01話 「プロローグ」
人間は、肉体と魂で構成されている。
ならば、魂は肉体のどこに存在するのであろうか?
心臓に魂はあるのか?
いや、心臓の機能は洞結節から出された電気信号に反応して収縮する器官であり、いわば筋肉の塊に過ぎない。ゆえに、人間の感情・思想・意識を作り出す機能は存在しない。
では、魂を司るのは脳であろうか?
成程、確かに脳とは神経系を構成する最も重要な器官である。記憶や思考に関しても密接な関連性にあると言えるだろう。しかし、21世紀にも長きに渡り、人類の名だたる脳科学分野の研究においても、我々人類の意識・人格が、脳から生じているという証拠、即ち魂が脳によって構成されているという事実は、未だ立証されていない。
ことここに至り、誰もが肉体と魂の存在を立証できず、研究が滞る中で、ある一人の研究者が一つの仮説を立てた。
――魂とは、我々人間の意識と人格を構成する情報体であり、脳は肉体と魂とを繋ぐ信号の送受信装置である。
この世の更なる高次元に存在するであろう魂は、信号によって肉体との接続が行われる。相互認証による情報の共有化によって、我々は人格・思考・意識を持った生命体となる――
その研究者のこのような発言は、当然多くの物議を醸すこととなった。
荒唐無稽な妄想を垂れ流したコレは、我々研究者の面汚しだ、と誹謗中傷をする者や、そんな眉唾物の話に賛同し、積極的に支持する物好きもいた。
そうした中で、長い年月は流れていく――
ここは人類社会終焉の地。
かつてあった人類の誕生から繁栄に至る激動の歴史は、もはや過去の遺産と化した。
地球創生以来、人類はあらゆる生物とは一線を画す存在であった。
類まれな知能を駆使し、独自の文明・科学という概念を創出。同種・他種を問わず、ありとあらゆる生命の可能性を摘み取り、繁栄し続けた知的生命体は、他の生物から見てその特異性は、他の追随を許さぬ程であっただろう。
そのような生き物の築き上げた文明社会の、終焉の原因とは如何ほどのものであったのだろうか――
人類社会の終焉は、実に唐突であったという。
果たして、何十億とその存在を許された生命を、一瞬にして滅ぼす程の現象とは何であったのか。
人類が予想もしない、かつてない程の未曽有の大災害か。
或いは、人類全てを巻き込んだ、大規模な戦争の末路か。
最早、その原因を究明できる者は居ない。確かなことは、人類社会の滅んだ詳細な記録が存在しない程に、短期間に事が進んだということと、人類社会を崩壊に導いた事実のみが記されたということのみ。
だが、幸か不幸かその事実は、人類社会崩壊という結果を知ることができただけの、一握りの人類の生き残りがいた、ということでもあった。その一点だけで言えば、人類そのものの終焉を回避できたことについては僥倖といえるかもしれない。
人類社会の終焉から、途方もない年月が経過した現在。
地球上には僅かばかりの人類の生存者がいる――
「ここまで漕ぎつけるのに、相当の年月が掛かってしまったか………」
人類社会の終焉と、これまでに至る今日までの苦難を思い描き、男は感慨深く、そんなことを呟いた。
男の目の前に横たわっているのは、一人の青年男性。かつての現代社会を生きた、今や遠い過去の存在で、人類社会終焉の日の当事者の身体であった。
辛うじて受け継がれてきたこの時代の、ありとあらゆる科学技術を駆使して作られた生命維持装置に繋げられている。
この状況を観察する男の傍には、また一人、その男の作業を補佐する役割であろう者が声を掛ける。
「肉体の損傷はありません。脳波も異常ないようです」
「後は魂を転生するだけか…………。
頼むから、失敗だけはしてくれるなよ……………」
魂は循環する。いわゆる、輪廻転生という思想である。
前世、過去世の全ての記憶を内包するであろう魂。
肉体と魂が接続して、生命を成す。ならば、この肉体と対になるその魂に、こちらから接続を試み、人類社会の終焉間近となる時期の魂と肉体を同期させる。
いわば、疑似的な輪廻転生を試みることが、今回の目的となる。
無事にこの試みが成功すれば――
「もしかしたら、人類終焉に至るまでの真実を、知ることができるかもしれませんね」
一人の男の内なる想いを、傍に付き従う者が代弁する。男は静かに頷き、改めて周囲を見渡した。
男の視線の先には、人類社会の全盛期であった頃の最先端技術でも成し得なかった、大型の機械設備が並べられている。
