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02話 「日常の終焉」

 それは僅かばかりの違和感であった。

 朝日の差し込む光に、駆は目を顰めた。その仕草は、単に日光が直接触れることによる不快感だけを示すものではない。

 普段から駆は、朝起きるときに直射日光が体にかかることを嫌う。よって、意識的に太陽の軌道上を避ける形でベッドを配置していた。

 取り敢えずは、目覚めた瞬間の微かな違和感を確認しようと、気だるい体を起こし――


――目の前にある光景に、目を剥いた。


 そこはいつもの光景ではなかった。

 現実との齟齬は、予感と共に確かにあった。だが一人の青年男性の問題処理能力で対処できる許容範囲を、大きく逸脱する程であると誰が想像できたであろうか。


「――――、――――――、――――、――――」


 未知なる状況に、心が警鐘を鳴らす。

 早急に、現状の把握と原因の究明に乗り出さなければならない。


「――――、――――――た、――――、――――す」


 だが体が動かない。心が、体が悲鳴を上げている。


「――――、おい――――――、――――丈夫か、――――?」


 対象が認識に従わない。

 聴覚、嗅覚、視覚――あらゆる五感が正常に機能しない。


「――――の声が、――――、ここがどこか――、――」


 頭が混乱の極致で思考が一向に纏まらない。少し落ち着かないと――


「      おい!      大丈夫か?」


 強く肩を叩かれ、その衝撃で我に返る。


 思考は明晰化する――






 霞がかかったような思考も、徐々に明瞭さを取り戻していく。


 改めて、己の置かれている状況を確認する。

ここは何処なのかということ、俺をここへ連れてきた手段、及びそれを実行するに至った動機など、矢継ぎ早に問い質したいことが多すぎる。


 どう切り出したとしても、要領を得ない質問になりそうだと判断し、取り敢えずはある程度情報が出揃うまで、相手の出方を伺う姿勢でいると、向こうが先に口火を切った。


「我々に対して、色々と含むことも多いと思うがね。取り敢えずは、お互いに自己紹介と行こうじゃないか。そうしないと、話が進まない」


 まあ、話しの進め方としては、妥当ではある。こちらとしても特に異存は無いため、了承の意を込めて頷いた。


「俺は、彼方駆と言います。

遥か彼方のかなたに、馬へんに区役所の区で、駆ですね」


 自己の名前を述べながら、ちらりと向こう側にいる人物を確認する。

 相手側には、現在、応対している相手方の傍に男と女が一人ずつ、目の前の男の後ろに控える形で立っていた。


「ご丁寧にどうも。

 私は、時宗ときむねと言う。北条時宗の名前そのままなので、特に問題は無いだろうね。

 次に、後ろの男は、翔悟(しょうご)という。天翔けるの翔に、覚悟の悟の字をとって、しょうごと読む。

最後に、もう一人は(はるか)。今、君が例に挙げた遥か彼方という言葉の、遥の一文字を取って、はるかだな。

 因みに、用事があってここに居ない者は、後ほど、別の機会に紹介するとしよう」


「フルネームでの紹介を避けたのは、なにか理由でもあるのですか?」


 この場に居ないといった、他の者についての存在も気になるが、まずは会話の中での、些細な疑問から相手の反応を伺う。


「ああ、苗字については、最早現状において、あまり必要がなくなってしまった概念だからね。我々は普段から、お互いに名前で呼び合っているのさ」


 時宗の回答を聞き、駆は怪訝な表情をする。

 必要がない概念、とはまた奇妙な言い回しだ。こちらに対して、極力情報を伏せておきたいような事情があって、それを隠した等の理由の方がまだ現実味がある。発言の意図が読めない。


