臨海学校 1
その日も、あたしはいつも通りの時間に目が覚めた。
ベッドから体を起こして、軽く伸びをする。あくびを噛み殺しながらテレビのスイッチを入れると、聞き慣れたアナウンサーの声が今日もハキハキと原稿を読み上げていた。
それを聞き流しながら、洗面台で顔を洗う。蒸し暑い中、水道水はひんやりしていて気持ちいい。
顔を洗い終えると、今度は台所でコップに水を注ぎ、それを一口飲んだ。もう大分頭もすっきりしてきた。
いつも通りの朝、いつも通りのあたし。でも今日はそんな『いつも通り』の日ではない。
あたしはリビングの中央に堂々と置かれた大きめの鞄を開き、中から一冊の冊子を取り出した。表紙には『臨海学校 しおり』と書かれている。あたしはしおりをパラパラとめくり、『必要なもの』ページを開いた。
「え~っと。制服の換えよし、タオル数枚よし、水着よし、ビーチサンダルよし……」
次々としおりに書かれているものがちゃんと鞄に入っているか確認していく。
「寝間着用のジャージよし、筆記用具よし、今日の昼ごはん……は、あとでテキトーにおにぎりでも作ろう。えっと、日焼け止めよし、酔い止めの薬はいらない。うん、大丈夫だ」
最後の荷物確認を終えたあたしは、朝食を作るため再び台所へ向かう。今朝は……そうだな、目玉焼きでも作ろうかな。
あたしは棚からフライパンを取り出し、油を敷いて火にかける。その上に割りたての卵を落とし、適当に塩をふりかける。そうして、全体が固まったところで皿に移して出来上がり。あぁ、なんて簡単な料理なんだ。
あたしは今回の目玉焼きの出来具合に満足しつつ、炊飯器に残っていた白米を茶碗に盛る。おっと、しばらく部屋を空けるから、まだ残ってるごはんは冷凍しておこう。
さて、出来上がった朝食を居間へ持っていき、テレビを眺めながらいただきます。
もぐもぐ、ぱくぱく
う~ん、塩をふりかけただけでこんなに美味しくなる卵って、やっぱ凄いな~。
あたしがそんなことで感心してる一方で、外では我が物顔のセミたちがワシャワシャと鳴いていた。
今日も暑くなりそうだなぁ。
今日はみんなが待ちに待った臨海学校の始まりの日。多くの生徒たちは楽しみで昨晩は良く寝られなかったことだろう。
あたしは怜佳ちゃんとの待ち合わせのため、寮から近くの木陰で涼みながら、寮から出てくる同学年の子たちを眺めていた。なんだかどの子も眠そうな様子だった。ほら、今寮から出てきた子も目元に隈が出来てる。って、あれは怜佳ちゃん!?
「あっ! 御嶋さ~ん、おはよ~」
あたしに気が付いた怜佳ちゃんは、その体には不釣合いなバッグを両手に提げながらトコトコと小走りでやってきた。
「はぁ、はぁ……。えへへ、今日も暑いね~」
すこし駆け足になっただけなのに、怜佳ちゃんの額には汗が滲んでいた。
「うん、まさに絶好の海水浴日和だ」
空を見上げれば、そこには一点の曇りもない青空が広がっている。天気予報によれば、明日と明後日も今日みたいな快晴が続くそうだ。
さて、怜佳ちゃんも無事に来たことだし、あたしたちも集合場所に向かうとしよう。
「じゃっ、行こうか」
「うん」
あたしたち2年生は校庭に集合し、点呼を取り、暑い中校長の話を聞き流し、そして校庭の脇に停められていたバスに乗り込んでいった。
バスは、真ん中の通路を挟むように2人掛けの座席が並ぶ典型的なもので、名簿順で座ったのであたしと怜佳ちゃんは隣同士になった。あたしが窓側で、怜佳ちゃんが通路側。
しばらく待った後に、順々にバスは出発した。目的地までは結構距離があるらしく、着くのはだいたい昼過ぎになるそうだ。その間の退屈しのぎにと、クラス委員長たちがなにやら余興を企画してるみたい。まぁ、期待せずにあたしは本でも読むことにしよう。
余興その1 ビンゴ
カラカラカラッ
「さぁ、出た数字は~……26でぇ~す!」
「やったぁ、26あった! これでリーチ1つ目」
隣に座ってる怜佳ちゃんは随分と楽しそう。いや、はしゃいでるのは他のみんなもそうなんだけど……。
「ねぇねぇ、御嶋さんはどう?」
「え、あたしの? こんな感じ」
