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君のいる明日  作者: ほろほろほろろ
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二日目

 とうとう今日から授業が始まる。

 目が覚めた瞬間、そんなことを思い出してしまったのだから、今朝は悪い目覚めに違いなかった。

 今日は始業式の翌日。ベッドから這い出してみると時刻は6時。いつも通りの時間だった。

 カーテン越しに窓から差す朝日が穏やかなのに対し、あたしの心は酷く沈んでいた。至高の日々であった春休みは既に過去のもの。今日からまた、勉強やらに追われる毎日が始まるのだ。あぁ、休みが恋しい。

 まあしかし、愚痴ばかり言っていても仕方が無い。あたしは早速着替え、顔を洗い、髪を梳かし、朝食の支度をする。朝食の支度といってもあたしは料理がからっきしなので、いつも冷凍食品や出来合いのもので済ませてしまう。こんな生活をしていると父さんが知ったらきっと怒るに違いない。料理の練習も、いつか始めなきゃいけないな。

 そうこう考えているうちに電子レンジがチンッと鳴る。今朝は無難に焼きおにぎりだ。あたしはそれを皿に盛り、付け合せにインスタントのココアを持ってリビングへ運んでいく。

 テレビをつけると、ニュース番組のアナウンサーのはきはきとした声が無感情にニュースの概要を読み上げていた。あたしはそれを聞きながらおにぎりを齧る。このおにぎりも、いつも通り味気ない。

 ニュースは矢継ぎ早に変わっていく。

 こんな事件があってこんだけ人が死んだ、こんな催し物があった、有名人のスキャンダル、などなど。

 こんな時でも世界は忙しい。あたしと言えば、この春麗らかな日和のなかで何の悩みもなく平和に暮らしてる。報せがあるとすれば、残念なことに今日から授業が始まるってことくらいだ。

 ニュースは終わり、天気予報に移る。気象予報士がいろいろ言ってるけど、そんなものは聞き流して映し出される地図を眺める。うちの地域の掲げるマークは晴れだった。確認するように窓越しに空を見上げると、やはり雲1つ無い快晴だった。

 穏やかな春の日差しの中、桜の花はそこかしこで咲き乱れている。こんな陽気の朝は、散歩にでも出かけたくなってくる。どうせ朝は暇だし、近くを少し歩いて回るのもいいかもしれない。

 朝食を食べ終えたところで天気予報も終わり、今度は最新のファッションやらスイーツやらの紹介に入る。テレビの右上の時計は6時40分を指していた。

「じゃあ、食後の運動がてらちょっと行ってこようかな」

 朝食の後片付けを済ませたあたしは、一枚の上着を羽織ると、春の陽気に誘われるように玄関の扉を開いた。


 寮を出てすぐの所に、一本の川が流れている。その両脇にはたくさんの桜の木が植わっていて、どれもそれはそれは美しい花を咲かせていた。あたしはその桜並木の下をのんびりとくぐりながら、川下の方へと歩いていく。

 しばらくすると、どこまでも続く桜の道の先に、白く大きな建物が見えてきた。そのまま道を進んでいくと、やがてその建物の全貌が見えてきた。それは市民病院だった。

 病院、あたしには縁もゆかりもない施設。それが、学校から走ればものの五分とかからずに着ける程の場所にある。あたしにはそれが、ほんの少し不思議な感覚に思えた。

 この病院の前には何度も来たことがある。それは、単にその前を通りかかったというわけではない。この病院にある、あるものを見に来ているのだ。それは今、あたしの目の前にそびえている。

「やっぱり、立派な桜だなぁ」

 そこには、見上げる程に大きな桜の木が植わっていた。その枝の一本一本に所狭しと開く花は美しく、それを支える太い幹からはある種の雄大さを感じる程だ。

 死を連想させるはずの病院に、これほどまでに生命力の溢れる桜が植わっている。それだけで、この病院全体がとても明るく感じる。ここに入院している患者の人たちは、この桜を見て何を思うだろうか。

