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狂騒曲が終わる日に  作者: 藤木
55/64

28


 カンロ伯爵家の城にあるカレンの部屋には、着る人のいないドレスが溢れている。なかなかカレンが訪れないからだ。

 避けているのではなく、それは彼女が忙しい立場にあるからだが、乙女の輝く時間は有限だ。

 この数日で、やっとそれらはタンスの肥やしから抜け出し、本来の役割を果たそうとしていた。


「あの、伯母上。できれば私、自分の持ってきた服の方が動きやすいのですけれど」

「ほほほ。お気持ちは分かりますけど、ロームではずっとドレスをお召しになるわけでしょう? 着慣れていないと恥をかくような失敗をなさってしまいますわ。どうぞ諦めて、この伯母にお付き合いくださいな」


 リネスにしてみれば、カレンは自分の娘達とは全く違う容姿をしているので、今まで自分や娘達では似合わなかった色のドレスを冒険させてしまえるのである。

これは腕が鳴るというものではないだろうか。滞在時用に作らせてあったドレスを片っ端から着せて、改めてどの色やデザインが似合うだろうかと、あれこれ試していた。

 それにエイリやロレアも参加するものだから、既にカレンは等身大着せ替え人形である。

 カンロ伯爵家の人間は、誰もがまっすぐな金髪である。だから淡い色合いのドレスが似合う。

 しかしカレンは黒い巻き毛をしているのだ。そうなると淡い色合いのものよりも濃い色のドレスの方が引き立つ。

 ためしに同じドレスをカレンとロレアに着せてみると、本当に違いがくっきりと分かった。


「カレンねえさま。このバラをどうぞ」

「まあ、ありがとう、フォル。綺麗ね。フォルが摘んできてくれたの?」

「はい」

「とても嬉しいわ。お部屋に早速飾らせてもらうわね」


 フォルが差し出した赤いバラをカレンが受け取ると、フォルがもじもじとする。


「だから、ボクがおおきくなったらいっしょにダンスをおどってください」

「ええ、喜んで。・・・良ければ今すぐにでも、私にあなたと踊る栄誉をいただけますこと?」

「はいっ」


 所詮は大人と子供なので、踊ると言っても適当だ。しかし手を繋いで仲良くたーらるーらと鼻歌を歌いながらステップを踏んでいる姿は微笑ましい。


「らった、らった、はい、くるりーん」

「きゃーっ」

「さーらーにっ、だぁいかいてーんっ」


しかも途中でカレンがフォルを抱き上げて、クルクルとフォルの胴を支えて回転していたりするのだから、どちらが姫君役なのやら。

フォルは楽しそうにキャーキャー笑っていた。


「フォルがあんなにカレン様に懐くだなんて。もっと早くにお誘いしておけばよかったわ」


カンロ伯爵夫人リネスが息子の喜びように瞳を潤ませ、頬に両手を当てて吐息を漏らした。

そんなことよりもカレンは男性のパートを完璧にマスターしているように思えて仕方がないエイリとロレアである。

鼻歌なのだが、カレンの足さばきはちゃんと男性のワルツステップを踏んでいた。


「それよりカレン姉様、舞踏会で令嬢と踊ったりしたらどうなるのかしら」


リネス、エイリ、ロレアは、カレンが舞踏会で女性を誘ってワルツを踊るのではないかと、あり得ない想像をしてしまう。普通はあり得ない。

だが、この無邪気なカレンならドレス姿でドレスの貴婦人と平然と踊りそうだ。だって素敵じゃありません? とか言いながら。


「うーむ。まさかフォルの初恋がカレン姉様とは。私にすらバラなんて持ってきたことないくせに。やるわね、フォル」

「それはいいのだけど、カレン様、ちゃんと女性のパートを踊れるのかしら」

「あとでロレアと一緒にダンスの復習をしておきましょう。まさかカンロ家の令嬢が殿方に誘われてもダンスを踊れないだなんてことがあってはなりませんから」


 エイリは、女性のパートをカレンに叩き込んでおこうと、ひそかに決意していた。そう、カンロ家の名誉と良識は、エイリの肩にかかっている。

 この数日で、エイリは、カレンだけならため息で済み、ロレアだけなら頭痛で済むのが、カレンとロレアをセットにしたら自分がてんやわんやさせられる事態になるのだと学んでいた。

