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ネーテル城といっても、使用人が暮らすエリアに華やかさはない。その代わり、早朝から働く者や深夜にも働く者などがいるせいか、壁は厚くがっしりとした造りだった。
使用人エリアで与えられたのは、狭いベッドが二つ入った部屋だった。住みこみといった騎士や兵士達が詰める区画らしい。
(できればメイドとか下働きの女の人が寝泊まりしているところが良かったんだけどなぁ)
男達の巣窟では、身動きが取れないだけだ。ひょんなことから女だとばれたら危険すぎる。
さすがのユリアナも悩ましいところだった。
生き生きとしているのはセイムだけだ。女の使用人が多い区画だったらどうしようと、そんなことを思っていたらしい。
「あのさぁ、兄さん。ちゃんと考えてよ。お喋りが得意で情報を握ってるのは女の人なんだよ」
「そうかもしれんが、言っても始まらんことはあるだろう。まずは焦らず行こう。な、ユリー?」
そこへトントンとノックの音が響いた。
誰だろうと二人は顔を見合わせる。
「どうぞ? 鍵は空いてますよ」
セイムの返答に、扉を開けて入ってきたのは金髪に紫の瞳をした少女である。
「腕の良いまじない師の兄弟なんですって? お嬢様がぜひ顔を見たいと仰せなの。ついてきてちょうだい」
そう言って二人を迎えに来た少女は、メイドのお仕着せを着ていた。
(うわぁ、清楚系美少女。行儀見習いとかで城に来た裕福な家のお嬢様ってとこかな)
びくっとセイムが後退りする。そんなセイムに苦笑しつつ、ユリアナが答えた。
「僕、ユリーって言うんだ。君だけでもかわいくて緊張しちゃうのに、お嬢様だなんて偉い人、この服で失礼とかにならない? 」
「私はフォンナ。大丈夫、うちのスザンナお嬢様はかなり気さくで、あまり格好とか気にしないわ。・・・・・・ほかに気にしてもらいたいことは沢山あるけど」
「は?」
「なんでもないわ。早く来てちょうだい。占ってほしいことがあるんですって」
棚ぼたラッキーである。
二人がフォンナの後についていくと、応接室の一つに通された。
そこの入口ではもう一人のお仕着せを着た女の子が三人を待っていた。
「リアン、連れてきたわ。じゃあ、私、お嬢様に知らせてくるわね」
「ええ。お願い」
そう言って、フォンナが慌ただしく去っていく。
リアンという名前らしいメイドが部屋に残っているのは、部屋の中にある絵画や置物といった装飾品の盗難防止なのだろう。
そんなあたりをつけたセイムは微苦笑を浮かべる。そういう細かさは嫌いではない。きちんと仕事がなされている証拠だ。
こういう場合、たとえ招かれたと言っても、セイムとユリアナはスザンナよりはるかに下の立場である。スザンナを迎える為に、セイムとユリアナは直立不動で立っておかねばならない。
だから、じっくりと室内を観察できた。
グランドフロア(1階)の応接室の一つだが、緑の大理石でできた暖炉の上に置かれている彫刻は黒のペガサス。置かれたソファはこの地方独特のアーバンス模様を織り込んだ布地が使われ、お揃いのカーテンも趣味が良い。
いささか男性的なのは、ここが高貴なる客に使われる為のものではないからだろう。
これが貴族の客を迎える為の応接室であれば、女主人の趣味を反映させて明るく華やかな色が多用され、高雅な趣味をうかがわせるであろう品が飾られているはずだ。
(仕事仲間などを迎える為の部屋だな。気の張る正装した高貴な客人ではなく、誰でもひょいっと連れこめる部屋でもある。だが、調度品はどれも安物ではない)
窓から見える景色を見ながらこの部屋の方角と警備をうかがっているセイムをよそに、ユリアナはリアンに話しかけていた。
「僕はユリー。あっちは兄のセイム。こういうお城なんて、めったに入る機会がないんだ。スザンナお嬢様に失礼にならないよう、なにか注意しておくことはある?」
「・・・・・・」
警戒心もあらわなリアンに、ユリアナはニコニコと近づいて行った。
フォンナと違ってリアンは口数が少ないようだが、さすがに自分の主人に失礼にならない為にと言われると、そんなリアンでも答えざるを得ない。
「うちのスザンナ様はあまり礼儀にうるさくおっしゃらない方よ。だけど、失礼なことはしないでほしいわ」
「分かった。気をつけるよ」
どうもスザンナは性格が良くて気さくな女性らしいと、そうユリアナは思った。貴族のお嬢様だ。箱入りで育てられ、タンポポのように可愛らしく、そして気さくで優しいお嬢様なのだろうか。
仕事柄、貴族や貴族の奥様ならば何人か知っているものの、貴族のお姫様には縁のなかったユリアナである。
理想の貴族のお嬢様像というものが、それなりにあった。
そこへスザンナが入ってくる。
「こんにちは。腕のいいまじない師なんですってね。ファスットが褒めていたから、私も占ってほしくて呼んだのよ」
「セイムと申します」
「ユリーです。セイムの弟です。こんなにも美しいお姫様にお会いできましたこと、一生忘れられない光栄なことと存じます」
「あらあら。おませさんね」
扇を広げてフフと笑ったスザンナは、長い金髪を頭の頂点で一度まとめると華やかに花をあしらった幾つもの編み込みを作って下におろしていた。薄いサーモンピンクのドレスが、紫の瞳によく映える。
はっきり言ってゴージャスな顔立ちと細い腰つきの美女だ。
美しさに対する称賛なんて聞き飽きていることだろう。
しかし。
ユリアナはそんな美女を前にして、ぷるぷると怯えているセイムに気づいていた。どうも鳥肌を立てているらしい。
戦場では満身創痍でも戦う男が、どうしてこんな美女を見て鼻の下をのばすこともできないのか。
(ここまでくると不憫になってくるかも。そんなにも嫌なんだ・・・)
しょうがない、自分がリードするしかないだろう。これじゃ会話もできないに決まっている。
ユリアナは覚悟を決めた。
「スザンナ姫様。どんな占いをご希望でいらっしゃいましょう? 水晶にあなた様の星を映しましょうか? それとも花にことよせて恋の物語を描きましょうか? それとも水盤に未来を読んだ方がよろしゅうございますか?」
「あらあら。口上は弟の方なのね。そうね、・・・恋占い、かしら?」
「恋の占いでございますか。ある意味、甲斐のない占いでございます」
「まあ。どうして?」
「その美しさでかなわぬ恋などありますまい。占うまでもございません」
可愛らしく目をみはって問うスザンナに、ユリアナは目を伏せて答えた。
それは世辞ではなかった。自分がセイムなら喜んでこの美女と結婚している。高嶺の花のような美しさと色気。
(きっと女性らしいのは容姿だけね。中身は激しそう)
このタイプの女は恋に生きる。男を恋に落として踏み台にしていくか、恋と共に破滅するか、だ。
妖艶な美女は実力者の庇護がなくては悲惨な末路が待つばかり。だからこそ、容姿を武器にのし上がる。
(その際に踏み台にした人のことなんて次の日には忘れ去ってるタイプね)
たしかに格好とかは気にしないかもしれないし、礼儀にもうるさくないかもしれないが・・・・・・決してほのぼのとした気さくで明るく陽だまりのようなお嬢様ではない(誰もそんなことは言っていない)。
これは、相手が油断しているとパクリとカエルを飲み込むヘビのように、可愛らしく「あ、飲み込んじゃったぁ。ご・め・ん・ね?」とか言い放つようなお嬢様だ。
食われる・・・、そう、油断していると食われちゃうよっ、セイム!?
既に脳内で勝手にセイムをスザンナに食わせているユリアナだった。
「うふっ。かーわいい。ユリーって言ったわね、アナタ、いい男になるわぁ」
「恐れ入ります」
少しはすっぱな口調だが、それは演技だろう。その証拠にこちらの反応を見ようとしていた。女性の中には、わざと相手を試す人間は少なくない。
(頬を赤らめてみせるべきだったかな。だけどそんな演技ムリ。・・・問題は、純真な少年をからかうことで意識させようとしたことかも)
女とは相手を試し続ける生き物だ。ちょっといつもよりも自分を変えてみる、それで相手がどう出てくるか、・・・優しく受け入れるのか、何とも思わないのか、気を悪くするのか、それとも積極的に出てくるのか、それを見ながら自分の行動を決めていくのだ。
それでいながら、自分が思う反応じゃないと怒り出す生き物でもある。
「だけどね、気休めでもいいの。占ってほしいのよ」
「承知いたしました。では、どんなお方との恋を?」
「そうね。この国で英雄の一人とも名高い軍師様とのことを」
ピクッとセイムが反応したことに、ユリアナも気づいた。
やばいですよ、セイム。あなた、もう標的になってますよ。
そう言って肩をぽんっと叩いて慰めてあげたいけれど、今の自分は何もできない。
だからあなたを見捨てる私を許して。
心の中では謝りながら、ユリアナはスザンナに微笑み返した。
「その恋が叶うかどうか、でございますね」
「いいえ。恋が始まることなく、その英雄との縁が完全に切れる方法を占ってほしいの」
そう言って微笑んだものの、扇でその口元を隠したスザンナ姫は目が全く笑っていない。
まじない師とは占いも行うが、・・・時に、危ない薬や手段を使って依頼主の願いを叶える者もいた。
(えーっと、もしかしてさっきの私が赤くなってドギマギしてたら、いいように駒にさせられるってとこだった? というより、縁が切れるかどうかって、つまり残りの二人がいいってこと? それとも違う理由? ・・・分からないわ)
怪しげな世界に生きるまじない師。それは時に恋占いに一喜一憂する乙女の味方であり、時に邪魔者を消そうとする依頼主に応える暗闇の徒であり、時に死に向かう人の命を救う薬師であり、時に様々な場所を渡り歩いて情報を売り買いさせるスパイであり、時に公にできぬ裏の仕事に手を染める人間でもあったのだ。
(えーっと、コレってちょっとヤバイとこ?)
スザンナが願うのは、花びらをむしって祈る恋占い・・・・・・だと信じたいユリアナだった。