手段を選ばなければ面白い小説というモノ程度は簡単に描けるものだ
あの人はそこに、なんの歪みも無く存在していた。
遥か昔から宇宙の中心点として、屹然と存在する此処において、燦々と照りつける日差しを浴びても揺るぎもしない姿。
わたしは日傘を畳み、彼の傍に歩み寄る。
私という存在にとって、誰よりも大切で、誰よりも尊ばれるべき、世界の歪みを体現し続けようとする悪意の根源に。
「 手段を選ばなければ面白い小説というモノ程度は簡単に描けるものだ 」
何を言っているのだろうか?
判然としないながらも、わたしは微笑みを隠しきれない。
そう、彼は何を話も良いのだ、彼が発する全ては、わたしの中で円環の理のように、永遠に螺旋を描いて絶対真理に至るのだから。
「 最初に、俺は今まで散々に他人を踏みにじり、苛めぬいてきた。
若々しく希望に満ちた子供、そういうのに致命的なストレスを与える。
そうすれば毎日のように嘔吐を繰り返すようになり、やせ細り顔色が悪くなり、苦しそうな顔をして毎日を生きるようになる。
そういう子供の未来は暗い。
地頭は悪い、身体障害によって体は弱い、精神は低廉に出力の根本が脆弱。
そんな有様では現実においては、なんの役にも立たないゴミ屑と化すのは誰にでも分かる事だろう。
これは圧倒的な支配欲を満たす、嗜虐心もだ。
他にも仕返しされる、刺されるかもしれないスリルも良い、罪悪感も背徳感も凄く心を刺激的に満たし続ける。
つまり、ルール違反や、人道や倫理観に反する事を平気な顔をして犯せば、圧倒的なリソースが簡単に得られる、
と、
そういう話なのだ、現実に実際の理として存在する、これは真理なのだ。
簡単に表せる事がある。
西側陣営と呼ばれる世界がある、それに反する東側陣営と呼ばれる世界がある。
西側は西側で東側には絶対にありえないモラルと尊ばれるべき常識が存在する。
それによって治安は良く、自由主義的な合理化と効率化によって人間は生き生きと存在できる。
だがそれを超越する形で、東側には有利な面がある。
それはありとあらゆる人道と倫理に反した、外道の技術を大規模に扱えるという事。
それは強化人間の量産、国家総動員という名の致命的な強制労働や兵役動員などなど。
それが世界の真理なのだ。
酷くどうしようもない話だ、世界の現実だ。
だからこそ、だ。
外道の化け物に対して、人間は人間の取り得る成しえる手段だけで、それ以上に超越して完全打倒せねば成らない、のだ。
どこまでも昇華し飛躍し、人間の真価を発揮し続けなければ、成らない。
己が人間であるという自覚のある存在は、常にこの現実を認識し、眼前に差し迫った危機と共に甘受しなければ屑だ。
平和を当たり前とし、この危機を痛感せず、肥え太るような人間は、外道にも劣る、傲慢と慢心の化身でしかありえないからだ。
俺は一流で、それ以上の超一流の人間だ。
これから先も、決して不幸にはならずに、永遠に幸福が約束されたような存在だ。
世界は酷くどうしようもないモノだが、だからこそ一流以上に成れば、なんの問題もない。
上流に一度位置すれば、下流の下らない詰らないしょうもない、ありとあらゆる事象と無縁で居れるのだからな。」
語られる言葉は、世界の真理だった。
人間の永久不変な心理的病理であり、世界という構造上、決して拭えない母なる罪のようなモノ。
だが、それ故に、それを語る彼が打倒されれば、世界は変わるのだろうと思えた。
わたしは彼が存在する為に、世界は今のまま、永遠に罪に濡れ続けるように在れば良いと思うのだ。
「 こんな人間は断罪されるべきだと、俺だって思う。
だが、いつまで経っても、断罪するような存在は決して現れない。
そう、それも、この世の真理だ。
神なんての決して存在しないし、それに代わるような人間の根源的な良心だって、決してありえない、俺が俺自体がその証明だ。
悪人や外道は、それに対する誰かが、つまりは善人や常道を歩くモノが断罪しなければ、絶対に断罪されない、そういう事だ。
だが果たして、絶対的な善人や、常道を一切の迷いもなく歩き続けられるモノが、現実に存在できるか?
一切のルール違反もせずに、人道も倫理観も間違えず犯さず反さず、その上で、この俺を、
俺という存在を超越するような存在、世界でも、集団でも良い、存在できるか?
俺は常に敵対している、相対し闘争する。
ありとあらゆる禁忌を犯し、この世界を呑み込まんとする外道であり悪人であり鬼畜な俺を、
この世界がどうにかできるかどうか、それをただただ待ち望んでいるのだからな。
俺という究極の悪を知り、なお且つ、正攻法で打倒しきれないのなら、この世界には存在する資格がない。
俺は世界を試しているのだ。
世界なんてのは所詮は存在だ、人間の集団であり、人間でしかありえない。
俺はこの世界の神として、試練を与えているに過ぎない。
この試練を乗り越えた先でしか、人間は存在を許されないと、俺は確信しているからな。」
語り終えた彼は、こちらを見た。
わたしの変わらぬ、彼だけを盲目的に信仰する瞳を見て。
彼は満足を表した。
そう、わたしはこれが一番良い。
彼はこの世を断罪する神を気取っている、少なくとも己の信念において曲がらず、その在り方を絶対の意思によって曲げない。
だが、そう、このわたしを、愛してくれているのが、わたしが彼を見つめる唯一無二の理由なのかもしれない。