「まあ、腹の探り合いというのも大いに結構なのだがね。今は状況が特殊だから、話が進まないというのは非常に困る。

 取り敢えず、君の置かれた状況と、その背景、それと今の君の現状に対しての言い訳をするにあたって、まずは見て貰いたいものがある」


 言うなり時宗は席を立ち、部屋の外へ移動し始める。こちらを見遣り、付いてこいと促すように顎をしゃくる。

未だに状況が把握できていない駆は、言われるまま従うほかなかった。





 日も登り始め、徐々に明るくなる廊下を時宗が先導して歩き、駆とその後ろから二人が、それに続く形で進む。


「ところで、駆君と言ったかな。突然だが、君がいた時代――もとい今の西暦は何年だったか覚えているかな?」


 時宗の本当に唐突な質問に面食らい、驚きも束の間。今の言い淀んだ発言に、またも違和感を抱く。


「2045年ですね。それがどうかしましたか?」


 この質問に果たしてなんの意味があるのか。

 こちらの疑問を解決する有意義な質問とは、とても思えず、無意識にそんな鬱積した不満を言外に匂わせてしまう。


「これはとても重要なことなのだよ。我々にとっても、君にとってもね。

これから、残された時間を踏まえた上で、これからどうしていくのか、最悪の未来をいかに回避することができるか、ということを検討しなくてはならない。我々に出来うる、最後のチャンスなのだよ」


