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カンロ城の裏庭の片隅に、いつの間にか建っていたレンガ造りの小屋。
そこをざっと見渡して、カレンはロレアを振り返った。
「なかなか立派ね。悪くないわ」
「そうなの? カレン姉様がそう言ってくださるなら良かった。あとは私なのよね」
ロレアに案内された鍛冶小屋で、カレンは面白そうに周囲を見渡した。
伯爵もよくぞこんな物を娘に与えたものだと思う。そういう意味では評価できる男だ。
同時に、まだ火の入った形跡のないそれにもカレンは気づいていた。
「そうね。ロレアがいきなりできるとはとても思えないわ。というより、体力的に無理じゃないかしら。いい鍛冶職人はいないの?」
「それが、誰も私の思うものを作ってくれないのよ」
詳しくカレンが話を聞くと、ロレアは武器や道具の形について思うことがあったらしい。その為、自分がデザインを描いたものを鍛冶屋に持ち込んだのだが、そんな物は今まで見たことも聞いたこともないから作れないと、追い払われてしまったのだとか。
だから自分で作るしかないと思ったのだと言う。
「なるほど。ちょっとその形をまず見せてちょうだいな」
鍛冶場の隅にあったそれらをパラパラと見ながら、サイズや使い道をカレンは細かく尋ねていく。
その際、用途に応じた強度などの話にもなり、ロレアは自分の考える物が簡単に作れるものではないことを理解していった。
エイリはカレンに対して負い目があるせいか、どうしても距離がある。だが、カレンとロレアはお互いに馬が合うというのか、双子のように仲が良かった。
「ロレアは武器として考えたのかもしれないけど、それが向くのは拷問かもしれないわね。基本的にここまで接近して使うとなると、誰だって反撃してくるわ。そうなると、非力な女性にとっては余計に危険なことになるの。相手が身動きできない状態ならともかく、そうなると、・・・ね」
「うわぁ。ちょっと私、ああいう怖いの、駄目なのよ」
ロレアがぶるっと体を震わせる。
想像してしまったのだろう。だが、自分の身を守る武器とて人を傷つけることには変わりない。カレンは話を続けた。
「今、よく使われている物に、ロレアが考えたので似ている物があるのよね。ロレアの方が、小回りがきくかもしれないわ。あと、こっちなんだけど、木でできた罠で似たようなものがあるわよ、たしか。だけど、そうね。鉄で作ることができるとしたら、もっと強力になるのかもしれないわね。ただ、そうなると仕組みが問題になるのよ。ほら、ここが鉄の強さに耐えられないでしょう?」
「縄じゃ駄目かしら」
「駄目ね。それなら木で出来たものの方がよほどマシ。何でも鉄を使えばいいってもんじゃないわ。全体的なバランスが取れていないなら、タダのガラクタよ」
口惜しそうに考え込むロレアに、カレンが提案してくる。
「ねえ、ロレア。一度、私の所に来たらどうかしら。うちの工房なら、今まで作ったことがないだなんて理由で却下したりなんかしないわよ。その代わり、使い物にならない物は全く作ってくれないけど。どう?」
「えっ。・・・いいの?」
「ただし入っていい場所とそうじゃない場所は守ってね。あなただけよ? 侍女も誰もつけてきちゃ駄目。勿論、エイリ姉上もお断りよ」
「ああ、お姉様はね。本当に頭が固くて困っちゃうわ」
「全くね。それでも一番大事なところはクリアしているから良しとしましょう」
「手厳しいわね、カレン姉様は」
二人がクスクスと笑う。
「すぐ連れて帰ってあげたいとこだけど、その前に舞踏会を済まさなくちゃね」
「カレン姉様には災難だったわね。でも助かったわ。私一人じゃ自信なかったもの。ああいう所ってお父様が常についていてくださるとは限らないでしょう?」
「そうね。エイリ姉上は頭でっかちすぎるもの。まだまだだわ」
