13
フィツエリ城下で店を出す為には、まず城に行って許可証をもらわなくてはならない。分かってはいたが、ユリアナは色々と理由をつけて引き伸ばしていた。
(セイランド様。どうなったの。やっぱり残った方がよかったの? だけど私が足を引っ張っては・・・。ああ、どうしてまだ来ないの)
宿での滞在は既に三日目である。セイムはまだ来ない。この場合、自分はどうするべきなのだろう。
許可証自体は、ユリアナ一人で行ってももらうことは可能だ。たしかに少年一人では怪しまれるだろうが、自分は今まで築いたものがある。
紹介状を出せばすぐに許可証はもらえるだろう。しかし、それはなるべくならば使いたくはないのだ。
なぜなら、自分の今回の目的はフィツエリ城に住むルーナ姫にあるのだから。
セイムを案じて行動をためらうユリアナだったが、それでもスザンナには好きに外出させていた。
「見てっ、ユリー。このお菓子、かわいいでしょっ」
バタンと扉が開いたかと思うと、満面の笑顔でスザンナが戻ってきた。
買い食いできる程度の小遣いを渡したところ、初めて来たよその街に、スザンナは大興奮だ。今日の戦利品は花の模様をかたどった飴らしい。たしかに食べるのがもったいないかわいらしさだ。
「本当だ。アンナはかわいいものを見つける天才だね」
「ふふっ。そりゃもちろんよ。私の審美眼を見くびらないでほしいわっ」
フィツエリ城は火山の近くにある。地下から湧き出るお湯が豊富な為、このあたりは入浴施設に恵まれた土地だ。
スザンナも宿についている浴室でたっぷりのお湯を使って旅の汚れを落とし、そうして今度は共同浴場を体験してみたら、すっかりはまってしまったらしい。
「なんてこと。髪や肌がツヤツヤよ」
機嫌もすっかりなおって、今度は珍しいものに興味津々なのだ。
(単純・・・・・・いや、かわいらしい人なんだな)
ちなみにスザンナに渡してある小遣いはユリアナから出ている。毎日決まった額を渡すことで、スザンナは欲しい物がお小遣いでは買えない場合は買える金額まで貯めることを覚えた。
スザンナはユリアナに謝礼を宝石で支払うと言ったが、今はまだ受け取れない。もしもスザンナが見つかってしまった場合、一緒にいるユリアナに誘拐犯の疑いが掛けられるからだ。スザンナの宝石など持っていたら、もう目も当てられないことになるだろう。
そんなスザンナをあまり外に行かせるべきではないかもしれないが、退屈させてヘタにユリアナの商売道具を触られたりしてもかなわないので、外に遊びに行ってもらっていた方がありがたくもあった。
(問題はセイム兄さんなんだよね)
変な輩に絡まれることもなく辿り着いたフィツエリ領。セイムが全ての追手を引き受けたのではないかと、ユリアナは不安にならずにはいられなかった。
こうして安全な場所に落ち着けば、なおさら今のセイムがどこでどうしているのかが案じられる。
それもこれも、自分がスザンナの手助けを仕組んでしまったせいである。
(セイム兄さん。・・・・・・セイランド様)
自分は彼に迷惑をかけることしかできないのだろうか。
いいや、既に自分は彼を裏切っている。それでも彼の無事をユリアナは祈らずにはいられなかった。
今日も今日とて、スザンナは共同浴場に出かけていた。ここの共同浴場で入浴したり温かい部屋で眠ったりするのはとても気持ちがいい。
(ユリーは共同浴場、嫌がるのよね。宿についてる小さな浴室で十分とか言って)
ユリアナが性別を偽っているという理由にスザンナは気づいていなかった。
入浴後に、果物を絞ったジュースを買うのが日課にもなっている。見知らぬ人とそこでお喋りするのも楽しい。
果物を絞って容器に入れてくれる屋台へ向かおうとした彼女に、声が掛けられた。
「スザンナ様」
「はい?」
あまりにもなじんだ呼びかけに、つい振り返る。
「やはりスザンナ様でしたか。よく似た他人かと思いましたが」
「あなた・・・リアン?」
そこには、城で自分に仕えてくれていたメイドのリアンが少年の恰好で立っていた。
「こんな所でお会いするとは思いませんでした」
「リアン、・・・本当に? どうしてこんな所にいるの?」
「スザンナ様こそ」
「私は、・・・散歩よっ」