 カレンは自分一人であれば特に何もしないが、ロレアの口先だけ計画を持ち掛けられるとそれを実行力の伴った何かに進化させてしまうのである。


(ロイスナーのことじゃないからって遠慮してても、カンロ伯爵家のロレアが持ち掛けたなら従姉として協力するってことなんだわ。勘弁してちょうだい)


 そうなればエイリが体を張って、あの二人をまともな道に進ませるしかないではないか。そう、羊を追いたてる牧羊犬のように。

 迷える黒い羊を見つけて家に戻そうとする私を、神はきっと祝福してくださるに違いない。

 そうでも思わないとやっていられない。


「まあ、エイリ姉上。そんな寂しそうなお顔をなさらないで。仲間外れになんてしませんわ。次は姉上と踊る栄誉を私にいただけます? きっとフォルにとっても良い見本になるでしょうね」


 はしゃいで疲れたフォルをソファに座らせて、カレンが手を差し出してくる。誰も寂しがってなどいないのだが、反論するのも大人げなかった。

しかもそう言われると、エイリもフォルにきちんとしたダンスを見せておいた方がいいのかもしれないと思い、手をとってしまう。


「そうね。・・・フォル。よく見ておきなさいね。これが正しい舞踏会のダンスなのよ」

「はい。エイリねえさま」


 リードしてくるカレンのワルツは、とても踊りやすかった。父よりも上手かもしれない。いや、同性だからこそ歩幅が合うのだろう。


「おとなのダンスは、おんなのひとどうしでおどるのですね」

「・・・・・・!」


 エイリが自分の間違いに気づいたのは、フォルの言葉を聞いた時だった。

 


― ◇ – ★ – ◇ ―



 この所、カンロ城の空気がとても明るくなっている。

 カンロ伯爵は、遠くから執務室にまで聞こえてきた笑い声に、ふっと口角を上げた。

 一緒に作業していた男達も顔を上げる。


「カレン様がいらして、お城が明るくなりましたね」

「エイリ様もああしていらっしゃると年頃の娘さんらしくお可愛らしい。普段は黙って伯爵の傍に控えていらっしゃるので、ついつい大人として扱ってしまっておりましたが、年齢相応にしていらっしゃるのを見ると、やはりまだ大人になるには早いお年頃なのだと反省させられます」


 カレンが来ている間、エイリには仕事に来なくていいと、伯爵は伝えていた。

エイリとカレンとロレア、その三人が一緒にいられる時間をなるべく多く作ってやっておきたい。

カンロ伯爵はそう考え、リネスにもなるべく皆で集まるように仕向けてほしいと頼んでいた。

リネスも貴族出身、自分の子供達にとってカレンとの繋がりが大切なことなど説明されるまでもない。

それなりにカンロ家の面々に対して気を遣っているらしいカレンの精神力はかなり削られているようだが、そこに目をつぶれば、誰もが目を奪われる美しい娘達の絵になる姿がそこにあった。


「ですが舞踏会とは、一体王も何をお考えなのか」

「そうですな。無理やりにエイリ様との婚姻を決められたりしたら目も当てられませぬ」


カンロ伯爵の懸念もそこにあった。ロレアを連れて行くのもそこにある。

また、タイプは違うがカレンも美しい娘だ。しかも自分の姪という触れ込みである。

カンロ家に美しい娘がエイリ一人であれば、いきなり上から結婚を命じられてしまうこともあるだろう。そうなると断るのに苦労する。だが、美しい姉妹となればどうか。人は迷うだろう。

