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狂騒曲が終わる日に  作者: 藤木
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 その日は、土砂降りの雨だった。ざぁざぁと、他の音など何一つ聞こえなくなる程に、屋根や壁を叩いてくる雨はとても激しかった。

 そんな日に、よくなめされた茶色い革のマントを頭からかぶった男が、ユリアナの住む小さな家のドアを叩いた。

 その日から、止まっていた時間は動き出したのかもしれない。



― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―



 朝から激しい雨が降っている。一歩でも外に出た途端、びしょぬれだ。

 こんな日はのんびりと昼寝をするに限る。


(雨の日ってなんだか眠くなるのよねぇ)


 そう惰眠(だみん)を決め込んでいたユリアナだが、ドンドンと扉を叩く音に目を()ました。

 無視、しよっかな。

 そんな気持ちが生まれないわけではなかったが、この大雨の中の来客となるとそれも躊躇(ためら)われる。

 ドンドンドン、ドンドン。

 まるで、居るのは分かっているんだぞと言わんばかりに扉を叩く音が響いてきた。

 仕方がないと、ユリアナは起き上がる。ささっと肩掛けを羽織って部屋を出れば、本当にザアザア、バンバンと雨が屋根に打ちつけている音が家の中に響き渡っていた。

 こんな日には家の中で仕事をしても湿気が影響する。


「どなたでしょうか」


 ユリアナは、玄関の扉を開けずに誰何(すいか)した。


(誰か子供が急病にでもかかったのかしら。お医者様がいないとか・・・)


 こんな日に訪れる人間など、よほどの緊急事態、もしくは厄介事だ。声にも緊張が表れて固くなる。

 強盗ということだってあり得るのだから。

 この雨が凶行の発覚を遅らせるだろう。だけど知り合いだったら助けないわけにはいかない。小さな子供がいきなり発熱したとか、そういうことだって考えられる。


「占いを頼みたくてやってきた。ロームのセイムと言う。すまないが、火にあたらせてもらえないだろうか」


 聞き慣れぬ男の声が、その問いに答えた。このローム国内でわざわざロームと言うのならば、それは王都のことだ。

 ユリアナは思った。

 わざわざこんな日に、たかだか占いを求めてこんな森に来る馬鹿がいるものかと。

 それでもこの豪雨の中、客を放置しておくわけにもいかない。それにそんな馬鹿に全くの心当たりがない訳でもない。いや、心当たりなどありたくはないけれど。


(しょうがないよね。扉を壊されても困るもの)


 ガンガンと強く叩きすぎなのだ。これだけ物音が搔き消される雨音の中、あどれだけ強く扉を叩いてくれたのか。蝶番(ちょうつがい)が壊れてしまう。

 ともあれ(かんぬき)を外し、ユリアナは扉を開けた。

 そこには男が一人立っていた。

 水がポタポタとしたたるマント帽からのぞく空色の瞳が、値踏みするようにユリアナをまっすぐ貫いてくる。その目つきはどう見ても農夫や商人のものではなかった。 

 森の中にある小さな家に住む、まじない師のユリアナは、その男にばれないように、顔を下に向けることで溜め息を隠した。


(もしかして私が引いてしまったってことかな、これは)


 気を取り直して、セイムと名乗った男に声をかける。


「どうぞお入りください。まずはその濡れたものを乾かさなくては」



― ◇ – ★ – ◇ ―



 よく油の擦り込まれた革のマントは布製のものと違って雨をはじいてくれるのだが、こんなにも激しい雨ではあまり意味がなかったようだ。

 招き入れた男、セイムは、ボタボタボタとすぐ足元に水たまりを作った。濡れた床が、どんどんと黒みがかった色になっていく。


「びしょびしょですね」

「ああ。すさまじいブタとニワトリだった」


 激しく打ちつけるような雨の事を、この辺りでは「ブタとニワトリ」と呼ぶ。それはどれもけたたましくうるさいからだ。雨は人々の暮らしに欠かせない恵みだが、それゆえに各地で様々な呼び方を持つものである。

