13話 「それぞれの思惑」
今回の学校における無差別傷害事件は、世間を大いに賑わせた。
つい先日、とある高校の授業中に、突如不審者が教室に侵入し、所持していた金属性のバットで男子生徒を殴打。次いで、突然の事態に混乱する教師や生徒を無差別に襲い、犯人の逮捕までに、合わせて7名が重軽傷を負った。
幸いにも死者こそ出なかったものの、20代半ばとなる若者が、未来ある高校生を襲った事件は、話題性として十分であり、各紙のメディアは、こぞってこの問題を取り上げ、『現代社会が生んだ若者の歪み』『現代社会の闇』と言った論調で報道がなされた。
そうした連日の報道を受けて、駆の学校では、今後の対応策を話し合うため、緊急に職員会議が開かれていた。
「今もテレビや新聞、ニュースサイトに掲示板などを一通りチェックしましたが、何処も彼処も今回の事件が、ほぼ一面で掲載されていますね」
手元に各社の新聞紙やノートパソコンを広げていた教師の一人が、げんなりとした表情でそう言った。
「事が事だけに、マスコミも興味本位で色々と嗅ぎ回るでしょうね。根掘り葉掘り聞かれた挙げ句、有ること無いこと騒ぎ立てられたら堪りません。暫くは、この周辺を警戒した方が良いかも知れませんね」
その意見に、多くの教師たちも深く頷いた。
犯人逮捕から間もなくして行われた記者会見でのマスコミからの不躾な質問攻めに、皆辟易しているのだろう。
「皆さん、既に、通達がされているとは思いますが、今後のマスコミ対応は、窓口で一本化します。もし万一、個々にマスコミからの取材にあっても、迂闊なことは言わず、速やかにその場を去るように下さい。今回の事態を受けて、我々の過失の有無に拘わらず、我が校のイメージダウンは避けられません。加えて、来年度のわが校への受験予定数にも、少なからず影響が懸念されます。よって、これ以上の悪評判は、何としてでも防がねばならないでしょう」
この場での責任者である校長が、マスメディアへの対応に関しての、再度の注意換気を行う。
「その上で、被害に遭った教師や生徒たちの情報は、特に掘り下げて聞いてくるでしょうが、彼らのプライバシーに配慮し、間違っても、安易に被害者の名前や入院先を口にしないようにお願い致します」
この辺の事項は、事件の収束からすぐに通達されている内容であったが、この場で改めて確認をさせることで、全員の意思統一を図る事が目的なのだろう。
「後は、我々だけでなく、我が校の生徒への影響も心配ですね。取材と称して、徒に付きまとわれれば、生徒にも無駄なストレスや不信感が生じてしまうでしょうし」
校長の注意事項が一段落したところで、菊永がそんな不安を口に出す。周囲からも、口々に同意する声が上がった。
「そうですね。ただ、そう言った意味では、今回の事態で、やむを得ず休校という措置を取ったことは、生徒にとってプラスに働いたのかも知れません」
今回の事態を受けて、駆の学校は、一時休校となった。
やはり、これだけの規模の被害が生じたとあって、特に、直接現場を目撃した一部の生徒は、塞ぎ込んでしまう者や、怯えて外に出れない者など、精神的なダメージを受けた要因が大きい。今回の事件を機に、PTSDを発症した疑いのある者もおり、医療機関での診断を元に、より慎重な対応が求められていた。
また、被害に遭った教師のほとんどが、長期入院も止むを得ない程の重症を負い、教壇に復帰出来る見通しが立っていないため、正常にカリキュラムをこなすことが出来ない状態でもあった。
「確かに、登下校の際に呼び止められることはないでしょうね。後は、生徒の自宅に張り込まれないことを祈るしかないですが」
「でも、基本マスコミって無神経な印象しかないから、そういうのも十分に考えられますよね」
「その場合は、状況に応じて、精神的に不安定な生徒との相談の機会を、適宜設けていくしかないですね」
「まあ、これだけ一度に教員の穴が出来れば当然の結果ですかね………。そう言えば、入院した方の容体はどうですか?」
日巡が、被害者の状況を尋ねる。