ましてや三人もいたならばどうか。姪となれば娘より劣るが、エイリとロレアに挟まれたカレンの存在感は別格だ。

人間とは目移りする生き物である。

三人の美しい姫を擁するカンロ伯爵家。一人であればすぐ決められても、三人もいれば様々な条件を考えあぐね、すぐに決められないのが男というもの。

見た目の美しさだけしか見ない男など、せいぜい無駄に悩めばいい。

・・・・・・時間稼ぎには十分だ。


「エイリを外に出す気はない。それはカレンもロレアも分かっている」

「なるほど。つまりカレン様とロレア様は、エイリ様をかすませるお役目ですか」

「はてさて、どうかな。まだ三人とも経験が足りない。何事も見切り発車というのは失敗するものだ。初陣(ういじん)とは気負いすぎて常に負けてしまうもの。ゆえにそこから人は学び取るのだ」

「やれやれ。ですが、どうでしょうな。たしかに初陣とは力が入りすぎて実力を出し切れずに失敗するもの。しかし、周りが見えていない若い娘達ならではの勢いは、時に大人の思惑を全て吹き飛ばしていくものでございますぞ」

「おや。うちの娘達になかなかの過大評価をしてくれるものだな。まあ、土産話を楽しみにしているがいい」

「そうさせていただきましょう。私もその場に居合わせることが叶わぬのが残念でございます」

「仕方ない。私もエイリも留守にするのだ。安心して任せられる人間は限られている」

「この爺をまだまだ働かせようとは、さすがは伯爵様。ですがその期待には応えてみせましょう」


 伯爵の回りくどい褒め言葉に、そう言って男は片頬を上げて笑ってみせた。




― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―




 スクリッスに到着したのは、もうすぐで太陽も赤色に染まろうかという、夕焼けには一歩手前の時だった。

 診療所の場所を覚えていたセイムが、馬でジルバルドが暮らす家の敷地に乗り入れると、馬に乗った二人を一人の男が出迎えた。


「無事に到着して何よりだ。二人とも疲れただろう。体の埃を洗い流す湯なら用意してある。まずは家に入りなさい」

「ご配慮、痛み入ります」

 

 セイムが馬小屋に馬を繋いで馬具を外すと、楽になった馬は嬉しそうに用意されていた飼い葉桶に顔を突っ込んだ。(わら)も用意されている。先に小屋に入っていた馬は、恐らくテイト達のものだろう。


(テイトが用意したのか? リアン、いやロストはまだそこまでの体力もないだろうに)


 セイムは首をひねった。前回来た時にはガラクタも散乱していた馬小屋が、ぼろさは変わらないが使いやすくなっていた。

何があったのだろう。

 そんなセイムとは別に馬から降りたユリアナは、じっとその男を見上げたまま動かなかった。


「よく来たね、ユリアナ。その髪は染めているのかい? だけど元の色の方がいい。せっかく母親似の髪じゃないか」

「・・・お師匠、様?」

「うん?」

「お師匠様、ですか?」

「おやおや。もう僕の顔を忘れたのか。薄情な子だな」

「だって・・・、(ひげ)が落ちてるっ」


 駆け寄って、がしっとジルバルドのシャツを掴み、ユリアナは叫んだ。


「髪と髭をどこに落っことしてきちゃったんですかぁーっ?」


 単に散髪して髭を剃っただけだろうと思ったセイムだが、ユリアナの気持ちには同感だった。

変わりすぎじゃないのか、この男。



― ◇ – ★ – ◇ ―



 小川なり井戸なりで水浴びできれば上等だと思っていたセイムだが、なんとジルバルドの家には、体を湯で洗い流せる部屋があった。その部屋には水を入れておく大きな瓶が二つあり、一つはお湯を沸かせるようになっている。そのお湯の入ったものと水の入ったものとから、桶で湯の温度を調節して自分の体に流せばいいのだとか。


「水で洗うよりもぬるま湯で洗った方が、服の汚れ落ちもいいのでね、こんなのを作ってみたのですよ。石鹸を買うお金を治療費に回しているものですから、石鹼を溶かしこんだ泥で擦ることになりますが、汚れ落ちはいい筈です。かなり細かい泥なので肌を傷めることもないのです。まあ、傷口につけるのは駄目ですけどね」


