散歩
かすかに残る春の日差しに、私、星乃怜佳はゆっくりと目を覚ました。
時刻は既に午後の1時を回っていた。昼食のあと、うっかり眠ってしまったようだ。
自室には、静かな音楽が流れている。ピアノの優しいリズムと、ヴァイオリンの美しい旋律に包まれ、私は再びうとうととしてしまう。
何の曲か、誰の曲かは知らない。でもそんなのは関係ない。そんなことを知らなくても、音楽は私にいろんな景色や表情を見せてくれる。
(……気分転換に少し外にでも行こうかな)
私はCDプレーヤーの停止ボタンを押して、軽く伸びをした。
どこへ行こうかと思ったけど、あまり遠くへ行って帰ってこれなくなるのも困るからなぁ。そうだ、学校の中庭に行こう。あそこには大きな芝生があって周りも開けているから、気持ちよく日向ぼっこができそうだ。そうと決まれば、制服に着替えないといけないな。
身支度を済ませ、私は玄関へと向かった。玄関の扉に手を掛けたところで、私は後ろを振り返り、
「いってきます」
誰にともなくそう告げると、私は扉を開けた。
私は高校の中庭へ向かった。道端には何本もの桜の木が植えられていて、今でも珍しく枝に残っている花びらは頼りなく風に揺れている。もうすぐあれも散ってしまうのだろう。
中庭に着くと、そこにスケッチブックを開いている御嶋さんがいるのに気が付いた。彼女は右手をせわしなく動かしながら何かを模写しているようだ。
(そういえば、確か御嶋さんって美術部員だったような。幽霊部員だとは言ってたけど、絵を描くの好きなんだなぁ)
しばらく私はその場で御嶋さんに見入っていた。流れるような優しい手つき、春風になびく後ろ髪、そして髪の合間から覗く物憂げな表情に。
(何を描いてるのかな……御嶋さん)
そんなことを考えていると、御嶋さんは絵を描き終えたのかスケッチブックを閉じて立ち上がり、私の居る方向とは反対方向に歩き去っていった。
(御嶋さんの絵かぁ。見てみたいなぁ。きっと繊細で、温かくて、優しくて……)
ふと、先ほど覗いた御嶋さんの物憂げな表情が脳裏に浮かぶ。
(御嶋さん……ちょっと悲しそうだった?)
私はさっきまで彼女のいた芝生の上に足を踏み入れる。前を見れば、そこにはこの高校自慢の一本桜が、ほとんどの花を散らした姿でそびえていた。心地良い春風が頬を優しく撫でる。けれど、その度にさらにその花を散らしていく桜の木。
(御嶋さんの絵……か)
その後、私は日が傾き始めるまで、哀れで、儚くて、美しい、その風景に見惚れていた。