高次の世界にある魂への干渉、及び肉体との接続。
文章にして簡素。けれど、ここまで到達するために、何世代にも渡る研究の継続と、途方もない労力と時間を消費した。ようやくにして、我々の希望を実現できる手段を手に入れることができたと言える。
失敗は許されない。
「さあ、始めるか」
賽は投げられた――
日常とは、特別でなければ、特殊でもない。
無責任にそう言ってのける程度には、その身に置かれた環境は平穏無事と言え、代わり映えのない日々に辟易する程に、幸福な人生を過ごすことができている。
時は、人類社会の終焉以前に遡る。
当たり前という、かけがえのない幸福を、当たり前のように享受できる、そんな日常を生きる彼方 駆は、一人屋上で座り込み、日常の風景を眺めていた。駆の口元には一本の煙草がくわえられている。
現代社会において、未成年者の喫煙が禁じられていることは周知の事実であるが、そんな事情はどこ吹く風とばかりに、白昼堂々、公共の場でしれっと煙草を吸う態度を崩さない。このような素行不良も、日常の風景と言わんばかりに。
「よお、また昼休みの一服かぁ?」
不意に、駆の傍で声が掛かる。いつの間にか、屋上に上ってきていた翔田 明は、駆の隣に腰を下ろした。
「おう、明。お前も吸う?」
午前中の授業を終えた後の昼休みには、特に示し合わせるでもなく、こうした屋上での雑談が二人の日課となっている。
「遠慮するわ。俺は基本的に、社会に従順でいたい」
「長いものに巻かれるのも良いけど、そういう考えは、いざというときに身動き取れなくなるぞ?」
「ああ大丈夫、その辺の見極めは得意だから」
互いに、面白くもない茶番はそこそこに、二人の会話は今が旬の漫画やゲームについての感想や、最近話題のニュース、教師の陰口など、脈絡なく流れていく。
基本、俺と明との間で交わされる会話に、明確な方向性は殆どなく、大概がこうした馴れ合いに終始する場合が多い。
「そういえばさ」
と、ふとした思い付きであるかのように続ける明。
「前から思ってたんだけど、お前は何で煙草なんか吸ってんだろう、って思ってさ。
駆は、何だかんだ言って根は真面目な性格だから、色んなリスク背負ってまで煙草を吸うイメージじゃないんだよな。肩肘張って、悪ぶってる俺カッコいい、ってタイプにも見えないし」
お前って、煙草吸う奴に対してそんなイメージあるのかよ、と苦笑しつつも、最後の発言については、そんなに的外れでもないなと思う。
まあ、所詮はちょっとした茶番だ。延長戦もたまには良いだろう。
「うーん、何と言えばいいかな。俺は、どんな些細なことでも自分で考えて、決めたということに意味がある、と思っているんだよ」
「ほう?」
なにいってんだこいつ、という目を向けてきた。気にせず続けてやった。
「一般論として、未成年が煙草を吸うことは、法的にも、道徳的にも良くないだろうな。
けど、それを踏まえて自分がどうするかは、別問題だろ?
煙草を吸うか吸わないかに限らずとも、自分の人生の中で、自らの責任で決断を下さなければいけない場面は多々訪れる。
己の在り方を決める上で、進路選択や、大学選びについても、その一環である筈だ。
当然、周りの先生や両親も、良かれと思って、様々な助言や助力を与えてくれるだろうね。
でも、その上で、最終的な判断は自分自身に委ねられているのだから、己の理想とする在り方は、己の意志で選択しなくてはならない。
つまり、どのような状況においても、最終的な決断に対する責任は、自分自身に降りかかるということ。その自覚だけは常に持ち続けないと」
その意識がなければ、何をするにしても、無思考に他者の考えや常識に依存するようになり、挙句何か問題が生じたときに、その責任を他人のせいにするようになる。
「言いたいことは分かるけどな。けど、他人に対する配慮とか、かかる迷惑とかあるだろう?」
あれ、もしかして、煙草嫌いなのかな。こいつの前では自重したほうがいいのかも………。
「それは勿論。だけど、公共の福祉は自分の行動に対して、相手の人権を侵害してしまう状況で、初めて制約される根拠になるのであって、自身の行動の前提とはならない。原則と例外が逆だな」
「けど、それでお前が煙草を吸う行為が正当化されるわけじゃないけどな」
――お前、それだけ嫌いならそれ早く言えよ!
