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夜も城で働く人達には、食堂でパンとスープ、おかずが二つとお菓子か果物が出されるそうだ。
「あ、これ、おいしい」
ユリアナはスープを一口食べて、目をみはった。
豚肉と玉ねぎを煮込んだだけのスープだが、なかなかいける。豚肉は保存性を高める為、まず解体したら塩漬けにするのが一般的だ。しかし、その豚肉を使って煮込んだスープは、おいしいけれども塩味がいささかきつすぎるのが普通だ。塩漬け肉なのだからそれは仕方ないだろう。
だが、これはあまり塩がきつくない。しかし、旨味は十分出ている。
ということは、おそらく丁寧に塩抜きをしてから作っているのだろう。従業員の食事にそこまで手をかけているとは、なかなかここの食堂は良いレベルである。領地が豊かなのか、作る人間が勤勉なのか。
(同じスプーンを使っているとは思えない減り具合なんだけど、二人共どうしてそんなに慌てて食べちゃうのかな)
ファスットとセイムは黙々と食べているが、ほとんど流し込んでいるかのような勢いだ。
「別にユリーは慌てなくともよい。どうせ子供だ。まだ酒は早い」
「そうですね。ユリーの分は私が頂きましょう」
「兄さん。僕の意見をまず聞いてよ」
食べ終わると、ユリアナの頭をぽんぽんと撫でた二人は、仲良く飲み始めた。小麦酒は一杯だけという話だったのだが、どこからか瓶をファスットが持ってくる。
「今まで色々な所も見てきたのだろう? よその話を聞かせてくれ。なかなかよそに行くこともない身の上でな、話に飢えているのだ」
「そうでございますね。はずんでいただきましたし、私に分かることであれば」
セイムもその間に空になった食器を片づけており、二人の前にはグラスと瓶だけだ。周囲のテーブルには他の騎士なども居たが、二人は気にしていないようだった。
「なるほど、さすがは音に聞こえたネーテルの小麦酒。ロームで出回っているものよりもはるかにおいしゅうございます」
「そうだろう。これはとっておきなのだ。さあ、飲もう」
その横でユリアナはせっせとおかずを食べていた。
潰したジャガイモにチーズと牛乳を混ぜ込んだものが泣きたい程においしかった。自分が作るのは、飼っているヤギの乳を使うせいか、臭みがどうしてもぬけないが、これは牛乳だ。本当においしい。
しかし、ヤギは飼うのに牛よりも手間がかからないのだ。雑草も食べてくれる。こればかりは仕方ない。
「戦争も終わり、どこも平和の兆しが出ているとは聞くがどうかな」
「まだまだでございましょう。王都では、これから隣国と繋がっていた人間を洗い出すのであろうともっぱらの噂です。それでも勝利の喜びに誰もが笑顔を見せておりますが。同時に負傷して戻ってきた者の今後がどうかと言えば、賠償金などもまだですので、そこまでは手を付けていないというありさまです」
「そうか。やはり簡単にはいかぬのだろうな」
ファスットの人選は正しいと言えるだろう。
セイムはまじない師ではなく、その戦争を知る者の一人だ。
噂と言ってはいるが、それが現状なのだろうとユリアナにも分かった。
「八年前も、負傷者への補償が行われるまで二年ほどかかったと聞いております」
「キンダルムはどうなのであろうな」
「キンダルムは戦地となった場所なれば、・・・未だに焼けた家屋や畑など手つかずとなっていると。動かせない重傷者もまだ留まっており、今も弔いの為の人間が派遣され続けているそうで、煙の消える日はないと聞いております。というのも、本来は土に埋めるべき遺体を、焼いて骨にすることで、その形見と共に持ち帰るようにしているからだとか」
「なんと。遺体を焼くとは」
ファスットが肩を震わせる。
「埋めるだけの余力が騎士団にはありません。この疲弊しきった時を狙われてはたまらない。その為、神殿にてそれらの骨と形見の品が入った壺を預かり、祈りを捧げていると聞き及びます。教会は土葬が基本なので、大地の神殿が執り行うことで折り合いをつけたとか」
「いくら祈りが捧げられても・・・」
ファスットが耐えられぬといった表情で首を振り、ほろりと涙を流した。
人は亡くなると地面に埋めて墓を立てる。親しい人達が少しずつ土をかぶせていき、その周りに花を植えるのだ。それを骨だけになったとは・・・・・・別れすらできないではないか。
