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ユリアナは、その条件が分からずに悩んでいた。
「今日のお客さんはダメだったんだよね。兄さんの場合、どうして大丈夫な人とダメな人が分かれるんだろう?」
「俺に訊かれても分かるか」
体の熱を冷ます薬湯を作り、ユリアナはセイムに差し出した。受け取ると、セイムはそれをごくごくと飲み干す。
女性嫌いのセイムが間違って女性に接近しすぎてしまって肌にブツブツが浮かんだ時は、しばらくこういったものを飲んで休んでいれば落ち着くのが早いと分かったからだ。
既にかゆみをひっかいてしまったおかげで、セイムのあちこちにみみずばれが出来ているが、ユリアナはそれにも眉をひそめた。
「この間の可愛らしい女の子は大丈夫だったのに。今日の子も可愛かったけど、どこが違うんだろう」
「さあな」
本人はもう投げやりである。ユリアナが差し出した傷薬も、
「後で、川に行って水浴びするからいらない」と断り、床に座り込んだ。
「そんなことよりも飯にしようぜ。早めに食って寝た方がいい。お前もけっこう疲れてるだろ」
「うん。別に働きすぎているわけじゃないんだけど、この暑さって結構くるね」
「今日は早めに食って寝ろ。それしかない。目的をはき違えるな、ユリー。お前がすべきは、明日の仕込よりも体調を整えることだ」
休むことと食べることの大切さを、理屈ではなく体で知っているセイムは、動こうとするユリアナを制した。
ちょうど同じ市場で売っていた店の売れ残りの鳥肉を安く売ってもらったので、ユリアナはそれを裂いて塩を振り、香草を擦り込んでから火で炙った。
「うまそうだな。何の肉だ?」
「うーん、鳩でもなさそうだったし、雉かなぁ? あそこ、あとは焼くだけにして売ってくれるから、評判いいんだよね。ついでに、食べられる内臓も一緒に切り分けておいてくれるし」
その鳥肉の肝臓は刻んで香草などと混ぜ込み、水から煮込んでスープにしている。今日は、お店のおじさんに教わった通り、その中にレモンの果汁をたっぷり入れてみた。
「へぇ。さっぱりしていてうまいな」
「そうだね。こんな味付けの仕方があるんだ。知らなかった」
フィツエリ男爵家のルーナ姫に関する情報は全く入らず、二人は市場の人達と仲良くなることでの情報収集に切り替えていた。
長く行商をしている人間は色々な情報を持っているからだ。
そうなると話しかける為の買い物も増えてしまい、セイムは変わった武器や衣類や砥石に、ユリアナは珍しい調味料や味付けに、好奇心をそそられてしまっていた。
「そう言えば聞いた? なんか明日から軍隊が逗留するって」
「ああ。だが、別に一仕事終えたついでに寄るってだけで、街の外に野営するって話だ。街の中に入ってくるのはお偉いさんだけだろう。何もユリーが心配することはないさ」
「うん・・・」
「兵士に土産を売りつけようとしている奴も多いようだし、ユリーも傷薬とか売れるかもしれん。何かがあれば俺がどうにかする。だから怖がる必要はない」
「うん」
普段は夜になったらこっそりと与えられた小屋を出ていくセイムだが、その日は結局出て行かなかった。
ただし、時々外で物音がする度に、低い声で誰何していたらしい。夢うつつにセイムが「何の用だ」と凄んでいたような気がするユリアナである。
まさか目端の利く商人達が、ユリアナが男子ではないと気づいてちょっかいをかけようとしていたとは思いもせず、ユリアナは朝まで深く寝入っていた。
― ◇ – ★ – ◇ ―
街の外に軍隊が大きな野営を張ったらしいが、交代で兵士達が街へと買い物に来てくれる。市場はかなり賑わっていた。
王都に戻る途中らしく、兵士達も帰りを待つ人への土産物など楽しそうに選んでいる。軍隊というので不安があった住民も、かえって自国領の兵士達よりも行儀が良いのではないかと、かなり好意的だ。
「こちらが傷薬です。ただし、化膿が広がってしまっている時は、まず傷口にこれをつけないでください。最初に綺麗な水で洗ってから・・・」
「ちょっと見てくれないか。実はこの傷なんだが・・・」
ユリアナも盛況という程ではないが、それなりに客が来ていた。兵士にしてみれば、傷薬は必要不可欠なのだ。ついでだからと同じ市場で布を購入しておき、傷口に当てたり巻いたりするのに便利な形に仕立てて、ユリアナは並べてみた。
塗り薬をまとめて購入してくれた客には、その布で薬を包んで渡すと、持ち帰った後で布も有効活用できる。
今日、来てくれているお客は小隊長らしい。
「うわぁ。偉い人なんですね。お城とかに行かなくても大丈夫なんですか?」
「はは。そういうのは部隊長とか将軍とかだな。俺は小隊長程度だから、せいぜい兵士の監督くらいだ。坊主は一人でやってるのか?」
