉後の世界へと移り変わる。
今日は、予定されていた週に一度の定期報告の日を迎えた。駆は、無事に魂と終焉後の肉体との再接続を終え、ゆっくりと目を開いた。
「おう、駆。一週間振りか」
そんな駆を迎えるのは、初めてこちらの世界へ来た時に、時宗と共に顔を合わせた翔悟であった。
「うす。久し振り、翔悟。時宗さんは居るか?」
「ああ、ちょっと待ってろ。じきに来る」
言いながら、翔悟はその近くでテーブルを用意し、朝食の準備をしてくれた。ご厚意に甘えて席につく。出された食事は三人分で、どうやら時宗さんと翔悟、そして俺の分が用意されたようだ。
「今回は、遥が向こうで待機か?」
翔悟は、食事の準備を済ませ、自分の席に着いた後、駆に尋ねた。
「ああ、そういうことになった。遥には、ちょっと申し訳ないけどな」
「まあ実際しょうがないだろうな。互いに身の安全を考えたら、面倒だが怠れない部分だろうし」
週に一度のこの定期報告に当たって、終焉後の世界へ向かう人間は一人で、もう一人が終焉前の世界で待機するという取り決めが、あらかじめされてあった。
二人でこちらに来ても良いが、以前に、駆が時宗と話をしたように、こちらの世界の肉体が魂と接続されて居る間は、その間、向こうの肉体は無防備である。
流石に、向こうの世界に無防備な肉体を丸々二人分放置して置くことは、余りにも危険が大きいと判断したためだ。向こうの世界で居残る者は、こちらの世界へ再接続される間、魂との接続が切れた肉体を保護して貰う手筈となっている。
当然、時宗には駆の方からその予定は伝えており、今回は、駆がこちらの世界へ再接続されたという訳である。
「遥が居残りってことは、駆が、遥の家で一夜を過ごしたことになるのか?」
「まあ、そうだな。一応、俺の家は家族が居るから、流石に、女の子を自分の部屋に一日中閉じ込める息子を、不審に思わない親はいないだろうよ。必ず、どこかしらの段階で怪しまれる」
駆の通う学校は、自宅から比較的近い距離にあり、電車と徒歩とを合わせた移動時間が、トータルで一時間圏内に位置している。
そのため、必然的に実家通いということになり、その時点で、例え名目が何であれ、女の子を一日家に留めておくことは厳しい。
よって、消去法で、駆の方から遥の家に伺い、泊めて貰うという形に落ち着いた。元の遥の人格であった時から、その人は既に一人暮らしであったこともその要因と言える。
「お陰で、お互いに気もそぞろで申し訳ない気持ちと、気まずい感情で一杯だ。
せめて翔悟とだったら、幾分気持ちは楽だったと思うよ」
「それはそうだろうが、お前、眠っている一人の男を、今か今かと待ち望むもう一人の男っていう絵面も、それはそれで問題あるだろ」
「そういうことが言いたいんじゃねえよ」
互いにそんなやり取りをしている内に、時宗が二人の前に現れた。
時宗は、二人と挨拶を交わした後、用意された席に座る。
「久し振りだな、駆。無事にまた会えて良かったよ」
「ご無沙汰しています、時宗さん」
「まあ、互いに積もる話しもあるだろうが、取り敢えず食事をしながらでもゆっくり話しをしようじゃないか」
言いながら、時宗は、翔悟の準備した食事に手をつける。
本日の朝食は、パンにスープにサラダといったシンプルなものであったが、こうしたさりげない気遣いは素直に嬉しい。駆もありがたく食事に手をつける。
食事をしながら、駆はこれまでのいきさつを話した。
遥が、無事に終焉前の世界に居る、遥なる肉体との接続に成功したこと――
駆の通う学校への転入が滞りなく終了し、駆との合流を果たせたこと――
人類社会終焉の情報については、現在も調査中で、特に目ぼしいものはなかったこと――
一日の調査を終えたその帰り際、駆の世界で学校の教師を勤めている、真駈という人物と接触をして、遥か曰く、その真駈の魂と対をなす肉体が、終焉後の世界にも同様に存在していたが、その人物が何らかの原因で既に死んでしまっている事実を知ったこと――
駆が、その真駈の件について尋ねると、時宗は何かを思案するように腕を組み、それから前置きをするように口を開いた。
「そのことについては、何も意地悪がしたくて黙っていた訳ではない。一応、こちらが時期を見定めた上で、適当なタイミングで話そうとは思っていたのだ。君を徒に混乱させたくはなかったからね」