自分でも無理があると思ったスザンナの言い分に、リアンの瞳が呆れたような色を帯びる。
「散歩ですか」
「ええ、そうよ。歩くのは健康にいいんだからっ」
「そうですか。ではそのようにお父上様にお伝えしておきましょう」
「やだっ。リアンお願いっ、見なかったことにして」
リアンは溜め息をついた。
「スザンナ様。お金は足りていらっしゃいますか?」
「え? まあ、一応?」
「それはよろしゅうございました。お連れの方はあなたをこんな所に放っておいて、監禁とかなさらないのですか?」
「しないわよ、そんなこと」
くどくどと注意事項に関しては口うるさいが、ユリアナは基本的にスザンナに対しては一般人の生活というものを体で理解した方がよかろうと、買い物も含めて自由にさせている。
「では、あなた様とお連れ様は、同意の上で城を出て、更にあなたは自分の意思でお城に帰る気はないのですね?」
「・・・リアン。あのね、その、お願いよ、見逃してちょうだい」
リアンは顔をしかめた。色々と考え込んでいるらしい。
「とりあえずスザンナ様。ゆっくりお話ししたいと思います。人目につかない所に移動いたしましょう」
そうして、リアンはかつて地震で壊れた建物が残るという郊外の廃墟へとスザンナを連れ出した。
火山が近くにあるせいか、ここは地震が多い土地らしい。かつてそこには何層にも重なった建物が多く建てられていたのだが、地震により倒壊してしまったのだとか。
それ以降、低層の建物がこの辺りでは主流になっているのだという。
「リアンてば、どうしてこんな場所を知ってるの?」
「・・・周辺の地理をまず頭に叩き込めと、連れまわされまして」
「誰に?」
「・・・・・・色々とあったんです」
リアンは、フォンナと違って愛想が悪い。秘密主義なリアンにスザンナはむくれた。
いや、愛想が悪いというよりも、リアンは自分を嫌いなのではないかと思えることが時々ある。
恨まれたり憎まれたりする覚えはないのだが。
「スザンナ様。今の状況をお分かりでしょうか?」
「分かってるわ」
「そんなにも、忘れられないものですか?」
「ルクスのことを悪く言わないでっ」
そこでリアンは、げんなりとした顔になってそっぽを向いた。その態度にユリアナは、ぴきっと口角を歪める。
いつもそうだ。リアンは恋愛話になるとバカにしたような顔になる。小間使いをしているリアンに優しく喋りかける男性がいても、まるで汚らしいネズミを見るかのように、そっけなくあしらうのだ。
この少女は本当におかしい。
「あの人を戦で死なせただけで十分でしょう。それ以上に何を望むのですか?」
「死んでないわよっ。少なくとも私は信じない。だって遺体も何も戻ってきていないって言うじゃないのっ」
リアンは深く息を吐いた。
ああ、なんで自分がこんな目に。本当にやってられない。偶然見つけたのは幸いだったが、こうなるとさっさと用事を済ませ、あの男達をうまく振り切って逃げなきゃいけないのだ。本当に厄介なお姫様だ。
「どうあっても城に戻らないと?」
「当たり前よ」
「では死んでいただきます」
「・・・・・・・・・え?」
リアンは腰にあった剣を抜いた。
「スザンナ様。ネーテル伯爵が命じたことは、あなたを城から逃がさないこと、もし逃げられた時は速やかに自分の立場を自覚させて城に戻らせ、あなたがなすべきことをさせることです。もしもそれが叶わぬ場合、つまりあなたがネーテル伯爵令嬢としての役割を放棄する場合、そのような愚かな姫はネーテルに不要である為、後顧の憂いを断つためにもあなたを殺してくるように、と」
「・・・嘘よ」
スザンナの声が震えた。
仮にも父親が娘を殺せと命じたというのか。・・・あり得ない。あり得るはずがない。
「嘘ではありません。誰もが自分の命を捨ててその地に尽くしているのです。それはなぜかお分かりでしょうか。我らが希望をここで途絶えさせぬ為です。あなた様の結婚で、我らは武力を手にする。今回の戦は終わっても、すぐにまた戦は起こる。弱い土地は勝者に踏みにじられるだけなのです」
「だからって、私を殺してどうすると言うの」
「フォンナがあなたの代わりとなります」
「え?」