事件後、負傷者は救急車で搬送され、入院が必要と診断された者は、既に報道の通り、7名となった。
内、教師が、真駈 繫介、蓮江 巡、時枝 邦紀、蓑輪 辰巳、神々廻 和哉の5名。生徒は、翔田 明、転 生人の2名である。
「あまり芳しくはありませんね。何せ、被害に遭われた全員が、金属バットで殴られた訳ですから。中には、複数箇所を骨折した方もいらっしゃるようで、比較的軽症の者でも、復帰には数ヶ月から半年は掛かるかと」
日巡の質問に対して、教頭が苦々しい顔つきで、そう答えた。
「マズいですね。このままでは、生徒の心身への影響ばかりでなく、今後のカリキュラムそのものに問題が生じてしまいますよ」
「ですから、取り急ぎ、非常勤教師の採用に取り掛かっているところです。唯一の救いは、間もなく長期休暇を挟みますので、その間に教師の不足を補えば、カリキュラムへの影響も最小限に食い止められます」
これらの抜けた穴を埋めるため、学校側も、早急に非常勤教師の募集をかけてはいるが、今のところ、授業再開のはっきりとした目処は立っていない。
つまりは、長期休暇が明けるまでの期間で、入院した教師の穴埋めや、適切なマスメディアの対応、懸念される生徒たちのメンタルケアや、遅延するカリキュラムの挽回など、やるべきことは山積みと言うことだ。
「全く、ふざけてやがる………。本当に何処のどいつだ、こんなことを仕出かした馬鹿は!」
緒環が、怒りに声を奮わせながら叫んだ。
こういう場において、あまり誉められた態度ではないが、内心では多くの教師が同じ思いであったのか、特に咎める者は居なかった。
「話によると、我々とは何の関係もない者で、フリーターだそうです。つい先日まで、ここの周辺でビラ配りのアルバイトをしていたとか」
「何で、そんな奴が、この学校に金属バットを持って人を襲うんだ?」
「それは、判りません。ただ、警察の取り調べでは、犯人は、『世の中がとにかく憎かった。襲うのは、誰でも良かった』などと供述したそうですので、最近よくある無差別殺人の類いの犯行動機じゃないですかね。恐らく、まともに考えるだけ無駄かと」
そうした意見に、緒環は、未だに納得がいかない様子を見せるも、今この場で当たり散らすことでないと自制したのか、一つ頷くと、大人しくその場を引き下がった。
その後は、具体的な状況説明と、その対処法を申し合わせて散会となった。この場に出席した全員が、この事態が一刻も早く解決することを祈りながら。
緊急の職員会議が終わり、各自が自分の持ち場に戻って雑務の処理に追われている頃、馳部は、自身の席を立って人気のないところへ移動し始めた。
周囲に人気がないことを確認し、懐から携帯電話を取り出すと、あらかじめ登録されていた電話番号を呼び出す。数度の着信音の後、連絡相手と回線が繋がった。
『はい』
「お疲れ様です、馳部です」
向こうの短い返事を聞き、馳部は、礼儀良くそう切り出す。電話越しの相手も、それに合わせて礼を交わした後、挨拶もそこそこに本題に入った。
『まずは、任務達成お疲れ様でした。これで一応、最悪の事態は回避出来たようですね』
「ありがとうございます。最優先事項であった、真駈先生の処理を行いまして、その目的を看破されないよう、無差別傷害事件と言う形でカモフラージュさせて頂きました。少々、手荒な真似となってしまい、申し訳ございませんでした」
そう言って、馳部は殊勝に頭を下げる。
『いえいえ、とんでもないです。むしろ助かりました。
確かに、今回の計画の内容自体を直接聞かされてはいませんでしたから、突然の事態に、私も最初は面食らいましたがね。ただ、馳部先生の意図を理解した時には、薄れていく意識の中で、成る程と思いましたよ。
元々、姿を眩ませる予定ではありましたが、まさか、それをより自然に演出するために、無差別傷害事件の被害者を隠れ蓑に利用するとは』
「勿論、それだけのためではありませんが、私が、今回の計画を採用した大きな理由の一つでしたね。既に、植え付けてしまった疑惑の目は消しようがありませんが、疑惑が確信に変わる前に、真相から遠ざけておくことは出来ますから。
