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狂騒曲が終わる日に  作者: 藤木
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26 裏 スクリッスのファンルケ



 人とは愚かな生き物だ。失って初めて気づくのだ。その存在がいかに大切なものだったのか。いかに得難いものだったのかを。


「それだけ自分が年老いたってことなのか・・・」


 スクリッスで怪我人の治療にあたる医師ファンルケは、椅子に力なく腰掛けて、遠い目で窓の外を眺めた。さやさやと庭を渡る風が木々の葉を揺らしている。

 ファンルケのもさもさとした黒褐色の髪と髭を、入り込んできた風がくすぐっていった。

 失われたものを数えるのは、未来に希望を抱くことができなくなったからなのか。未来を信じられる若さがあるならば、そんな思いをせずにも済むだろうに。


「ユリアナ。・・・君は幸せか?」


 幼い子供だった頃の顔を思い出す。よたよたと歩いては自分の後を必死についてきた、親友ケルナスの忘れ形見。

弟子といっても、小さな子供の内は本当にやらかしてくれたものだった。

薬草は間違える、量は間違える、鍋は焦がす、・・・鍋ごとひっくり返る。すぐにグシュグシュと泣く。泣いたと思ったらすぐ笑う。

ユリアナを育てて、自分も小さな子供とはこういうものなのかと知った。

 もっと小さい内に引き取っていたのであれば、自分を父親だと思い込ませることもできただろう。そうすればずっと一緒にいられたのかもしれない。

 けれども。


(いいや。あの子の父親はケルナスだ)


 ファンルケは首を横に振る。それはあり得ない過去だ。過去は変えられない。


(本当はもっとお前といたかった、ユリアナ。お前の笑顔があれば、それだけでよかったんだ)


 あの子の気持ちが嬉しくなかったと言えば嘘になる。

だが、血の繋がりだけが親子ではない。自分にとって、あの子は目に入れても痛くない一人娘だった。

 移りゆく季節や過ぎる年と共に、換羽を繰り返して成長していく幼鳥のように、みるみる内に姿を換えて大きくなっていくあの子の成長を、どれほどの喜びで見守っていたことだろう。

 愛していた。今も愛している。

 父と呼ばせれば手放さずにすんだのだろうか。しかし、あの子の親はきちんと存在するのだ、既に亡くなっていたとしても。

ケルナス達が親になった日、ケルナスは男泣きして疲れきった妻をねぎらっていた。汗だくになりながら微笑んだケルナスの妻は、やつれているのに輝いて見えた。

今も鮮やかに思い出すことができる。

 父と呼ばせてケルナスのその座を奪うことなど、どうして自分にできただろう。

 だが、自分にとってもユリアナは娘だった。

 ユリアナにそんな男親の思いなどは分からないだろう、分かる日など来ない。

 私の気持ちを無視しないでと、懇願してきたユリアナに、ファンルケは拒絶しかできなかった。

当たり前だ。特別な一人娘を、どうして幾らでも替えのきく女扱いできるというのか。


「今、そんなことを考えてしまうのは・・・、現実逃避って奴なんだろうな」


 ファンルケは、そう呟いて室内に目を戻した。倒れた容器、中身が混在状態となった薬草。濡れた床、倒れた箒。

 思えば、ユリアナを手放して一人になり、そしてひょんなことからルクスを手伝いとして引き取って保護したのは、あまりにもルクスが危なっかしくて見捨てられなかったからだ。

 とはいえ、ルクスも頭と手際はいいのだが、違う意味で面倒な男だった。

 ルクスを得て、ユリアナの有り難味を知った。自分の弟子として傍にいてくれたユリアナの優秀さが、手放して初めて分かった。


(下には下がいるということだ)


 だがしかし。

 それはまだまだだったのだろう。

 人のいいルクスも騙されるわ利用されるわで色々とやらかしてくれたが、そんなものだと思って諦めていた。ユリアナが優秀なだけだったのだと。

 やがてスザンナだかアンナだかという娘を連れてルクスが戻ってきた。

 そうして知った。

 ルクスに管理を任せていられた日々がどんなに得難いものだったのかを。


「あのー・・・、ファンルケ先生」

「ルクスか」

「はい」


 扉の外から、ちょこんとルクスが顔を覗かせる。気持ちは疲れ切っていたが、手招きすると、ルクスが部屋に恐る恐る入ってきた。


「すみません。アンナには絶対に触るなとは言ってあったのですが、どうも役に立とうという気持ちが空回りしたらしく・・・」


 その言い訳を、片手でストップさせて、ファンルケは「もう言うな」と、合図した。


「ルクス、この敷地内の裏門前に、使っていない家があるだろう?」

「あ、はい」

「あそこをくれてやる」

「え、あの・・・」

「だから、あの娘を連れてそっちに移れ。ただちにだ」


 椅子に腰かけているせいで、ファンルケがルクスを見上げる形になる。しかしその瞳には強い意志が宿っていた。


「分かりました。アンナはそちらに移らせます」

「お前もだ。あの娘を野放しにできるか。今日中にお前達の全ての荷物をあちらに移せ。そして、今後この家には私以外、絶対に立ち入らせるな。お前もだ」

「えっ。ですが先生。せめて僕だけでも入らないと、片付けなんてできないじゃ・・・」


 そんなルクスの反論を、瞳は全然笑っていない笑顔が、見えぬ力で押しとどめた。

 ゆっくりとした口調、間違いなく言い聞かせるような低い声で、ファンルケが通達する。


「い・い・か。もう、この家には誰も一歩も入らせるな。ここは私が全て管理する。いいな?」

「はいっ」


 その見えぬ圧力に押し流されたルクスは、ただちにアンナを連れてもう一軒の家へと移るべく、部屋を出て行った。


「ああ、そういえばかなり自分に戻っていなかったかもしれないな」


 生活無能力な男でいたのは、あくまでユリアナの為だった。

そりゃユリアナを手放した後も、面倒だったのでそんな自分でいてしまったが、元々、ファンルケはとても几帳面な男だ。

 ルクスもファンルケのことを治療以外は何もできない男だと思っているが、実はルクスよりも家事は手際よくできる自信がある。一人でも全く困らないのだ。


(失敗しながら自分なりに考えさせた方が身につくだろうと、ユリアナの好きにさせていた名残りだったか)


 ファンルケは大きく伸びをすると、周囲をざっと見渡した。

 とりあえずは家の中を全て自分のやりやすいようにしなくては。無駄な動線の多い配置は頭が悪い証拠だ。

 ぼさぼさにしていた髪も髭も、父のケルナスと同じ色というのですぐにユリアナが懐いたことが始まりだった。ケルナスは昔から髪が伸びやすいタイプで、伸ばしっぱなしにしていたのだ。

だが、もういいだろう。本来のファンルケは、髪も短く整え、髭も常に剃っていた。


(なあ、ユリアナ。もうパパがいなくても泣く夜は来ないだろう?)


 肩をぽきぽき鳴らして、深呼吸をする。 

 ユリアナの夢が当たっていたなら、そろそろ時が訪れる。


 たった一人の愛しい娘、君の幸せだけが私達の願いだ。



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