18
ユリアナが出した小さな店で、二人の少女が、楽しそうに香油の品定めをしていた。
「うわぁ。この香油、甘い香りが素敵。ほら、どう?」
「本当ですね。だけど、こっちのも清々しくていいですよ。ほら、嗅いでみてください」
「あら、本当。とても気分が良くなりそうだわ」
頭から薄物のベールをかぶってはいるが、一人の少女は小麦色の髪に白い肌、もう一人の少女は黒い髪に褐色の肌で、対照的なイメージだがとても仲が良いのが分かる。
そんな可愛い客の姿を、にこにことユリアナは眺めていた。
母親に贈るのに良いものはないかと問われたのだが、薬関係は多く持っていたものの化粧品関係の手持ちは少なかったため、香油を出してごまかしたのだ。
ごまかしたと言っても、ユリアナは森や畑で育てた植物や購入したものなどをブレンドして香りを丁寧に抽出しており、品物の質は決して悪くはない。ただ、種類と品数が少ないだけである。
「だけど、やっぱり私はこっちの甘い香りのにしておくわ。気に入ったの。お母様も喜んでくれるかしら」
「では私はこちらの清々しい香りを、母に買っていきましょう。私は自分のとあわせて二つ買っていきますけど」
「あ、じゃあ、私も二つ買っていくわ。そうよね、私も使ってみたいもの」
「ああ、お嬢さん方。お母様に贈るのであれば香油をお勧めしますけど、ご自分で使われるのであれば、同じような香りでこちらはいかがですか?」
ユリアナは香油ではなく、香りを練りこんだクリームを差し出した。
「お嬢さん方の場合、お若すぎるので、香油を塗りこむ必要がないのです。どちらかというと、こういうものを、たまに手に擦り込んで香りを楽しまれてはいかがでしょう?」
「あら。こっちも素敵ね。うん、いい香りだわ。じゃあ、これと香油を一個ずつくださいな」
「はい。ありがとうございます」
そこへ菓子の入った包みを抱えたセイムが戻ってきた。二人の少女を認め、そちらに笑顔を向ける。
「お客さんか? ありがとうな」
「お帰り、兄さん。ちょうど二人とも、お母さんの香油を買いに来てくれたんだよ」
「へぇ。やっぱり女の子だなぁ。俺なんてお袋に何か買ってあげようなんて考えたこともなかった。・・・お嬢さんたちは、素敵なお嫁さんになるね」
「うふふ。二人は兄弟なのね。お兄さんもお薬を売るの?」
「ああ、まあな。・・・な、この辺りって女の人にあまり話しかけちゃいけないんだろ? つい、可愛い女の子がいるってんで声かけちゃったけど、もしかしてこういう会話ってまずいのか?」
少々辺りをはばかるかのように声の大きさを抑えて、セイムが小麦色の髪の娘に問うと、彼女は笑って否定した。
「大丈夫よ。この辺りに住んでいる人同士だと、そういう礼儀は大事だけど、よそから来た人にそういうものを求めるものではないから。ね、どこから来たの?」
「あー。色々? こういう物売りっていうのは、どこまでも移動し続けるもんだから、どこから始まるも何もないんだよ」
「まあ、大変なのね。だけど楽しそうだわ。ねえ、よそのお話を聞かせて?」
「お嬢様。こちらの方もお仕事があります。邪魔してはいけません」
「あ。そうよね、ごめんなさい」
「構わないさ。ちょうど休憩にしようと思って弟にお菓子を買ってきたところなんだ。君たちも一緒にどう? 俺も弟と二人だけで菓子を食べるより、一緒に女の子がいてくれると嬉しい。それに二人じゃ食べきれない量なんだ。オマケしすぎてくれちゃってね。ほら見て、すごい量だろ?」
「まあ。じゃ、喜んでいただくわ。ありがとう」
「ありがとうございます。ご馳走になります」
そのまま敷物をずらして場所を作ると、四人はそこで座り込み、焼き菓子を頬張った。
愛想よく、周辺の店を出している人達にも菓子を配りにいったセイムだが、その間に慣れた手つきでユリアナがお茶を用意して二人に差し出す。
ハーブティーだと説明すると、二人はとても珍しそうにそれを口に運んだ。
「まあ、こんな味のお茶もあるのね。ね、こういうのも売っているの?」
「これはさすがに売っていないんだ。自分で適当にお茶にしているだけだから。だけど、気に入ってくれたなら嬉しい」
