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愛されて産まれてきたのだと、そう信じていた日もあった。穏やかな日差し、穏やかに相手をしてくれる父親、優しく微笑む母親、そして笑い転げる自分達。
過ぎ去った日はあまりに遠い。
「エイリ様。どうなさいました?」
「なんでもないわ。お父様はもうお戻りになったのね?」
「はい。旦那様は奥様の所にいらっしゃいます。もうすぐ夕食ですので、エイリ様を呼びに参りました」
「ありがとう。すぐに行くわ。フォル達と一緒に行くから」
「かしこまりました」
弟のフォルの所へ向かい、そのまま食堂へと誘うと、フォルは嬉しそうについてきた。
「エイリねえさま。きょうはとても、からだがわくわくです」
「良かったわ。顔色も良いわね」
「はい。このままげんきになります」
「ふふ。フォルは本当に頑張り屋さんね」
「はいっ」
フォルと一緒に、ロレアの部屋に向かう。扉を開けて、エイリは目を丸くした。
「何をやっているの、ロレア?」
「あら、お姉様。もう食事の時間?」
「そうよ。あなたは一体・・・」
「んー、ちょっと製鉄に興味が出たから・・・」
製鉄に興味が出たら部屋を武器だらけにするというのか。エイリは頭を抱えた。
意匠もそれぞれに、高そうな物から安そうな物まで様々な剣や刀、矢じり、槍の穂先などが、床の上で足の踏み場もない程にごった返している。机の存在など知らぬかのように、その床に座り込んで、ロレアは様々に書きなぐったものを周囲に散らかしまくっているのだ。
これが、カンロ伯爵令嬢の部屋・・・。あり得ない、あり得ていいはずがない。
「すてきです、ロレアねえさま」
「あら、フォルもいたのね。危ないから触っちゃ駄目よ。見るのは良いけど。あ、欲しかったらあげるから、黙って持っていかないでね」
「はいっ。ありがとうございます、ロレアねえさま」
「うんうん、フォルは素直ね。カッコイイ剣を選んであげるからね」
「はいっ」
男の子だから武器には憧れるのだろう。フォルの目が輝いている。エイリは頭痛がする思いだ。
「とりあえず夕食よ。まずはいらっしゃい」
「はーい」
渋々ながら、ロレアは見ていた書物を置いて立ち上がった。エイリとロレアとフォル、三人は三人共、金色の髪に緑の瞳と、良く似た顔だちと雰囲気の姉弟である。
性格はそれぞれに違っていた。
食堂へと階段を下りて向かいながら、ロレアが話し出す。
「問題は私の腕力ね。明日から鍛えなくっちゃ」
「何をするつもりなの、ロレア。あなた、まさか変なこと考えていないでしょうね」
「変なことなんて考えてないわ。ただ、私は今までとは違う武器の形状を考えているの。だけど誰かに作らせるよりも、自分でやった方がいいでしょ。・・・だって、何かというと、『剣も握ったことのないお姫様が、変なことを言い出さないでいただきたい』で、私が考えた形状の武器なんて全く作ってくれないのよ、あいつら」
「・・・ああ、もう、勘弁してちょうだい」
「大丈夫よ。鍛冶小屋は既に城の隅に作らせたわ。あとは私が出来るようになればいいだけよ」
「誰よ、あなたにそんな物を作ってもいいって言ったのは」
「お父様はいいっておっしゃったけど?」
エイリはがくっと肩を落とした。まさかの父の裏切りである。
城主が了承したのであれば、もう反対などできない。
「ロレアねえさま。ねえさまはぶきをおつくりになるのですか?」
「ええ、そうよ」
「それならボクは、ねえさまのおへやにあったものよりも、ロレアねえさまがつくったぶきがほしいです」
「まあっ。任せておいて。フォルにぴったりの物を作ってみせるわ」
「はいっ」
エイリは、後ほど父の部屋に行って直談判しようと決意した。このままロレアを変な道に行かせるわけにはいかない。
ロレアの手は鍛冶をする為にあるのではない。
姉の自分が言うのも何だが、ロレアは美しい娘だ。武器を作るなら鍛冶師に任せておけばいい。
ロレアがすべきは、その美しい顔で見込んだ男に微笑み、その恵まれた肢体で人の目を引きつけ、その頭脳と唇で世の中を渡っていくことにある。
そうでなくて、どうしてこのフォルを支えてカンロ領を維持できようか。
エイリは小さく首を振った。
「ねえさま?」
「何でもないわ。良かったわね、フォル」
慌てて笑顔を作ると、エイリは心配そうに見上げてくるフォルに優しく微笑んでみせた。
― ◇ – ★ – ◇ ―
食事を終えるとエイリは父親の腕を取り、ぐいぐいと父の部屋へ連れこんだ。
その様子を見送った家族も、いつものことだとそんなものである。
「どういうことですの、お父様。よりによってロレアに鍛冶場など与えるなんて」
「どういうもこういうも、可愛い娘のおねだりに逆らえる父親は少ないと思うがね。エイリも鍛冶小屋が欲しかったのかい?」
「タダでもいりませんわ」
「そうか。お前は昔から欲しいものを我慢しては妹や弟に分け与えてしまう子だったからね。たまには我が儘を言ってくれていいんだよ? 欲しいものはないのかい?」
「・・・ありませんわ」
カンロ伯爵は、やれやれと困ったような顔でエイリを見やった。
「ほら、立っていないで座りなさい。私もたまには可愛い娘とゆっくり話したい。ロレアやフォルがいると、どうしてもお前との話は後回しになってしまうからね。物わかりのいい娘がいると甘えてしまうものだな」