こっちだって、それが分かってたら吸わなかったわ!
「俺も別に、他人から正しいと認めてもらいたいわけではないからな。
繰り返しになるけど、他人の自分に対する意見や評価、批判を全て考え吟味した上で、なお自分が正しいと信じる行動を選択できるかが重要なんだよ」
明は、俺の言葉にじっと耳を傾け、やがて軽くため息をついた。
「お前ってホント詭弁だけは大したもんだな」
むう、これに関しては反論できないな。実際その自覚はある。
まあ、ここまで言ったついでだし、もう一言付け加えても罰は当たるまい。
「まあ、俺が煙草を吸うのは、自意識の象徴、という認識で構わないよ。
自分のことは自分で考えます、みたいにね」
「お前、それだけ偉そうなこと言うなら、その自意識をもっと別の方向へ生かせよ……………」
案の定、明は、俺に対する呆れ顔を取り繕うこともせず、やれやれと肩を竦めた。
あれだね、こういう常識や正論を盾にして、無思考に他人を批判する姿勢は、改めた方が良いんじゃないかな。
そんな明の態度に苦笑しながらも、先ほどの明の言葉を反芻する。
本当に、自分の信念を持って、その自意識をより建設的な方向へ生かせるのならばそれが一番良い。けれど、それを理解しながらも、こうして日々煙草を吸いながら、どうしようもなく自堕落に生きる俺は、つくづく小物だなと、思わず自虐的な笑みを浮かべた――
午後のカリキュラムも、滞りなく消化し、下校時刻が訪れる。
これといった問題のない、いつも通りの一日を焼き増ししたかのような日常を終え、駆は一人帰路に就く。
日常が、極々ありふれたものであるというなら、そこに住む人々もまた、代わり映えのない日常を謳歌する、ありふれた存在であると言えるだろう。
明確な目標や目的があるわけでもなく、確固とした意志をもって行動しているわけでもない。
自らが誇るアイデンティティもなければ、己がこうありたいとする確固とした自己実現欲求も持たない。
日常を消費する。
ただそれだけの行為を日々無思考に取り組む、そんな無味乾燥とした時間を過ごし、いつも満たされない、何かに飢えている。そんな日常。
まあ、ある意味単純明快でいいことだ。学生という社会的ステータス、それを証明する、学校という居場所。
目的意識、自己改革なき学生という、矛盾した身分を手に、日々の漠然とした不安と引き換えに得る、一時の安寧と即物的な日常。
それを選択するのも、その人個人の自由であり、どのような日々を選ぼうと、そこから何かを汲み取り、人生の糧にするかは自分次第なのだから――。
日々の生活を切り取ってみたならば、いかにも退屈な日常風景。
自堕落な者であろうと、そうでない者も、日常に同化してしまえば違いは分からない。
本質に気づくのは、いつも日常の終わり。
理想とは、気づけばそこにあるもの。
目的意識や自己改革を掲げ、己の成長を糧に、日々を愚直に邁進した、その積み重ねがどれほどのものかとする、ただそれだけの結論。
理想という終焉を夢見て、そこへ至るまでの、途方もない現実を繰り返し、それでもなおそこに向かおうとする、誰よりも勝る自意識・信念があればこその、一つの到達点。
自分は果たして、どちらの側の人間だろうか。
幸か不幸か、未だ結論は出ていない。
そんな益体もないことを考えながらも、日常は有耶無耶に進む。進んでしまう。
いつか訪れる他愛のない日常の終焉に向かって――
日常は浸食された。
それは、本人すら計り知れない程の唐突さで。
抗うという選択肢すら与えられぬまま、どうしようもなく一方的に蹂躙された――