「言っていることが、意味不明です。分かるように説明してくれませんか?」


 その問いに対する返答はなく。


 不意に、時宗は足を止めた。そこはこの建物の出入り口のすぐ傍であり、時宗はその出口の外を見遣る。まるでその先に、お前の求めた答えがあると言わんばかりに。

 時宗はこちらを振り返った。


「百聞は一見にしかず、なんて言葉がこれ程顕著なケースは他にないだろうね。まあ実際に、その目で真実を確認した方が納得もして貰えるだろう」


 その発言を最後に時宗は、後はお前自身の選択次第だと言わんばかりに口を閉ざす。


 事ここに至り、駆の取るべき選択は一つしかあり得ない。駆は思い起こす。


 予告なく唐突に、自分の日常が、平穏が、土足で踏み荒らされたことを。

 見知らぬ場所に連れ去られ、自分の居場所を奪われたことを。

 事情を求め、真実を欲し、それすら目の前でお預けにされ、己の尊厳をも奪われたことを。


 失われたものを取り戻さねばならない。

 己のなかで燻り続けている、やり場のない怒りを、向かい合う真実にぶつけてやらねばなるまい。



――だというのに。


 己の中の自分が、心の奥で警鐘を鳴らす。


 なにか取り返しのつかない事態に陥るのではないかという、根拠のない感情が沸き上がる。


 心が早鐘を打つ。

 これは恐怖だ。目の前にある真実は、決して開けてはならないパンドラの箱だ――



………………………、



――いいだろう、上等だ。


 仮に、今更ここで尻込みしたところで、結果は変わらない。

 量子論ならばともかく、現実で、シュレディンガーの猫は起こり得ない。現実から目を逸らそうが、こちらの与り知らぬところで事態は進行し、何も変わりはしない。


 ならば、真実と向き合うべきだろう。現実から逃避し、何もしなかった自分に後悔だけはしたくない。


 自らの意思で前に踏み出し、出口へと向かう。


 真実を前にして、駆は目を見開いた――







――そこは間違いなく、人類社会の文明の地であった。


 人類が築いた文明の象徴である、おびただしいまでのビルや建物、道路が立ち並ぶ。ここが経済の中心であり、人類の歴史の軌跡であると、その在り方を示していた。



――だが、全ては過去の遺産。

 理想と言う名のバイアスは、取り外さねばならない――


 現実を直視した視線の先には、人類の歴史の崩壊をまざまざと突き付けるかのように。或いは、嘲笑うかのように。


 それら全てを覆い隠す、無数の草木や苔の生い茂るその光景は。


 まさしく、人類社会の終焉であった――








 にわかには信じられなかった。


 今居るこの地は、駆が当たり前を生きる日常からかけ離れた、遥か遠い未来であることが。

 その未来は、既に人類社会終焉という形で幕を閉じていたことが。


 そして、唯一の拠り所であった筈の日常は、5年間の歳月を残すのみとなり、既に風前の灯であるということが。



 2050年、人類社会は終焉を迎えた――



 この歴史的事実は、終焉後をかろうじて生き長らえた先人たちによって、今日まで言い伝えられてきたという。

 時宗らこの時代に生きる未来人たちは、この終焉に至った原因を究明し、あわよくば終焉そのものを回避することを目的にしているとのこと。

 そして、その協力者として、過去の人間であるこの俺が呼びだされた、とのことらしい。



「まあ、いつ終わるとも知れない人生に、明確なゴールが引かれた、とすれば良いんじゃないか?」


 慰めているのか、そうでないのかイマイチなフォローをするのは、先程紹介されていた翔悟という男であった。


「その明確なゴールが、5年後ってところが納得いかないんだけど。癌患者の余命宣告じゃないんだから」


「それよりは、長いんじゃないのか?

もしかしたらさ」


「それ、フォローになってないからな?」


 駆の指摘に、翔悟は何が可笑しいのかクック、と笑う。そんな翔悟の態度にムッとする駆を尻目に、翔悟は改めて駆に問いかける。


「どうだ、多少は落ちついたか?」


「落ち着いている、と言うより未だに茫然としているよ。

あまりにも現実味がない」


 話を聞く限り、自分は当事者である筈なのに、何処か他人ごとのようにしか感じられない。


「だろうな。だが、そこは無理にでも理解して貰わないと困る。

酷な話で申し訳ないが、この状況を打開するためには、駆の助力が不可欠なんだよ」


「なし崩し的に外堀を埋めておいて、よくもまあ、白々しく協力を申し立てられるものだな」


 突き付けられた現実は重く、未だ駆自身、心の整理がついていない。ついつい、八つ当たりにも近い言動を吐いてしまう。

 翔悟も、それは十分に理解しているのか、特に気を悪くする様子もなく、頷いた。


「まあ、そうだな。いくら互いにメリットがあるとは言え、こちらからの一方的なアプローチだったことは間違いない。

 だが、そうでもしないと、駆たちの世界では、人類社会の終焉を、何の手立ても講じることなく、それどころか、その事実すら知らずに迎えるしかない状態だった筈だろう?

 駆側の人間に、自力でその事実を認識する術がない以上、こちら側から情報提供と、交渉を行うしかなかったんだよ」


 翔吾の話す内容には、筋が通っていたし、こちら側の人間の、熟考の末に出した結論なのだろうことは十分に理解できる。

 足元に火がついた状態から、手を差し伸べられた立場で、相手の善意をとやかく責める資格はない。


 駆は、大きく息を吐き出す。

 今の自身の負の感情は、どうにもならない、理不尽なこの現実に直面したことに起因し、決して翔悟たちの行為そのものではない。そこを履き違えてはならないし、怒りの矛先を間違えてもいけない。その事をしっかりと自覚すべきだろう。


 あらゆる話が眉唾物であり、しかし、信じざるを得ない厳然たる事実もまた、この目で見たことも間違いがない。


 結論として、どんなに疑わしくも、事実は事実として受け入れなくてはならないようだ。


 そうなれば、駆のやるべきことは一つだ。

 いち早く、現実を受け入れられるよう努め、人類社会の終焉を前提に考え、建設的に行動するのが最善だろう。


「………話は理解できた。正直、まだ感情が現実に追い付いていない部分もある。けど、例え半信半疑だろうと、理性では受け入れなければならないと思うし、逃避が何も解決しない、ということも理解しているつもりだ。

