29 裏 ファルのおとぎ話
カンロ伯爵家の長男フォルの世界はとても限られている。まだ小さいからお城の外には出ちゃいけないと言われているからだ。
お城と、天気が良い日のお庭。それがフォルを取り巻く全てだ。
「カレンねえさまは、おしろのそとからきたのでしょう? おしろのそとはどんなのですか?」
世界で一番大好きなのは母親のリネスで、次に大好きなのは姉のエイリとロレアだ。父親のカンロ伯爵もそれなりに好きだが、やはり自分に構ってくれる母と姉には敵わない。
そんなフォルだったが、最近はお城にやってきたカレンに夢中だった。
「本当にカレン姉様好き好きなのね、フォル」
と、呆れてロレアがフォルの額をコツンと小突いてきても気にしない。
(だって、カレンねえさま、すごいんだ)
カレン姉様は何でも知っているし、次から次へと面白いことを話してくれる。
父様が決めたことは絶対なのに、どうやらカレン姉様だけは父様も絶対じゃないらしい。この間なんて、父様がカレン姉様に「ちょっと相談したいのだが」と、声を掛けていた。
エイリ姉様ですら、父様には相談なんてされないのに。
カレン姉様は凄い。
「お城の外? そうね、どこの話をしてあげましょうか。人々が行き交う街の様子がいいかしら、青い塩水がどこまでも広がる海と船の話がいいかしら、それとも緑深き森の日々がいいかしら」
どれも自分は分からないので選びようがないけれど、なんだかワクワクしてしまう。
このお城で一番偉い父様ですら気を遣っているカレン姉様は、フォルがスカートの裾を引っ張るとすぐに相手してくれる。「高い高ーい」と、持ち上げてもくれるのだ。
カレン姉様といると、自分が特別になった気持ちになる。
「ぜんぶのおはなしがいいです」
「じゃあ、毎日違うお話をしてあげる」
憧れ満載な気持ちを隠さないフォルを膝から下ろすと、カレンは引き出しから紙とインクを取ってきて机に置いた。
怪訝そうにしているフォルを再び膝の上に座らせると、カレンはさらさらとインクで何かを描いていく。
「これはなんのえですか、カレンねえさま?」
「地図よ。簡単だけどね」
ぐねぐねと変な形のものを描き終えると、カレンはそこに一つの印をポツンと付けた。
「いい、フォル? このポツンとある場所が、フォルがいる場所なの。そしてね、この場所から上の方、北の方へと、ここにある街を通り過ぎて、この辺りにある山脈を越えて、ずーっとずーっと進むとね、大きな草原が広がって、そしてとても寒い寒―い国に辿り着くのよ」
描いた地図の中で指を進ませるカレンは、話の途中で街の所では「この辺りよ」と、大体の大きさを教えてくれ、更に山の形も分かりやすいように指を動かしたりしてくれる。
フォルはびっくりした。
「さむいのですか」
「そう。たとえばここでも冬の寒い日は池に氷が張っちゃうでしょ? だけどね、そこは一年の半分が冬なの。お昼になっても水も凍りついたままなのよ。一年の半分は冬で、もう半分は春なの。夏は来ないのよ」
「さむいのはいやです」
ぶるっとフォルは体を震わせた。
そんな国で暮らしたら、寒くてベッドから出られなくなってしまう。
「そうね。だけどその国に住む人は、そんな寒い国が大好きなの」
「えー」
そんな寒い所が大好きなんて、変な人達だ。だけど城にいる犬も寒くても平気で走り回っているから、その人達には毛皮が生えているのかもしれない。
「だけど寒すぎて、あまり食べ物が育たないのよ。だって夏が来ないんだもの。夏が来ないからスイカも食べられないし、トウモロコシも食べられないの。だからね、そんな寒い国で暮らす人は、海を渡って他の国に行って、自分達が食べるものを盗ってきちゃうのよ」
「うちにもたべものをとりにくるのですか? おかしももっていっちゃいますか?」
どうしよう。うちのお城には食べ物も沢山あるだろうけど、それを分けてあげなくちゃいけないのかな。どれくらい持っていっちゃうんだろう。僕のご飯を半分分けてあげれば大丈夫かな。