 そんなことを考えながら、あたしはしばらくの間時間を忘れてただその桜の木を眺めていた。


 散歩に出かけてから小一時間程で寮の自室へと戻り、あたしは学校へ行く準備へと取り掛かった。すべての支度が終わる頃には、学校へ行くのにちょうど良い時間になっていた。

 登校途中、昨日と同じようにやっぱり見かける生徒の数は休み前より少なかった。

 確かに、春といっても夜や明け方は冷えるから、部屋でくぬくしながらのんびりしたいっていう気持ちも分かる。けど、昨日の始業式で校長も言ってたじゃないか。ええと、確か『新年度、気持ちを新たに、引き締めていきましょう』だったか。どうやら校長の言葉は、ほんの僅かな生徒にしか届かなかったようだ。

 それにしても、なんて静かなことだろう。たまにはこんな静かな登校もいいものだ。人がいない分、小鳥たちの声や風の音にも耳を傾けられる。あぁ、なんて和やかなんだろう。

 そんな幸せな時間だったけど、それもほんの10分程だけ。気が付けばもう昇降口に着いていた。

 自分の教室に着くと、予想通りまだ誰も来ていなかった。通り過ぎた他のクラスも、ほとんどががらんどうとしていた。まぁ、しばらくすれば賑やかな話し声でいっぱいになるだろう。

 誰もいない教室の自分の席に座る。この静寂の中の孤独感が、なんとなく心地良い。

 あたしは鞄を机の横に置き、そこから文庫本を一冊取り出した。読書はあたしの趣味の1つなのだ。

 さあ読もう、としおりの挟んであるページを開いたところで、遠くから廊下を歩く足音が聞こえてきた。校舎全体が静寂に沈んでいるせいで、遠くの小さな音も良く聞こえてくる。

 うちのクラスだったら嫌だなぁ。もしそうなら、あたしとその人二人しかいない訳だから、お互いに気まずくなっちゃうだろうなぁ。とそんなことを思いながら、あたしは文庫本のページを繰っていく。

 その間にも、その足音は着実にこちらへ近づいてくる。そして、遂にこのクラスの前で止み、教室の引き戸が、ガラガラッと開かれた。

 誰もが同じ状況であればするようなごく自然を装って、あたしは扉のほうへと目を向けた。そこには、その控えめに開かれた引き戸の合間から同じようにこちらを見つめる少女の姿があった。

 それは、昨日転校してきたばかりの怜佳ちゃんだった。

「………」

「……お、おはよう、御嶋さん」

「……あぁ、おはよう」

 迷わずに来れたのか。はじめに浮かんだ言葉がそれだった。

 怜佳ちゃんは教室に入るなり扉を閉め、こちらのほうへ歩いてくる。

「が、学校来るの早いんだね」

「まぁね、早起きが習慣なんだ」

 そう言う怜佳ちゃんも十分早いじゃないか。

 彼女はあたしの前の席について、あたしに対して体を横にしながら首だけこちらへ向けてくる。

「早起きが習慣ってすごいなぁ。私はほんとは朝って苦手なんだけど、また道に迷っちゃうかもって思って、目覚まし時計3台もかけたんだ」

 ふふっ、と怜佳ちゃんが笑った。あたしも、あはは、と笑ってみせた。

「はぁ、無事に教室に着いたらなんだか眠くなっちゃった。ごめんね、読書の最中だったよね。私はちょっと寝ることにするわ」

 あたしの手に持つ文庫本に目を遣りながらそう言うと、彼女は自分の机へ突っ伏した。どうやら気を遣ってくれたようだ。

 では遠慮なく、とあたしは読書を再開した。


 始業の鐘の少し前、教室はクラスメイト達の声に満ちていた。さっきまで寝ていた怜佳ちゃんも、そろそろ頃合といった感じで起きだして、鞄から机の中に教科書類を移している。