「骨とその時に身に着けていた物が一緒に納められているそうです。もしご家族がせめて骨だけでも引き取ってやりたいと思われた時に、その形見の品で分かるように」
ファスットが下を向く。
もしかしたら家族が戦地に赴き、まだ帰ってこないのかもしれないと、セイムやユリアナにも察せられた。
そのせいだろう。セイムも記憶をたどり始める。
「たしか、・・・従軍なさった方が身に着けていたものなど心当たりの物があれば、それらを詳しく申し出ればチェックしてくださるそうです。ただ、金目になりそうな遺品を狙ったなりすましもあり得る為、身元確認はしつこく行われるそうですが」
「・・・そうか」
その相槌は、セイムの言葉を止めない為だけだろう。聞くのも辛いが、情報は欲しい。
本当は泣きたいだろうにと、ユリアナは目を閉じた。
生きているのか死んでいるのか。それすらも分からない日々の辛さ。
「神殿が祝福を終えたものから順に安置所へと移され、一覧が作成されるとか。ただ、引き渡すのは今の時点では人違いとかもあり得ますので、傷病者を預かる療養所が全て閉鎖してからのこととなりますが・・・」
「そうか」
ぐっと吞み込んだものは何だったのか。
ファスットはそれでも自分を取り戻そうとしていた。
「捕虜の引き渡しもこれから始まります。そして自分の素性を隠したまま、敵地で敵国の傷病者を演じている者もまだいることでしょう。帰ってこない理由は一つではございません。どうぞお心を強くお持ちください。故郷さえあれば、人はそこに戻ってきます」
セイムの言葉に答えは無かった。
いつの間にか、その場は静かになっていた。
食堂の壁の向こうから、食器を洗ったり料理をしたりしている人達の声が聞こえてくる。少し離れたテーブルでは、これから寝ずの番らしい男達が、食事をしながら申し送りをしているようだった。
それでも誰もが耳を澄まし、このテーブルの会話を聞こうとしていたのが分かる。
(ネーテル領はどれだけの兵士を出したんだろう)
このネーテル領からも兵士は出された筈だ。周囲のテーブルについた人達が口を開かず、ファスットとセイムの話を黙って聞いているのはそういうことなのだろう。
誰かが帰ってきても、帰ってこない誰かがいる・・・。
(勝ったから終わりじゃない。失われたものは二度と戻らない)
ユリアナは下を向いてリンゴをかじった。甘酸っぱいそれをかじるのに忙しくて、顔を上げることなどとてもできなかった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
それでもしんみりとした話が終われば、誰もが陽気になる。そうやって今日の憂いを笑い飛ばし、明日を迎える為だ。
夜の喧騒は、明日への活力を生み出す儀式なのかもしれない。
「やってらんねぇよ、こっちが命がけでやってる間にアレだぜ」
「羨ましいけどな」
「そうかぁ? 手を出せないんじゃ意味ないだろ。俺ならやだね」
「ま、いい迷惑だったよ、ホント。あいつが不憫すぎる」
「いい奴だったんだぜ。なまっちろい腕だったけどな」
既に、その場は無礼講と化していた。夜勤の為の食堂ではなかったのか。いいのか、これで?
この城にとってコレが日常茶飯事なのかどうかは分からないが、ユリアナはセイムの目配せを受けてその場を抜けることにした。
(ホント、男の人ってお酒が入ると変わるよね。こんな所にいたら妊娠させられちゃう)
どいつもこいつも酒が入って出来上がってやがると、小さく吐き捨てたセイムは、酒は楽しく飲むけれどマナーを失わないことを心がける紳士だ。
弟としてざっくばらんに接していても、ユリアナをいつだって守ろうとしてくれる。
こんな旅に連れ出したことを、内心では悪いと思っているからだろう。
旅の途中も飲むことはあったが、ユリアナに対して酌を強要することもなく、大きな声を出して怖がらせるようなこともしなかった。
だからやってられない。こんな所にいたら、自分が危険だ。世の中、少年に対してよからぬことを考える男もいるのだから。
「まあまあ。では飲もうではないか、セイム殿」
「ええ」
ファスットは話し足りないらしく、しばらくセイムを逃がす気はない様子である。
薬師としてはユリアナを買ってくれてはいても、酒の相手としては最初から検討もしてくれなかった。
いいのだ、別に。
ユリアナだって酒の相手をしたいわけでもない。
部屋に戻り、鍵を掛けておこう。セイムが戻るまでは扉を開けないようにして。