フォルは青ざめた。
朝の卵とか持って行かれたらどうしよう。牛乳は持っていかないでほしい。
「そのひとたちは、いつくるんですか?」
「うーん。ここは遠すぎるから来ないわね」
そして、その寒い国が大好きだという人達の話を詳しく聞かせてくれた。
頭にかぶる帽子も、布じゃなくて金属で出来ているのだそうだ。いつも乱暴に剣を振り回しているから、布の帽子じゃ剣が当たったら危ないらしい。だから金属でできている帽子なんだって。
痛くないのかな。なんだかよく分からないけど、とても強くて怖い人達みたいだ。
「つ、つぎ。つぎ、はなしてください、カレンねえさま」
「・・・あなた、震えてるわよ、フォル」
怖いけど、次を聞かないと気になるのだ。
彼らは小さいけれども荒波をくぐってどこまでもゆける船に乗り、他の船を襲うらしい。濃い霧の中、ふと油断してくると彼らは近づいてくる。そしていきなり平和に暮らしていた船の人達を襲うのだ。
「ふっ、ふぇっ・・・」
「あらあら。大丈夫よ、フォル。ここのお城には来ないから」
彼らが使う剣は幅が広くガッシリしているのよと、カレン姉様は指でその形を空に描いた。
「そしてね、彼らは自分達が殺した獣達の力を吸収してしまうの。倒した獣の力を自分のものにしちゃうからね、彼らは戦う度にどんどん強くなっていくの」
狼とかも追い払うのではなく、そのまま狩って仕留めてしまうらしい。その狼や熊の皮を剥いで、彼らは頭からかぶるのだとか。
「猪の牙も引っこ抜いてね、それをこうやって加工しちゃうの」
「ひっこぬいちゃうのっ!?」
怖い。けど、次を聞いておかないともっと怖い。
― ◇ – ★ – ◇ ―
カレンの話をぶるぶる震えながら、怖いもの聞きたさで聞いていたフォルだ。そこへノックの音が響き、カチャリと扉が開いた。
「カレン様。お茶をお持ちしました」
「ありがとう。さあ、フォル。ちょっと休憩にしてお茶にしましょう」
「はい」
温かいお茶を飲んでお菓子を食べたらフォルは眠くなった。
「さあ、少しお昼寝をしましょうね。今度はお花の妖精のお話をしてあげる」
「おはなのようせい?」
「ええ、そうよ。怖い北の人達も、花の妖精には勝てないの。だって花の妖精は春を連れてくるんだもの」
ベッドにフォルを寝かせて、カレンがスミレの妖精の話をし始める。その優しい声に、フォルはすぐに寝入ってしまった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
フォルが寝てしまい、それに気づいたカレンが妖精の話をやめると、そこへカンロ伯爵がノックもせずに入ってきた。
「私にも教えてくれない話を、そんな子供にしてあげるとは」
「あら。だってフォルの涙目が可愛かったんですもの。熊が怖くてプルプルしがみついてきた時なんて最高に可愛らしかったですわ」
クスクスとカレンは笑った。
「こちらとしてもそういう話はかなり気になるものなんだがね?」
「ほほ。情報でしたら常にお買い上げをお待ちしております」
「やれやれ。・・・・・・この絵はもらっても?」
幼い子供に話しながらいたずら書きをしていたかのようなカレンだが、その地図には色々な物が書き加えられている。外国の隠し港や、海に出る季節、そして人口比までも。
フォルはそれをただのお絵描きだと信じていた。
「フォルがいいと言いましたら。だってこの子に描いてあげたものですもの。フォルが起きたら交渉してくださいな」
カンロ伯爵は鼻白んだ。恨みがましい瞳でカレンを見下ろしてくる。
「時々、私はこの城で一番ないがしろにされているような気がしてならないよ」
カンロ伯爵は家族を愛しているのに、どうも家族はカンロ伯爵を一番に愛してくれてはいないのではないかと、それが伯爵の人には言えない悩みである。