 だから、俺の日常が近い将来に破壊されると言うのなら、それを防ぐためにも出来る限りのことはするし、協力は惜しまない」


 翔悟は、駆の言葉に満足したように頷き、駆の前に、右手を差し出した。


「決まりだな。これから宜しく頼む」


「こちらこそ」


 駆は、差し出された手をしっかりと握った。





 翔悟とのやり取りを終え、駆は、改めて時宗らと正式に協力関係を取り付けた。

 今置かれている現状と、終焉後であるこの世界に、駆が呼び出された経緯も含めた詳細について、現在は時宗から説明を受けている。

 この世界に放り込まれた時点から、受け入れらない、信じがたい事実のオンパレードであったが、時宗の説明はこれらに留まらない。改めて、事実は小説よりも奇なりという認識を新たにする。


 駆は、如何なる手段で過去の存在を未来に呼び出せたのか、その手段は如何にして、人類終焉を回避する手立てとなるのか、それを知らねばならない。

 最早、この状況が、己が蚊帳の外にいることを許してくれない。


 時宗の講義が続く。未知から既知へ、それを希望へと繋げるために。



「――人間が生命として誕生するためには、男性と女性が共に生殖行為を行い、女性の胎内に子を宿すという工程が必要なことは、既に周知の事実だろうと思う。

 で、問題はここからなのだが、生殖行為によって誕生した胎児は、この段階で人格や思想を持たない。何故なら、あくまでも人格や思想を司るのは魂であって、魂と結び付いていない肉体は、ただの器でしかないためだ。


つまり、魂と肉体が接続して初めて、人格と思想を持ち、明確な自我を形成した生命が生まれる。その接続には、肉体の一部である脳と魂の双方が特殊な信号を発信し、相互に情報の共有化を行う。

我々は、この事を便宜上、同期と表現している」


 つまりは、その人個人を構成するありとあらゆる情報は、肉体と魂それぞれに記録されていて、それを互いに認識しているというわけか。頭の中で情報を整理しながら、淀みなく続く言葉に耳を傾ける。


「そして、この肉体と魂の接続に、意図的に介入して、相互間の同期を任意にコントロールしようと考えた結果が、我々の長年の研究の成果に繋がったというわけだ」


――成る程。ようやく、今回の一連の騒動に合点がいった。

 時宗さん達は、人類社会終焉の日の原因追求を目的としていた。

 その為に、終焉直前の情報を持つ人物に該当する魂への介入する手段を、長年の研究成果によって手に入れた。

 そして、この時のために以前から保管していた、人類社会終焉の前後を生きた人物――即ち、ここにいる彼方駆を媒体にした、人為的な魂への干渉を行い、終焉後の彼方駆と同期を果たした。


 これが何を意味するかと言えば――


「終焉後の彼方駆の肉体と魂との同期を、人為的に実行できるということは、同様に、

終焉前の彼方駆の肉体と魂との同期もまた、人為的に実行できるということですね。」


 要は、パソコンの機能で言うファイル同期のシステムをイメージするのが比較的分かりやすいだろうか。

 終焉前、終焉後双方の、彼方駆の肉体は、魂というネットワークサーバーのやり取りを通じて、常に最新の情報に同期することができる。

 それによって、駆は過去と未来双方を渡り歩くことができ、人類社会終焉に関する情報収集環境を劇的に向上させられるだろう。

 正に、タイムマシンのようなシステムである。


 時宗は頷いた。


「理解が早くて何よりだ。君にやって頂きたいことは、終焉前――君の本来の世界で、人類社会が崩壊の原因に繋がる情報の収集になる。万一有益な情報を獲得した場合は、こちらの世界にもその情報を伝えに、その都度訪れてもらうことになるだろう」


 この一連の事実が真実であるならば、当然自分も当事者の一人と考えざるを得ない状況だ。極近い将来に、この身に降りかかる悲劇を避けるためにも、利害は一致している。こちらも協力は吝かではない。


「分かりました、宜しくお願いします」


「うむ、期待しているよ」


 その時、鷹揚に頷く時宗さんの顔が、心なしか翳ったように見えた。






 この世界の現状、過去と未来。お互いの知りうる限りの情報交換をした。その上で終焉回避という目的を共有し、互いに手を取り合うことを改めて約束し決意した。


 これまでになく、己の人生において最も密度の濃い一日であったと思う。


 これでひとまずは、こちらの世界でやるべきことは片付いた。明日からは、自分の元いた世界に帰還し、情報収集に奔走することになる。とはいえ、人類社会が終焉するという状況が、当事者ですら全く見当が付かない。