少女の賛辞にユリアナが照れながら答えていると、セイムが戻ってくる。黒髪の少女は口数が少ないようなので、セイムは小麦色の髪をした少女に話しかけることにしたようだ。
「この辺りの女性はみんなそういうベールをかぶっているんだね。鮮やかな色合いで模様もとても綺麗だ。何か理由があるの?」
「ええ。この辺りでは、女性はみんなこういうベールをかぶらなきゃいけないの。私達はまだ大丈夫だけど、成人したら、こういう風に家族じゃない男性と一緒にお菓子を食べたりしちゃいけないのよ」
「へえ、厳しいんだね。だけどそれじゃお話もできなくて退屈だろう。あまり女性も多く出歩いていないみたいだけど、みんな家の中から出ないの?」
「ええ。良家の女子はおうちから出ちゃいけないし、家族以外の男性とはお話しちゃいけないの。つまんないわよね」
「それに家の塀も大きくて高いんだね。よその地域だと、庭は道から見えるものだし、君たちの腰くらいの高さ程度の生け垣程度しかしていないものなのに、ここは建物自体が塀で見えなくなっている。これだと、お城とか分からなくて不便じゃないかい?」
「不便? どうして?」
「だって、普通は道から建物が見えるから、どの建物が一番立派で大きいかがすぐ分かるだろう? だからどのお城が領主様の家なのか、誰でも分かる。だけどこっちはそうじゃない。なんといっても、大きな塀と大きな板で出来た門のおかげで、全く家が分からないのだから。これじゃこっそりお姫様の姿も見られやしないだろうに」
「お姫様の姿なんて見るものなの?」
「ああ。普通はそうだろ? 大抵、そこの領主のお姫様っていうのはみんなの憧れだから、住民や通りすがりの商売人だって、そのお城のそばを通る時に、せめて庭の花を摘んでいる姿だけでもかいま見られないかと思ってこっそり見ていくものさ。女の子はお姫様に憧れるし、男の子はそういうお姫様を守る剣士に憧れるものだよ。ここは違うのかい?」
「・・・・・・よその土地って変なのね。そんなにみんなに姿を見られていたら、こっちだとお父様やお兄様がかんかんになって怒っちゃうわ。お姫様なんて、誰もが見たこともないくらいに隠されているからいいんじゃないの?」
「隠されていたら憧れようがないじゃないか」
「え? それだけ隠されているから憧れるんでしょ?」
セイムが話しかけると、小麦色の髪の少女は愛想よく答えた。もう一人の黒髪の少女はやはり黙って控えている。
良い家の娘なのだろうと思い、セイムはよその地域に比べて、この辺りがいささか特殊であるというニュアンスを繰り返していった。
「見たこともなければ話したこともない人間にどうやって憧れるんだい? それって張り合いないだろうに。君だって、やっぱりお城のお姫様に憧れないか? ほら、お姫様の髪の色は素敵だとか、着ている服が綺麗だから自分もそういうのを着てみたい、とか。ご近所であっても、たとえば隣近所の素敵なお姉さんやお嬢さんの姿を眺めては、それに憧れて自分も同じように素敵になろうって思うものだろ?」
「あら、この辺りだとそれはないわ。だって素敵な女性なんて噂で聞くものであって、実際に見られることは少ないもの」
「それじゃ素敵かどうか分からないじゃないか」
「大丈夫よ。想像するの」
にっこりと小麦色の髪の娘が笑うと、セイムはがっくりとした。
「噂。うわぁ、つまんない。こういうミステリアスな国のお姫様はどんな感じだろうって思っていたのに。・・・ここのご領主様のお姫様ってやっぱり君も見たことないんだろ?」
「・・・そうねぇ。噂しか聞いたことないわ」
「噂? どんな?」
「んーと・・・。ここのご領主さまのお姫様はね、夕焼けのように赤い髪をなさっているそうよ。そうしてね、肌は焼きレンガのような太陽の色なんですって。瞳は焦げ茶色って聞いたわ」
「へぇ。で、性格は? ほら、たとえば花を摘んでは物憂げにため息をついていたりとか、弱っている犬を見つけたらつい拾って飼ってあげるような優しさがあるとか」
「なんで花を摘んだらため息をつかなくちゃいけないの? とりあえず、弱った犬を料理して食べるのは危険よ?」
「・・・うん、なんかここは違うってことだけは分かったよ」