真駈先生を含め、被害に遭われた方の入院先も他言無用ですから、これで少なくとも、これ以上の情報を求めて接触を図ることは困難になるでしょう」
馳部が、目論見通りに事が運んだことを伝えると、電話の相手は、満足そうな声音で相づちを打った。
『一時はどうなることかと思いましたが、まずはこれで、私が終焉後の未来に関与している事実を知られるリスクは小さくなって、ひと安心ですよ』
そんな相手の言い回しに、馳部は思わず、と言った様子で、小さく噴き出す。
「関与、とはまた語弊がある表現をなさいますね。控え目に言っても、人類社会の終焉への引き金を引いた張本人ではないですか」
『中々手厳しいですね。あれは不可抗力だったんですよ。人類が滅亡した世界は、私だって望んだ結末ではないですから』
電話の相手は、馳部の指摘に、苦笑を漏らした。
「ですが、人類社会が終焉した世界を見捨てて、こうして終焉前の過去に接続し、何事もなかったように人生を歩み直していることは、実際に望んだ選択ですよね?」
『そんなに苛めないで下さいよ。馳部先生だって、私が終焉後の未来で隠蔽を図り、こちらの世界に避難したことは承知の上で、協力頂いているでしょう?』
なおも畳み掛ける馳部の皮肉に対し、相手は、旗色が悪くなると見るや、早々に話題の切り返しを試みた。対する馳部は、ニヤニヤと人が悪い笑みを浮かべている。
「ええ、その通りです。少々、意地の悪い質問でしたね。まあ、極端な話、私にとって自分と関係のない未来など、どうでも良いことですし、個人的な正義感を振りかざしてどうこうするつもりはありませんよ。
――そして、私が人生において最も求めているものは、より多くの愉悦を得て、如何に人生を彩るかどうかなので、今この状況は、私が何よりも望んだ極上のエンターテイメントなんですよ! だから、他では得られないような愉悦が感じられる限り、私は今後も協力を惜しみませんので」
馳部は、身の内に沸き上がる興奮を抑えきれぬ様子で、けれど、間違っても周囲に声が聞こえないように苦労しながら、そう捲し立てた。
『それを聞いて、安心しました。まだまだ、馳部先生にはやって頂きたいことがありますからね』
「と言いますと、肝心な事としましては、この入院している間に、如何にして彼方たちが納得のいくシナリオを用意出来るか、ですね?」
馳部は、話題の軌道修正を図ると同時に、表情を引き締め直した。
『ええ、そうです。今回の計画自体は上手く行きましたが、未だ向こうは終焉後の未来に関する情報の隠蔽のために、今回の事態が引き起こさせた疑惑を捨てきれていない筈です。今回の一件で、ある程度疑いの目を散らすことは出来ましたが、私たちの関与を否定することにはなり得ませんからね』
「……つまり、真駈先生が人類社会終焉の鍵を握る人物である、という彼方側の認識を改めさせ、解消させることが必要であると?」
『確かに、そこまで出来ればそれが理想ですが、一度疑念を持たれてしまった以上、それを根幹から覆すのはまず不可能に近いでしょう。ですので、いっそのこと、ある程度は彼方側の推論に沿った形で情報を提示して見せ、その過程で疑惑の矛先を少しずつ遠ざけていった方が良いと思います。それによって、こちらの思惑通りのシナリオを思い描いてくれればベストですね』
「――成る程。それでは、スケーブゴートを用意し、最終的に、人類社会終焉に始まる、全ての元凶に仕立てあげる訳ですか」
馳部は、電話越しの黒幕の狙いを把握すると、合点がいったとばかりに声を上げた。
『その方が、現在の状況を最も綺麗に収束させることが出来るかと思います。人間って、己の思考している世界が認識の全てですから、その人が思考している世界に齟齬が生じない形で、上手く誘導を掛けてあげれば、案外騙されてしまうものなんですよ。世間で良く言われる、『人間は、信じたいものしか信じない』とは、正にこうしたことに対しての、正鵠を射た表現でしょうね。