 どうやらジルバルドが考えて作った浴室らしい。横に置かれていた泥のようなものを使って体を擦り上げ、髪も洗うと、染めてあった髪が綺麗に元の色へと戻っていった。

 流した湯は外に流れ出るようになっているそうだ。


「これなら一人でも簡単にお湯が作れちゃいますね」

「そうだろう? なるべく家事は少なくしておきたいからね」


 セイムの次にその部屋で体を洗ったユリアナも、元の髪色になって出てくる。

 さっぱりとした二人に、ジルバルドは素朴だが沢山の夕食を用意してくれていた。

 セイムにはジルバルドの服を着替えに貸してくれていたが、なぜかユリアナの服はきちんと女物が用意されていた。


「どうして私の服まであるんですか?」

「アンナがいたからな。彼女を買いに行かせるより、もうまとめて買ってきてそこから好きな物を着てもらっていたんだ」

「・・・お疲れさまでした、お師匠様」


久しぶりに見たスカート姿のユリアナは、まるでユリアナじゃないように、セイムには思えた。


「二人とも座って。お腹が空いただろう」

「お師匠様。ご飯、・・・これ、誰が作ったんですか?」

「失礼な弟子だな、本当に」


 手間は掛けられていない簡単なものばかりだったが、たしかにジルバルドは料理の手際もいいようだった。日持ちする食べ物が多く使われているのは、仕事が忙しいというのもあるのだろう。

だが、青菜もふんだんに使われているのは珍しかった。この辺りでは、そこまで青い葉野菜を食べない人が多い。


「そうなのですがね、葉野菜を食べておくというのは大事なことなのですよ。まあ、それは私なりに人を診てきた結果、気づいたことなのです。とはいえ、あまりお口に合わないかもしれませんが」

