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森の中にある慣れ親しんだ一軒家。
こうと決めたらユリアナの行動は早い。セイムを泊めてあげた代わりに、畑などから収穫しておくものを収穫し、収穫物を乾かす為の小屋に運び入れるのを手伝わせた。
日持ちのする食料も用意し、セイムにも失踪と思われないよう自宅への連絡を勧める。
引っ越し慣れしていたユリアナは手早く戸締りをして、セイムと旅立った。
街に借りていた部屋は、大家に少し留守にすると伝えてあるから大丈夫だろう。
貴族からの仕事を請け負ったと言えば、大家も力強い笑顔で送り出してくれた。
そうしてセイムとユリアナがやってきたのがネーテル領だ。
「では、作戦を確認します」
「はい、軍師殿」
真面目なユリアナに対し、口調だけは重々しくセイムは頷いた。その空色の瞳は笑っている。人の作戦に従って言う事を聞くというのが、久しぶりで楽しいらしい。
二人は、遠くにネーテル城を眺められる丘の上で、ユリアナ曰くの作戦会議を開いていた。まずはネーテル伯爵の次女スザンナである。
「よろしい。私の言うことをちゃんと聞くのですよ」
「勿論ですとも」
女性の人となりを確認すると言っても、セイムはその点、全くの役立たずだ。あまりに女性慣れしていない。そもそも自分を嫌っている相手を「良かった」と称するような男だ。こんな人間が考えた作戦に乗っても、泥船で沈むだけである。
「いいですか、セイム様。女性を見極めるには、その裏を読み解かねばならないのです。それは女同士でも難しいものです。なぜなら、女は男の敵ですが、同時に女の敵もまた女なのです」
「・・・・・・壮絶なんだな」
そう言って、ユリアナはセイムに協力するけれども、その方向性だけは自分に決めさせてほしいと要求した。セイムもそれには同意する。
どう考えても自分の得意分野では無かったからである。自分の能力を見極めるのも大切なことで、セイムはその点、愚かではなかった。
「まず、私はあなた様をセイムと呼び捨てにします。違うお名前がよろしければ・・・」
「いや、構わない。どうせ偽名だ。気にせず呼び捨ててくれ、今回の依頼が終了するまで」
「そうですか。では、セイムは治療もおこなうまじない師、私はその弟で助手です。私のことはユリーと呼んでください。私は少年としてふるまいます。兄妹と言いぬけたところで、女連れの若い男などそういう奴だと思われるのがオチです。あなただって女連れで仕事をしている男など、そういうものだと思われるでしょう?」
「そうだな、分かった。今から君は私の弟ユリー、私はまじない師でセイム」
「はい。まじない師なら単なる占い業なのか、小物売りもしているのかなんてすぐには分かりません。そして荷物が少なくても疑われにくいです。ですからこれからはざっくばらんな話し方をします。どこで誰が聞いているか分かりませんから」
「分かった。もう今からざっくばらんに話してくれ。慣れておきたい」
「ああ。じゃあセイムは何か治療を頼まれても、決して一人では行かないように。僕があなたの治療を手伝うフリして、治療にあたる。そしてまじないにしても僕を助手として近くに置いておいて。どんなことがあっても僕をそばに。いいね?」
「分かった。頼りにしてるぞ、わが弟よ」
「しょうがない、そんな兄さんを放っておけないからね」
ガラリと男の子のような話し方に変えたユリアナだったが、既に髪を女性らしく高い位置で結うのではなく、黒く染めた髪をひとまとめにして後ろに流している。
若い娘なら普段も髪はおろしているのではないかとセイムが言ったところ、仕事の邪魔だから結い上げているのだとか。
セイムは、思ったよりもまじない師というものの真面目さに驚いていた。聞けばまじない師と銘打って、実は薬師なのだとか。なるほどと納得したものだ。
戦乱の時代、首をかばう為に長い髪の男は多い。そして顔を茶色い染料で汚したユリアナは、まさに少年のようだ。
そしてセイムもユリアナに染料で髪を黒く染められていた。色を薄く染めるよりも濃くする方が簡単なのだそうだ。
瞳の色は違っても同じ髪の色なのだから、顔だちはそれぞれ父親似と母親似ということでごまかせるだろう。
「まず、僕たちはまじない師一行としてご領主様の所に挨拶に行く。そして城下で数日の営業を許してもらい、そのお礼にと、何か城の中でまじない師が必要なことがあれば・・・と申し出る」
「なるほど」
「基本的に、城下で営業させてもらうお礼に無料でまじないなどを行うと言えば、治療など頼みたいこともあるだろうから、泊めてもくれるはず。そうすれば、城の人達とも親しくなれるし、ここのスザンナ様の話も聞けるってわけ」