何か物事を人に打ち明けるにあたって、人にはそれぞれ事情があるのだから、それは当然だろう。駆は、それについては特に思うところはないという意を込めて頷いた。
「そうだね。時期を見定めた理由としては、こちらとしてもはっきりとしたことがまだ何も把握できていないということにある。ある程度全体像を掴み、要点を整理してから話すべきと考えていてね。
真駈、という人物については、心当たりがあるといっても、今聞いた名前と、身体的特徴以外に、我々も何一つ把握していない」
「その存在を確認した時点で、接触なり会話なりはできませんでしたか?」
「我々も、出来ることならそうしたいところだったのだが、不可能だね。その者は、発見した時点で既に死んでしまっていた」
確かに、終焉後のこの状況下においては、五体満足で生存できている事実の方こそ稀なケースというものだろう。発見した際には、時すでに遅し、という可能性は十分に想定出来ることだ。
結局、有益な情報は得られそうもないかな、と肩透かしな思いを胸に結論をまとめ。だが続く言葉に目を見開いた。
「ただ、問題は第一発見者がこの私で、この建物の一角で倒れていたこと。そして、頭に一発の銃痕が確認できたことだ」
――それは穏やかではない事態だ。
たとえ、終焉前を生きる真駈と、終焉後の真駈なる人物に、何ら因果関係がないとしても、その状況は無視できない。
「その真駈にあたる人物を発見した時期については、つい最近のことだ。
ちょうど、肉体と魂を同期させることが出来る環境が整い、具体的な実験を検討する段階に入っていた頃だったかな。
私は、実験に向けての機械の最終点検を行う目的で、メンテナンスに必要ないくつかの道具を、保管庫――といっても、この建物の一室に過ぎないが――に取りに向かった時のことだ。
室内に入ってふと足元を見れば、誰かが倒れていてね。慌てて確認すれば、見ず知らずの人間が頭に銃弾を受けて死んでいる。これはただ事ではないと思ったよ」
確かにただならぬ事態だ。
人類の生き残りが、時宗たち以外にも存在していたこと自体が既に驚きであるのに、その上、その人物が死んでいるとなれば、何らかの事件性を感じずにはいられない。
「その者の死因が、自殺なのか他殺なのか、はっきりとしたことは分からない。
だが、終焉後を生き残った人間が、何らかの要因で殺された可能性がある事実こそが非常に問題となるだろうな」
考えられる何らかの要因。それは――
「その真駈なる人物が、人類社会終焉の原因、又はそれにまつわる何らかの事実を知っていて、それを意図的に隠しておきたい何者かが、口封じのために殺したと。そう考えられるということですか?」
「――あくまでも可能性の話だ。証拠も何もない、ただの憶測に過ぎない。
しかし、人類が絶滅危惧種に指定されてもおかしくないこの現状では、人が人に殺害されるという状況こそが相当に限定される事態だ。
人を殺す程の動機がそもそも想定され得ない以上、その憶測を前提に物事を考える方が現実的かもしれない」
駆もその通りだと思った。
原因が起こるには、そこに理由が存在する。
通常、人間同士の間で人が殺される程の事態ともなれば、殺す側にとって、人を殺すことで得られる何らかのメリットがある筈だ。それが、怨恨による復讐ためか、金や地位の獲得のためか、或いは快楽という欲求の充足のためか。
それらの要因が、多くの人間関係の中で複雑に絡み合い、時に常人には想像もつかないような動機を形成する。
だが、それはいずれも人類社会が正常に機能している状況において、初めて成立する事象だ。人類終焉の危機的状況というあまりに特殊な条件の下では、それらを考慮するのはあまりに非現実的と言わざるを得ないし、だからといって、自殺と安易に断定するほど楽観視できる状況でもない。
とするならば、やはり真駈は人類社会終焉に関する何かしらの情報を握っていて、それが原因で殺されたと考えるのが自然だろう。
「――しかし、そうなると問題は誰が殺したのかということになりますね」
そう、その推測を前提とした場合に、加害者が誰となるかが問題となる。殺害方法が銃器となる以上は、人類かそれに限りなく近い存在ということになるが…………。
