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四方を建物に囲まれた中庭は広い。中庭は、建物を通らない限り入ってこられない。だからここでは人目を気にせずに好きにできる。
フィツエリ男爵家のルーナは、中庭に設けられた木陰の下のベンチで、のんびりとくつろいでいた。
この中庭を囲んでいる建物はフィツエリ家の家族が住まう棟となっており、執務関係で使われている棟と違って、くつろげるような内装となっている。
そう、この棟は、フィツエリ男爵夫妻、長男のロカーン、長女のルーナ、次男のカルロとその世話をする者達が住んでいた。と言っても、長男のロカーンは違う住まいを使うことが多いのだが。
「ルーナ様。どこですかー?」
「ここよ、ロシータ」
自分を捜しているロシータに気づき、ルーナは少し大きな声で返事をする。
すると、パタパタと駆け寄ってくる音と共に、黒い髪と黒い瞳をした少女が姿を現した。ルーナの遊び相手であり、乳姉妹であり、一番身近な侍女でもあるロシータだ。
小麦色の髪と薄茶色の瞳をしたルーナが昼のようであれば、ロシータは夜のようだと、よく言われる。
性格も、ルーナが人見知りもせずにちょこまかと動き回るなら、ロシータは人見知りするタイプであり、だからこそバランスがとれているのかもしれなかった。
「今度、珍しい物売りが来たら教えてほしいとおっしゃっていたでしょう。物売りではありませんが、まじない師が来たそうですよ」
「まじない師? じゃあ、面白いものも売っているかしら」
「それはどうでしょうねぇ。治療もおこなうようですので、売っているとしたら薬の方かもしれません」
「えー、なんだぁ。・・・だけど、ま、いいわ。面白い薬とかがあるかもしれないもの」
そう言うと、ぴょんと飛び跳ねるようにベンチから立ち上がり、ルーナはロシータを促した。
「で、どの辺りに店を出したの? 行きましょうよ」
「噴水広場の一番手前のようですよ。だけど、まずは奥方様に許可を取ってからです。奥方様が出かけてもいいとおっしゃいましたら、明日にでも行ってみましょう」
「うー、お母様・・・。いいっておっしゃってくださるかしら」
「どうでしょう。せっかくですから、もしも腕の良さそうなまじない師でしたら、奥方様がお使いになれるようなものをお土産になさってみては?」
「そうね。そう言ってみる」
少女二人の会話は中庭で行われているので、中庭に面した窓を開け放していた男爵夫人の部屋に丸聞こえだった。
ロシータの母でありルーナの乳母でもある、男爵夫人付き侍女のサリナは、男爵夫人と視線を交わして苦笑を漏らした。
ゆったりとした衣服を身にまとった男爵夫人は、緩んだ口元を隠すかのように扇をあおいでみせた。
「あらあら、奥方様。ルーナ様がもうすぐおねだりにいらっしゃるようでございますよ」
「全くねぇ。本当に落ち着きのないこと。隠し事もできないお馬鹿さんで、この先、大丈夫なのかしら」
「そういう所がお可愛らしいではありませんか。こすっからい女の方が世間をうまく渡り歩いていけるのかもしれませんが、ああいう隠し事のないまっすぐな心根というものは、やはり得難いものでござりますよ」
「ああ。そうやってサリナが甘やかすから、あの子はあんなにもあけっぴろげになっちゃったのよ」
「ま。わたくしのせいでございますか? ルーナ様は、奥方様のお小さい頃にそっくりでいらっしゃいますよ?」
「そんなことないわ。私はもっと落ち着きのある物静かな乙女だったもの」
「まぁまぁ、本当によくおっしゃいますこと」
やはり乳姉妹である二人は、そう言ってホホホと笑いあった。
この辺りでは、あまり女性は外に出ない風習がある。その為、家の中に関しては、かなり女性の裁量が認められていた。だから女性同士の繋がりは強い。
奥方が男爵に嫁ぐ際に乳姉妹のサリナを連れてきたように、ルーナもいずれ嫁ぐ際にはロシータを連れて行くだろう。
パタパタとルーナの足音が廊下から響いてくる。
「お母様。あのね」
早速、陽だまりのような娘と、それに付き従う夜のような娘が飛び込んできた。
― ◇ – ★ – ◇ ―
ユリアナは、中央に噴水のある市場の片隅にいた。というのも、フィツエリでは、商売をする者は市場でと決まっているのだそうだ。
城の中に入り込むどころか、許可証をもらったその足で市場に行かされ、金額に応じた場所を与えられてしまった。
市場は噴水を中心にして大きな円形の広場となっており、外周がそのまま店の区画となっている。一番安い場所だったが、屋根も壁もあるため、日差しもきちんとよけられるし、特に不満はない。問題はどうやってルーナ姫の情報を集めるかである。
「だけど、城っていうよりもなんだか・・・」
「ああ。どこも低い建物のせいか、どの建物がどの建物なのか、全く分からんな」
城ならば一番高く大きなものというのが相場だが、ここはかなり建物の外壁を高くしており、同時に建物そのものはせいぜい二階建てである。
その外壁の中に入り込まない限り、その敷地内に幾つの建物があるのか、外からでは全く分からない。
しかもこの辺りでは、男性が仕事に従事して女性が家庭内のことをするという、性差による区分けがかなり厳しいのだとか。
自分達のような商売人や他国領の人間には細かいことを言わないようだが、この領内において女性は外に出る時は全身を覆うようなベールで身を隠しているのが一般的のようだった。といっても、薄手のベールなので、背格好や下に着ているものが分からないわけではない。
刺繍や飾りがほどこされた綺麗な布をすっぽりとかぶり、目元だけ出している者、目と鼻だけ出している者、目と鼻と口だけ出している者、目と鼻と口と耳全てを出している者と、それぞれに違いはあるものの、どうも頭と体は覆うものらしい。
ユリアナは、それらの違いはともかくとして、ベールの意味を考えた。
(太陽の暑さで倒れない為の知恵かもしれない)
しかしセイム及びユリアナの目的はフィツエリ領内の衣裳文化を知ることではない。
二人はうーむと一緒にうなった。
「そりゃ、あのベールは綺麗だけどね」
「ああ、色とりどりで鮮やかだな」
「ただ、・・・ねえ」
「ああ、俺も覚悟した」
二人は既に、ここでは収穫なしでも仕方ないと諦める境地に達していた。