疑惑とは、そもそも己の思考する世界に違和感を認識して、その齟齬を修正する行為なので、一つの事象に対する一定の論理性と妥当性さえあれば、人は世界の違和感を探り当てることは難しく、納得するという行為で、己の世界との整合性を保ちますから』
「確かに、疑惑そのものを無理に矯正しようとすれば、却って、その疑惑を強めることにもなりかねませんね。ならば、相手の思惑通りに事を進めて、その者が満足するだけの結論があれば良い、と言うことですか」
『そして、その体裁を整えるための生け贄を準備し、私が怪我から復帰するまでの間に、これらの問題を終わらせるためには、馳部先生の手腕に全てが掛かっています』
電話越しからも伝わってくる大きな期待感に応えるように、馳部は、ゆっくりと頷いた。
「お任せ下さい。今から、じっくりとプランを練って、何事もなく復帰出来るように、手筈を整えておきます」
『期待していますよ。それでは、よろしくお願いします』
電話越しの相手は、満足そうにそう言うと、通信を切断し通話を終えた。
「………さて、ようやく一段落着いたかと思えば、新たな難題が山積みですね。まだ暫くは、忙しい日々が続きそうです」
馳部は、そんな不満を漏らしながらも、その表情は、何処か楽しそうに口元が緩んでいた。
あの痛ましい事件から数日が過ぎ、駆の周りでも、事件発生当時の喧騒は鳴りを潜めた。
例年よりも、2週間程早い夏休みを迎えることとなってしまい、執り行われる予定だった期末試験の実施は見送りとなった。
色々と、思うところがあった事件であり、ここ数日、様々な考えや憶測が駆の頭の中をよぎったものの、結局はそれらが堂々巡りし、結論は未だ出ていなかった。
そこで、行き詰まった思考をリフレッシュする意味合いも込めて、降って沸いたような休暇の1日を思い切って遊んで過ごすことに決め、駆は現在、遥と共に、駅周辺にあるボウリング場まで足を運んでいた。
「ストラ~イク!」
遥が、狙い通りに10本のピンを一度に全て倒して、快哉を叫ぶ。
遥自身、元々の運動神経が高いようで、以前に、大型アミューズメント施設でボウリングを体験したことで、すぐにコツを掴み、本日プレイした数ゲームでは、スコアが既にアベレージ180を記録している。ボウリング歴2日と考えれば、これは驚異的な数値であると言えた。
「やっぱり、全部綺麗に倒れると気持ち良いね!」
遥は、駆の元に駆け寄り、ほくほく顔でハイタッチを交わしながら、自分の席に戻る。
そんな遥の様子を微笑ましく見つめながら、駆もボールを手に取り、投球する。セオリーである、1番ピンと3番ピンの間を狙うも、ボールの投射角が甘く入り、ピンを3本残してしまった。
「あ~、惜しい!」
「………うむ、まあこんなものだろうな。どうも、イメージ通りに行かない」
「狙いは、悪くないんだけどね」
「まあ、俺は堅実にスペア狙いで行くことにするよ」
言いながら駆は、ボールリターンから先程投球したボールが排出されるまでの間、残ったピンの配置を把握し、全てのピンを倒すコースをイメージする。
全ての準備が整った後、そのイメージを頭の中で描きつつ、ボールを投球する。今度は、自分が想定した通りの軌道を描いて、残りのピンを全て倒すことが出来た。
「ナイス、スペア!」
「良し良し! 何事も、思い通りに事が運ぶと、気持ち良いな!」
遥の拍手も相俟って、素直に気を良くした駆は、ご満悦な表情を浮かべた。
このところ、真駈との一悶着や、つい先日の不審者騒ぎなど、気を揉んだ展開が続いたために、知らず知らずの内に、疲労とストレスが蓄積されていたのだろう。こんな些細なことでも喜ぶだけで、連日の疲れが解消されていくような気がした。
「よ~し! 私も負けてらんないね!」
「スコア的にも、前後の勝敗で見ても、負けているのは俺だけどな」
「普通に考えて、そういうこと言うのは野暮ってもんじゃない?」
揚げ足を取るような駆のツッコミに対して、遥は、頬を膨らませて抗議して見せた。そんな仕草をあざと可愛いと思いながら、駆は、ちょっとした悪戯心を刺激される。
「悪いな。遥は、この時代に来て日が浅いから、無意識に、皮肉と言う売り言葉を発していないかどうかの心配や、或いは言葉の厳密な意味が分かってなかったりしたら困ると思って、一応、な?」
