8 バフ枠検証
店を出た。
「いやー、色々買えたねー。でも結局お兄ちゃんが真っ先に選んだその本、なんなの? おじさんはエイチの結晶とかシンソウに眠る力の解放とか説明してたけど、イマイチよく分かんなかったんだけど」
「これか? これはなバフ枠を一つ解放する本だよ」
「バフ枠?」
「そ。まだ検証していないけど、たぶんミラにかけられるバフの種類は今は20までしかないはずなんだ。他の人も皆最初は20だ。けど、この本があれば残り四つの内、一つを解放して21までバフをかけれるようになるはずだよ。残り三つを解放するにはまた別の種類の本が必要になるけど」
「ええっ!? バフにそんな決まりがあったの? っていうか、あたし五つくらいまでしかバフかけられた事ないんだけど……お兄ちゃん、クルセイダーって一体いくつバフ使えるの?」
「んー、ゴミバフ含めると30以上使えるよ」
「おおお…………あたし、そんなに覚えきれないよ……」
「ははっ、大丈夫大丈夫。バフ管理は俺の仕事だし、ミラは最低限どんなバフがあるか覚えるだけで、運用はこっちに任せてくれればいいよ」
「キャー! お兄ちゃんってば頼もしい! でもたった本一冊で金貨1枚も使うなんてもったいないなぁ……」
「でも、バフ枠一つでかなり変わるものなんだよ。それは実戦で証明できるさ……たぶん」
「ふーん?」
基本的にバフはパーセンテージでパラメータ数値が上昇する。一つのバフは10%~30%で、実際のダメージ量に換算すれば微々たる数値でしかない。けれど、数々のバフを重ねていけば、それはやがて倍々計算で跳ね上がっていく。最終的には、一つバフがあるかないかでダメージ量が3割違う場合もある。1000ダメージと1300ダメージだとかなりの差があるからな。クリティカルが出た場合だと、更にダメージ量の差が顕著だ。2000が5000になる場合だってある。あくまで瞬間的な火力だけど。
特に俺達バッファーのバフ魔法と重複しない別枠の自己強化スキルが豊富なライカンスロープの種族などは、随一の上昇率を誇る。あれは文句無く最強のダメージ数値を叩き出す肉弾戦火力種族だからなぁ。まあ火力だけで対人戦や対ギルド戦に勝てるほど甘くないけど。
「まあまずは検証かな」
人気の少ない裏通りに来てミラを立たせる。ミラは子供らしく興味津々な様子でこっちをじっと見つめていた。これからする事をざっと説明しておいたので、俺の説が合っているか興味があるんだろう。自分の能力の事にも関わるしな。
「じゃあいくよ」
「うんっ」
「移動速度強化。OK。さ、ちょっと走ってみて」
「うんっ――わぁっ、はやいはやーい! あっはははははは! 気持ちいーーー!!」
裏道を所狭しと駆け回るミラは、まるでリードから解き放たれた子犬のようだった。その走るスピードは、確かにバフをかける前と比べると雲泥の差がある。まるでUSB2.1と3.0の差のようだ。なんとなく。
「おーい、ミラ。次のバフかけるよー。戻ってこーい」
「はぁーい」
階段やら瓦礫やらの上を飛び跳ねるようにしてジャケットを翻しながらミラが戻ってきた。ご満悦なのか、長い耳が上下にぴこぴこ小刻みに揺れている。
「じゃあ一気にいくぞ。防御力強化、魔法防御力強化、攻撃力強化、攻撃速度強化、魔力強化、クリティカル率強化、クリティカルダメージ強化、生命力向上、マナ力向上、攻撃力二重強化、命中率強化、矢耐性強化、盾防御率向上、盾防御力向上、闇耐性強化、火水風土耐性強化、毒耐性強化、武器への聖属性付与、被ダメージ時攻撃能力向上」
「うわっ、うわわっ!?」
色とりどりの光やら炎やらが次々と忙しなくミラの周りを乱舞する。
一通りバフを掛け終わった後、ミラは口を半開きにして呆けたまま突っ立っていた。
光の残滓が頭上からシャワーのように降り注ぐ。その中心にいるダークエルフの女の子はそれをただじっと見つめていた。
「きれい……」
まあ……ちょっと待つか。
「……あっ、ご、ごめんね。ついぼーっとしちゃって」
「いいよ。別に。さて、これで今ミラには20個のバフを掛けたわけだけど……走ってみて」
「うん」
ミラが跳ぶ。真っ直ぐ、風のように速く。
やはり一番最初にかけたキス・オブ・シルフの効果は消えていない。
……ちょっと周りの視線が痛いけど、気にしないようにしよう。
「よーし、じゃあいよいよ本命いくