30 裏 謎の城と食われた男
その城には、闇のように黒い髪、夜を映した黒い瞳、抜けるような白い肌、リンゴのような赤い唇の、美しい娘が住むという。
「また来たの? 懲りない人ね」
「言った筈だ、また来ると」
鉄格子の向こうで、娘が呆れを隠さずに声を掛けてくる。
今度は完璧に侵入してみせるつもりだったのだが、最後のトラップを見逃してしまった。あそこさえきちんとできれば、こんなことにはならなかった筈だ、多分。
「それは結構なんだけど、またもや罠にかかってるんじゃあね。いい男が台無しよ?」
「それなら普通に迎え入れるくらいはしてくれっ」
キャンキャンと吠える子犬を見るかのように娘は顔をしかめる。きっと間抜けな狐のように思っているのだろう。「あなた、自分では賢いつもりかもしれないけど、・・・結構バカよ?」という目だ、あれは。
とはいえ、さすがに男をそのままにしておくつもりはなかったのだろう。
娘は鍵を取り出した。
ガチャガチャと音を立てて鉄格子にそれを挿しこんでいると、やがてカチャーンと鉄格子が開いた。
「まあ、出ていらっしゃい。いつまでも泥まみれでいても仕方ないでしょ。着替えと入浴くらいは用意してあるから。それが終わったら食事も出してあげるわよ」
自分が鉄格子の中に落とされてからしばらく時間がたっていたが、もしかしたらその用意をしてくれていたのかもしれない。
それならさっさと出してくれればいいのに。
だがきっと、それもこの女のささやかなお仕置きなのだろう。
― ◇ – ★ – ◇ ―
泥まみれだった体を洗い流し、さっぱりとして出てくると、そこにはパンとスープと焼いた肉が用意されていた。
女は一人でティーカップを傾けている。
「茶を飲むなら、出てくるまで待ってくれていてもいいのに」
「勝手に忍び込んで勝手に罠にかかったバカな男を? 何年、無駄な努力をすれば気が済むのかしら」
相変わらず辛辣なことだ。
「そんなになるか? 言われてみれば、ああ、もう八年、・・・いや、九年だったか?」
「知らないわよ。本当に暇人よね、あなた」
本気で怒っているわけじゃないのは、長い付き合いで分かっている。気にせず男は食事を始めた。スープも様々な具が入っていて、なかなか美味い。
「大体、普通に門を開けてくれればいいだけじゃないか。こちらとて好きであんな古井戸から入り込んだわけじゃない。普通に入れてくれるなら、門を通ったさ」
「古井戸から入る為のロープまで持参して言うセリフじゃないわね」
「あ、このパン、もう一つもらっても?」
「どうぞ」
女が、その黒い髪に手をやって指でポリポリとするのを、男は口角を上げて見守った。きっと、「アホなネズミにも困ったものだこと」とでも思っているのだろう。
「本当に拒絶していたなら、辿り着けやしないさ。ただ、僕を選んでほしい。だから何度も通ってるだけだ」
「それは分かってるわ。ただね、あなた自身がどうこうじゃないの。こちらもいきなり切り捨てられるのはごめんなのよね」
「そんなことしない」
「あなたはそうかもしれないわね。だけどそれがどこまで続くの? 私達は私達の自治を脅かされたくはないの」
「しかし、そういうことを言っていたら孤立するばかりだろう、そちらも。契約書や誓約書なら書くが?」
「今回は必死ね。どうしたの?」
「子供が産まれた。いずれ全てを受け継ぐ子だ。その子には平和で安定した日々を与えてやりたいと思っている」
誰もが奪い合う世の中で勝者を目指すのであれば、そこには血みどろの世界が広がるだけだ。自分は誰もが協力し合える為に力をつけたいと、男はそう続けた。
「互いに独立し、協力はするけど決して命じることはしない。それが約束できる?」
「勿論だ。・・・自惚れていると思われるかもしれないが、お互いに私達はそういう誠実さを持っていると思っている」
もしかしたら信用はされているのかもしれない。そう思ったから何度も通い続けた。
罠に何度もかかったが、それでも自分を害するようなことは女もしてこなかった。人知れず殺すこともできたのに。
そこに自分達の誠意があったのだと思っている。
「そうね。じゃあ、あなたで手を打ちましょう。だから、その血にかけた誓約を私達に寄越しなさい」
そう言って女は微笑んだ。
「は? 血?」
意味が分からなかったのは男だけ。
その日、男は女の餌となった。




