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セイムはとても機嫌が良かった。黙っていてもグフフフフと笑いが止まらないらしい。
「嬉しそうだね、兄さん」
「そりゃな。だって考えてもみろ、ユリー。こうなったら身代わりで出てくるフォンナを指名すりゃいいんだ。そうしたら一挙解決、ばっちり正体を知っている俺にフォンナは逆らえないっ。・・・あの小生意気な本物よりはるかにいいじゃないか」
「鬼畜デスネ」
今までスザンナと泊まっていた宿屋は引き払い、セイムとユリアナは他の宿屋に移った。
ひょんなことから一緒になったセイムの部下達だが、彼らはあくまでこっそりと見守ってくれている人達である。目立たぬ為にも一緒の行動はすべきではなかった。
素焼きの水差しに入ったミントティーをカップに入れて、ユリアナはセイムに差し出した。
「それ、青臭くてまずいんだがな」
「蜂蜜を入れてみたから、少しは飲みやすいと思うよ?」
「なんだ、わざわざそんなことしたのか。ありがとな」
「ルクスさん達はともかくとして、リアン君、大丈夫かなぁ」
テイトに誘われていたものの、まだ考えたいからと保留していたリアンを思い出せば、ユリアナもちょっと心配だ。
少女と見まがうような少年が、セイムの部下であるテイトの下でやっていけるのだろうか。
「別にネーテルに戻るもテイトの所に行くのも本人が決めることだろ。そういう大事なことってのは、人前で決めるものじゃない。本人のあるがままに決めさせてやれ。ネーテルに戻る時でも一人は付き添ってやるように言ってある」
「たまに兄さんってまともなんだよね」
「そりゃお前より長生きしてるからな」
二人は静かにぬるいお茶をすする。気温が高いせいか、このあたりの窓は大きく、風通しが良い。
気持ちの良い風が吹き抜けていく。昼下がりは昼寝をするものらしく、人通りも途絶え、宿屋の中もしーんとしていた。
ひそやかに語る二人の声も、あくまで互いに聞こえる程度のものだ。廊下に人がいても、扉があるから聞こえないだろう。
「そうなると、フィツエリとカンロはどうするの?」
「行くさ。当たり前だろ。まだ確保できたのは仮の一手だ」
「そうだね。明日の朝、フィツエリ城に営業許可証をもらいに行けばいっか」
「ああ。・・・ユリー、今日は昼寝もしてゆっくり休め。このところ、きちんと寝てなかったんだろ。ひどい顔色だ。俺はちょっと出かけてくるから」
腰かけていたベッドから立ち上がり、セイムは軽くのびをした。
「え。どっか行くの? てか、僕が睡眠不足なのは誰かさんのせいなんですけど」
「お詫びにちゃんとさっき腹を殴らせてやったろ。あれでチャラだ。な? 夜には戻る。それから一緒に食事にしよう。ここの料理はうまいらしいぞ」
「うん」
セイムはユリアナの怒りなど毛ほども気にしていないらしく、おおらかに笑ってみせた。さっと部屋を出ていく。
セイムがいなくなると、ユリアナはケッと悪態をついた。
お詫びに腹を殴らせてやると言われて喜ぶ人間がいると思う時点で、セイムはおかしい。
しかも言われた通りに殴ったら、あっちは平然としているのに、こっちの拳は真っ赤になった。全くもって意味がない。
これだから戦う男は嫌いだ。あいつらは考え方がマトモじゃない。
「あ、そうそう」
昼食の時に残しておいたパンと果物をポケットから取り出して、ユリアナはそれを更に小さくちぎった。
「ほら、お食べ」
鳩達にパンくずと果物をあげると、早速ついばんでいる。
パンくずは鳥が喜ぶご馳走だ。窓にパンくずを撒いておいてあげると、様々な鳥達が寄ってもくる。
(どうしようかな。結局、ネーテルで手を打たないってことだけど)
セイムは仮の一手を確保したと喜んでいたが、それは自分も同じことだ。同時に油断できないのは、仮というのはあくまで仮で、決して確定ではないことだ。
だけどさすがに眠い。昨夜は興奮しすぎて寝室に行っても眠れなかった。
(今は寝よう。だってこの手は届かないのだから)
諦めることなんて慣れている。
望んでも得られないことの方が多いのが人生だ。誰もがスザンナ姫のように愛した人間に愛されるわけじゃない。
(大丈夫。セイランド様は無事だったもの。それに部下の方も守ってくれてる)
セイムと合流できて安心する自分がいるのを自覚する。少なくとも安全だ、今は。
ユリアナはベッドに横たわる。やがて深く静かな寝息だけが室内を満たしていった。