聞く人が聞けば、あんまりなその発言に、遥は気を悪くした風でもなく、ニヤリと笑うと、柔軟な切り返しを見せる。
「ねぇ、駆。貴方は、女の子と会話して日が浅いから、その場のシチュエーションに合わせた微妙な人情の機微だとか、感性が理解出来ていないみたいだから、念のため、ね?」
「ちょっと待て、別に、女の子と会話して日は浅くないんだが!?」
「さっきの私の言葉に、皮肉なんて悪意は含まれてないし、駆の発言自体が、立派な皮肉になってしまっているのだけど?」
互いのツッコミの応酬で、思わず、出来の悪い三文芝居に、二人して笑い合った。
遥は、目に溜まった涙を拭いながら、気を取り直してボールを投球する。ボールは、見事な軌跡を描き、理想的な入射角度でポケットに侵入して、瞬く間に10本ものピンを弾き飛ばした。文句なしのストライクである。
「これは、今日中に、スコア200越えもあるかもな」
本日、何度目になるか分からないハイタッチを交わしながら、駆は、遥の抜群な運動神経とセンスに舌を巻いた。
「勿論、そのくらいは目指すつもりではいるよ。最終的には、パーフェクトも狙ってみたいな」
「それって、ボウリング始めて2日目の人間の台詞とは思えないんだが………」
駆は、底知れぬ遥の好奇心と向上心に、大いなる敬意と畏怖を感じたのであった。
ひとしきりボウリングを楽しみ終えた二人は、夕日を背にゆったりと歩きながら帰路に就く。
そうした絵面は、如何にも今時の思春期のカップルという様相だったが、交わされる会話は、それとは大きくかけ離れた内容であった。
「――ってことは、やっぱり駆は、真駈先生が人類社会終焉に、何らかの形で関与していて、それが原因で、先日の不審者無差別傷害事件が引き起こさせた、と考えているんだ?」
「まあ、単純に考えて、一応の筋は通るって理由ではあるがな。でも、色々検討して、それが一番しっくりくる推論だと思う」
遥には、駆自身の、不審者の無差別傷害事件の発生までの原因と背景についての推測は、既に説明してあった。
今回の不審者による騒ぎは、突発的に行われたとは考え難く、随所に計画的な犯行の匂いがすること。
その計画的な犯行が生じた背景には、人類社会終焉の問題が、大きく関わっている可能性があること――――
「………少し、話が飛躍しているようにも思えるのよね。確かに、あの不審者の傷害事件に、何かしら意図的なものは感じるんだけど、それが、人類社会終焉の問題に繋がるという確証がないから、いまいち根拠に欠ける気がするし。どうも、人類社会終焉に関係性があるかも知れない真駈先生が襲われたことで、無意識に先入観が働いているようにも思えるんだけど」
けれど、駆の意見に対し、遥は懐疑的のようだ。駆自身も、それは無理もないだろうと思う。
「確かに。そもそも不審者の一件が、何ら陰謀のない、本当に偶発的なものである可能性も捨てきれないしな。真駈先生の、人類社会終焉の関与の有無も、未だはっきりとしていないのも問題だ」
「だったら、そう断定するのは早計じゃない?」
「普通なら、そう判断するのが妥当なんだけどな。ただ、ここまで巧妙に情報がシャットアウトさせていることが、逆に不自然な気がするんだよ。こちらが、ある推論を元に情報を得ようとすると、まるで先回りされたかのように情報を得る手立てを失ってしまう違和感がある」
「つまり、まるでこちらの意図を読んだ上で対処しているような因果関係を感じる、ってこと?」
「少なくとも、今回の不審者騒動では、そうした意図が感じられたな。もし、この一件が俺の推測と一切無関係なら、ここまで徹底して靄がかかったような違和感はない筈だ」
そう言い終えた後、あくまでも、駆自身の直感のようなもので、決して根拠のある推論ではないことを付け加える。
