19 裏 カスクレ村の娘
教会は常に開かれている。そんなのは建前だ。しかし、その建前が大切な時もあるのだ。
「天におわします我らが・・・」
神父は祈った、失われた命の救済を。
後ろのベンチでは、カロンが寝そべっている。彼は教会を自分専用の宿だと思っているようで、夜には鍵を掛けて閉めている教会だというのに、わざと鍵を開けさせておくのだ。
全くもって迷惑である。
とても迷惑だ。
(さっさと出てけ、この疫病神が)
神父は、教会の庭にカロン用の宿泊テントを設置してでも外に追い出したいと思っているくらいである。だが、カロンは外だと人目につくからと、わざわざ教会の中を使うのである。
すごく迷惑だ。
(こいつになんてバラすんじゃなかった)
キィと扉が音を立てて開いた。
またかと、神父は思う。
もう、うんざりだ。
しかし神父は職業にふさわしい笑顔を浮かべて振り返った。
「こんな夜に教会へ来るとは・・・。何か祈りたいことでも?」
「・・・いえ」
教会の戸口に立っていたのは、若い娘だった。思いつめたかのような顔は、それこそ魂の救済を求める苦悩に満ちている。
(ああ、この娘は・・・)
小さな村だ。神父も顔と名前と家族構成ぐらい把握している。
あたら若い命をと、神父は思わずにいられない。だからこそ、神の導きをこの迷える子羊に指し示さなくては。
「何か懺悔したいことがあるのですか? それでしたら・・・」
「・・・いいえ」
「いいのですよ、相談したいことがあるからいらしたのでしょう。どうぞこちらへ」
そう促そうとしたが、その娘の視線は、一人でベンチに寝そべっている男に向けられていた。
「若い娘さんが、そうはしたなく男性を見るものではありませんよ」
そう言って娘の方へ近寄り、腕を取って連れ出そうとした神父だが、娘の方が早かった。カロンに向けて走り寄る。
そのまま体ごとぶつかって抱き合ったかのように思いきや、娘はやがてゲフォッと血を吐いた。
カロンが起き上がる。
「ああ、また血まみれになっちまった」
娘を抱きかかえながら呟く姿は、ただ面倒だなといった気配以外の感情を見せない。
「それはこっちのセリフです。洗い流すのがどんなに面倒なことだと思ってるんですか」
「だから手間が無いように、ベンチを一個しか残してないだろ?」
「そういう問題ではありません」
本当にうんざりだ。
カロンが教会で寝起きしていると知って、娘が忍んできては返り討ちにあうのは。
「彼女はたしか、・・・身ごもっていた筈です」
苦々しいものを内包した神父の声が、虚しく床に落ちた。
「産んでやればよかったのに」
「敵国の血をひいていると分かっている子供を産むわけにもいかなかったのでしょう」
楽観的なカロンの言葉に、神父は中立的な意見を述べる。
「別に敵国の人間でも同じ血を持った人間だ」
「あなたには分かりませんよ」
「・・・そうかもな」
自分の家族を殺されていても、情が移ることはある。敵国の兵士達といえども、彼らも命令に従っただけだと思うようになるのだ。
しかし、敵兵全てが殲滅された今となってはどうか。
(哀れなことだ。余程、思いつめてしまったのだろう)
神父は娘のありし日々を思って目を閉じる。一対一ならばともかく、自分もまた兵士達を相手に犬死にはできず、扇動もできなかった。
教会にとってはどの国の人間であっても、神を信仰する民だからだ。
踏みにじられていく村人達に心を痛めても、それでも自分は教会の命令無しに戦うことなど許されてはいない。その鬱屈がカロンに自分の力の一端を見せることになり、それがこの結果なのだ。
(一番愚かなのは私か)
敵国の兵士達に占領されていた時のことを、誰もが
「みんな被害者だったよね」
と、手を取り合って慰め合えるようにはならないものだ。いち早く敵兵に迎合した者とそうでない者との間には、こんな小さな村だからこそ既に越えられぬ溝が生まれている。
――― あの男がいなければ、敵国の兵士達が皆殺しにはならなかった。
そう思う人間は一定数いる。
(この男の取った手段が、一番被害が少なかったのだとしても)
カロンが身を起こすと、彼女がカロンに突き刺そうとしてそのまま自分の心臓に刺すことになった刃物から血がぽたぽたと滴った。
そのまま娘を抱きかかえると、カロンは教会の外へと出ていく。
教会の裏手には、既に墓穴が掘られている。そこに娘を埋めるのだろう。
(殺してやるのが情けのつもりなのか)
カロンが手の届かない所にいれば、彼女達も復讐など諦めるしかなかっただろうに。
そんなことを思いながら、神父は水の入った桶を持ってくると、雑巾で血を拭き取っていった。
善か悪か。
そんな割り切り方ができることなど、神の世のことだけだ。人の世は割り切れぬことばかりでできている。
神父にも、自分の家族を殺した相手を愛すること、それを本質的には理解できなかった。
勿論、今も憎み続けている娘達もいる。だが、そうではない娘達もいる。だからカロンに刃を向けるのだろう。
(一人殺してどうにかなるなら、私とて・・・)
神父自身も戦う力が無いわけではない。しかし、まずは耐えて忍ぶように訓練されている。こういう所に派遣される神父は、暗殺行為すら叩きこまれた神の兵士だ。
それでも神父が戦う時は、教会が命じた時だけである。常に自分は、あくまで無力な神の伝道者たらねばならない。
それゆえに、このカロンと娘達の一方的な殺人にはうんざりであった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
既に幾つか掘られている土の中に、娘を埋める。カロンは、月の光だけを頼りに土をならした。
低く小さな声で、かつて自分の故郷で使われていた祈りの言葉を唱える。
「この魂に明るい旅路があらんことを・・・」
カロンも、神父の気持ちは十分に知っていた。同時に、神父は何も分かっていないとも思う。
(教会で死ぬのなら、天国とやらに行けるんだろう?)
