27 裏 二人の告白
王都ロームにあるフィツエリ男爵家の屋敷にルーナとロシータを送り届け、ケリスエ将軍達は王城へと帰還した。
リガンテ大将軍はにこにことしながら、挨拶を兼ねた報告にやってきたケリスエ将軍、ソチエト第五部隊長、ケイス第六部隊長の三名をねぎらった。
「なかなか素晴らしい結果だったそうだね。砦からもエイド将軍に報告が上がっていたけど、村人の感謝もかなりのものだったとか」
「もったいないお言葉でございます」
「いや。やはりケリスエ将軍で良かった。本来は全滅していた筈の村がほとんど被害なく終わったと聞いて、フィゼッチ将軍もエイド将軍も感心していたよ。何か褒美に欲しいものはあるかな?」
「恐れながら、それはここにおりますカロンの立てた作戦によるもの。褒美をくださるとおっしゃるのでしたら、以前からお願いしておりましたが、私がお預かりしております軍も、そろそろ次代に引き継ぎたく存じます」
瞬く間に上り詰めたケリスエ将軍に、どうしてそこまでの出世を望んだのかとこっそり聞いた時、自分の名を轟かせたかったからと答えられたことをリガンテ大将軍は思い出す。
恐らくローム国騎士団の将軍となっても、ケリスエ将軍の望んだものは手に入らなかったのだろう。
しかし、そこで「はい、そうですか。ではどうぞお好きに」は言えないのがリガンテ大将軍の立場だ。リガンテ大将軍の見ている世界は、そんな個人の事情を考慮していられない。
「次代と言っても、ケリスエ将軍以外にそうそう率いることのできる人材もいないように思えるんだけどね。あ、そうだ。第五部隊長、だったっけ? ソチエト殿はどう思う? ソチエト殿から見て、仮にケリスエ将軍が抜けたら、誰が適任かな?」
「恐れながら、どなたであれ、それなりには務まりましょう。軍とは決まった通りに動くもの。ましてや我らはそれなりにケリスエ将軍から仕込まれたと自負しております。ですが・・・」
「うん?」
口ごもった第五部隊長に、リガンテ大将軍は次を促した。
「ケリスエ将軍が引退なさった時点で、第六部隊長カロン・ケイスも引退するのではないかと思うのですが・・・」
「何を愚かなことを」
ケリスエ将軍が吐き捨てる。
「第五部隊長。こんな時に大将軍に向かって冗談をぬかすとは何事だ」
「いやいや。とても参考になる意見だ。で、第六部隊長の意見も聞かせてもらえるかな?」
近衛騎士団、王都騎士団、ローム国騎士団、それぞれに隊の序列や構成が違うので、肩書きはついどれだったっけと考えこんでしまうリガンテ大将軍は、名前は記憶していても役職名はあやふやなことが多々ある。
そういう点、ローム国騎士団はちゃんとお互いに役職名をつけて呼び合ってくれるからありがたい。
説教態勢のケリスエ将軍を制し、リガンテ大将軍はカロンに発言を促す。
「第一から第五部隊長に至るどなたであれ、ケリスエ将軍の跡を継ぐに相応しい優秀な部隊長ばかりであると私も存じます。ですが、ソチエト第五部隊長がおっしゃった通り、もしもケリスエ将軍が軍をお辞めになるのでしたら、私もそれに倣いたいと考えております」
「カロンッ、何を申すか」
「なるほど、それはまた。・・・理由を訊いても?」
内心ではカロン・ケイスをかなり評価しているリガンテ大将軍だ。大体、出身国なんて忠誠の証になるとも限らない。
どれ程に同郷の者で固めても裏切り者は出るのだから。
「は。私はかつてケリスエ将軍に戦場で拾われた人間でございます。私の命を救った人が軍に身を寄せていればこそ、私も軍に身を寄せたまでのこと。その人が軍を辞めるというのであれば、私も辞めてそのままついて行く所存にございます」
「・・・ふむ。もしも、ケリスエ将軍がいなくなっても君が軍に残ってくれるとしたら、どんな条件があれば残る気になるものかな?」
「ケリスエ将軍を私にくださるのでしたら」
微笑みを浮かべたまま、これも一種の下剋上なのだろうかと、リガンテ大将軍は思った。
これが王城で働く美人な女官とかならば、大して難しい話でもなかったのだが。
(これを口にしてしまった彼は明日の太陽を拝めるのか。第六部隊はどうなるんだろう)
しーんと、沈黙が流れた。
最初に口をきいたのはケリスエ将軍だった。
「私の引退はともかくとしまして、今回の報告はもう終わりましたし、そろそろ下がらせていただきます。私はちょっと、息子と親離れと独り立ちについて話し合うことがあるようですので」
