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セイムとユリアナは、次の候補者であるお姫様がいる場所へ向かう予定だった。それは王都とは別方向である。
山越えを選んだせいか、追手が来ている様子はなかった。もしかしたら街道でも見つからなかったかもしれない。なぜかといえば、普通、逃げる人は都会に向かうからだ。
だが、油断は禁物である。
「このスープ、おいしいわ」
「そりゃ良かった。アンナ、食べ終わったら炭で顔を汚しといてね」
「どうして?」
「美人は目をつけられるんだ。普通の女の人よりも綺麗な白い肌と、美しい顔立ちの自覚ぐらいあるだろ? 綺麗な女の人なんて襲われるだけなんだよ」
「・・・そうなの」
「そうさ。僕だってまだ力のない少年だってんで危険なことには変わりない。だけどアンナはもっと危険なんだ」
「分かったわ」
川で水を汲み、乾燥野菜と干物でスープを作る。固いパンをそれに浸しながら腹ごしらえをした二人だが、まだセイムと合流できてはいなかった。
白く手入れの行き届いた肌のスザンナは目立つ。猟師などと行きあった際に不審に思われることもあるだろう。なるべく髪もそうやって汚しておくようにユリアナは言い聞かせる。
それはスザンナの身を守ることでもあるのだ。
(早急にセイム兄さんと落ち合わなくては)
通常、女性が旅をすることはない。兄妹や姉弟でもだ。まだあり得るのは夫婦者か、団体といったところか。
こんな旅支度をした自分達の姿は、見られたらすぐに変に思われ、噂になる。
スザンナの顔をどれほど汚そうと、どれほど普通の村娘のようにふるまわせようと、その存在自体が不自然なのだ。
女性が生まれ育った場所を離れるような時は、少なくともそれなりの思慮ある年齢の男性が同行するものだ。護衛や庇護してくれる者がいない状態など考えられない。
(ダメダメ、弱気は不運を呼ぶだけなんだから)
点・線・点・線・点。このマークを、山中の様々な場所で残してはきたが、こちらからそのマークを見つけることはできなかった。ということは、セイムはまだ街にいるか、遅れているのだろう。
誘拐犯の疑いなどかけられて捕まっていないといいのだが。
(ううん、大丈夫。いざとなればセイランド様はそのご身分を明らかにすればすぐに解放されるもの。まずいのは私達だけよ)
よんどころない事情ではぐれたならば現地集合だと話し合っていた。だから自分は次のお姫様がいる領地へと行くしかない。
バラバラで捕まったなら、危険なのは後ろ盾を持たないユリアナの方だった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
親指をなめて突き出すと、風が当たる方向がすぐ分かる。それは簡単な風向きを知る方法だ。
今日は湿度が低いから、煙は上にいくだろう。少し開けたこの場所は、煙をそのまま上に逃がしてくれるはず。
それでも念には念を入れて、小さな穴を掘り、石を周囲に置き、その中に乾燥した葉を少し入れて小さな煮炊きができるようにする。こうすると煙が出にくいのだ。
たとえ白湯でもいい。温かい物を腹に入れておけば気持ちが落ち着く。そう教わった。
だから湯を沸かす。沸かしながら小さな乾燥肉を入れていく。
小さな竈の上方には、葉のついた枝を紐で下ろしてきて屋根を作り、煙を散乱させるようにした。こうすればまっすぐに煙が立ち上らないのだ。
誰かに居場所を気づかれにくくする方法、これもあの人から教わった。
リアンは教わった時の様子を振り返りながら、一つずつこなしていった。
「よう、坊主。何やってんだ?」
そんな言葉と共に、木陰からいきなり体格のいい男達が数人、現れた。剣を腰に下げているが、無頼の人間といった風情だ。