「成る程ね。駆の言いたいことは、何となく理解出来た。でも、ただ情報を隠蔽するだけなら、果たして、ここまで大掛かりな工作が必要だったのかが疑問なのよね。本当に、真駈先生が、人類社会終焉に関して何か重要な繋がりがあったのなら、それこそ、事故なり病気なりを装って、真駈先生個人を始末した方がリスクも低いし、無差別傷害事件よりも、よほど自然な気がするんだけど」
遥の意見に対して、駆は腕を組み、今一度自身の考えを整理する。駆自身、その点に関しても、完全に憶測の域を出ない推測しか立てられていなかった。
それでも、駆は、自身の推論が根拠のないただの憶測である旨を前置きした上で、口を開いた。
「真駈が人類社会終焉に関する情報を握っているとして、それを快く思わない人間が真駈を始末して情報を隠蔽する、という前提が真実とするならば、少なくとも、終焉後の未来の事情を知る者は、真駈を含めて2人は存在することになるよな。
で、2人以上とは言っても、人類がほぼ生存していない状況下で、その終焉に関する事実を知り、終焉前の過去へ接続するような人間は、おのずと限定されてしまう。そうであれば、人類社会終焉に関しての情報を隠蔽する目的で真駈を始末した、と捉えられることそのものが、犯人側にとっては何よりも恐れていることだったんだろうな。だから、無差別傷害事件と言う、高いリスクを抱えてでも、犯行の意図を絞らせないこと自体が目的だったのかも知れない」
そう考えれば、辻褄は合う。
遥も、駆の考えを吟味すると、納得がいったように一定の理解を示した。
「確かに、一考の価値はあるね。――その前提で考えるなら、犯人は、真駈先生と同じ学校関係者ってことになるのかな?」
「そういうことになるだろうな。俺が、真駈先生との接触を図って、人類社会終焉の情報を聞き出そうとしたことを把握出来て、なおかつ、俺や真駈先生の動向を逐一確認できる立場となれば、それ以外には考えづらい。今回逮捕された不審者も、恐らくは、情報の隠蔽に利用されたんだろう」
「じゃあ、犯人は、今も学校に居るってこと? 今までの推測が正しければ、犯人側も当然、自分の狙いが看破される場合も想定しているでしょうから、既に逃げ出している可能性もあるんじゃない?」
遥の懸念に、駆は首を振って応える。
「いや、単に逃げ出してしまうのは、それこそ自分が黒幕であることを認めてしまうようなものだから、安易な逃走は控える筈だ。考えられるのは、今回の被害に乗じて、休職や退職によって姿を眩ませてしまうことだな。当然、すぐに動きを見せることはしないだろうが、慎重に機を窺いながら、今も蒸発する手筈を整えているかも知れない」
ここまでの駆の推論に、遥は、何かに気付いたように、慌てて声を上げた。
「ちょっと待って! もし、今までの話が本当だとしたら、そこまで躍起になって、人類社会終焉の事実を隠蔽しようとする、犯人側の意図って何!? そこまでして隠すような重大な事実でも握っているの!?」
遥は、まるで、己に湧き上がった疑念を払拭するかのように、矢継ぎ早に駆を問い詰める。
駆は、遥に冷静になるように促してから、一つの懸念を口にした。
「現状、人類社会終焉に至る全貌も、原因も、詳しいことは何も判っていない。けど、ここまで大掛かりな隠蔽工作を行うとなれば、その者は恐らく、人類社会が終焉に至った、何らかの原因を知っている可能性もある」
遥は、その指摘に、一瞬の間、ただ呆然と立ち尽くした。自分たちが求めていた、終焉後の未来の糸口が、まさかこんな形で見つかるとは考えもしなかったのだろう。
「じゃあ何、人類が滅びたのも、その原因がそいつにあるかも知れないってこと?」
遥は、動揺する心を懸命に抑え付けながら、問い掛ける。
「まだ、あくまで可能性の話に過ぎない。遥が言っていた通り、先入観をもった推測であることも否定できないから、当然、前提が異なれば結論も全く違ったものになる。だから、今はそうした推論も念頭に置きつつ、他の状況も想定しながら検討していくしかないだろうな。今回の被害を受けて入院した教師や生徒の動きも意識しながら、学校全体の動向にも気を配るように進めていく形になる」
ここで駆は、言葉を切って遥が落ち着くのを待つ。人類社会終焉の当事者である遥にとって、その原因を知る手掛かりが見つかったかも知れないとなれば、冷静ではいられないのは当然だろう。