 腰を据えて、長期戦を覚悟せねばならないだろう。


 日は完全に沈み、静寂が場を支配する真夜中。駆は現在、時宗の呼び出しの為、彼の自室の前に立っている。

 このタイミングで何の用事だろう、と思いを巡らすものの、必要なことは既に十分に話をしていると考える。改めて、思い当たる節がないことに気付き、腑に落ちない思いを抱きつつも、ドアをノックした。


 間を置いて、入室許可が下りる。


「失礼します」


 駆は、高校の面接試験以来の、たどたどしい礼儀作法で応対する。幸い、時宗に気にする様子は見られない。


「うむ、いやこんな時間に済まないね。ちょっと話がしたくてね」


 時宗は来客用に用意したであろうソファーに座るよう促す。駆も素直にそれに従い腰を下ろした。時宗もそれに続き、二人はそれぞれ正面に相対する形になる。


「どうだね、体の調子は。何か異常はないか?」


 と、こちらを気遣う発言をした。

 それを聞いて、駆はおや、と思う。何も疑心暗鬼に陥る訳ではないが、これまでの時宗の性格からして、挨拶もそこそこにすぐさま本題に入ると考えていたからだ。


 合理的に物事を捉え、迅速かつ適切に行動できる人物。

 それが、駆が考える時宗の評価であった。


「いえ、特に異常はないですね。大丈夫です。

後は明日、元の世界に居る俺の肉体に、無事に同期できれば問題ありません」


「おお、そうか。それは良かった。

いや明日のことも心配するな。ちゃんと責任をもって無事に送り届けることを約束する」


 明日の、終焉前の自分の肉体の同期については、実行に当たっての危険性や成功率を含め十分に検討した内容だ。

 時宗らの理論はこれまでの過程で立証されてきたことであるし、何より他ならぬ被験者である自分が了承している。

 自らの身を気遣う時宗の気持ちは、純粋に嬉しく思う。しかし、言い方は悪いが、それだけのためにわざわざ時間を設けてまで呼び出す理由にはならない。


 なおも要領を得ない、質問に対してその意図を図りかねる時間が続き、その疑問について頭を悩ませている間、唐突にその疑問は氷解する――


「時宗さん、もしかして後悔しているのですか?自分を巻き込んだことを」


 途端、時宗はピクリと肩を震わせ押し黙る。

 これまで辛うじて表層を取り繕っていた表情が突如崩れる。


 そこには、一人の人間の平穏を土足で踏み荒らし、日常を破壊したことを懺悔するかのような。


 それでもこれが残された唯一の希望であり、それにすがることの何が悪いと喚くような。


 あらゆる負の感情に苛まれた男の顔。

 泣いているように、あるいは笑っているかのように。

 複雑に顔を歪ませ、今にもはち切れそうな彼の内情を如実に表していた。


 時宗は、恐る恐ると言った様子で口を開く。声が震えていた。


「私を恨んでいるか?

 私が、行ったことは間違っていない。限りある手段の中から最善を選んだ。

 けど、まさか世界と一人の人生を秤にかけることの重責がこんなに重いものだとこれっぽっちも思わなかったよ。

 ああ、この子も、生身の人間なのだなって。

 魂だとか、肉体だとか、この世の真理をわかった気になって、無意識に驕っていた。

 その結果がこのザマさ。物事を斜に構えるばかりで、その覚悟が何もなかったようだ」


 それは、感情を必死で押し殺す慟哭のようでもあった。

 駆は、時宗の予想外な反応に困惑しつつも、これまでの、彼のらしくない様子に合点がいった。同時に、終焉を迎えたこの世界での、数少ない人類の指導者として、皆から認められる理由が垣間見えた気がした。