思いもつかなかった言葉に、スザンナがリアンを見返す。
「あなたがここで身元不明の死体となれば、あとは城に残ったフォンナがあなたの名を名乗り、スザンナ姫として生きていくだけです。同じ髪の色、同じ色の瞳。顔だちや雰囲気など、年頃の娘が変わりゆくのはよくあることですから」
「私の遺体すら放置していく気なの」
「いずれスザンナ姫として葬られる方は違う方ですので」
「・・・・・・」
「民を守るとはそういうことです」
「それならっ、それなら別に私がいなくてもいいんじゃないっ。殺す必要なんてないじゃないのっ」
「あとで、自分がスザンナ姫であると名乗り出てこられたら困ります。その時のスザンナ姫をわずらわせるだけだと分かっていますから」
静かに、リアンはもう一度尋ねた。
「スザンナ様。城にお戻りになりますか? お父上の前で反省の弁を述べ、恭順の姿勢を示せば、お父上もお許しくださるはずです」
スザンナの瞳から涙があふれた。
「それを私に受け入れろと言うの?」
「あなたに、自分の娘を殺せと命じる父親の苦悩が分かりますか? ネーテル領とて次に出す兵士を少なくしたいのです。ここで国とやり合うことに益はありません」
「分からないわよ、分からないわ」
いやいやと言うように、スザンナは首を振り、その場に崩れ落ちるかのようにペタンと腰をおろした。
邪魔なら殺してもいいと思うほどに、自分は父に愛されていなかったのか。
ひたすらに涙を流すスザンナを見つめながら、リアンは無表情に立ち尽くしていた。
チーチチチチと、鳥が空を飛びまわっている。
スザンナの涙も涸れる頃になって、リアンはようやく声をかけた。
「スザンナ様。戻りましょう。叶わなかった恋は美しい思い出にして抱えていけばいい。あなたには、ネーテルの美姫として人々の称賛を得、英雄に嫁ぐ未来が用意されています。それは誰もが羨む幸せな人生ではありませんか」
「・・・・・・殺して」
「え」
「ならば殺して。私はルクスがいいの。彼以外なんて誰もいらない。美しさなんてどれ程のものだと言うの。英雄が何だと言うの。私が欲しいのはルクスといる人生だけよっ」
その場に似合わぬ鳥の囀りが、チーチチチと聞こえる。ひらひらと蝶がリアンのそばを飛んで行った。
ああ、どうしてこの場はこんなにも長閑なのか。
この世界なんて壊れてしまえばいいと、リアンは思った。
「殺しなさい、リアン。・・・分かってたわ。あのルクスが戦で生き延びられるわけがないってことぐらい。だから、もういいの。もう、いいのよ」
「スザンナ様」
「せめて彼の形見だけでも見つけ出したかった。彼の亡骸にすがりつきたかった。それだけだった」
手櫛で髪を簡単に整えると、スザンナは立ち上がり、泣きはらした瞳でリアンに向き直った。
「お父様とお母様に伝えて。立派に死んでいったと」
「・・・もしも彼の遺体もしくは形見がネーテルに戻ってきた暁には、あなた様の髪と共にとむらうように取り計らいましょう」
「ありがとう、リアン」
静かにスザンナは目を閉じた。リアンは剣を構え直した。せめて苦しまぬよう殺してあげるしかないだろう。
(あの騎士や兵士達が追いつく前に、せめて殺して差し上げるしか・・・)
覚悟を決めるようにリアンは一度目を閉じた。
「はい、そこまでだ」
「リアン、殺しちゃダメだよ」
そこへ、この数日で聞きなれた声がかかった。
ばっとその方向に体を向けたリアンは、この数日で見慣れた男達の姿を認めた。
(くそっ、いつから見られてたっ? どうするっ、彼らを口封じ、・・・は無理だ、自分では)
頭の中を真っ白にさせて、リアンは混乱せずにはいられなかった。
もとより、リアンとて人を殺すのは初めてだったのだ。かなり緊張していた。
しかもこれは誰かに見られてはならないことでもあったのに見られていたのである。何たる失態か。
「俺たちの前で殺人なんてされたら、さすがに届け出しないわけにはいかんな。それこそおおっぴらにそこの娘さんとお前さんの素性がバレちまうぜ。そうなると、殺す意味ないんじゃねぇの?」
にやにやとスカルがリアンに言ってのける。スザンナはびっくりしたように男達を見ているだけだ。
「アンナ、大丈夫だった!?」