 あたしはそれらに構わず文庫本のページを読み進めている。今は物語の佳境。あるカップル二人の死亡事件の真相が、遂に白昼のもとにさらされるのだ。あたしはその真実に驚かされながらも、まわりの会話にそれとなく注意を向ける。

 昨晩のあのテレビ見た? 今日の弁当のおかず失敗しちゃって~、昨日もカレシがすごくて~、などなど。

 やっぱりみんなの生活も平和そのものらしい。テレビのニュースのようなことは、やはり現実では起こらない。

 あたしは前方、怜佳ちゃんへと意識を向ける。昨日の今日だ。またクラスメイトからちやほやされてるに違いない。あたしは昨日起こった漫画のような光景を思い出し、少し愉快な気持ちになるのだった。

 しかし、あたしの想像とは違って、彼女の席の周りは静かだった。

 席が近くのクラスメイトは挨拶こそすれ、ほとんどの人がそれ以上怜佳ちゃんとは言葉を交わさなかった。

 なんでだろう。朝だからだろうか。昼休みや放課後には、昨日のように愉快な光景がまた見られるだろうか。また助けを求められるのはいやだけど。

 ところが、その後も至って変化はなかった。昨日の熱はどこへやら、怜佳ちゃんのまわりにクラスメイト達が集まることはなかった。

 みんなも淡白なもんだと思う一方、あたしはある1つの可能性を思いついた。

 もしや、昨日怜佳ちゃんに助け舟を出したときの言葉であたしと彼女が友達同士だと思われてしまったのではないか。

 今は新学年の始めの時期、友好関係の基盤を作る時期だ。昨日は怜佳ちゃんを自分のグループに入れるための切欠作りだと言えるだろう。

 でも、彼女が既に他の輪に入っているなら話は別だ。違う輪同士の交流は最小限にする。女子のグループはよそ者に対して排他的なのだ。

 もしそうだとすれば、怜佳ちゃんには申し訳ないと思う。沢山の友達が出来る最大の機会を失ってしまったから。

 そんなあたしの思いはつゆ知らず、昼休みにはなんと怜佳ちゃんがさわやかな笑顔で、「一緒にご飯を食べよう」と言って来たのだ。

 特に断る理由を見つけられなかったので「いいよ」と言うと、怜佳ちゃんはとても嬉しそうな顔をしたのだった。

 怜佳ちゃんもあたしと同じく弁当を持ってきているかと思ったけど、彼女は購買で買ってきたのか、包装されたおにぎりを二つ鞄から取り出して食べていた。もしかして料理苦手なのかなと思い、怜佳ちゃんに対して少しだけ親しみが沸いた。


 放課後も、部活に行かないあたしとまだ部活に入ってない怜佳ちゃんで一緒に帰る流れになっていた。

 その道中、あたしはどんな部活に入るのかと訊いてみたけど、彼女は部活に入る気はないと答えた。となると、これからもこの二人で一緒に帰ることになりそうだ。


 あっという間に一日が終わっていた。

 あれだけ面倒に思っていた授業も、いざ始まってしまえばさほど苦ではなかった。

 授業は相変わらず退屈だった。特に理系。あんなに式を捏ね繰り回して何が楽しいのだろう。

 それでも、勉強はやらないといけない。あたしはどちらかと言うと勉強が出来ない部類だし、もし定期試験で赤点なぞ取ろうものなら留年の危機だ。

 そう考えていると、また気分が落ち込んできた。あぁ~、勉強なんてしたくない。

 あたしはベッドに倒れこみながらテレビをつけた。映ったのはバラエティ番組で、芸人たちがなにかまた変なことに挑戦しているみたい。

 テレビからたくさんの笑い声が聞こえてくる。やっぱどこもかしこも平和な様子だ。

 あたしは今日も、テレビを眺めながら勉強からの気を紛らわしていくのだった。

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