「身内を疑いたくはないが、可能性の一つとしては、ここにいる我々の誰かということになるな。
一応、その可能性は想定していたから、死体を発見した時点でここに居る全員に確認はとったよ。そして、その全員の言葉を信じるなら、誰もがその真駈という人物のことは一切記憶にないし、殺してもいないそうだ」
……ということは、犯人はここに居ない別の第三者か、ここにいる誰かが嘘をついているのかということになるが、果たして………。
「まあ、そもそもその人物が、何処から来て、何を目的としていたのかも不明瞭で、見ず知らずの人間である以上、普通に考えれば、我々がその人物を殺す理由が見当たらないし、仮に、何かの弾みで殺してしまったとしても、それを敢えて隠す必要性もない。
だが、実際に事実を照らし合わせてみて、ここに居る我々の誰一人として真実を知らず、死んでいる人物の正体すら分からない。
その上、この人物が何処から来て、何故死亡するに至ったのかという原因も、具体的なことが何もかも分からないとなれば、そんな理屈は瞬く間に霧散するだろうね。
現状を言えば、我々の間で、相手の行動や言動一つひとつの裏を疑い、腹に一物抱えているのではないか、と疑心暗鬼に囚われる者もいるのだ。あまり良い傾向とは言えない。」
確かに、それは深刻な事態だ。
状況が全く想定できない以上、各自で想像を働かせるしかないが、それによって、他人が信用できないという状況を引き起こしている。
決して一枚岩でない今の状況に危惧を抱くも、取り敢えずは話しを進めるべきと判断し、駆は先を促す。
「他に何か気づいたことや、気になったことはありますか?」
「もう一点ある。この事件に直接関係があるかは分からないが、我々が死体を発見して騒いでいた頃、その前後に、外部に生息する魔物が魔力行使した痕跡があったという報告を紗絆から受けた」
「魔物による魔法ですか? 一体、それはどういったものなんです?」
いよいよもって状況が把握できない事態となり、困惑しながら駆は尋ねた。
「それが、詳しいことは何も分からないらしい。ただ、その魔物が、外で魔法を唱えて何を行ったかについて直接に確認できてはいなかったらしいが、辺り一帯に魔力の残滓が漂っていたことに気づいたらしい。
実際に、何かが破壊されたような形跡はなかったことから、何らかの大規模な魔力行使の前兆の可能性も否定できないとのことだ」
「その大規模な魔力行使とは、一体何ですか?」
「分からない。そもそもが可能性の話であって、もしかしたら全くの杞憂ということも考えられる。
いずれにせよ、現状はあまりに情報が不足していて、まともな説明も推測も出来ないという他にないのだよ」
そう言って、時宗は申し訳なさそうに項垂れる。
確かに、情報が断片的で事実を正確に把握することが困難であり、現状において対処のしようがない。時宗が時期を見定めていたことも頷ける。
「兎に角、現状において未だ事件の全貌が見えないため、取れる対応策がない状況にある訳ですね?」
最終的な確認のため、駆は時宗に問いかける。
「そうだね、現段階で何がどうできるでもないから、はっきりとしたことが分かるまでこの件は保留としておこう」
時宗は最後にそう締めくくると、改めて食事を再開するため、止めていた手を動かしスープに手を伸ばす。と、翔悟が時宗の動作を制すように、時宗のスープを手に取った。
「時宗さん、スープがすっかり冷めてしまっているので温め直しますよ。ほら、駆の分も一緒に温めるからその皿を渡してくれ」
そう言うなり、駆と時宗のスープを両手に持ち、台所の奥へ消えていった。
駆は、色々と気を使ってもらい申し訳なく思いつつも、再び温められたスープが目の前に置かれ、翔悟の分も含めてその準備が完了したことを見届けてから、改めて食事を再開するのであった。
時宗らとの食事を終えた駆は、時宗に断って建物の外を探索することにした。
先ほどの話で、魔物が外部で魔法を行使したという事実を聞き、実際にこの目で確かめたいと思ったからである。結果として、特に被害は見当たらなかったという話ではあり、そもそも駆自身が魔力の痕跡を認識することができるのかという疑問はあるが、それでも一応状況だけは確認しておきたかった。