やがてお茶を終えた少女たちが去ると、そのままセイムはため息をついてユリアナを見やった。
「一応、外見の特徴は分かったけど、家族以外の男と話すのがダメなんて所じゃ、何もしようがないよな」
「そうだね。ただ、その外見の特徴、本当かどうか怪しいかもしれないけど」
「へ?」
「いや、なんでもない。だけど女嫌いの兄さんが、よくあんなにも愛想よくできたね?」
「なんかなぁ。よく分からないが、普通の女と違って恐れる必要がないような気がしたんだよな。そういえば、何故なんだ?」
「知らないよ、そんなこと。・・・それに話もあっているようだったし、けっこう意気投合してなかった?」
「うーん、意気投合ねぇ。・・・なんか違うな。そう、なんとゆーか、あの会話、意味がないっていうのか、上っ面だけっていうのか、どうも違うんだよな。何が何とは言えないんだが」
「へぇ?」
「というかなぁ。なあ、ユリー。さっきの女の子達、本当に女の子か?」
「そりゃそうじゃないの?」
「少年じゃなく?」
「女の子だと思うよ。だって、どう見ても二人とも可愛い女の子だったじゃないか」
「そうなんだけどなぁ。だけど、あの体、それなりに筋肉がついていた筈だ。この辺りの女は家から出ないんだろ? おかしくないか?」
「筋肉って、・・・あんなベールで隠されている体の筋肉がどうやって分かるの?」
「そりゃ動きで分かるだろ?」
「分からないよ。それに彼女達の声にしても女の子そのものだったよ。男の子ならいくらなんでももっと低いと思うけど」
「そうなんだよなぁ。勘違いか?」
ぐしゃぐしゃと頭を抱えるセイムに、ユリアナは首を傾げた。
ただ、セイムが城の姫について具体的に質問した時、それまで無言でいた黒髪の少女の顔がこわばったことに、ユリアナは気づいていた。
もしかしたら先ほどの少女達は、城の姫に近い立場にいるのかもしれない。
― ◇ – ★ – ◇ ―
可愛らしく小首をかしげるしぐさで現れたのは、妹のルーナと乳姉妹のロシータだった。
「ロカーンお兄様。ね、来ちゃった」
またかと、ロカーンは天井を見上げる。
「妙齢の娘とは家から出ないものだと何度言えば分かるんだ、ルーナ? すまないな、ロシータ。これのおもりは大変だろう」
「恐れ入ります」
「いいじゃない。そんなことよりせっかく来たんだもの。少しはお相手してくださいな」
ちょうど午後の休憩に入る前とあって、人も少ない。
この辺りでは気温が高くなる時間帯は、昼寝をするのが一般的だ。そんな時間帯に動き回っても疲れるだけだからである。それを狙って来たのだろう。
ロカーンはやれやれと首を振った。
自分もこれから少し仮眠をとるつもりだったのだが、妹が来たのであればそうもいかない。全くもって妹とは手のかかる存在である。
近くに控えていた小姓が、ロカーンが何も言わなくても「分かっております」と目で合図して出ていく。
「しょうがないな。ならば動きやすい格好にここで着替えていけ」
「ありがとう、お兄様」
「失礼いたします」
ロカーンが執務で使っている建物の中の一番広い部屋は、大勢の人間が集まる時に使われることが多い。しかし、妹のルーナがロカーンの所へと来る時、そこは立ち入り禁止の部屋となる。
先に行った小姓は、外から中が見えないが部屋には光が差し込むようにと窓の格子戸だけを閉め、部屋の入り口には立ち入り禁止の札を下げてドアの外に控えていた。
「ほら、まずは素振りからだ」
「お願いします」
ルーナとロシータは刃を潰した剣を持ち、ロカーンに向かい合った。
ロカーンは兄なので、ベールをつけずに立ち会うことができる。その為、ルーナはロカーンに頼み込んで、たまに相手をしてもらうのだ。
ロシータはロカーンとは赤の他人だが、ルーナとは一心同体の乳姉妹、ロカーンとも乳兄妹になるわけで、それこそ赤ん坊の時からのつきあいである。そのまま参加していた。
たしかに男爵家の姫に必要はないことだが、ロカーンはいざという時に自分の身を守れない方が恐ろしいと思い、妹にせがまれる度に稽古をつけてやっていたのだ。
「姿勢が悪い。背をまっすぐ。・・・腕がぶれている。ほら、そこっ。・・・そこでふらつくなっ。目は常に前を見ろっ」