「え~と……わぁ、すごいたくさんあいてる」
「……」
あたしのビンゴは今、リーチが三つある。しかし、最後の1つがあかない。
こういう現象、あると思う。ビンゴで始めのほうでたくさん当たって、リーチもたくさんできて得意顔になるけれど、最後の1つが出ないってやつ。
今のあたしがそう。あたしはビンゴやる機会がほとんど無いけど、ビンゴやると毎回このパターンに陥ってる気がする。
「さてさてお次の数字は~……48でぇ~す!」
リーチが四つになった。
「結局あがれなかったね」
「うん。まぁ、景品もそんなにいい物でもなかったし」
「……私はお菓子欲しかった」
怜佳ちゃんは、通路を挟んだ席の子がさきほどのビンゴで勝ち取ったチョコレート菓子を食べているのを、羨ましそうに見つめていた。
余興その2 カラオケ
「ラ~ララ~ラ~」
「すぅ、すぅ」
「……」
バスに設置されたカラオケの機械とマイクで、男子のお調子者グループが盛り上がってた。
結構大きい声を出すものだから集中して読書も出来ない。あたしはバスの窓から見える景色を眺めながら気を紛らわしていた。
「すぅ、すぅ」
一方怜佳ちゃんといえば、あたしの肩にもたれかかるようにして寝息をたてながらすっかり夢の中だ。よくこんなうるさいところで寝られるもんだ。感心してしまう。いや、きっとそれだけ眠かったんだろう。
ふと今朝のことを思い出した。そういえば、怜佳ちゃんの目元に隈があったな。怜佳ちゃんも、遠足前日は眠れないタイプだったか。
「すぅ、すぅ」
この調子じゃホテルに着くまで起きなさそうだ。昼前に昼食を兼ねた休憩を挟むはずだから、そのときになったら起こしてあげよう。
昼休憩
「すぅ、すぅ」
「怜佳ちゃん、起きて。お昼休憩だよ」
「すぅ、んっ、むにゃむにゃ。 あ、御嶋さん、おはよ~」
あたしの肩から頭を起こして、大きくあくびをする怜佳ちゃん。高速道路を走っていたバスは、今は道中にあったパーキングエリアに停まっていて、みんな持参の昼ごはんを食べたり、歌いすぎた喉を休ませたりしている。
あたしも昼ごはんを食べようと、バッグの中から風呂敷の包みを取り出す。風呂敷をほどけば、中にはラップに包まれたおにぎりが二つ。どちらも具無しの塩おにぎりだ。あたしの昼ごはんを見て、横に座る怜佳ちゃんが息を漏らして言った。
「わぁ~、御嶋さんもおにぎり作ったんだ。実は私もおにぎり作ってきたんだ。1つはシャケで、も1つは昆布。御嶋さんのはなんの具が入ってるの?」
「どっちも具無しだよ。塩だけ」
「……し、塩だけもおいしいよね! 私大好き!」
そんな、無理しなくていいのに。ってか、あたしは料理できないって前に言わなかったかな? あたしはおにぎりに具を入れることだって出来ないんだよ。あれってどうやってるの? 形整えた後に穴あけて入れたりするのかな?
いただきます、と心の中で唱えてからおにぎりを食べる。うん、やっぱ米と塩の組み合わせは絶妙だね。これだけで3日くらいは生きていけそう。
そうしてパクパクおにぎりを食べ進めると、あっという間にすべて食べてしまった。今日は午前中はずっとバスに揺られるだけで、あまりおなかは空かないだろうと思っておにぎりを小さめにしておいたが、それは正解だったみたい。予想通りちょうど良い量だった。
その後、トイレへ行ったり本を読んだりしているうちに休憩は終わり、点呼を取って、バスはパーキングエリアを出発した。
余興その3 カラオケ
「ラ~ララ~ラ~」
「すぅ、すぅ」
「…………」
「んぅ~~~、やっと着いた~」
時刻はおよそ午後1時、目的地の旅館に到着した。これからの予定は、それぞれにあらかじめ割り振られた部屋へ荷物を置いて、水着に着替えて再び集合。午後2時からは、さっそく臨海学校のプログラムが始まる。
記念すべき最初のプログラムは、この臨海学校の中で一番人気が無いであろう『水難救助訓練』。詳しい内容が知らされてしないだけに、どんな心持で挑めばいいのか。っていうか、怜佳ちゃんみたいな泳げない人は一体どうするんだろうか。