 ユリアナは扉近くにいつも置いてある(たらい)を指さした。普段は畑や森で採れたものを入れたり、洗濯物を運ぶのに使っている盥だ。


「すみませんが、そこの場所から動かないでください。あとで拭くのが面倒なんです。脱いだお召し物は、その中に入れてください。軽く洗ってから、暖炉の前で乾かしますから」

「分かった。すまない。助かる」

「こちらで濡れた体はお拭きください」


 ユリアナが乾いた布を渡し、それで体をぬぐうように言うと、セイムはおとなしく指示に従った。

 布を受け取った指は固く、タコが出来ていた。手や腕に、幾つかの傷や痕があった。

 どう見ても剣を使う人間の手である。


(格好は地味だけど、やっぱり騎士や兵士の手ね。あまり(へりくだ)りすぎるのは危険)


 セイムも床にどんどんと広がっていく水たまりの量に申し訳ないと思ったのだろう、手早く服を脱いでは盥に入れていく。

 そんなセイムもこんなびしょぬれで訪問した自分が悪いのは分かっていたが、さりとて服を脱いでいく自分の裸を見ても気に留めないどころか、反対にじーっと凝視してくるユリアナに、いささか思うものはあった。

 

(見てる見てる・・・。普通、目をそらすだろう。なぜ、そう、俺を見るんだ)


 それでも自分は招かれざる客である。自分の方から下手に出るべきであろうと、セイムは軽く目で謝罪の意を示した。


「すまん。着替えを婦女子の前で。・・・この状況だ。ご寛恕(かんじょ)願いたい」


 本当に言いたいセリフは、

「じろじろ見るんじゃない、この痴女」

だったが、セイムはそういう点でとても紳士的な一面を有していた。


「いいえ。私は治療にもあたるまじない師です。足や腕を斧で切り落とすこともございます。たかだか裸程度、なんということもございません」


 いや、誰もそんなことを聞きたいわけじゃない。単に見ないでほしいだけだ。

 そんなセイムの言外の思いは伝わらなかったらしい。


「そうであろうが・・・。とりあえず何か羽織るものを貸してはくれないだろうか。荷物に入れてあった着替えも濡れてしまっているのだ」

「分かりました」


 ユリアナのじっくりと舐めるような凝視に思うところのあったセイムだが、どうにかそうしてユリアナをその場から立ち去らせることに成功した。


(男の裸に目をそらすこともしないとは、なんとはしたない女だ。こんな辺境の地にあればそういうものなのだろうか。教養など学ぶこともないのかもしれぬ)


 セイムの中で痴女扱いされているとは知らず、やがて別室からユリアナがシャツとズボンなどを持ってくる。


「どうぞ。父が使っていたものですが」

「ありがたくお借りする」


 衣服を渡す際に、またもや体を至近距離でまじまじと見られたセイムは、天を仰いで嘆かずにはいられなかった。


(何日もかけてやってきたというのに・・・。ユリアナ・セイドックを選んだのは失敗だったか。こういうことは女でなくては分からぬだろうと思ったが、・・・まじない師なんてやる女がまともなはずがなかったのかもしれん)


 まじない師の名誉の為に言うなら、それは偏見である。

 身の危険を感じたセイムは、ここは適当にお茶を濁して違う女の所に行こうかとも考え始める。

 しかし、それはあまり現実的ではなかった。時間は限られている。


(そうだ。すぐにでも取りかからねばならん。いつまで時間稼ぎできるやも分からん以上は)


 天を仰ぐセイムとは別に、ユリアナも表情を見られぬよう下を向いて同じく嘆いていた。


(左肩のホクロ、右ヒジにあるヤケド痕、腹部の矢じり痕、焦げ茶色の髪に空色の瞳。左手の中指にはめられている指輪。ダメだ、全ての特徴が一致する。セイランド様じゃないのーっ。どう考えてもこの辺りに用事のない方じゃないっ。・・・なんてこったい。よりによって私が貧乏くじを引いてしまっただなんてぇっっっ)