そこへ、ユリアナまで現れた。セイムと一緒に馬に乗っている。
そのセイムの後ろから、やはり誰かの馬に同乗させられている人の姿を認めて、リアンとスザンナは息をのんだ。
「アンナって・・・スザンナ? あれ、リアンじゃないか?」
セイム達が馬から降りて近づいてくるのを、スザンナとリアンは信じられないものを見るかのように目を丸くして、ただ立ち尽くして凝視した。
今、自分の前にいる人が信じられない。本当に本物なのだろうか。
二人の場所へ来ようとしているその人は、なんだかヨタヨタとしていた。
「ごめん。慣れない馬に乗ってきたからお尻が痛くてうまく歩けないんだ」
困ったように、そんな情けないことを言う。
この崩れた岩石やレンガを乗り越えて二人の場所に行くのはきついと判断したらしい。
できれば、こっちに来てくれない? と言わんばかりの表情だ。
相も変わらず、のんびりとした優しい声だった。
スザンナは涸れたと思っていた涙があふれてくるのを感じた。
本当にどうしようもない人だ。馬はお尻を乗せてはいけない。太ももで締めつけるように乗らなくてはならないって教えてくれたのはあなたなのに。
けれども大丈夫、彼が来れなかったら自分が行く。彼が馬に乗れないなら自分が乗せてあげる。私も馬は苦手だけど。
「ルクスッ」
スザンナは壊れた建物の残骸が転がる中を、彼に駆け寄ろうとした。
遠いけど近い。だって彼の姿はそこにある。彼は優しく両手を広げて待っている。
「兄さんっ」
だが、彼の腕に抱きとめられたのはリアンだった。
スザンナよりもリアンの方が早く彼の所へとたどり着いたのだ。
「え? 兄さんって、・・・ルクスとリアンが?」
剣なんてどこかに放り出し、ひしっと抱きついたリアンを、ルクスがしっかりと抱きしめている。
ルクスの兄や弟はかなり活発だと聞いていたので、面識のなかったスザンナである。妹がいることも知らなかった。
「兄さんっ、兄さん」
「ごめんよ、リアン。お前にこんな辛いことをさせてしまって・・・」
「兄さんっ」
ルクスの胸に顔を埋めたリアンは思いっきり泣きじゃくっている。そんなリアンの頭を愛しそうにルクスは撫で続け、あまつさえその額にキスまでしていた。
「ほら、顔を良く見せて? ね、リアン。君の笑顔がずっと見たかった」
「兄さんっ。生きてるって、生きてるってずっと信じてたっ」
「うん。ごめんね」
再会の喜びよりも、違うどろどろとした気持ちがスザンナに湧き起こる。
(ちょっと待ちなさいよ。その子、私を殺そうとしていたんですけど? なんでルクスは私じゃなくその子を抱きしめているのよっ。てか、リアンが妹だなんて聞いてないわよっ)
ルクスに抱きつこうとしたスザンナの腕と足は、行き先を失っていた。
この場合、自分にどうしろと言うのか。
「兄とは恋人であるよりも、まずは兄である生き物なんだな」
「言うなよ。可哀そうだろ、彼女が」
「俺ならガキより女だけどな」
「迷うところですね。一途でけなげな子供と、綺麗なワガママ娘ですか」
ひそひそと言っているらしい声すらムカつく。スザンナは人生最大の恥をかかされた気分だった。
頬が夕焼けよりも朱に染まる。
「あのー・・・、えっと、アンナ、とりあえず無事で良かった」
「ユリー。セイムと合流できたのね」
「うん、どうにか。だからアンナを探しに来た・・・というか、セイムがルクスさんを連れてきてくれたんだよ」
おろおろと三人を見ながら気を遣っているらしいユリアナだったが、スザンナの声が低くなってしまったのは仕方ないだろう。この状況があまりに居たたまれないことには変わりなかった。
気を遣って声を殺してはいるが、ヒーヒーと笑い転げているセイムを、射抜くような目でスザンナは睨んだ。
(だから嫌いなのよ、この男っ。初めて見た時から気に食わなかったわっ。
ルクスも生きているんならさっさと帰ってくれば良かったのよっ。ああっ、どうしてこんないけ好かない男に連れてこられているのっ)
スザンナの鬼のような形相に、ユリアナはセイムをパシパシ叩いて笑うのをやめさせようとしたが、笑いのツボにはまってしまったらしいセイムは、止めようとしてはまた笑いだしていた。




