森の夢
ジリジリジリィィ
鬱蒼と草木の茂る森に、アブラゼミの声がうるさく響く。背の高い木たちの足元には木漏れ日が差し、野花は生き生きとその花弁を広げている。
あたしは汗で首筋にへばりつく髪に嫌気がさしながら、木々の合間を進んでいく。
「お~い、大丈夫か~」
森を抜けた先の小高い丘で誰かがあたしに呼びかける。
「大丈夫~。すぐそっち行くから~」
あたしは暑さに息を喘がせながら、その人に向かって返事をする。
分かっている。これは記憶だ。あたしの懐かしい思い出。あたしに呼びかけたあの人は、きっとあたしの大切なひとだ。
それなのに、あたしはあの人の名前を思い出せない。顔を見ようと目を凝らすけど、逆光のせいか、あの人の顔には深く陰が落ちている。
「早く来ないと~、置いてくぞ~」
その言葉を聞いた瞬間、辺りは暗く陰り、木漏れ日は赤く染まっているのに気が付いた。アブラゼミの声が次第に大きくなる。あの人はあたしに背を向けて歩き出す。
「ま、待って! 待ってよ!」
あたしは叫んだ。けれど、あの人は振り向きもしないでどんどん遠ざかっていく。
必死に足を動かそうとする。しかし、地面に縛り付けられたように足は全く前へと進まなかった。
「行かないで! お願い! あたし、あなたがいないと……!」
あの人に向かって腕を伸ばすしかし、その腕はなにも掴めない。
「……っ!!」
声が出ない。呼吸が苦しくなり、胸を押さえる。前を見ると、すでにあの人はいなかった。
(置いて行かないで! ……お願い!)
次第に視界がかすんでいく。アブラゼミの声が脳内にこだまして離れない。
(あたしは……)
あたしはその場に崩れ落ちた。目の前は真っ暗でもう何も見えない。
ただ、アブラゼミの声だけがうるさく響いていた。