「落ち着いて下さい。時宗さんのお気持ちは、しっかり伝わりました。

その上で申し上げますと、時宗さんが俺の現状に関して、気に悩む必要はないです。

 まあ、確かに俺が置かれている状況に、時宗さんが全く影響していないとは言えません。

 けれど、それらの関与を踏まえて、最終的な決断を下したのは、俺自身の意思です。その点で、時宗さんは、一切関係ないですから。俺は、俺自身の意思で自分の人生を選択しました」


「それはそうかもしれない。だが、その事と、我々が君に対して行ったこととは別問題だ」


 未だに、自分の感情に整理の付かない時宗。


――駄目だ、時宗さんは優しすぎる。


 本来であれば、納得できない事実や不条理な現実は、ある程度理性で割り切ることで調和がはかられる。

 だが、この人は、いい意味でも悪い意味でも、自分を脚色することを良しとしない。

 理性での割り切りに、感情が致命的に付いてきていない。


 どうにかして、時宗さん自身が、己の行動に納得して貰わなければならない。

 そんな決意を胸に、暫しの間熟考し、口を開いた。



「時宗さん。それは確かに正論です。けれど、正論で物事全てを回すことはできないし、それらを掲げて実行したところで、必ずしも全てが万事解決とはなりません。

 正論は他人事だからこそ言えるのであって、実際に、当事者として直面する問題を処理するとなれば、綺麗ごとばかりでは物事は解決しませんよ。

 時には好む、好まざるとに拘らず、進んで泥を被らなければならない事態も起こり得ますから」



 実行に対しての一定の合理性と、得られるであろう、人類社会終焉の原因究明の手段は、他の何よりも替えがたい大きな利益となるだろう。

 一方で、目的を達成する為に、一人の人間の平穏を踏みにじり、挙げ句利用することの倫理的抵抗と、指導者故の、のし掛かる重責も大きい。


 こうしたメリット、デメリットとの狭間で悩み、苦しんだ上で。それでもなお己の信念に従って決断することは、何よりも尊いことだと思う。


 正論は、道理に沿って導かれる物事の正しい論理であり、それゆえに正論は、語るべき信念や理念を持ち合わせてはいない。

 己の人生の行動指針は、正論に在らず。

 いかなる時も、確固たる、己の信念だけが道を突き進む原動力となるのだから。


 ついこの間の、屋上で自身が語ったことを思い返す。


 あの時は、冗談混じりの他愛のない雑談でしかなかったけれども。

 ことここに至り、自身の取り巻く環境は大きく変わってしまったから。

 本当に、大いに不本意ではあるが、改めて己の意思表明をしよう。


「確かに、歩調を合わせる中で、ある程度意見や考え、或いは利害が衝突することは避けられないでしょう。結果として、双方に鬱積する不平不満は、協調する時間の長さに比例して大きくなります」


 当たり前だ。人間は、理性だけの生き物ではない。


 人には意思がありエゴがあり、それらが集団を通じて複雑に絡み合う。

 時にはエゴの押し付けあいから。

 時には互いが互いを理解できないことのジレンマから、人は衝突を繰り返す。


 但し、それらを理解した上で、それでもなお相互理解を求めるなら。その中で、人は譲れないものがあることを知り、他者の尊重を学ぶ事ができる。


 だから、俺は――


「それでも、時宗さんが、迷い苦しんだ末に出した決断、決意を俺は尊重します」



――暫しの間、静寂した時が流れた。

時宗さんは、俺の言葉を反芻し、やがてポツリと呟いた。


「君はズルいな…………」


「ズルイとか、詭弁だとかよく言われますよ」


 まあ、狡くても、詭弁でも別に構わない。これで時宗さんの重責が、少しでも軽くなったことを祈るだけだ。

 実際のところ、事実は本人にしかわからないが、一時の張りつめたような表情はなくなっている。これで良かったと思う。


「駆君、ありがとう」


 照れ臭くなって、ポリポリと頬を掻いた。



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