遥は、一度深呼吸をしてから、気を立て直すと、大丈夫とばかりに頷いた。
「確かに、今安易に結論を出すと碌なことにならないよね。焦らず慎重にやっていくしかないか……」
「まあ、そう言うなよ。これまでのように、ただ闇雲に探りを入れるんじゃなくて、漠然とではあるけど、大まかな目標が生まれたんだからさ。取り敢えず、今回入院した中に明が居るから、そこから探りを入れていこうと思う。友達の見舞いであれば、状況的にも不自然ではないし」
「そうだね、分かった」
今後の方針を話し合い、一通り話がまとまったところで、二人は駅の改札口にたどり着く。
「じゃあ、病院に面会の予約を入れて準備が整い次第、連絡してね」
「了解」
二人が最後に一つ挨拶を交わすと、それぞれが利用するホームへと分かれる。
駆は、人類社会終焉の原因の一端に関係しているかも知れない真駈と、そうした情報が漏洩することを恐れる、名も知らない者の存在を思う。未だ得られた知識は断片的で、人類社会終焉の全貌すら見えない。
それでも、これまでは、ひたすらにじっと身を潜めていた奴らが、事の露見を恐れて動き始めたことで、ようやく、巨大な氷山の一端が垣間見えたように思える。
未だ正体の知らぬ存在を白日の下に晒すことが、人類社会終焉の原因を究明し、その結末を回避するための手立てであると信じて、駆は未来を切り開くべく、前に進むことを決めた。
人類が衰退した世界で、時雨はじっと佇んでいた。
そこは、高層ビルが立ち並ぶ一角であり、時雨の視線は、ビルとビルの間の細い路地に注がれている。人類社会が終焉した時点で、社会が健全に機能していた建造物は、ほぼ全ての意味を失ったため、これまでの生活において、そこは移動経路として利用することも、ましてや、あえて覗いて見ることもしなかった場所だ。
一人の足音が、近づいてきた。
「どうしたんだい? 人をこんなところに呼び出してさ」
ぶつくさ文句を垂れながら、郁渡は、時雨に声を掛ける。今回は、気配や足音をわざと残して来た辺り、また殺気を向けされるのはこりごり、と言うことなのだろう。
「まあ、いいからこれを見ろよ」
言いながら、時雨は自らが見ていた路地裏に顎をしゃくった。
「はあ? そこが何だっていうんだい?」
郁渡は、訝しげにそちらへと視線を移し――いつもと異なる違和感に首を傾げたかと思えば、その正体に気付いて息を呑んだ。
ビルの側面には、案の定、ツタやコケが張り付いており、一見して、終焉した世界を生きる人間にとって特筆すべき事柄はないように思える。しかし、よく目を凝らして見てみれば、ツタやコケの下に紛れるようにして、何かが潜んでいることに気付いた。
――それは、腐敗した人間の死体だった。
「………これはまた、面白いことになったね」
暫し呆気にとられた郁渡は、しかし現状を把握すると、次第にニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
通常、人が死亡してから白骨化するまでに要する時間は、数ヶ月から1年程と言われている。そして、史実に基づくのであれば、人類社会が終焉したのは今から遥か昔の出来事である筈だ。その時に死んだ者であれば、腐敗した状態で発見されることにはならない。
郁渡は、ツタや草木に引っ掛かるその死体を掴むと、乱暴に引き剥がした。
「ねえ、時雨さ。こいつのこと知ってる?」
「いや、全く記憶にないな」
「まさか、つい最近になってから魂との接続が断たれた人間が居るとはね。それも、僕たちが把握していない身柄が、こんな判りづらい場所に隠されているなんてさ。ーーと言うか、これで身元不明の死体が二件目、ってどういうこと?」
郁渡は、ため息を付きながら、率直な疑問を呈した。
「さあな。だが、明らかに誰かが何かを隠していることは間違いがないだろうな」
時雨は、険しい顔付きで目の前の死体を睥睨する。
