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短い日数で仕立てることになったとはいえ、仮縫いを繰り返して作られたドレスはとても着心地の良い出来上がりとなっていた。
「私にまでこんな立派なドレスを作ってくださらなくても良かったのですけど」
カンロ領で留守番しているリネスを思いながら、カレンが呟く。
リネスが見立てたカレンのドレスは、エイリ達に勝るとも劣らない素晴らしいものだった。エイリとロレアが即座に反応する。
「何を言ってるの、カレン。急な舞踏会でさえなければ本来はもっとあなたに似合う生地やデザインにこだわりたかったところよ」
「そうですわ、カレン姉様。だけど思った通りお似合いね。これからはもっとこういうのにも参加してくださればいいのに」
「それは勘弁してちょうだい。こういうのは貴族のお姫様が参加するもので、今回の私はあくまで二人の付き添い役よ。私には私の生きる世界があるのだから」
舞踏会だからと、用意されたドレスはボールガウンだった。
ボールガウンとは、両肩から鎖骨まで肌を剥き出しにし、胸から腰まではぴっちり体のラインに沿った布地で覆いながら、ウェストで切り替えてスカート部分を思いっきり膨らませたドレスである。
スカート部分は薄いシフォンを何重にも重ねて膨らませても良いし、シフォンやレースを何重にも重ねた上からシルクタフタのような光沢のある布地を使ってかぶせたりしても良い。そのドレスを纏った女性が少し体をひねって回転するだけで、スカート部分が風を孕んで翻るのが特徴だ。
ボールとは舞踏会、ガウンとはドレスそのものを意味する。
ふんだんに使われた布やレースの量もさることながら、いかに女性の魅力を引き出すかを考えるなら、このドレスの右に出るものはないだろう。踊る女性を一番美しく引き立てる、それがボールガウンだ。
「無難なのは白色だから、最初はお母様もそのつもりだったらしいけどね。かえって殿方に群がられたら大変ってことでやめたらしいの。だけどカレンもロレアも本当に綺麗よ。そうして並んでいるだけで目に楽しいもの」
いつもは口うるさいエイリとて感嘆せずにはいられない。
通常のドレスと違い、スカートの部分がボリュームたっぷりな為、三人掛けのソファに一人で座ることになる。出発するまでの間、三人掛けのソファが四つ置かれた応接室で三人は座って待っているのだが、そこはまさに華やかな様相を呈していた。
「エイリ姉上とロレアならお人形さんみたいですけど、私はちょっと場違いじゃないかしら」
エイリは光沢のある緑のドレスでエメラルドの首飾りをつけている。ロレアもやはり光沢のある黄色みがかった橙のドレスだが、こちらは花飾りをあしらっていた。
金の髪に緑の瞳と、色彩も顔だちもよく似た姉妹だが、どちらかというと可愛らしく見えるエイリが大人びた格好で、大人っぽい雰囲気のロレアが生花をあしらって可愛らしくまとめているものだから、どちらが姉か妹かと、知らぬ人間なら迷うだろう。
黒髪に黒い瞳のカレンは、水色に近い青のドレスだったのだが、近寄ってよく見るとその青い生地全体にほんの少し色を変えて水玉のような濃い青が浮かび上がっているのが分かる。首飾りも花飾りもつけていなかったが、金の髪飾りが結い上げた黒髪を引き立てていた。
「三人とも美しく出来上がったな。さぞ今夜の私は羨望の目で見られることだろう」
そこにカンロ伯爵が入ってくる。満足そうに三人の娘を確認し、彼はエイリに腕を差し出した。
「では行こうか。・・・くれぐれも皆、変な男にだけは気をつけてくれよ?」
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
舞踏会では、まずは国王と王妃のカドリールから始まる。
隣国パストリアから嫁いできた王妃はダンスも上手で、今夜は桃色の布地に真珠をあしらったドレスに身を包んでいた。
王妃は国王よりも十才ほど年下なので、国王にしてみれば王妃には無理に背伸びせずともと思うらしい。人妻ながらも王妃は、国王の勧めで優しい色合いのものを着ることが多かった。
政略結婚ながら二人は仲が良く、今日も国王の視線は王妃から離れない。
「おや?」
「あら?」
「まぁ」
「ほほ」
国王と王妃に続いて貴族達のダンスが始まる為、会場の両側に整然と並んで待っていた貴族達から、怪訝そうな声が小さくあがった。
「おやまぁ。雨降って地固まるって奴ですかね」
「いいじゃないか。そう言うな」
会場を見下ろす場所で警護に当たっていたテイトが周囲には聞こえないように呟くと、セイランドも苦笑した。
「可愛さの勝利ですか。結局はそれですか」
「年が離れてる分、お可愛らしく思われるんだろう」