「本当にね。お姉様は私の結婚相手を探すつもりになってるのよ。私達の方がお姉様の結婚相手を見極める立場だってことも分かってないんだから」
「ふふ。だからエイリ姉上なのよ」
「そうね。だからしょうがないわよね」
二人はそう微笑んだ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
王都ロームの城で働くフェルエストには、弟が二人いる。
すぐ下の弟であるセイランドは、剣を振り回すしか能がないのではないかと思っていたが、フィゼッチ将軍の下、軍師として良い評価を受けているらしい。
らしいというのは、フェルエストは文官として城で働いている為、軍部とは全く違う世界に生きているからだ。
国王の傍にいると、どうしても人と人との駆け引き、動かす予算、滞りなく進めていくべき予定が全てになる。書類仕事で忙しい。
セイランドの評価は高いらしいが、正直、そんなものに構ってなどいられなかった。自分よりもでかくなった弟など、どうしろと言うのだ。むさいだけではないか。
(そういえば最近、セイランドの顔を見ないな。ガーラントが、仕事で地方に行ったらしいとか言ってた気もするが)
薄情な話だが、セイランドも泊まり込みで一ヶ月近く兄の姿を見なかったところで何とも思わないのだから、そんなものだ。
そんなフェルエストだが、今日はいきなりセイランドの下で隊長を務めているという男が訪ねてきた。セイランドよりも良い体格をしている男だった。
どうして軍部の人間は、見ているだけで暑苦しくなるのだろう。
「うちのセイランドに何かありましたか?」
「何かあったというわけではございませんが、実はセイランド様のご縁談の件で、兄君に相談をと思いまして参りました。セイランド様はまだ地方においでですので」
部下と言っても、セイランドよりは年上らしい。
あれでもセイランドは伯爵家の次男であり、自分に何かあったら次の伯爵だ。やはりそれなりの人生経験もあって腕の立つ部下がつけられているのだろうと、フェルエストは思った。
「セイランドに縁談? ああ、そういえばそんなものもありましたね」
「・・・王のお声がかりと聞いたのですが、兄君にその話は通ってなかったのでしょうか?」
いささか呆れたような声は、少しばかりの非難を含んでいるようだ。
王の側近くで働いているならもう少し弟に便宜を図ってやれと言いたいのだろう。
「聞いたことは聞いたが、セイランドのそれはほとんど・・・」
「ほとんど?」
「いや、何でもない」
コホンと、咳払いをしてごまかす。
「別にセイランドが望むとか望まないとか、そういう事情があるならともかく、大の男が誰と結婚しようがしまいが、口出しするようなことにも思えなかったのでね」
次の伯爵となる自分には、双方の親も了承した婚約者がいるが、セイランドはそういった束縛を受けない。
軍で身を立てるならそれでよしと、家族も放置していた。
「それはそうでしょうが・・・」
「だがセイランドは女嫌いだったんじゃなかったか? まあ、男に走られるよりはいい。本当に結婚したいのなら、一肌脱ぐぐらいはさせてもらおう。しかし、あいつも部下を使ってまで兄に連絡を取って頼むのがそれとは情けない。貴殿にも弟が迷惑をおかけして申し訳ないばかりだ」
「いえ。そうではなく・・・。セイランド様は、妃殿下の母国と我が国とのそれに巻き込まれているのではないかと、ゆえにこちらも兄君の所へ参ったのです」
「・・・なんだと?」
「セイランド様も軽はずみなことはできぬとお考えになり、また戦と違って謀略は政の戦いなれば、ここは兄君にと。他の方ではリストリ伯爵家の足を引っ張られかねず、ですが状況を考えるならばお父君よりも兄君の方が王城におられる分、立ち回りも得意であろうと」