人類社会が終焉し、今もこの地で生きる人間は、自分たちの6人だけであった筈だ。なのに、ここにきて自らの信じる記憶や常識とズレが生じてしまっていて、無意識に気持ちがささくれ立ってしまう。
そのことを自覚した時雨は、己を自制するべく一度深呼吸をする。とにかく、話を前に進めなければ。
「まあ良い。問題は、時宗さんが何処までこのことを知っているか、と言うことだが」
「まあ、知っているにしろ知らないにしろ、時宗さんの回答は同じだろうね。もし、この事実を知っていてそのことを隠すつもりがないなら、既に皆に伝えられていてもおかしくはない筈だから」
「だな。知っていて黙っているか、それとも本当に知らないのか」
「そこら辺は、正直判断出来ないだろうね。時宗さんが、何らかの事情でこの事実を隠匿していたとしても、実際にそれを知る術はないからね。ーーただ、僕にはそれよりも、もっと別の問題が気になるけど」
郁渡は、腐敗した死体を見下ろしながら、そんな含みのある言い方をした。
まあ、郁渡ともそれなりに長い付き合いだ。互いに、ある程度は何を考えているか想像は出来る。
「目の前にある人間が、同じ周期上の、魂と対になる肉体と再接続を果たした可能性か」
「現状、その可能性が濃厚だろうね。見たところ、腐敗以外で特に肉体的な損傷はなさそうだから、肉体機能低下、及び機能不全による魂との接続の断絶、という訳でもないようだし」
郁渡は、じろじろと死体を観察しながら、時雨の回答に頷く。
「傍目には分からないだけで、単に衰弱死した可能性はあるんじゃないのか?」
「傍目には分からないように、わざわざツタや草木に隠れた状態で衰弱死すると思うかい?」
「いいや、まさか」
時雨自身、ただの事実確認をするつもりの質問であったため、郁渡の反駁を聞き、同じ結論に納得がいった風に相槌を打った。
「となれば、こいつは、やはり時宗さんが開発した装置で、魂と肉体の接続が意図的に切断されたと考えて良さそうだな」
時雨は、静かに目を閉じて、自らの思考に没頭する。
仮に、目の前にある死体の魂が、同じ周期上に存在する肉体と再接続していた場合、この男がそれを行った目的は何だろうか?
単純に、自身の生活水準の向上という動機であるならば、まだ良い。安住の地を求めて住み処を移すだけなら、この者の存在は誰かと言う疑問の余地は残るが、特に深刻な事態は生じない。
だが、それならばそもそも、この時代を生きる人間の誰一人としてこの者の存在を知らず、その正体が発覚せぬよう雲隠れしている状況が解せない。徹底して隠匿したことが何を意味しているのか、正確なところは分からないが、どうせ碌でもないことには違いない。
「それで、仮に僕らの推論通りとするなら、問題はどの周期上の肉体に再接続したか、ってことだけど………」
「取り敢えずは、遥の同期した時代がキナ臭いし、周期上で一番最寄りの時代から調べて行けば良いだろ」
「それはそうだね」
郁渡は、特に反対意見もなく頷いた。
時雨は、再び腐敗した死体に視線を向ける。
「銃殺されたであろう人間に、今度は腐敗した人間か。俺たちの与り知らぬところで事態が進行しているところが、実に気に入らないな」
「どうする、時雨? いずれも、一筋縄じゃあ行かない状況には違いないけど、このまま放置しておく気はないだろう?」
郁渡は、焚き付けるように時雨に問い掛ける。
時雨は、ニヤリと笑みを浮かべた。
全く、そんなことは言われるまでもない。
これまでの雲を掴むような状況をじっと耐えてきて、やっとたどり着けた重要な手掛かりだ。例え、無駄足であろうが、何者かによる罠であろうが、この機を逃すような愚行を犯すつもりはない。
「当然だ。俺たちのテリトリーで好き勝手やった報いは受けて貰う。近く同周期上の肉体と再接続をして、実態の調査に乗り出す。
――接続先は、西暦2045年。そこに、全ての謎の鍵がある筈だ」
事前の通知しました通り、今回の投稿で、これまでのストックが全て消費しました。
ここからは、お時間を頂きまして、再度ストックを補充後、推敲や構成をまとめた後、投稿を再開したいと思います。
詳しくは、活動報告でお知らせします。