カドリールは、パートナー同士、最初は距離を置いた位置で互いにポーズをとる。そして音楽と共に、お互いに触れ合わない程度に掌を重ね合わせたり、位置を交換したり、会釈したりと、何度も触れ合いそうになりながらもすれ違い続け、視線を外さず互いを見つめ合って踊るダンスだ。
だが今夜の国王は、お互いに触れそうで触れない筈の王妃の手を握り、オープンスタイルで踊り始めた。
と言っても、軽妙なテンポのカドリールである。
踊りとしては手が繋がっているラ・ボルタになるのだろうか。カドリールなのに手を重ねる、そこに王からの妃に対する愛情が示されていた。
驚いた様子の王妃だったが、ダンスは得意である。カドリールのダンスはそのままに、常にお互いの指を絡ませて踊り始めた。
自分を見上げてくる王妃の瞳に涙が滲んだのを知ったのは、国王だけだっただろう。
― ◇ – ★ – ◇ ―
国王夫妻のダンスが終わると、貴族達のカドリールが始まる。後にはフォークダンスへと形を変えていくダンスながら、正装し美しく着飾った貴族達が一斉に踊る様子は圧巻と言っていいだろう。
「さすがのお姉様も緊張しているみたいね」
「たまにはいいことよ。書類ばかり見ず、年相応に肩の力を抜いてこういう場を楽しんでもいいんじゃないかしら」
「カレン姉様がそれを言うの」
ロレアと軽口をたたきながら、カレンは踊るエイリから目を離さぬように気をつけていた。
カドリールは整然と踊るオープンスタイルダンスだから良いのだが、やがて時間がたって場もほぐれてくるとワルツが始まる。
お互いの体を近づけて踊るクローズドスタイルのワルツは、目当ての女性に一気に近づきたい男性にとってぴったりのダンスである。
壁際の花など不名誉なことなのだろうが、カレンは気にしない。なるべく会場を見渡せる位置の壁際を探し出し、陣取っていた。
(いくらカンロ領ではきびきび動いていらしても、こんな場所ではぱくりと食べられかねないわ)
エイリは頭でっかちなのだ。人間経験が追いついていない。
頭で考えた通りに人生が進むのなら誰も苦労しない。
慣れぬ舞踏会の空気にあてられて、ろくでもない男にひっかからなければいいのだが。
日頃はエイリをおちょくって楽しんでいるカレンだが、カレンはカレンなりにエイリを案じていた。
ロレアもまた、カレンの守るべき妹だ。
(特別手当てでもつけてもらわないとやってられないわ。ホント、手のかかる姉妹だこと)
舞踏会で暗がりや客用寝室に連れ込まれてしまう令嬢は多い。非力な女性はこういった場所で油断すべきではないのだ、どれほどに華やかな場所であっても。
しっかり腹ごしらえまで済ませてきたカレンは、美しい姉妹の魅力を思って空ならぬ天井を見上げた。長い夜になりそうだ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
軍人の正装は軍服である。だから貴族との違いは一目瞭然だ。
警備を兼ねて舞踏会の会場に散らばってはいるものの、時には正装した貴族よりも、鍛えられた体を包むその服装は格好良く見えてしまう。
こういう舞踏会では貴族令嬢も本命の貴族の嫡男と踊ることを考えるが、時に軍部に身を寄せている貴族の子弟もいる。
また、爵位こそなくても騎士位を持つ者も軍にはいるのだ。高望みをせず手を打とうと考える令嬢にとって、軍部に所属する男性もまた結婚を考える相手であった。
やがて隣の軽食会場へと人が行き来するようになり、ワルツへと音楽が変わり始めると、ちらほらと軍服を着た男性と令嬢とのダンスも見られるようになっていた。
「どれだけ集めたんだって規模ですね。あ、フィゼッチ将軍の所のセイランド殿が上にいますよ。そりゃ上から見下ろしている方が気楽でいいですよね。俺らもあっちに行きませんか?」
「黙れ、うるさい」
カロンの愚痴を二言で黙らせると、ケリスエ将軍は上階に目をやった。
セイランドだけでなく、ロメスなども上階にいるようだ。全体的に見ることができるという意味ではその方がいい。しかも会場と違って人目を気にしなくていい分、のんびりとしていられる。
だが、何かあった場合、駆けつける時間を要するのも事実だ。
もとより、カロンには最初から上階に行っておくように言ってあったのに、どうして行かないのか。
ケリスエ将軍が国王の様子を確認すると、やはり違う方向から歓談しつつも国王を見ているエイド将軍と目があった。フィゼッチ将軍もまた貴族と話しながら周囲に注意をはらっている。
(考えてみれば、どうして将軍位を会場で働かせておいて、あの副官達はしれっと手を抜いているのだろう)
まだカロンはマシなのかもしれないと、言うことをきかない部下についてケリスエ将軍は自分を納得させることにした。
「ケリスエ様、見つけましたわ」