「いえ。体に良いのだと聞くと、有り難く思えてきます」


 食卓では、ルクスとアンナの生活ぶりといった話題が多かった。そこでユリアナが質問する。


「お師匠様は、ルクスさんとアンナさんと一緒に住んでいるのではなかったのですか?」

「・・・ああ。ちょうどこの敷地の裏にもう一つ家があってね。二人にはそっちに移ってもらったんだ」


 前回、セイムが訪れた時、ジルバルドはルクスをこの家に住まわせていた筈だ。

セイムはちらりとジルバルドを見た。ジルバルドもセイムを見返した。

ユリアナの質問に対して遅れた答え。セイムは言葉が無くても通じるものを感じた。


「分かります。一緒になんて暮らせませんよね」

「ああ、本当に」


 あんな無能な女と一緒に暮らせるのはルクスくらいだろう。そんな男二人の思いを知らぬユリアナは、なるほどと頷いた。


「そうですね。あんなに仲良しすぎる二人ですから、家は別の方がいいかもしれないですね」

「・・・そうだな」


 家は石造りで、扉さえ閉めてしまえば別に二人が部屋でいちゃついていてもジルバルドの部屋には全く聞こえてこないのだが、あえてジルバルドはそこを訂正しなかった。



― ◇ – ★ – ◇ ―



食事が終わると、セイムは旅の疲れを理由に与えられた部屋ですぐに休ませてもらうことにした。


「そうだな。ユリアナもゆっくり休みなさい。ルクスの話だとフィツエリ領まで行ったたんだろう? 全くいつまでも少年の恰好が通じるとか思うんじゃない」

「そうなんですけど、女の人の恰好より安全だったし」


二階にある四部屋の内、二つはジルバルドが使っているそうだが、残りの二つは客用寝室となっており、それぞれセイムとユリアナに割り当てられる。

灯りを消して寝台に横たわりながら、セイムは扉を少し開けて廊下の物音を拾えるようにしていた。


――― トントン。


 小さなノックの音。


『お師匠様。相談したいことがあるんです』

『下に行こうか。ちゃんとショールを羽織るんだよ、ユリアナ』

『はい』


やがてユリアナがジルバルドの部屋を訪れ、二人が一緒に一階へと下りていくのが分かった。


「夜は冷える。ちょっと待っていなさい。暖炉に火を入れるから」


 居間でジルバルドがユリアナを椅子に座らせ、寒くないようにと彼女の体を毛布で包んでいる。

きちんと閉めきっていなかったらしい扉の隙間から覗くことのできる部屋の様子に、セイムは助かったと思っていた。

きっちりと扉を閉められていたら、話の内容は聞こえなかっただろう。やはり窓の外で立ち聞きするよりも廊下の方が聞き取りやすい。


「そうしているとお前の母親によく似ている」

「そうなのですか、お師匠様?」

「ああ。本当に時が流れるのは早いものだ。お前が産まれた日、お前の人生に幸あれとお前の父も母も心から祈ったものだったよ」


 パチパチと暖炉の中で()ぜる音がする。


「ユリアナ。お前は今、幸せかい?」

「お師匠様」


 ほろりと、ユリアナの頬を涙が伝った。

両手を伸ばしてくる弟子にジルバルドが近寄ると、ユリアナはその首に両腕を回して抱きつく。おそらくは、かつてはいつもそうであったように。


「まだまだ泣き虫だな、ユリアナ」

「お師匠様お師匠様ぁ・・・っ、うっ・・・ひっく・・・」


 泣きだしたユリアナの背を撫でて、ジルバルドはユリアナの横に座る。胸に縋りついて泣き始めたユリアナの頭と背を、ジルバルドは静かに撫で続けていた。


「大丈夫、大丈夫だ。何も心配することなんてない。・・・大丈夫だからゆっくり話してみなさい。ちゃんと助けてやるから」

「ごめんなさい、ごめんなさい、お師匠様。もう、私、あそこには戻れないかもしれない」


 泣きじゃくるユリアナに、ジルバルドが穏やかに答える。


「お前がどこに暮らそうが幸せであればいいさ。必要ならば違う土地の伝手(つて)を使おう。大丈夫だ、ユリアナ。何があろうとお前を助けるよ」


 父と娘のように、もしくは兄と妹のように、血が繋がっていないとは信じられない情愛が、二人にはあった。



― ◇ – ★ – ◇ ―



 ぽつりぽつりと、ユリアナは話し始めた。


「お師匠様がいなくなって、だけどあの街では私一人しかまじない師がいなかったから、それなりに仕事はあって、・・・あれからずっと占いとかよりも治療とか出産とか体の相談とか、そういった仕事を街でやっていたんです」

「そうか。だが、お前ならできると思っていたよ」


 時には近隣の村にも出向き、そのおかげで各地の村長などとも顔なじみになった。街に行かないといない医師にかかるのも難しい人達にとって、ユリアナはかなり重宝されるまじない師だった。

 ファンルケ医師の弟子であり、優秀なまじない師であるという紹介状などもちょくちょくともらえるようになり、その為、時に違う街に出向いても仕事はそれなりに順調だったのだと、ユリアナは語った。


「特に出産とか、女の人に取り上げてもらいたい人も多くて、お客さんは女性が多かったんです。そうなると貴族でも、男性の医師に体を診られるよりも、平民でも私に診てもらった方がいいという方もいらして、だから自然と貴族の方ともそれなりに人脈は広がっていきました。勿論、お師匠様がそちらも顔つなぎしてくださってたこともありましたけど」

「私が顔つなぎしたのはあくまで男性だ。夫人や令嬢に気に入られたのはお前の努力あってのことだよ、ユリアナ」

「・・・はい。ありがとうございます」


 やがて森の家とは別に街にも部屋を借り、仕事で遅くなって暗くなってしまった時には街で泊まり込むようにもしていた。

そんな日々を普通に送っていたのだとユリアナは続ける。


「だけどある日、とても身なりの良い貴婦人が訪れて、・・・人払いするようにと言われ、その人の話を聞きました。その貴婦人が語った私への依頼内容は、意味が分からないものでした。