時宗も特に反対はせず、紗絆の結界の範囲内であれば、問題はないと言われている。結界の効果範囲は、おおよそ半径3kmとのことで、あまり遠くへ行かないように注意する必要があるだろう。
また、紗絆の結界は人間とそれ以外の種族を識別して、人間の出入りは無制限とし、逆にそれ以外の種族を一切拒絶するといった仕組みらしい。原理としてはそこまで複雑なものではない、と時宗は言っていた。
そのような説明を振り返りながら、駆は、人類社会終焉の街並みを眺めつつ歩を進める。
最初に、この世界を訪れて右も左も分からないまま、現実を突きつけるように見せられたあの時の光景と、今改めて見る光景との印象は変わらない。人類の管理を離れた建物たちには、ところ構わず生える草木やツタが、かつてあったであろう街中の風景をも覆い隠している。
長い年月をかけて成長したであろうそれは、最盛期の頃の日常風景を微塵も感じさせぬ程で、今はもう朧げながらも、辛うじて街の輪郭が確認できるかどうかといった具合だ。
こうした風景が、自らの生活する世界が、あと5年で崩壊する事実を否が応でも突き付けられる。
駆は、湧き上がる不安を吐き出すように短くため息を吐いた。
――不意に轟音が轟いた。
駆はとっさに、その発生したであろう方向へ振り返る。
間髪を入れず響き渡るのは、この世を跋扈する、魔物が発するであろう咆哮であった。多分に敵意という感情を孕んだそれと共に、再び何かを叩きつけるかのように地鳴りが発生する。
魔物同士の諍いであろうか?
状況が読めずに混乱する駆をよそに、なおも続く咆哮と鳴動。
そうした中で、途切れることのなかった咆哮が、突如悲鳴へと変わる。一転して苦悶の唸り声を上げる魔物は、より一層激しい地鳴りと共にその勢力を強くした。
永遠に続くかと思われたそれは、力尽きたであろう魔物が崩れ落ちていくような音を最後に、唐突に鳴りを潜めた。
――不穏な空気だけが場を支配する。
自らの鼓動が加速し、その音だけがやけに耳についた。
どのくらい、そうしていただろうか。
駆は、正面に黒い影を捉えた。それは徐々に大きくなり、その輪郭を現していった。
――目の前から、一人の男が歩いてくる。
男は、駆の存在に気付くと、足を止めて目を細めた。
「見たことのない顔だが、お前は誰だ?」
そう問うなり、警戒心を露わにする。相手は見知った人間しかこの世界に生き残りはいないと把握しているだろうから、相手の反応は当然であろう。
駆は鼓動を落ち着かせる。
「自分は彼方 駆と言います。時宗さんとの約束で、人類社会終焉についての調査の進捗状況を報告しに、この世界に呼び出されました」
駆は、相手を極力刺激しないよう、注意を払いながら自己紹介をする。すると、目の前の男は、ああと納得したというように頷き、僅かだが警戒心を緩めた。
「成程、お前が時宗さんの連れてきたという過去の人間か。
俺のことは既に知っているかもしれんが、時雨という。――ところで、こんなところで何をしている?」
時雨は、さりげなく駆を観察しながら、そう疑問を口にした。
「実は、人類社会の調査の過程で、こちらの世界で不審な人物が一人死亡していた、という情報を知りまして。
それについて話を伺っている際に、ほぼ同時期に外に居た魔物が魔法を行使したことを聞き、事実を確かめようとここへ来たという次第です」
「……成程」
時雨は、駆の行動に一応は納得できた、という風に頷いた。
「それで、何か分かったことでもあるのか? 実際のところ、見て何か把握できるとは思えんが」
と、時雨はなおも切り込んでくる。そうした時雨の様子に、やはりまだ警戒されているのか、それとも事実をどこまで認識できているかを試されているのか、と頭を巡らせつつも時雨の問いに答える。
「そうですね。実際に状況を確認してみましたが、特にこれといった情報は得られませんね。やはり基本的な情報が不足しています」
「だろうな」
特に何かを期待するでもなく、時雨は頷く。
「外の魔物が行使したという魔法に関しても、既に目的を達した後なのか、それとも今後より巨大な魔法を行使するための布石なのか、それすら確証がない」