「・・・ああ。お手柔らかにね?」
ケリスエ将軍の全身から噴き出る怒りの波動に、リガンテ大将軍とソチエト第五部隊長は、どちらが勝つのだろうかと、ヒトゴトながらそう思った。
将軍になってからは指揮を執ることが多いとはいえ、ケリスエ将軍もかつては屍の山を築き上げていた恐るべき剣士である。
その教えを受けたカロンも、既にケリスエ将軍を凌ぐ強さだと噂されている。
やり合えばタダでは済むまい。そして両者、共に相手を大事に思っているのも確かなのだ。
(カロン・ケイスがケリスエ将軍を傷つけるとも思えないしなぁ。かといって、ぼろ雑巾にされるのは気の毒すぎる)
せめて彼の勇気に対し、程々の怪我で済ませておいてほしいものである。
今にもカロンの首根っこを掴んで振り回しかねないケリスエ将軍と、不貞腐れたようにそっぽを向いているカロンとを見ながら、ソチエト第五部隊長もやれやれと首を振った。
(犬も喰わない何とやらだな。まあ、あのルーナ姫が刺激的すぎたのもある)
道中、カロンを挑発し続けたフィツエリ男爵家のルーナ姫。さすがのソチエトもいささかカロンに同情していたのだった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
ロームの城の裏手に広がる山の中腹に、無人の神殿がある。白い石で造られた小さな神殿は打ち捨てられ、今では詣でる人など誰もいない。
その神殿に行くまでの道が崩れていて危ないこともあったが、馬などが通れぬ急な斜面も多かったことも影響していただろう。
その為、ケリスエ将軍は少年だったカロンを連れ出してはそこで稽古をつけたものだった。
「カロン、お前は一体何を考えているんだっ」
「別に何も」
人に聞かれたくない話をするにはもってこいの場所だ。
ケリスエ将軍はカロンを慣れ親しんだ場所に連れ出した。家に帰ればカロンの副官もいる。まずは二人で話し合うべきだと思ったのだ。
カロンを神殿の床に座らせ、ケリスエ将軍も崩れかけた台に腰かける。
(子供の頃は素直で、大きくなったら拗ねまくるって何なんだ。男というのはそういうものなのか? 意味分からん。褒美に何が欲しいと問われて、親と一緒にいたいって幾つの子供だ、おい)
ぷいっとそっぽをむくカロンは、本気で拗ねているようだ。
「せっかくここまでやってきてっ、どうしてお前は今までの努力を無にするような真似をするんだっ」
「別に努力を無にしてなんかいません」
「あのなぁ・・・。せっかくフィツエリの姫とも結婚できてそのまま将軍位も狙えるというのに」
今は仮の婚約者としてカロンがロームに連れてきたことになっているルーナだが、それはフィツエリ領においてのことだ。フィツエリ男爵家はカロンが駄目なら他にいい男をロームで見つけてもらいたいと考えている。
だが、カロンとの仲が上手くいくならそれに越したこともないと、もう理解を放棄して思考停止中だった。
「そんなの欲しいなんて言った覚えはありません。どっちも豚にでもくれてやればいいんです」
ガシガシと頭の髪を掻きながら、さすがのケリスエ将軍も
「お前という奴は・・・」
と、困り果てた。
カロンの考えていることが全く分からない。この国で出世を願わないなら、何が望みだ。
どうして拗ねているのかも分からない。
「もしかして帰りたいのか、お前の故郷に?」
ケリスエ将軍の解釈が思いがけない方向へと向き、カロンはガクッと脱力した。
一体、何をどうしたらそういうことを考えつくのか。
「あの国に今のお前が帰るのは難しい。だが、名前を変え、過去を捨てればどうにでもなる。もし、お前が帰りたいなら、・・・帰らせてやる」
ケリスエ将軍が台から立ち上がり、カロンの目の前にしゃがみ込んできた。
「カロン。お前はもう無力な少年じゃない。懐かしい故郷へ帰りたいのなら帰ってもいい。私がどうにでもごまかしてやる」
「あんたはそれで、・・・いいのかよ」
「構わん。それくらいの力はある。・・・たしかあの国は山脈伝いの関所は厳しい筈だ。となると、海路か。商人か漁船の伝手を使うとして、経由するなら・・・」
そのまま床に座り込んで、地面に指で大体の地形を描きながら考え始めるケリスエ将軍である。
こういう時、ケリスエ将軍の頭の中では、様々な経路が展開されている。どれが最も成功率が高いか、考えているのだろう。