城にも医師などがいたりはするが、有能とは限らない。腕が良さそうだと思ったら客はやってくる。いいかげんな治療で悪化した傷を抱える人も多いからだ。
「なるほど。使用人達の評価を聞き出すわけだな」
「そうそう。たとえスザンナ様に会えなくても、それなら問題ないからね」
「ふむ。しかし、簡単にその城に働く者達がそんなことを教えてくれるものかな?」
「やってみてから考えればいいよ」
なんとも行き当たりばったりだが、仕方ない。
セイムは両肩をすくめてみせたが、面白そうにも思えたので、そのままユリアナに任せることにした。
「ははっ。そういう考え方もあるか」
「普通はそんなものさ。だって出たとこ勝負が人生だからね。勿論、これは先によくよく考えた上で、後はその場で臨機応変にってことなんだけど」
いつもは自分が考える側である。だが、別にこれは戦争ではないのだ。命をかけない作戦に参加とは、なんとも思いがけない冒険になりそうだ。そう思うと、少し心が踊った。
「それはいい。どうせならそんな感じでこの結婚話もどうにか出たとこ勝負で潰れてくれりゃいいのに」
今でも深く考えると心が重苦しくなる女性との結婚話だが、セイムは今、楽しかった。
このまま失踪して、まじない師として生きていってもいいのではないか。
そう言うと、ユリアナは冷ややかな目でセイムを見やった。
「知ってる? そういうのを現実逃避って言うんだよ、兄さん」
どうも新しくできたこの弟は、キツイところがあるようだ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
さて、ネーテル伯爵は、わざわざ流れ者の挨拶に対して出てくるわけではなかった。当たり前である。領主は忙しい。
その代わり、城下の責任者でもあるファスットという男性が彼らの挨拶を受けた。
「ほう。まじない師か。どれほどの腕だ?」
「腕と言われましても・・・まじないとは心を休めるためのもの。そして行う施術もまた。こればかりは治療にあたってみないと何とも言えぬことでございます。もしも城下での数日の営業をお許しくださるのであれば、こちらのお城の方には無料で幾人か診させていただきますれば、どうでございましょうか?」
「ふむ。その後ろに居るは従者か?」
「いえ。わたくしのような流れのまじない師に従者など雇えるほどのものはございませぬ。これはわたくしの弟にして助手でございます」
「弟か。弟よ、顔をあげよ」
「はい。ユリーと申します。お目にかかれて光栄です、騎士様」
「おや、立派な挨拶だな。ユリーは助手をしておるのか」
「はい。兄の手伝いとして薬草の買い付けや手入れ、簡単な治療もいたしております。もしも右肩の痛みが厳しいようでしたら、煎じ薬も兄の指導の下、ご用意させていただきますので、その際にはお声をかけてくださいませ」
右眉をピクリと上げて、ファスットはユリアナに視線を固定した。
「どうして右肩だと?」
「先ほどから兄がファスットさまの右肩を気にしている様子でしたから」
もちろん、嘘だ。セイムは何も気づいていなかった。
「それは気づかなかったな。まじない師殿、この右肩に気づいておったか」
「・・・気になってはおりました。弟は、生まれた時から私と一緒におりますせいか、私よりも私のことに詳しい時があるのでございます」
セイムにしてみれば、何のことか分からないので、どうとでも取れるようなあいまいな言い方に留める。
辺境の地であれば、流れ者すら他地域の情報をもたらしてくれる存在だ。たとえヤブでも問題は無い。というか、ヘタに有能だと思われたらぼろが出てバレてしまう。
うまく入りこみたいが有能すぎてもまずい。悩ましいところだった。
「僕はまだ助手ですが、いずれは兄のようなまじない師になりたいと思っております。よければ僕に、その為の経験を与えていただけませんか?」
「ふむ。面白そうだな。では、試しに頼んでみようか」
「はい、ありがとうございます。 ・・・兄さん、騎士様が良いって言ってくださったから、今回は僕にやらせてね。だけど僕が間違ったらすぐに言ってよ。騎士様に間違いがあったら困るから」
「ああ、分かった」
そうしてユリアナはファスットに近づくと、
「すみませんが騎士様、服を脱いでいただけないでしょうか?」
と頼み、上半身が裸になったファスットの右肩に触れながら、質問を始めた。
肩に軽く左手をあてて、右手で腕を持ち、その腕を前や後ろや横に動かしてみる。
その際、痛みが走るのがどういう方向に向けた時なのか、冷静にファスットの表情をユリアナは見ていた。
「痛みがあるのですね。それはどういう時ですか?」
「そうだな。常に雷のように痛みが走る」
「夏と冬では、どちらがその痛みも強いですか?」