「時宗さんが言うには、紗絆さん曰く、大規模な魔法が行使される前兆ではないかという話でしたが」
時雨は、フンと鼻を鳴らす。
「まあ、具体的な情報がまだ何もない以上は、楽観視できる状況ではないからな。そういう想定で警戒せざるを得ないだろうよ」
要するに何も分かっていないだけだ、と時雨は締めくくる。吐き捨てるように言う時雨の様子を見て、駆は何か話題を変えようと気になっていたことを聞くことにした。
「ところで先程の音は、その魔物を狩っていた時のものですか?」
駆は、自身で指摘した先に目を遣る。時雨の傍には、複数の魔物の亡骸が横たわっており、それらは時雨の手製であろう巨大なソリに乗せて運ばれていた。
時雨は何てことはないという様子で肯定する。
「そうだ。ここにいる6人の中で、純粋な戦闘力に関しては俺が最も高いからな。必然的に魔物の狩猟担当になっている」
改めて時雨の狩猟した魔物を確認すると、この世界のモンスター事情に詳しくない駆にも、ゲームや漫画で見知ったような魔物が幾つか目に付く。
中でも一際駆の目を引くのは、数あるものでも特別に巨大な亡骸で、ゲームや漫画の世界でも他の魔物の追随を許さぬ程、より強大に描かれる存在――
「もしかして、そこにある魔物ってドラゴンですか?」
駆が恐る恐る尋ねると、時雨はそっけなさそうに、そうだと頷いた。
「そいつは、つい先程仕留めたばかりのドラゴンだな。これで暫くは食事に困ることはないだろう」
ここで駆は、先程の雄叫びと轟音が、このドラゴンとの死闘が原因であったことに気付く。
今、そのドラゴンは、ソリに乗せて持ち運びがしやすいよう細切れにされている。何てことのないように語るが、硬い鱗で覆われ、鋭い牙や爪を備えた屈強な肉体を持つ存在を、人間という矮小な生き物が、身の丈程の大剣を携え、単騎でドラゴンを仕留めたという話は、にわかには信じがたい。
駆は、あまりに人間離れした時雨に無意識に身を震わせるが、気を取り直して質問を重ねた。
「いつも日常的に、こうした魔物の狩猟をしているのですか?」
「そうだな。ある程度、住まいの方にまとまった食料を備蓄するようにしているが、その食料の消費量に応じて、定期的に必要があれば狩猟に出ている」
成程、人類社会が滅亡したことで、現代社会のような流通システムは崩壊し、食糧確保のための手段は原始時代に逆戻りという訳か。
「それで今日は、必要以上の食料が手に入ったから帰還するということですね」
「そういうことだ」
時雨は、時宗たちの待つ住まいへの帰路に向かうべく、ソリを手に持つ。
「俺はこれから向こうへ戻るが、お前はどうする?」
駆は、時雨の問いかけに逡巡し、それから口を開く。
「取り敢えず、もう少し見て回ってから戻ることにします」
「そうか」
駆の発言に、さして興味はなさそうに返事をすると、時雨はその場を後にする。
人類社会終焉後の、数少ない生存者である時雨との思わぬ出会いに驚きつつも、時雨の人となりや性格、他人への態度がおおよそではあるが把握できた。それに、最低限聞いておきたい情報も確認できたと思う。
駆は、時雨の後ろ姿が小さくなるまで見送ってから、中断していた終焉後の世界の調査を行うべく、探索を再開したのであった――
退廃した世界を淡々と歩く。常人であれば、目の前の光景に絶望するであろう状況にも、時雨にとっては既に慣れ親しんだ風景である。例え、数々の魔物が跋扈するような日常であろうと、彼の脈拍には些かの変化も見られず、そこには一切の恐怖も、緊迫も、気負いすら存在しない。
不意に、時雨の眉がピクリと動いた。
即座に視界の片隅に一つの影を捉え、そちらに鋭い眼光を向ける。
鋭く人を射すくめるような殺気に、その影は小さく肩をすくめながら、時雨にその姿を現した。
「あのさ、一応身内なのだし、少しは気配りできないの? いちいち怖いよ」
人を食ったような態度で時雨と相対する男は、わざとらしくうんざりといった表情を見せた。
「どのような状況であろうと、目の前に何者かの気配があれば警戒するだろう。それが例え、結界の内側であろうと油断をしないよう心掛けているだけだ。
――ところで郁渡、お前はこんなところで何をしている?」
郁渡と呼ばれたその男は、不敵な笑みを浮かべる。こうした掴みどころのない態度が、時雨は以前から苦手だった。