様々な情報を見通しながら・・・。カロンの心の中は全く見通せないのだ。
「俺が言いたいのはっ、俺があんたの傍からいなくなっても・・・、あんたは平気なのかって・・・」
「あ? ・・・馬鹿だな、カロン。私はお前の仇だが、同時にお前は私の弟子だ。お前は知らんだろうが、我らは師になった時点で弟子に対して命を懸けて守る義務を負う」
「・・・え?」
「だからそうそう弟子はとれん。多くて二人だ。そんな存在を簡単には増やせん。分かるか?」
「あ、・・・ああ」
「だから弟子には自分の子を選ぶ親が多いのだ。我らは自分の全てを弟子に伝え、伝え終わったらその弟子の選んだ道を命懸けで守り、その弟子はまた弟子へと全てを伝えていく。そうして技と心は受け継がれる。カロン、お前を選んだ時から私はお前の為に死ぬ覚悟をしている。だから、お前は行きたい所に行け」
ケリスエ将軍の黒い瞳がまっすぐにカロンの心を貫いた。
社交辞令以外でケリスエ将軍が長く喋るのは珍しい。本気で国外にカロンを出す気なのだろう。
「弟子にした時からって・・・。具体的にはいつからか、訊いても?」
「戦場で初めて会った時に言った筈だ。いずれ私を殺せ、と。その時に決めた」
カロンは黙り込んだ。
そもそも弟子入りとは一方的に勝手に決めるものなのか。大体、あの時の自分の何が気に入って決めたのか。
それ以前に、「いずれ殺してみせろ」という言葉を聞いて、誰が弟子入りだと思うのか。
けれどもカロンの心を静かな喜びだけが満たしていく。
自分の父親を殺した剣が太陽を映して光ったあの時に。
ケリスエ将軍もまた自分だけを見ていてくれたならば。
(たとえ裏切り者でも何でもいい。親不孝でも地獄に落ちるのだとしても)
気まぐれでも何でもなく、自分を見出してくれたなら。
死が全ての生を壊していく中、あの輝きに魅入られた。
「俺の、何が、気に入ったんです?」
乾いた唇を舐めるようにして、カロンはその質問を口にした。
少し傾げられる首がある。
「なんとなく?」
「・・・・・・っ。やっぱりあんたって最低だよっ」
そうだった。そういう人だった。
カロンは自分の愚かさを呪った。
どうして期待してしまったのか。分かりきっていた筈なのに。
この人に望んでも無駄なのだ。言わなくちゃ理解しない。言っても傷つくだけの時が多いけど。
(そうだよっ。この人はただの欠陥品なんだよっ。どうせ俺が期待してたのが悪いんだよっ)
カロンは、ケリスエ将軍の両肩に手を当てて自分の方へ向き直らせると、きちんと伝わるようにと願いながら、まっすぐその瞳を見つめた。
もう失敗はこりごりだ。
「あのですね」
「ああ」
「俺は別に、もう記憶もおぼろげな故郷に未練なんて無いんです」
「そうなのか?」
疑いを孕んだそれに、カロンは嘆息した。しかし止まっていたら話は進まない。
「はい。それでですね、俺はどこに行きたいも何も、あなたと一緒にいたいんです」
「だから、親離れしろと言っている。ちゃんと年を数えてみろ」
「親だなんて思ったことなど一度もありません」
カロンが言い切ると、ケリスエ将軍は目を伏せた。
たとえカロンがケリスエ将軍を恨んでいたのだとしても、そのまま受け入れるのだろう。大体、姉弟程度の年の差しかない状態で、何が親か。
「そうだな。お前の父を殺したのは私だ」
「戦場なら当たり前のことです。俺だって、誰かの父親であろう人間を殺しまくりました」
「目の前で殺されたというのは、また別の話だ。お前は私を憎む権利がある」
「だから憎んでなどいないと言ってるんですっ。薄情な息子だと言われてもいい、・・・俺は親父の顔すら既に思い出せないのにっ」
ケリスエ将軍が痛ましそうな顔になる。
ほとんどは無表情だが、誰もいない所ならケリスエ将軍は表情豊かだ。
あれほど平然と沢山の人を殺しておきながら、それでもカロンの心を思いやる。そんなケリスエ将軍のこの矛盾は、どこから来るのだろう。
カロンはケリスエ将軍を抱きしめた。
鍛えられた体はかなり固い。本当に女性とはとても思えない。
それでも好きなのだから、この想いは決して気の迷いではないだろう。
「死んだお袋よりもっ、あの時に死を見届けた親父よりもっ、・・・あなたと暮らした日々の方がよほどっ、思い出も時間も積み重ねてきていたじゃないですかっ」
どうしてその重ねた日々の中、カロンがケリスエ将軍を憎み続けていたと思うのだろう。いつだって自分達は近くにいたのに。