その男が持ってきた内容は、同盟を兼ねた政略結婚で嫁いできた王妃のことだった。
フェルエストの顔も強張るというものだ。
「詳しく話を聞かせてくれ。王妃殿下が絡んでおられるとなると国王陛下にも報告する必要がある」
フェルエストは、男に椅子を勧めた。彼は、詳しく最初から話し始めた。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
スクリッスでファンルケ医師が管理している診療所は、ほとんどがもう助からない患者で溢れている。
そこにテイトと名乗る男が少年を連れてやってきたのは、太陽が空の真ん中に昇る前、つまり昼よりも朝に近い時間帯だった。
「私はテイトと申します。これは従者のロストです」
「ロストと申します。いつも兄のルクスがお世話になっております。ファンルケ様には、感謝してもし足りません。兄があのまま兵士でいたならどんなことになっていたことか・・・。心より感謝申し上げます」
少女のように綺麗な顔立ちのロストは、感謝をこめた眼差しでファンルケに対し感謝を述べた。
そこを、洗濯しに行く為に、ルクスが両手に血に染まった布を抱えて通りがかる。
「あれっ、リアンッ?」
「兄さんっ」
ロストと名乗った少年を違う名前で呼んだルクスに、ファンルケは気づかぬフリをした。
(この子も死んだことにしなきゃいけない子なのか。全く、人なんていつかは亡くなるものだってのに)
面倒なことは知りたくもない。アンナの例もある。この少年はロストなのだ。
テイトの従者だという、ロストだかリアンだか分からぬ少年は、ルクスを見て隠せぬ喜色を浮かべていた。
仲のいい兄弟なのだろう。
ファンルケは、ぽりぽりと髭のない頬を掻くと、ルクスに向かって言った。
「ルクス。それを洗い終わったら今日はもういい。最近は人手も足りてきているし、しばらく抜けても大丈夫だ。明日、明後日は休みを取りなさい」
「え? ですが・・・」
「いいから。明日と明後日は休みだ。その代わり、弟さんが世話になっているというテイト殿だが、お前の家でしっかりともてなしなさい。・・・かなりお世話になったのだろう?」
名前を変えたとかいう生活無能力者な貴族の娘を連れ帰り、更にまた弟も名を変えたとなれば、最初にルクスを連れていった貴族も絡んでいるのだろう。
だが、名を変えてでも生かしたとなれば、それなりのことをしてもらった筈だ。
「ああ、テイトさん。その節は本当にお世話になりました」
「お久しぶりです、ルクスさん。ちょうどこのスクリッスに用事がありまして、ついでに寄らせていただきました。ですが宿屋に泊まりますのでお気遣いは無用です」
如才なくテイトが笑顔で挨拶する。
「ここまでいらしてくださったのに、宿屋だなんて。どうぞうちにお泊まりになってください。歓迎します。きっとアンナも喜ぶでしょう」
小さくロストが「それはどうだか」と呟いたのを、ファンルケは聞き逃がさなかった。
そんな弟の反応にルクスは気づかず、洗濯物を置いてテイトの手を握っている。
「あなた方には本当に感謝しているんです。どうか、うちに泊まっていってください」
「・・・そうおっしゃっていただけるのでしたら。お世話になります」
「ええ。ではちょっとお待ちください。洗濯が終わりましたらすぐに戻ってきますので」
「ええ。・・・ロスト、君もお兄さんを手伝ってきてくれるかな?」
「はい、テイト様」
二人が去ると、テイトがにっこりと笑い、
「差し出がましいことをして申し訳ありません。ですがルクスさんにロストも会いたがっていたものですから」
と、ファンルケに向き直ってきた。
優しそうな顔立ちをしているが、笑顔の裏で剣を突き刺せる男だなと、ファンルケは思った。
根に持つタイプだ、この手の人間は。だから先回りした言葉を出せる。
同時に、テイトも自分の笑顔にあまり動じていないファンルケの様子にそれと悟った。