「人に会うなり、最初の質問がそれ? しかもその質問って、ついさっき会った彼方君にも尋ねた内容そのままじゃないか」
郁渡のその指摘に時雨は、駆と出会った際のやり取りが目撃されていたことを察し、同時に郁渡の気配を全く察知できていなかった事実に、小さく舌打ちをした。
「まあいいや。それは当然、僕も彼方君の存在に興味があってね。ちゃんとこの目で確かめたかったというだけさ。――君も彼のことは少なからず気になっていただろう?」
郁渡の問いかけに、時雨は渋々ながらも頷かざるを得なかった。
時雨は駆との初対面のときに、見知らぬ顔と表現したが、それは厳密に言えば間違いだ。時雨は以前から、人類社会終焉前を生きた者の肉体を媒介にして、対となる魂の接続を行う計画については、時宗によって当然に聞かされていた。そして、その計画に必要な肉体の姿形も、その際に確認して記憶していた。
だから、あの場所で生きている駆をこの目で確認した時点で、駆が過去から訪れた人間であることは瞬時に察することが出来ていたのだ。
その上で、駆の存在をしらばっくれたのは、自分でも無意識に、駆という人間がどのような存在なのかを見極めたかったのかも知れない。
「まあそのことを自覚しているなら良いよ。――で、どうだった、彼の印象は?」
郁渡は時雨にそう尋ねた。郁渡の、こちらを値踏みするような視線が、一々時雨の癇に障るが、内心の苛立ちを抑えて口を開く。
「印象としては悪い奴ではなさそうだが、どうだかな。正直、出会って間もない人間のことが、そう簡単に信用できるわけがない。ある程度の分析をするにしても、情報が不足し過ぎているな」
「――つまり、敵か味方か分からない、ということだね」
時雨が言外に仄めかしたことを、郁渡が引き継いで言語化した。時雨はその通りだと同意する。
「ああ。奴との会話で、表面上は現状において、不審人物の死についても、同時期に発生した魔物による魔法行使についても、何も把握できていないことで一致はした。
だがそれが真実である保証はどこにもない。
例えば、時宗さんが俺らには言えない何か重大な秘密を隠していて、その隠蔽に奴が加担している、或いは利用されている可能性も十分に考えられる」
時雨の推測に、郁渡もその内容を吟味してから、成程ね、と呟いた。
「あの不審人物の死は、実は時宗さんの自作自演で、証拠を全て消すために殺されたとも考えられる訳か……。
そして、外部の魔物による魔法行使についても、何らかの証拠の抹消をするために利用されたと…………」
「最も、元々の情報が穴だらけで、この仮説も全く根拠はないがな」
結局は、全てを疑ってかかるしかない、ということだ。
全員の足並みが全く揃わない状況で、人類社会終焉の原因の調査など、土台無理な話である。
「奴が白か黒かに拘らず、今は泳がしておくしかないだろう。相手の出方に合わせて、こちらも対応を考えるという方針が無難だな。」
「本当に、対応が後手後手だね。嫌になるよ」
郁渡は、やれやれと嘆息する。基本郁渡とは馬が合わないが、この時ばかりは心底その意見に同調できた。
「まあ、しょうがないか。取り敢えず、合間を見つけて時宗さんを監視してみるよ。
ひょっとしたら、何かボロを出すかもしれないし」
「分かった。こちらも手が空き次第、随時協力する」
互いに協力が取り付けられると、郁渡は、本来の仕事に戻るよと言い残し、建物の影に同化していくようにして消えた。それを確認して、時雨は一人ぼやく。
「本当に、最早何を信じていいか分からんな……」
全く持って嘆かわしい。
状況が何も分かっていないということは、機先を制することも、善後策を講じることも、何一つ覚束ないということだ。加えて、誰が敵か味方かという明確な線引きすらできず、己の立ち位置すら確立できない。
最悪、水面下で物事が進行しているにも拘らず、一切の無抵抗のまま、何かこちらにとって不都合な事態が終息するのを、指を咥えて見ていることしかできない、という状況も起こり得る。
兎に角、今はどんな些細なことでもいいから情報が欲しい。
現状における様々な不安要素を抱えながら、時雨は、時宗たちに食料を届けるべく動き出した。