エイリは黙って椅子に腰かけた。
父親は娘に甘いと言うが、自分もまた父親に甘いのだ。父に誘われると断れない。
エイリの向かいに腰かけると、カンロ伯爵は嬉しそうに相好を崩した。
「そうして座っていると、まるで出会った時のリネスのようだ。エイリが一番リネスに似ているな。リネスがリネスそっくりのお前を産んでくれた時、世界は輝いて見えたよ」
「お父様」
「早いものだ。私達の宝物は、こんなにも美しく育ってしまった」
「美しいというのであれば、ロレアの方が美しいですわ」
「そりゃロレアもリネスに似て美しいが、お前の美しさはその芯にある。誇り高さとも言うが。それはリネスに似ていながら、他の誰でもない、お前だけが持つ魅力だよ。どちらかというと可愛らしいリネスとは別の美しさを、既にお前は持ち得ている」
今もなお仲の良い両親である。ましてや、こうして言葉を惜しまぬ父といると、本当に愛されているのだと思えてしまう。
エイリは泣きたくなった。
だが、ここで絆されるわけにはいかない。
きっと顔をあげ、エイリはカンロ伯爵に向き直った。
「そんなことはどうでもいいのです。お父様、お父様はいったいロレアを、そしてカンロ家をどうするおつもりなのです?」
「どう、とは?」
カンロ伯爵の緑の瞳に、面白そうな光が宿る。
「お分かりのはずです。未だフォルは体も弱く幼い身。フォルが立派に成人して妻を娶って子を成し、名実共にお父様の跡を継げるようになるまで気は抜けません。私なりロレアなり、フォルが成人するまでの間、カンロ家を支える必要があります」
「・・・その通りだ。エイリ、お前は本当に物事の道理というものを知っている」
「このままフォルが弱い体であれば、いらぬ騒乱を呼びましょう。私かロレアは、フォルが成人するまでの間だと割り切って当主の後見に徹することのできる男を見つけ出し、婚姻を結ぶ必要があります」
「ああ、そうだな」
カンロ伯爵が少し面白くなさそうな顔になる。
言葉では「そうだな」と言いながら、その顔には「クソ食らえ」もしくは「ケッ」といった思いだけが表れていた。
同意していても、内心では全く同意などしていないだろう。
昔から娘の結婚に対して、カンロ伯爵は不機嫌になる傾向があった。
「真面目に聞いてください、お父様。人は変わるものです。一度手に入れたものを手放すことのできる人間は少ない。カンロ伯爵家の後見人という地位を一度得た者が、フォルが大きくなった時にそれをあっさりと放棄できるものでしょうか。ロレアの婿がそうであった場合、ロレアがそれを阻止できるとはとても思えません。ロレアは、・・・自分の感情に素直すぎます」
「その通りだ」
「ロレアは嫁がせるべき娘です。運の良いことにロレアは美しい。カンロ家の為になる相手に嫁がせれば、きっとその相手はロレアを、ひいてはカンロ家をないがしろにはしないでしょう」
「ふぅん。で、お前はどうするんだい?」
ますますカンロ伯爵は不機嫌になる。
「フォルが成人するまでの間、私が婿をとってカンロ家を支えます。たとえ私の婿がカンロ家を乗っ取ろうとしても、私自身がそれを阻止しましょう。私は、・・・夫よりも弟を、カンロ領を取ることができる人間です」
伯爵の不機嫌さは更に上昇した。
娘が嫁ぐ話題も、娘が婿をとる話題も、カンロ伯爵にとってはゴミ箱に捨てたい話題なのだ。しかし、娘の話をそう言って止めるのも大人げないと思ったのか、一応は相槌を打ってくる。
「そうだろうな。エイリ、お前はそれができるだろう。・・・だからか、私はお前が不憫でならない」
娘への愛情が滲む伯爵の言葉。後半は哀愁すら漂う声音に惑わされたら、この話は続かない。
今までの敗戦記録から学んでいるエイリは、遠慮なく話を続けた。
「私が私であることに、不憫さなどありません。お父様、ロレアを嫁がせるのであれば、ロレアが身につけておくべきは武器作りの技ではありません。妻として夫に望ましいと思われること、まずはそういったことを優先すべきではありませんか」
「その通りだ。だがエイリ、人というのは思った通りに動くものとは限らない」
「それはそうでしょうが、この場合は別に・・・」
カンロ伯爵は何かを思うかのように、目を閉じた。
「お父様?」
やがて、立ち上がるとエイリの傍にやってきて、その頬に優しく両手を添えて、上を向かせる。
父と娘の視線が交わった。
「本当に美しく育った。エイリ、お前の考えは正しい。だが、お前には見えていないものがある」
「見えていないもの?」
「そうだ。きっとそれはお前が見たくないものなのだろう」
「・・・どういうことですか、お父様?」
「今はまだいいとしよう。お前がまだ見る必要のないこともある。私はお前が愛しい。だからこの話は少し保留しておきなさい」
「教えてください、お父様」
「エイリ。覚えておきなさい。私が誰よりも一番愛しているのはお前なのだと」
エイリの動きが止まった。自分が聞いた言葉が信じられなかったのだ。
「さあ、もう帰ってお休み。ロレアのことは好きにさせなさい。私にも考えがあってさせていることだ」
「・・・はい、お父様」
呆然としたままだったが、エイリは父に促されて、自室へと戻った。
自分の耳が信じられなかった。
(お父様が私を・・・? 嘘よ、そんなの。だって・・・)
混乱したまま、エイリは夜が明けるまで、ベッドの中でぐるぐると答えの出ない問いを考え続けていた。