もしかしたら女嫌いで有名な騎士様が私の所を訪れるかもしれないということ。

そしてその騎士様が訪れた時は、何があってもその方を国内の令嬢と結婚させること。

更には、その騎士様が訪れた時から常にその報告を行うこと。

それこそどこかの間諜(かんちょう)のようなお話でした。」


 さすがにユリアナも驚愕した。自分はただのまじない師である。

たしかにそういった仕事を請け負うまじない師もいるのだろうが、ユリアナに持ちかけてこられるとは思いもしなかった。


「お断りしました。当たり前です。私にはとてもそんなことできません。そんな難しいことをやれる筈がないんです。ですが、その貴婦人は、自分は貴族の人間であり、それを断ることなど許されないのだと言ってきました」


 それでもできることとできないことがある。

ユリアナは貴婦人に言った。


「私は、

『あなた様が雲の上のお方なのは分かります。ですが、その騎士様とて私にとっては雲の上のお方です。どうしてそんな偉い方を(あざむ)くような真似ができましょうか。私にはどちらも恐れ多いお方なのです』

と、言いました。すると、その貴婦人は言ったのです。

『たしかにお前のような村娘ではどちらの命令もきかざるを得まい。しかし私は王妃様の命を受けてこの場にいる。お前は王妃様のご意向に背く気なのか』と」


 ユリアナは絶句した。自分が王妃様の命令を受けるだなんて、まさに青天の霹靂(へきれき)である。

 来る場所を間違えているとしか思えない。


「私のような者に反論されること自体が許せないことだと考えている様子が見て取れました。ですからその場は、

滅相(めっそう)もないことでございます。本当にそのお方が訪れましたら(おお)せの通りにいたしましょう。ですが、私のような怪しげなまじない師を訪ねていらっしゃるとはとても思えません』

と、申し上げました。それには貴婦人も同意しました。

『たしかにその通りだ。お前以外にも、その男が訪れそうな者には既に話をつけてある。だから、あくまでその男が訪れた時で構わぬ。その時からお前は王妃様の為に働けばよい』と」


 だからユリアナは街の仕事を中断し、森の中にある家にこもったのだ。


「たとえ街で私の噂を聞いて訪ねてきたとしても、街にいなければどうしようもありません。それまでは決まった間隔で街に行くようにしていましたが、それから私は森の家に引きこもり、ほとぼりがさめるのを待ったのです。しかし、ある雨の日、森の家をその方が訪ねてまいりました」


 ユリアナは下を向く。そこから全ては動いていったのだ。


「その物腰や言葉遣いから、それが騎士様だとすぐに分かりました。更にはその瞳を見て、私は既視感を覚えました。そしてその方が雨に濡れた服を脱いだ時、私はそれがセイランド様だと気づいたのです。

あの方の体を私が忘れる筈がない。

ですが、既にそれは昔のこと。私とて体を見なければ気づかなかったでしょう。セイランド様は、おっしゃいました。

隣国の姫と結婚するわけにはいかないから国内の三人の令嬢のどなたか、それも女性嫌いのあの方が耐えられそうな令嬢を、私に見極めてほしいのだと。

私は安堵しました。王妃様の命令とセイランド様の依頼が示す先は全く同じです。それならばどちらを裏切ることもないのだろうと」


 ぽたぽたと、毛布に雫が落ちていく。


「だけど結局スザンナ様はアンナと名前を変えてルクスさんを選び、私はそれに加担しました。王妃様からは全てを報告するようにと言われており、行く先行く先で、連絡役がいて、更に連絡用の鳩が私に与えられました。けれども私には全てをありのままに王妃様に報告だなんて、・・・できなかった」

「ああ、そうだね」


 ジルバルドの言葉は、ユリアナには届いていたのか。それとも過去の時間がユリアナをもう囲って離さなかったのか。

 今までの苦悩を吐き出すかのように、ユリアナは泣きじゃくった。


「だってっ、だってスザンナ様はネーテル伯爵家の姫君っ。場合によっては貴族のセイランド様こそ困ることになるかもしれない。・・・そう思ったらっ、言えるわけがないっ、報告なんてできるわけがなくてっ」