「はい、では荷物を各自部屋まで運び、準備をしてまたここに集まること。時間は絶対に守るように。では、解散」
その号令の後、みんなぞろぞろとあたしたちが泊まることになる旅館へと入っていく。和風建築なその宿は結構年季が入っているのか、木製の柱が所々黒ずんでいたり、暖簾が汚れていたりした。でも、建物の中に入ってみれば思いの外綺麗で、女将さん(?)も若い人だった。
「ん~と、私たちの部屋は……3階の324号室だって」
怜佳ちゃんがしおりに書かれた部屋割りを見てあたしにそう教えてくれた。
この部屋割りも名簿順で決められていて、一部屋に四人ずつとなっている。あたしと怜佳ちゃんは同じ部屋で、残りは出浪佳苗さんと片岡美希さんの二人だ。
周りのみんなが続々とそれぞれの部屋へ向かっていくので、あたしたち2人もその流れに乗って3階へと上がっていく。
324号室に着くと、すでにそこには他の2人が到着していた。
「あっ、星乃さんに御嶋さん。遅かったじゃない」
「おんなじ部屋だね。これからよろしく」
「うん、よろしくね」
あたしはそれに笑顔で答えた。
「よ、よろしく」
怜佳ちゃんは若干俯き気味に答えた。話し慣れていない人に対して人見知りしてしまうのは相変わらずだった。
「てか、初っ端から訓練とかありえなくない? 水難救助とか、絶対将来役に立たないでしょ」
「だよね。プールとか海だとライフセーバーの人がいるし、訓練とか必要ないよね」
2人がぐちぐちと文句を言い出す。まぁ、2人の気持ちも分からないこともない。
「そう文句言っても仕方ないよ。それに、これが終われば後は楽しいことが目白押しじゃない」
訓練の後は生簀に放った魚の掴み取り。そして、その魚を使ったバーベキュー。明日にはカヌー体験に水泳、そして自由時間に、夜はキャンプファイヤー。最終日にはこの近くの水族館で海の仲間たちと楽しく過ごすことになっている。
「ん~、まぁ確かに御嶋さんの言う通りだね。ここは我慢していこう。明日にはアンタ、彼氏と水着でイチャイチャできるんだから」
「リョウとはもっとプライベートなときにしたいの。みんながいるところでとか、見せ付けてるみたいで感じ悪いじゃん」
そんな取り留めもない話に花がさいてしまって、
「そんでそいつがさぁ~」
「ちょっとごめん、そろそろ着替えないと、時間に間に合わないかも」
「え? わっ、ほんとだ! 急げ急げ」
つい、時間が過ぎるのを忘れてしまうのだった。
ジュゥー、ジュゥー
「はむ、はふはふ ん~おいしい」
「いや~苦労して獲った甲斐があったってもんよ」
「ほら御嶋さんも、食べて食べて」
「うん、ありがとう」
片岡さんが焼きたてのアユや野菜をあたしの皿によそってくれた。
あれから水難救助訓練を終えたあたしたちは、近くの河原でアユの掴み取りに挑戦することになった。川には養殖されたアユが放たれて、多く捕まえるほど、ちょうど今行われているバーベキューのおかずが華やぐという寸法だ。
部屋割りで一緒になった四人で1つのグループとなり、共にアユたちと格闘した後、今度はこうしてグリルを囲んで夜ご飯を食べている。
「それにしても、御嶋さんが一緒のグループでほんと良かったよ~。このアユたちのほとんどは御嶋さんが獲ってくれたんだもんね。こうして美味しいアユがたくさん食べられるのは御嶋さんのおかげだよ」
「え~わたしもがんばったのに~」
「いくら頑張ろうが、結果が伴わなければ意味がないのよ。あんたは2匹しか獲れなかったでしょうが」
「そ、それだったら、私は一匹しか獲れなくて……ごめんなさい」
「星乃さんが謝る必要なんてないよ。すっごく頑張ってたの、ウチら分かってるから。はい、アユ焼けたよ~」
「ど、どうも」
「ちょっと美希! 星乃さんとわたしとで扱いの差酷くない? 平等じゃないよ、ね? 御嶋さんもそう思うよね? だから美希、わたしにもアユ焼いてちょうだいよ」
「お前はタマネギでも食ってろ」
「なんでタマネギなのよ~。もぐもぐ……ってこれ生焼けじゃない! か、辛ぁ~、ヒ~~ッ」
「うふふっ」
「うわ~ん、助けて御嶋さ~ん。こいつがわたしをいじめてくる~」