遠慮なく妹の腕を叩き、ついでにロシータの足さばきも注意する。
「重心を腰に据えろっ。小手先で剣を動かすなっ」
「脚がおろそかだと言っているっ」
遠慮なく、ロカーンの足が妹とロシータの足を払うと、二人は無様にすっ転んだ。しかし、すぐに立ち上がる。
やがて、妹とロシータが汗だくになってへばりこむと、そこでロカーンはようやく笑顔になった。
「二人とも頑張ったな。じゃあ、一休みしてから腕立て伏せを五十回して終わりだ」
「・・・鬼」
「ロカーン様。笑顔が黒いです」
「ん? 何か言ったか? 文句があるなら、更に五十回足してもいいぞ?」
二人はフルフルと首を横に振る。
腕立て伏せを始めた二人を確認すると、ロカーンは扉の外にいる小姓に、執務室に体を拭く布と湯を用意するよう言いつけた。
さすがに汗臭い状態で妹達を帰宅させたら、母親に剣の稽古がばれる。フィツエリ男爵夫人は、娘が剣を握るなど許さない。
その為に、二人の稽古用の衣服まで用意しているロカーンは、まぎれもなく面倒見の良い兄であった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
稽古が終わってしまえば、兄妹の時間だ。
「ほら、香りが素敵でしょ。私はこの甘いのを、ロシータはミントのような香りのを買ったのよ」
「ああ、良かったな」
「ね、羨ましい?」
「ああ、ああ、羨ましいよ」
ルーナはロカーンに、自分の戦利品を並べて見せた。別に香油などに興味のないロカーンは、相槌もいい加減である。
妹の相手をしていた間に届いたらしい書簡を眺めて、眉間にしわを寄せている兄にムッときたルーナは、自分の為に買ったクリームを少し手に取ると、そのまま兄の手を握って擦りこんでしまった。
しかも、首筋にまで手を伸ばして擦りつける。
「うわっ、何すんだ」
「あら、お兄様、羨ましいっておっしゃったじゃないの。だから私は気を遣ってお兄様に使わせてあげたのよ」
つんとすまして主張する妹は、言外に『ちゃんと私に構って』アピールだ。
兄から適当にあしらわれていたのが不満らしい。そんな所も可愛いかもしれないが、可愛くない。
自分の首や手から漂う花の香りに困惑しながらロカーンがロシータに目をやれば、『微笑ましいですね。しかし兄妹間のことに私は一切関わりませんよ』とばかりに、笑顔でスルーである。
ロカーンは諦めて書簡を裏返しにすると、二人に声を掛けた。
「二人とも、明日からは家から出ないように。また、屋敷内に通達されるとは思うが、警備や警戒を怠るな」
「何かありましたの、お兄様?」
「おそらく、予定通りに行けば明々後日に、王都の騎士団が到着し、逗留することになる。そうなると戦いの後の興奮状態だ。何があるか分からない。家の門は固く閉じ、決して開けるな。しかも様々な寄せ集めのケリスエ将軍の部隊だ。明日あたりにはここに斥候が入り込んでいたとしてもおかしくない。気をつけろ。なるべく早めに必要なものは買い出しをしておき、奴らが逗留しているうちは、屋敷の者もなるべく出入りを制限するように」
「かしこまりました。ロカーン様、念の為、私も小剣を持ち歩くようにしておきます」
「そうだな。そしてルーナ、ロシータ。寝る時は大剣を常に抱えて眠れ。あとでお前達に渡してやる。そしてルーナの寝台には人が寝ているように見せかけた上で無人にしておき、二人とも寝台を同じにしておくといい」
「かしこまりました」
「え? どうして?」
「ルーナ様。ああいう手合いにとって、領主のお姫様を力づくで襲おうとすることは決して珍しいことではございません。さすがにルーナ様と私の二人がかりでも、複数の男達に襲われては太刀打ちできませんからね。なるべくお姿を見られぬよう心がけ、更に目立たぬ格好で私の部屋に避難なさっていらした方がよろしゅうございます」
「その通りだ。ロシータ、頼んだぞ」
「勿論でございます」
いささか緊張した面持ちのルーナとロシータが
「じゃあ、もう帰宅するから」と言って去ると、ロカーンは大きく息を吐きだした。
「問題は、そのケリスエ将軍に、ルーナの縁談の一人が同行していることだ。・・・どうしたものか」