そこへケリスエ将軍を探していたらしいルーナが現れた。
「ルーナ姫。・・・これはお美しい。フィツエリのベールに包まれた姿もお似合いでしたが、そうしていらっしゃるとまさに青い薔薇のようですね。楽しんでいらっしゃいますか? 兄君はどちらへ? お一人ではいささかよろしくないでしょう。兄君とはぐれたのでしたら、一緒にお探しいたしますよ」
紫がかった青色のボールガウン姿。そのドレスはルーナにとても似合っていた。ケリスエ将軍は続けて、
「青い月光をまとった妖精もかくやといった風情ですが、どなたのお見立てでしょうか」とも褒めたのだから、ルーナも頬を紅潮させて更に近寄ってくる。
その上でケリスエ将軍は、こういった舞踏会慣れしていないルーナが一人でいることに眉をひそめた。
「兄なら他の方とお話ししていらっしゃいますわ。一緒にいたのですけど、ケリスエ様をお見かけして、ケリスエ様なら安心だと、兄もそう言ってくれたので参りましたの」
それを聞いてカロンが嫌そうな顔になる。
さっさとお引き取り願おうと思っていたら、安全牌としてロカーンは妹をケリスエ将軍の所に寄越したらしい。そりゃ間違いは起こらないと見るだろう、普通。そう、普通。
「なるほど。それでしたら兄君のお話が終わるまで、ここで楽しんでゆかれると良いでしょう。カロンもワルツは踊れますし、相手をさせましょうか。・・・カロン」
「は」
上司の命令である。こういった場合、まさかイヤだとは言えない。他の場所ならともかく、舞踏会で女性に恥をかかせてはいけない。
カロンは顔をこわばらせた。
「え。嫌ですわ、そんなのとなんて。・・・ね、ケリスエ様。私、ケリスエ様と一緒に踊りたいです」
ルーナはルーナだった。どこまでもブレない。ケリスエ将軍が困った顔になる。
「他ならともかく、こういった会場では・・・。いかに軍服を着ているとはいえ、私が相手では姫がいらぬ注目を浴びてしまうでしょう」
「構いませんわ。私、あなたと踊りたいのです。・・・ケリスエ様、駄目ですか?」
「まさか。光栄です、姫君。では、テラスに出ましょうか。ちゃんと音楽は聞こえてきますし、テラスで踊る人達には干渉しないのが暗黙のルールですから」
そう言ってケリスエ将軍はルーナに腕を差し出してテラスへと導いた。
「ルーナ姫。どうぞ私と一曲踊っていただけませんか?」
「ええ、喜んで」
小さなランプがあるだけのテラスで、二人は踊り始めた。
テラスに続く扉の所に立ち、カロンは会場へと目を向ける。カロンがそこに立つ以上、誰もそのテラスへは近寄らないだろう。
「えっと、このステップでいいのかしら、ケリスエ様?」
「ええ、お上手です。はい、ツーステップ、ええ、そこでターン。はい、では一緒に、タン、ツー・・・」
ワルツは教わったけれどもヘタなのだと恥ずかしそうに言うルーナに、ケリスエ将軍が優しく教えている声が聞こえてきた。
かなりムカついたが、では自分がルーナの相手をするかと言われたら「絶対お断り」なカロンである。ここは耐えるしかない。
大体、ケリスエ将軍もケリスエ将軍である。自分はあんなにも丁寧に教えてもらったことなどない。
(俺にだってしてくれなかったのに。大体、男だから食わないだろうって何なんだよ)
もしかして、ケリスエ将軍はやっぱり自分よりもルーナの方が好みなのだろうかと、カロンは静かに落ち込んだ。
あれから結局何も変わらないままだ。
少し瞳が潤む。
「おい、カロン。何を呆けている」
気づくと、後ろからケリスエ将軍が話しかけていた。
「あ、すみません。ちょっと・・・。何かありましたか?」
「だから、手伝えと言っている。ほら、ホールド」
テラスにカロンを引っ張り込むと、カロンを相手にしてケリスエ将軍がルーナに説明を始める。
「ここで、男がこう足を引きますね。ほら、カロン」
「あ、はい」
「で、ここで音楽にあわせて足をこう・・・」
ケリスエ将軍はズボンなので、足さばきは見やすい。ルーナにステップを説明する為の相手役だったらしい。
「ああ、ここでこうなるのですね。私、そこがよく分かりませんでしたの」
「ええ。もう一度やってみますね。ほら、カロン。ちゃんと見やすく大振りに動けよ」
「あ、はい」
「はい、ここで一歩、ここでは半歩になります。そしてここでタン、タンときて・・・」
あくまでルーナに対する見本だったが、ケリスエ将軍と踊ることになり、それはそれでカロンも文句はない。ドレスなど着ていなくても、ケリスエ将軍が自分に身を預けてくれている。それだけで幸せだった。
「じゃあ、やってみましょう。ではルーナ姫。お手を」
「はい、ケリスエ様」
ただ、すぐに終わらされてそのまま二人が踊るのを見る羽目になったのには大いに文句のあるところだった。