 会った事がなくてもセイムはユリアナを聞き知っていた。だから訪ねてきたのである。

 同時にユリアナもセイム(の体)を知っていた。だから確認していたのである。

 そして今、二人はお互いの存在に対して、いささか「やっかいな人間」という評価をくだしていた。


――― 困ったな。どうしたものか。

――― 困ったよー。助けて、お師匠様ぁーっ。


 そういう意味では気が合う二人だった。



― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―



 ユリアナが暖炉の前で温かいハーブティーと挽き肉入りのパイをふるまうと、セイムは腹を満たした人間ならではの落ち着いた様子となった。疲れて冷えきった体には最高のもてなしである。


(やっぱり男の人って沢山食べるんだぁ)


 それを確認して、ユリアナは口を開いた。

 ユリアナが一杯のハーブティーを飲んでいる間に、セイムはハーブティーを三杯とパイを四切れ食べ終わっているのだから、よほど空腹だったのだろう。


「占いをご希望、とのことでしたか」

「ああ。実は・・・」


 そこで、言いにくそうにセイムは言葉を切った。


(なんと切り出したものかな。うまい言葉が見つからない)


 そんなセイムを見遣(みや)り、ユリアナは暖炉の火を眺めながら言葉を織り出した。


「そう、あなた様は迷っていらっしゃる。この状況に対する己の決断に。・・・それは大きな結果をもたらすかもしれず、小さな結果しかもたらさないかもしれない。更にとても良いことになるかもしれないが、とても悪いことになるかもしれず、運が良ければ何も起こらないかもしれない。それについて、自分がどう踏み出せばいいのか、・・・その一歩をどこにも踏み出せない」


 謎々のような言葉だったが、セイムの目が厳しいものとなった。


「何を知っている?」

「さあ? ・・・占いとはそのようなもの。怪しげな言葉で人を翻弄(ほんろう)するが占い師のならいでございます」


 堂々とイカサマだと言ってのけたユリアナだったが、セイムは押し黙った。

 言葉で迷わせるのが、こういった者達のやり口だ。思わせぶりな言葉を連ねて人の心を惑わせ、金を巻き上げる。そんな胡散臭い者達だが、それでも人は困ると頼らずにはいられない。

 しかも彼女の言葉は(あた)らずと(いえど)も遠からず、である。

 逡巡するセイムに、ユリアナはちらりと流し目をくれたが、それは色っぽいものではなく、単にこちらを見ただけのようだった。


「はっきりぶっちゃけて言ってしまいますと、嫁取りのお話ですよね?」

「・・・!」


 その通りである。セイムは驚きのあまり、何も言えなくなった。一発で当てるとは、この年若き女は賢者か。

 たしかにこの女を勧めた人物の信頼はあるようだったが、所詮まじない師であろうと思っていた。

 自分はこの女の真価を見誤っていたのか。


「なんと・・・」


 思わず、驚嘆の言葉が洩れる。

 そんなセイムに、ユリアナは少しだけ申し訳なさそうな顔で言った。


「私は所詮、森に住む田舎者にございます。あなた様方のように様々な駆け引きの中で生きるお偉い方々とは、全く違う世界で生きております。ですから、はっきりお伝えいたしましょう。あなたがご結婚相手を早急に決めなくてはならず、同時にその条件が難航するものであることを知らぬ同業者はおりません。どこのまじない師の元に行かれようとも、誰もがあなた様のご用件を一発で当ててみせることでしょう」

「・・・は?」


 知らぬ同業者はいない? どこに行っても誰もが知っている?

 セイムは顔を赤くしたり青くしたりして、「あわわわ」という風情となった。

 ということは、彼女は自分を知っているということで・・・。

 そんな男心に、ユリアナは更にとどめを刺した。


「セイム様、そうお呼びすればよろしいのですね?」

「・・・ああ」


 やっぱり偽名はバレている。

 セイムはそれを悟った。


(いや、だって、名前をきちんと名乗りたくないことなんて、誰だってあるだろ? 恥ずかしい悩みを占ってもらう時に本名を名乗る奴なんていないだろうが)


 ああ、そう言えたらどんなにかいいだろう。

 しかしセイムに出来たのは、真っ赤になった顔を逸らすことだけだった。


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