自分で死ぬ勇気もない人間が、返り討ちにあうことで死ぬしかないと思ったのであれば、せめて苦しまぬように、そしてせめて神の御許でこそ逝かせてやるべきではないのか。
それこそが救いではないのか。
生きることがどれ程の苦痛となるかも本質的に理解などできないくせに、きれいごとにはうんざりだ。
(俺達は戦場の露と消えても、あんた達は普通の娘さんなんだ)
生きていればこそ、とも思う。
生きる世にこそ地獄がある、とも思う。
神父もカロンも、結局は矛盾しているのだ。
絶対的な正しさなど存在しない。
(今夜の月は明るい)
カロンは、月を見上げた。
あの日、自分の父親を殺した剣が太陽を映して光ったことを思い出す。
そのまま殺してほしかった。
絶対に死にたくなかった。
――― 彼女はたしか、・・・身ごもっていた筈です。
神父の言葉が耳に蘇る。
(産まれてくるのは、死んだ敵国兵士の子供、か)
たとえ孕んだ娘に他の選択肢などなかったとしても、そんなことを人は考えてなどくれない。
産まれてくる子供も、何の罪も犯していないのに、父親はこの村に入りこんで殺された兵士であり罪人であると言われて育つのだ。
そこにどんな救いがあるというのか。人は決して高潔ではない。
自分だからこそ分かる、周囲からの蔑みの中で生きる日々の辛さ。
― ◇ – ★ – ◇ ―
ガサッと、土を踏む音がした。建物の陰になって、相手の姿は見えない。
それでも誰かは分かる。
「何か手伝うことはあるか?」
「いーえ、全く。どうせなら、もっと早く来て埋めるのを手伝ってくださいよ」
わざと軽薄にカロンは答えた。
「今来たばかりなのでな。神父殿がプリプリと怒っておったぞ。日中の内に教えてもらえば対処はできたのだが」
「日中は大勢の人の目がありますからね。猫かぶりで忙しい神父サマは言えなかったんでしょうよ」
「なるほど」
沈黙がしばし落ちる。
自分の気持ちを見透かされているような気がして、カロンは居心地悪く言葉を繋いだ。
「恨み言をぶつけるだけで帰るなら良し、そうでなければ・・・です。これに関しては手伝ってもらうことはありません」
「お前はそれでいいのか?」
「多分、俺が一番、・・・彼女達の気持ちが分かる。ま、一種の退屈しのぎです」
偽悪的な言葉に本意を紛らわせ、辛かった昔を思い返す。
そうと取ったか、相手も踏みこむ気を取り下げたようだった。
「お前がいいなら、別にどうでもいい。良い酒が手に入ったんで、わざわざ呼びに来てやったんだが」
「そんな気分じゃありません」
腕の中で消えていった命。その最後の表情は、やっと救われると言わんばかりではなかったか。
生きたかったのか、死にたかったのか。
その本当の気持ちを、彼女だって分かっていただろうか。
「だろうな。じゃあ、将軍にはそう伝えておく」
「待ってくださいっ。行くっ、行きますっ」
「水浴びしてから来いよ、小僧」
慌てて水を頭からかぶって布で拭い、着替える。血糊のついた服は洗って木に干しておく。
こうして自分の父親を殺した人間に執着し続ける自分もおかしいのだろう。
戦に明け暮れる人間はおかしくなると聞いているが、自分もまたその一人なのだ。
(どうして俺はあの人から離れられないんだろう)
カロンは溜め息をついた。
カスクレ村に、少し離れた野営地からの酒に浮かれた喧騒が、風に乗って小さく響いていった。