ハッと飛び退ったリアンは、剣を構えた。
総勢五人。いけるか? いや、無理だ。だが、むざむざとやられるわけにはいかない。
「ん? お嬢ちゃんだったか。そりゃ悪かった」
「そうじゃないでしょう、隊長。ほら、思いっきり威嚇してますよっ」
「あー、君。あのね、別に俺ら、悪い人じゃないからさ。とりあえず剣を置いて話し合おうぜ」
「悪い人と自己申告する悪人はいませんよ、スカル。見てみなさいよ、どこまでも警戒しまくってるじゃないですか。あぁ、かわいそうに」
「ぎゃあぎゃあうるせぇなあ。てか、ほら、アレだ。そんなに文句言うんならテイトが行きゃあ良かったんだよ」
「そう言ったのに、聞かなかったのはあなた達でしょうがっ。ああっ、ほら、毛を逆立てた子猫みたいになってるっ。・・・うん、ちょっとかわいいですよね」
「そうかぁ? 子供っていうのはどうしてもやわいから、俺はあんまりな。ぶっとばしても壊れない程度のがいいぜ」
「だからアンタんトコ、ムサいんだよ」
「お前もな」
皆をたしなめているテイトと呼ばれた人間が、一番ムカつくことを言ってくれる。一番ひょろりとした優男だ。こんなのにかわいい呼ばわりなんてされたくもない。
「分かった。じゃ、テイト。お前、行けや」
「了解、隊長」
隊長と呼ばれている男が、その中で一番体格がいい。リアンの二倍どころじゃないだろう。
逃げるとしたら、山の斜面を落ちるしかないかもしれない。山道を逃げても無駄だ。捕まる。
そんなリアンに、テイトと呼ばれた優男は一歩足を踏み出した。そこで立ち止まる。皆よりも前に出ていることで、自分が交渉役だと言いたいのだろう。彼も剣を腰に下げているが、全く触ろうとしていなかった。
「えーと。本当にね、僕達は悪い人じゃないんだよ。単に仕事でこっちに来ていた所に、煙に気づいたので見に来たんだ」
「こんな山の中に、剣を持った人間が用事?」
「それを言われちゃうとね。まあ、山菜採りやウサギ狩りが目的じゃないのはたしかなんだけど」
「それに、このネーテル領にあなた達のような騎士は存在しないはずだ。違うというのであれば所属を」
あてずっぽうである。リアンとて、全部の騎士を知っているわけではない。
するとテイトが苦笑した。手ごわいなぁと肩をすくめる。
「僕達は君の敵じゃない。それは信じてほしい。その証拠をあげていこう。まず一つ目、君では僕達一人にすら勝てない。二つ目、君から奪わなくてはならぬ物など何もない。君の持っている剣が十本あっても僕達の剣一つ買えないといえば理解できるかな? 三つ目、まっ平らな子供に誰も用事はないから襲われる心配もいらないよ」
そう言って、テイトは首から下げていた鎖をシャラリと服の下から取り出し、ついているメダルをリアンに示した。
「これが偽物だと言ってみる? 僕達は王都の騎士だよ」
チラリとリアンは後ろの斜面がある方向に視線を移す。
身分を証明するメダルだなんて、そんなもの盗めばいいだけのことだ。何より自分にそれの真贋を見抜く術はない。
そこに一転して冷たい声音が走る。
「やめなさい。無駄だ。もしも聞き分けのないことをするならば、足の一本でも折ってしまうよ。そして君もある程度の師についていたなら、教わっているはずだ。無謀は勇気ではなく、ただの愚行にすぎないと」
びくっと震えたリアンに向けて、テイトは優しく微笑んだ。しかし目は笑っていない。
「勿論、君がどこかの王子様とか王女様で、誰の手にも捕まってはならないほど高貴な身の上だというのなら話は別だけど? さ、そのまま剣を腰に戻しなさい。少なくともこちらは君に対して十分礼をはらっているつもりだよ? その証拠に誰一人、剣に手を掛けてはいない」
「・・・・・・失礼しました」