どうやら下手に出ておだてられることを喜ぶ男ではなさそうだ、と。
考えてみれば人を看取り続ける仕事など、虚飾を有り難がる人間ではやっていられまい。
あまり言を弄しては何も教えてくれなくなるかもしれない。
だからテイトは穏やかな表情を浮かべて尋ねてみた。
「ファンルケ先生は、ユリアナさんとおっしゃるお弟子さんがいらしたのですか?」
「・・・懐かしい名前ですね。ええ、私の一番弟子です」
「そうですか。女性の弟子とは珍しい。・・・かなり踏み込んだことをお尋ねしますが、通常、弟子とされる女性は愛人として傍におかれるものなのでは?」
「弟子と申し上げましたが、ユリアナは私の娘です」
「失礼いたしました。あまりにも先生が若々しいので親子とは思わなかったのです。並んだら恋人のようでしょうに」
不機嫌そうに答えたファンルケに、テイトが頭を下げてくる。
ファンルケは目を細めた。
失礼したと言いながら、更に踏み込んでくる男だった。
「構いませんよ。血は繋がっていませんから。ですが私の育てた娘であり、弟子でもあります。離れて暮らしているのは、娘の為を思えばこそです」
「大切にしていらっしゃるのですね」
心のこもらない言葉だ。
どうやらユリアナはこの男に警戒されているらしい。
ジルバルド・ファンルケはそう読み取る。
「ええ。それでどうしてユリアナの名前を?」
「ひょんなことで私の上司がユリアナ殿にお世話になりまして。上司とは、先だってルクスさんをここから連れ出した男なのですが」
「ああ、なるほど」
ファンルケは頷いた。
やはり運命の輪はゆっくりと、しかし確実に廻っていたらしい。
「では、ユリアナはここに来るのですね」
「・・・・・・夕方にはこちらに到着するでしょう」
驚きもせずに見通すかのようなことを言ったファンルケに、テイトが探るような視線を向けてくる。どうしてこの流れで、ユリアナがここに向かっているのが分かったのだろう。
それを無視してファンルケは言った。
「我が家も来客の用意をしなくてはならないようだ。・・・・・・ああ、カイン。私とルクスは、今日はもう抜ける。あとは任せた」
「はいっ、ファンルケ先生」
少し離れた所で作業していた青年に声を掛けると、ファンルケはテイトを促した。
「ではルクス達が作業を終えるまで、テイト殿は我が家でお茶でもどうでしょう。ルクスの家は同じ敷地にありますから、戻ってきたらすぐ分かります」
「ありがたくご馳走になります」
遠慮せずにその誘いに乗ったテイトである。
ユリアナの師匠というが、くるくると表情の変わるユリアナと違い、まるで表情すらも流れるように動かす男だと感じていた。
(従軍医師としてはかなり優秀だという話だったが、本当にユリアナ嬢の師匠だったとは)
しかも情報を集める為に先行したつもりが、自分が彼に情報をもたらしたかのような状態なのも気に入らない。いや、二人がこの後到着するだなんて、大した情報ではないのだが、まるでこの男はそれを先読みしていたかのようではないか?
しかもセイランドに同行してルクスを連れてきたランス達からは、髭もじゃの熊のような男だと聞いていたのに、ファンルケがすっきりとした清潔感あふれる姿であることにも疑問を覚える。
勿論、髭など剃ればいいだけだ。
だが聞いていた印象と実物はあまりにも違いすぎた。
「ユリアナよりも先に到着しようと馬を急がせてきたならかなりお疲れでしょう。馬小屋はこちらです。新鮮な果物も用意してありますから」
「ありがとうございます。助かります」
「いえ」
やりっ放しの散らかしっ放しな生活無能力者だと聞いていたファンルケ医師が、埃一つなく片付いた家で、テイトに手早く飲み物や食べ物を出してもてなしてくる様子に、テイトは報告の正確性についてきちんと叩き直さねばならないと、ひそかに決意していた。