「あ~よしよし、泣かないで。ほら、あたしのアユあげるから」
「わ~い、御嶋さん優し~。こんなやつとは大違い」
「くっ、こいつ」
「わわっ、ケンカはよくないよ」
いつもとは違った、賑やかな夕飯。こんなのも、たまには悪くないのかもしれない。
いつの間にか、空がオレンジ色に染まっていた。こんなに時間が経っていたなんて、気が付かなかったなぁ。
「御嶋さん」
あたしの隣に怜佳ちゃんが寄り添ってくる。
「楽しいね」
「うん、こういうのって久しぶり」
最後にこんな光景を見たのはいつだっただろう。以前にもこんな風に仲間たちとワイワイはしゃいで、あの時も楽しかった。
「ねぇねぇ、アユはあとどのくらい?」
「もう全部焼き終わっちゃったよ」
「え~、もっと食べたかった」
「どの口がそれを言うか」
こんな楽しい時間も一旦おしまい。みんなが食べ終わったら、後片付けして旅館へと帰らなければいけない。
「あたしもう食べ終わったから、先に片付けちゃうね」
「ありがと~。ほら、ウチらも早く食べちゃうよ」
「は~い」
「あ、御嶋さん。私も手伝う」
食器とかを水場で洗っていると、怜佳ちゃんが隣へやって来た。周りを見れば、あたしたちの他にも洗い物をしようと多くの生徒たちがこの水場へと集まっていた。
皆、楽しいって顔してる。友達やクラスの仲間とキャンプしているような、そんな感じ。皆の楽しそうな笑顔を見ていると、あたしも何だか嬉しい気持ちが湧いてくるのを感じた。
「また……あるかな」
ふと、そんな言葉がほろりと漏れてしまう。
「……え?」
「ううん、なんでもない」
不思議そうな目であたしを見つめる怜佳ちゃんの顔は、すっかり夕日の赤に染められていた。
「じゃあ、電気消しま~す」
パチンッ、と電気のスイッチが切られた。今の時刻はだいたい10時過ぎ。ちょうど消灯の時間だ。あたしたちは畳の上に一列に布団を敷いた。あたし、怜佳ちゃん、出浪さん、片岡さんの並び順だ。
「ふふふ~、こういうのテンション上がるよね」
「勝手に上げてな。あっ、寝てる間に変ないたずらとかしないでよ」
「ん? それは振りかな~?」
「いいからさっさと寝ろ」
「あいたっ! もぉ~、叩くなんて酷い」
暗くなっても、静かになるには時間がかかりそうだ。そう言うあたしも、日常と違う場面に興奮してか、目がすっかり冴えてしまっている。これでは眠れないな。
怜佳ちゃんはどうだろう。行きのバスで結構寝てたし、あたしと同じで眠れないんじゃ……。
「すぅ、すぅ」
怜佳ちゃんは無防備な寝顔をこちらに向けてぐっすり眠っていた。
「ねぇねぇ、こういうときって恋バナするのがお決まりだよね。美希はなんかないの? 恋バナ」
「お前と違ってウチにはそんなもんないよ。灰色の青春を送ってるんでね」
「え~、でも好きな男子とかいるんじゃない? 言うてみ言うてみ?」
「しつこい」
「あいたっ! もぉ~いいよ、美希には訊かない。星乃さんはどう? 好きな人とか」
「怜佳ちゃんはもう寝ちゃったよ」
「早っ! あぁ~、怜佳ちゃんの恋バナ聞きたかったなぁ。じゃあ御嶋さんはどう?」
「あたしもそういう人はいないな~」
「だってさ。今この場で恋バナができるのはアンタだけ。んじゃ、思う存分自分ののろけ話でも語りな」
「ちょっ、そんなことしたらわたし自慢してるみたいで感じ悪いじゃん」
「アンタ、今の彼氏と付き合うってことになった時ウチにどんだけ自慢してきたか忘れたの?」
「そ、それは……」
「あはは、2人はほんとに仲が良いね」
「まぁ、なんだかんだ付き合い長いから。腐れ縁ってやつ?」
「小学校からずっと一緒なんだ」
「へぇ~。ところでさ、さっきの出浪さんの恋バナ、あたし聞きたいな」
「え、聞きたいの?」
「止めといたほうがいいよ。こいつを調子に乗らせるだけ……」
「まぁまぁ、御嶋さんが聞きたいって言ってるんだから。こほん。そう、あれは去年の……身も心も凍えそうな冷たぁ~い北風の吹く、ある冬の日のこと……」
こうして、出浪さんによる壮大なドラマティックラブストーリーが幕を開けるのであった。