「大丈夫。分かってる、分かってるよ、ユリアナ」


 しゃくりあげるユリアナを、穏やかにジルバルドが慰める。

長い嗚咽が続いた。

やがてユリアナにまわされた腕の穏やかな温もりが彼女を落ち着かせたのだろう。

ジルバルドの指が残ったユリアナの涙を優しくぬぐうと、目を閉じてユリアナはまた話しだした。


「スザンナ様に関しては、商人を装って会わせたものの、お互いに気が合わなかったと報告しました。スザンナ様がアンナと名を変えて駆け落ちしたことは、かなりの醜聞です。報告しなくてはいけないのだろうと思いはしても、それを知るのはネーテル伯爵家とセイランド様達だけ。

それを隣国から嫁いできた王妃様が知るというのは、この国にとってどういうことになるのか、私には分かりませんでした。

だから私はそれについては何も報告せず、セイランド様とスザンナ様とはどう見ても気が合わなかったので諦めてフィツエリに来たと、フィツエリに着いてからそう王妃様に連絡しました」


 セイムは鳩に餌を与えていたユリアナを思い出していた。増えたり減ったりしていた鳩。あの頃はよく鳩料理として鳥の料理も出されていた。それは不自然な鳩の数をごまかす為だったのだろう。

 変わったフィツエリならではの味付けに挑戦していたのは、本当に鳩を料理に使っていたわけではないことをごまかす為か。


「ですがフィツエリは女性が人前に出るものではないという考え方の地域で、私は途方(とほう)()れました。王妃様にはそのことを報告し、手の打ちようがない、とも。王妃様も私もフィツエリのルーナ姫は諦め、フィツエリから最後のカンロに移動することにしました」


 そこでユリアナは大きく息を吐いた。


「鳩での連絡というのも便利ですが不便なもので、空を飛んでくるので早く届きますが、同時に鳩は大きな鷲や鷹に襲われて食べられてしまうことがあります。王妃様と私との連絡は、素早く到着することもあれば、連絡が届かないこともありました。それは、お互いに連絡する時の紙の隅に番号を書いていくようにしていた為、数字が飛んでいたら途中の連絡が来ていないというのが分かるようになっていたのです」

「なるほど」

「カンロへ向かう際、商人があまり通らない道を通ったのがまずかったのか、鳩を受け取れない状態が続いていました。やっとカンロに着いてから、抜けた番号などをお互いに再度やりとりし、そして王妃様は、偶然フィツエリに軍隊が立ち寄り、フィツエリのルーナ姫はその軍に所属する方に見初められ、懇願されるかのように繰り返される求婚を受けて婚約なさったということを知ったのです」


 セイムはカロンのルーナ姫を抹殺したいとぼやいていた顔を思い出した。

 噂とは恐ろしいものだ、いや全く。


「フィツエリにいる時点で私が王妃様に連絡していたその報告は届いていなかったようで、王妃様は私の体たらくにかなり落胆されたようです。

フィツエリでは女性に会えないというが、しっかり出会って婚約まで成し遂げている男がいるというのに、セイランド様にその程度のこともさせられない私では話にならないと、王妃様は言い始めました。

しかもカンロ領の姫君は、領主様と共に領地経営をなさっておられる才女と名高い方でした。近づこうと思えばセイランド様の本当のご身分を明かすしかありません。それはできないことでした。