「いいえ。兄とです。兄は今、ちょっと出てますけど」
「そうか。だが、一人は危ない。きちんと兄さんにもいてもらえ」
「はい、ありがとうございます」
まさか顔見知りに会ったら面倒だからいないのだとは言いにくい。所属が違ってもセイムの顔を知っている人は多いそうだ。
また姿を見せていないだけで、倉庫を兼ねたすぐ裏の小屋にはセイムの部下達が交代で詰めてくれていた。トラブルがあればすぐに出ていけるように、である。
「ところで坊主は傷の手当てにも慣れているのか?」
「まあそれなりに、ですけど」
「もしかしたらお前さん、ワッルスアにいなかったか?」
「・・・・・・え」
「やはりそうか。どこかで見た顔だと思ったんだ。お前さん、あの時、治療見習いしてた坊主だろう」
「もしかしてあの時の・・・」
「おうよ。あの時は世話になったなぁ」
「お怪我はもう大丈夫ですか」
「ああ、おかげさんでな」
「良かった」
その男のことは覚えていなかったが、ワッルスアの戦いでは、ユリアナは怪我を負った兵士達の治療を行う集団に参加していた。男も嬉しそうに笑うと、少し声を低めた。
「ところで、ちょっと訊きたいんだが」
「はい?」
「あの時、お前さん達が使っていた傷薬なんだが、どうも効きが良かったんだが、あれ以来、あんなによく効く塗り薬を見たことがないんだ。あれは手に入るのか?」
ユリアナはちょっと考えると、
「少し待っててください」と、後ろの小屋に入る。身を起こしたセイムの部下に目と表情で「大丈夫」と合図すると、がさごそと荷物を探って一つの塗り薬を取り出すと、それを持って、表に戻った。
「実は、あの薬はいささか希少なお薬でして・・・。普通の傷薬よりもお値段がかなり高くなるのです。また、あまり数が多く出回らないので、こちらも自分からわざわざ多くは売り出しません」
「なるほど」
「おそらく、この塗り薬だったと思うのですけど」
ユリアナがそこで蓋をあけて見せると、小隊長はくんくんと鼻をならした。先だって、わざわざユリアナが訪ねて手に入れてきた特別な傷薬である。
「おうおう、このニオイだ。懐かしいと言うか、くさいというか、コレだコレ」
「・・・これで銀貨一枚になるのです」
「なるほど、たしかに高いな。だが一個くれ。治りがあまりに違いすぎるんだ」
「はい」
ユリアナは銀貨を受け取ると、色々と注意を説明しだした。
このまま使うのが一番効くが、もしも量が少ないのに傷の範囲が大きい時など、薄めて使う方法である。
また効き目を良くする為に、まずは傷口の洗浄を行うことや、そして使い方についても、ユリアナは細かく教えた。
「なるほど。ところで数が少ないと言っていたが、もう残りは無いのか?」
「ありますが、値段が値段ですので・・・」
「ああ、なるほどな。もしかしたら他の奴らが欲しがるかもしれん。現在、何個ほどある?」
「仕入れたばかりですので、それなりには」
そこで誰かを捜していたらしい男が近寄ってきた。
「小隊長。すみません」
「おう、どうした?」
「・・・狼が親父をめぐって姫と決闘騒ぎです」
こっそりと話しても、けっこう聞こえてしまうものだ。しかしユリアナには全くもって意味の分からない説明だった。
姫をめぐって父親と狼が決闘、なら分かるような気もする。
意味不明だが、小隊長には分かったらしい。
「じゃあな、用事ができた。また来るよ」
「お気をつけて」
愛想よくユリアナに笑いかけると、その男と一緒にさっと去ってしまった。すると、後ろの小屋からセイムの部下が出てくる。
「すみません。先ほど、どういう会話だったか聞こえましたか?」
「えっと、それが・・・。狼が親父をめぐって姫と決闘? だったと。すみません、訳分かんないですよね。聞き間違いだと思います」
「いえ。間違ってないですよ、多分。すみません、ちょっと私も抜けます。一人残しておきますので」
「あ、はい」
セイムの部下も一人去ってしまった。後ろの小屋に下がり、残されたもう一人に今の状況を説明すると、彼もまた理解したらしい。
「普通、お姫様をめぐって父親と狼? というか青年が決闘するんですよね?」
「まあ、普通はそうなんでしょうね」
「狼さんは女性なんでしょうか。それともお姫様のお父さんは、狼にも好かれる調教師だったんでしょうか」
「・・・私はコメントできない立場なので。ま、自分は普通の人生を歩むだけですよ」
「なるほど、真理です」
疲れたような表情の彼は、大きく伸びをした。
「さすがに暇を持て余しました。こうなると小隊長クラス以上は全員招集がかかっていることでしょう。となると知り合いに会う確率も少ない。一緒に売り子さんでもしましょうか」
「ありがとうございます。助かります」
尚、ユリアナよりも、セイムの部下の方が売りつけるのは上手だった。
いつもより多い売り上げに、ユリアナはひそかに落ち込んだ。