言われてみればその通りだ。あちらは一人として剣を触ってもいないのに、自分一人だけが抜いている。もしも本物の騎士ならば、自分の無礼は責められるべきだろう。
リアンは剣を腰に戻した。チャリンと音が響く。それはリアンが屈服した音でもあった。どうせ自分では勝てやしない。
「いや。もとはと言えば、ガラの悪い隊長が悪い。もしもこれが山賊だったなら、遠慮なく抜きなさい。躊躇は君の命を奪う」
どっちだよ。
しかし言っていることは正しい。要は、真実を見抜けということだ。危険な人間なのかそうでないのかを。
「では、私はもうここを去ります。どうぞ騎士様方はごゆっくり」
「あー。そういうわけにもいかないんだよね。こちらにもこちらの事情があってさ」
そう言うと、テイトはリアンの腕をつかんだ。その動きは早かった。油断していたつもりはないが、背中にねじられた腕で抵抗はできない。
「現在、こちらも仕事中でね。僕達を見た人間を見つけてしまった以上、このまま解放できないんだ。悪いけど、しばらく同行してもらうよ?」
山賊よりはマシだが、どちらにしても危険な相手に囚われたのだと、リアンは知った。
― ◇ – ★ – ◇ ―
できる限り遠くへ離れた方がいい。しかし山の日暮れは早い。
ユリアナは山道から少し離れた岩の上に、野営の用意をしていた。もしも追手が来たとしたら、やり過ごせばいいように、道よりも高い場所を選んだ。
「岩がごつごつして痛いかもしれないけど、我慢して。人の足音や物音が聞こえたら、すぐに身を伏せること」
「分かったわ」
疲れ切った表情で、スザンナは頷いた。
「お願い、もう休ませて」
スザンナのスカートは何かと枝にひっかかり、ひっきりなしに小さな悲鳴をあげ続けていた。
そんな手間取る事態を重ね、思ったよりも遠くへ行くことはできていなかったが、もうスザンナの体力は限界なのだろう。
「この寝袋の中に入って。このマントを下に敷いたら少しは痛くないよ」
「ええ」
動きやすさでいえば、男の服の方が動きやすい。しかしユリアナは困っていた。
(まさかスザンナ様にズボンをはかせるわけにもいかないしなぁ。そんなことを言おうものなら、悲鳴をあげて失神しちゃうかもしれないし)
なぜかというと、女性が裾の長いスカートを履くことには意味があるのだ。女性とは誘惑をすることができる生き物だと教会は説いている。そして、女性はみだりに男性を誘惑しないように、長いスカートで脚を隠すのである。
従って、男性が着用しているようなズボンを女性が履いたら大問題である。それはおおっぴらに男性を誘惑していることになるのだから。
(それなら私はどうなるのってことなんだけどね)
これに関して「じゃあ、胸を強調しているのはどうなるの?」という質問は必ず子供達からあがるのだが、その質問に対して大人は聞こえなかったフリをするのが一般的だ。いい説明が思い浮かばないだけだろう。
ユリアナの師匠にあたる養父は、ユリアナがその質問をした時、
「あぁん? あいにく俺は脚じゃなくて胸が見えればいいからどっちでも気にしないぜ」と言い放った。
「だが、お前はどっちが見えようと見えまいと同じだろ? 色気ってのは、無い奴には無いからな」
昔はとても優しくて穏やかな人だったのに、いつの間にかガサツで無神経な人になっていた。だけど好きだった。
そうして師匠はユリアナに男装をさせたのだ。ちょっと泣きたい気持ちになったものだが、ユリアナは改めて師に敬意を抱いている。
守られていた自分は気づいていなかった。
女であるというだけで様々なことが制限されている事実に。だから男装できる自分は今、ただの女性よりも生き延びる術を得ている。
(会いたいです、お師匠様。どうして帰ってきてくれないの。生きているの。無事でいるの。ずっと待っているのに)
星が見えない空を仰ぎ、ユリアナはため息をついた。