「冬だ」
やはり痛みが走ったのか、反射的に腕をかばったファスットに対し、ユリアナはその部位に手のひらを当てた。
「この痛みのきっかけに心当たりはありますか?」
「あると言えばあるが、無いと言えば無い。痛みや傷のない騎士などおらぬ」
「ほかに痛い場所がありますか?」
「腰なども痛みがあるが、肩ほどではない」
「脚はどうですか?」
「脚はどうもない」
その言葉に、脚に視線を落としたユリアナだが、「うわ、いい体」とか呟いている。
たしかにファスットの腰から下は、上半身よりも良い筋肉がついていた。その言葉にファスットも苦笑を漏らす。咎める程のことではないからだろう。
「夜、眠る時はどうですか?」
「眠る時も痛みがあるが、寝てしまうと痛みは忘れる」
「この辺りは湿気が強いですか?」
「そうだな。年間を通して霧が出る」
「明日はお休みですか?」
「明日の朝は休みだが、昼過ぎからは仕事だ」
質問の間にも、ユリアナは様々な場所を押したり、つかむように握ったりして、反応を見定めようとしていた。ベタベタと触っているかのようではあるが、時々、「ふんっ」と掛け声を立てて、盛り上がった筋肉に手のひらを押し付けたりもしている。
セイムは何も言えず、ただ見ていた。
最初、椅子の上でアレコレしていたユリアナだが、やがて床にセイムと自分のマントを敷くと、そこに横たわるようにファスットに言う。
床の上に寝ろとは、ファスットが怒るのではないかとセイムは思ったが、ファスットはおとなしくその指示に従った。
筋肉をほぐそうとするかのように、ユリアナが背中や首や腕など、様々な場所に指やヒジなどを当てていく。時には、腕を持って無理な姿勢をとらせたりもしていた。その合間にも、体を強く探るようにこすったりして、見ていると、まるで骨や筋肉と格闘しているかのようだ。
やがて、それらを終えるとユリアナはファスットに、
「もう服を着てくださって大丈夫です」
と、声をかけた。
「お薬を渡しますので、鍋にそのお薬とお水を入れてゆっくりと沸かしてください。それからその上澄みを飲んでください。それとは別に、鍋にお湯を沸かし、そのお湯に布を浸して絞り、熱い状態の布をそのまま肩にあててください。痛みが軽くなると思います。まだお時間があるようなら、ここで一度お薬を煮出しますけど」
「ならばしてもらおうか」
「はい」
暖炉の片隅を使って、ユリアナが荷物の中から旅用の携帯小型鍋などを取り出して薬草を煎じていく。
持っていた布を熱い湯に浸して絞り、その熱い布を痛むという部位に当てて温め、更にそのまずそうな薬湯に甘みをつけたりして飲ませたところ、ファスットの表情が緩んでいった。
「ふむ。体が軽くなった。助手ということだが、もうまじない師として独立できるのではないか?」
悪戯っぽい表情をファスットが浮かべる。
「いえ。僕はまだ兄の助手にすぎません。まだ兄から学びたいことが沢山あるのです」
「そうか」
「今夜飲んでいただくお薬は、今夜だけです。明日は飲んではいけません。なぜなら、今晩飲んだら、明日の朝にはあまり筋肉を動かせない状態になります。その代わり、明日のお昼からはかなり肩が楽になることでしょう」
乾燥した薬草の入った籠を取り出し、ユリアナは考え考えしながら薬を作り上げていく。
「さっきの薬湯、体のどこの部分が熱くなりましたか? あと、苦味とかえぐみとか、耐えられないと思うのは何でしたか?」
その合間にもファスットの意見を聞いては、配合する量を決めているようだった。
やがて渡された薬の香りを嗅いでから、ファスットはユリーに微笑んだ。
「なかなか良い腕のようだ。城の中にしばらく留まり、その後、城下で営業をしていくがいい。従業員の区域に部屋を用意させよう」
「ありがとうございます」
どうも弟よりも腕が劣るのがバレている気がする。
そんな思いを抱きつつ、ともあれ城に滞在できるのであれば問題ないと、セイムはそのことを考えないことにした。
(思えばユリアナ・セイドックの名を知ったのも、彼女が貴族にも顧客を持っていたからだ。腕は悪くない筈だった)
張り合ったところで生きる世界が違うだけだ。意味などない。
どうせ自分の真価はまじない師としての腕にあるわけではないのだから。
(だけどなぁ、この人も騎士なわけだろ。気づかない筈がないと思うんだ、ユリー)
ぱっと見は少年に見せかけたところで、マントを脱ぎ、シャツをまくり上げた腕でかなり筋肉のある成人男性の体をほぐそうと格闘していたのだ。
怪しいと言えば怪しいが、旅というものが女性にとって安全ではないことを考えれば妥当なところか。
恐らくその怪しさに目を瞑ってくれたのは、痛むという体が楽になったからだろうなと、セイムは思った。