ケリスエ将軍は真面目に考えたようだった。
「カロン。それなら、もしかして今までのは、反抗期という奴だったのか?」
「・・・・・・」
たしかに今までの自分はケリスエ将軍に反発しまくっていた。それは認めよう。
だがそれは、人前でも自分を認めてもらいたかったからであって、別に親に逆らいたい子供のそれではなくて、・・・いや、ここではっきり言わないとまた変な方向へ行くのだ、この人は。
「それについては謝ります。ですが俺は、・・・あなたを、親でも家族でもなく、一人の女性として好きなんです」
「・・・・・・・・・」
さすがにケリスエ将軍もその意味は理解したようだった。一気に耳まで赤くなっているのが分かる。きっとカロンの耳も赤くなっているだろう。
「だから一緒にいたいんです。あなた以外に欲しいものなんて何も無い」
「・・・・・・えっと、な、カロン」
「俺のことが嫌いですか? 俺ではあなたの目に男として映らないですか?」
「嫌いなら弟子にはしない。が、ただ、だな」
「ただ?」
カロンは粘った。ここで引いたら元の木阿弥である。
「気持ちは嬉しいが、その、あの、実は、だな・・・」
「はい」
「うちの部族は、この辺りの婚姻制度とはかけ離れた考え方をしていた」
「好きなら一緒に暮らそうが、別に暮らそうが、子供を作る度に相手を換えようが何でもあり、でしたね。たしか、相手に対する想いが全てだと」
奔放なのか純情なのか分からない部族である。
しかし二股とか浮気とかはしないらしい。その時の恋が全てなのだと。相手に向けて向けられる想いに嘘は無いのだと。
「そうなんだが、・・・その相手は別に異性でなくても構わないのだ」
「・・・は?」
カロンはそこで一瞬、呼吸を止めてしまった。あまりに予想外な言葉だったからである。
「いや、お前も男なら分かるだろう? 戦で戦った後、柔らかい肌に溺れたくなる気持ちというのは」
「はぁ、そりゃ」
ケリスエ将軍の体を解放して、カロンは正面から向き直った。ケリスエ将軍も説明する気はあるようで、考えながら言葉を重ねてくる。
無視されたり、一言で終わらされたりするのはよくあるが、今日はかなり特別なようだ。カロンも真面目に考えた。
戦場というのは特殊な場所だ。誰もが狂ったように暴力の世界に突入する。そこにまともな人間はいなくなる。だからだろうか。
その後はただひたすら柔らかい肌と温もりを求めるのだ。自分が人間なのだということを思い出す為に。
「だから、だな。いきなり男として見てほしいというのは思いもしなかった。そもそも弟子に娘をとらなかったのは、間違って食ったらヤバイだろうと思っていたのもあったからだが」
「・・・・・・食ったらヤバイ」
「そう。食ったらヤバイ」
そう言えば、戦場帰りでは時に娼館を貸し切りにすることがある。その際、ケリスエ将軍も他の兵士達と同じように娼婦の部屋へと消えていっていたが、それはただ安全な屋根の下で眠るだけだと思っていた。
一緒に暮らしているカロンだから分かるが、少なくとも家の寝室にケリスエ将軍が男であれ女であれ引きずり込んだことは一度もない。
だから・・・・・・。考えもしなかった、そんなこと。
――― 男として意識されていなかったのではなく、男だから意識されていなかった。
誰がそんなことを思いつくというのだろう。
「我らは男も女もいける筈だからどうにかなるのかもしれんが・・・」
命を懸けて守るとまで言った弟子の告白だったからか、真面目に考えてはくれているようだが、お付き合いのスタート地点という以前に何かが立ちはだかっているように思えて仕方がない。
カロンはがっくりと両手を床について、大きな溜め息をついた。
(なんでこの人、いつも常識をぶっちぎっていくんだろう)
いつの間にか、日は沈みかけていた。赤い夕陽が二人を照らしている。
カァ、カァと、烏の鳴く声が響いていった。
「カロン。泣くなよ」
「・・・泣いてません」
灯りを持ってきていない以上、そろそろ山を下りた方がいいだろう。完全に日が落ちたら辺りは真っ暗になる。
打たれ強いカロンは、ゆっくりと立ち上がった。
「とりあえず、今日は帰りましょうか。懐かしい我が家が待っていますから」
「そうだな。今日はもう帰ろう」
問題は何一つ解決していなかったが、二人は「時間切れ」ということで意見の一致を見た。