そんな私の報告に深く失望なさったのでしょう。

王様に頼んで国内の貴族令嬢を集めて開く舞踏会を催すことにしたと、連絡がありました。そうして私はお役御免を言い渡されたのです」


 ユリアナは深呼吸してから話を続けた。


「良かったと思いました。セイランド様に言えないことがあるのが、とても辛くなっていました。たとえ王妃様に役立たずと思われようと、これで解放されるのだと」

「そうだな。辛かっただろう」


 昔と変わらずに温かい瞳が自分を見下ろしてくることにユリアナは安堵する。

師匠の眼差しは常にユリアナを守ってくれるものだった。ユリアナは勇気を振り絞って最後の説明に入った。


「王妃様とセイランド様の目的は同じですが、ここまでしつこく王妃様が動こうとするのはおかしいと、私も思っていました。三人に絞られてはいましたが、王妃様としては誰でもいいから国内の令嬢とセイランド様とを結婚させなくてはならないご様子でした。私には、もう誰でもいいから結婚させろとまで言ってきた程です。

 王妃様が王様に何と説明したのかは分かりませんが、その為の国中のご令嬢が集まる舞踏会です。・・・あまりにも大がかりすぎます。だからセイランド様にどうにかそれを伝えようと思いました。だけど・・・」


 ぶわっと、ユリアナの涙が噴きこぼれる。両手で顔を覆い、ユリアナは小さく叫ぶかのように声を振り絞った。


「だけど・・・、言えなかったっ。どう言えば良かったのでしょう。私はっ、よりによってあのセイランド様をっ、王妃様の命令に従ってっ、・・・騙したなんてっ」

「分かってる。大丈夫、大丈夫だユリアナ」

「しかもその目的が分からなかったっ。何度探りを入れても分からなかったんですっ。どうしてセイランド様を国内の令嬢と結婚させなくてはならないのかなんて・・・!」

「ああ。それはちゃんとどうにかしよう。だからそう泣くんじゃない」


 再びしゃくりあげるユリアナの目の周りは真っ赤に腫れている。

ぽんぽんと背中を叩き、ジルバルドは椅子の上でユリアナの体を毛布ごと抱え込んだ。


「安心しなさい。セイランド殿の件はどうにかしてあげよう。大丈夫、お前の師匠はちゃんと王宮への伝手(つて)も持っている。・・・今まで辛かったね」

「お師匠様」

「王妃様の命令ならば仕方ない。そんなこと、誰だって分かる。大丈夫、お前が心配するようなことにはならない」

「そんなこと、できるわけが・・・。だってあれ程、セイランド様に・・・」


 廊下で聞いていたセイランドだってびっくりだ。

 どうして自分なのか。それでもって王妃は何がしたいのか。

 たしかにこれをカンロ領で聞かされていたら、意味が分からなくてユリアナを問い詰め、どこまでもすれ違ったかもしれない。

 何より、どうしてユリアナは自分を知っていたのか。


「大丈夫だ。信じなさい。私はできないことはできないと言う。そうだろう?」

「・・・はい」

「安心しなさい。セイランド殿は決して誰かに陥れられるようなことにはならない」

「・・・本当に?」

「ああ、本当だ。・・・さあ、私の目を見なさい。いつものように」

「はい」

 

 小さい時から怖いことがあるとジルバルドの瞳を見上げていたユリアナは、泣き疲れたのもあるが、先ほどから耳元で囁かれる低い声もあって、少しうとうととしてきていた。


(お師匠様がいてくれたらもう大丈夫。世界で一番安心できる腕)


 ジルバルドの声は昔からユリアナの眠気を誘うのだ。

 

「さぁ、もう体も火で温まっている。お前は疲れている。ユリアナ、・・・眠りなさい。セイランド殿は、誰かに利用されたりなんかしない。朝になって目が覚めたら、全てがお前を優しく包んでいるだろう」


 ゆっくりとユリアナの体から力が抜けていく。毛布に包んだままの弟子の体をジルバルドは抱きかかえた。


「やはり重くなったな」


 足で扉を開けると、廊下に座り込んでいるセイランドには何も言わず、ジルバルドは二階の部屋へとユリアナを運んだ。寝台に寝かせると、そのままジルバルドは再び一階へと下りてくる。


「さて、バカ娘も眠ったことですし、男同士で酒でもいかがでしょう。廊下では体も冷えてしまったのではありませんかな」

「ご明察です。ありがたくいただきましょう」


 

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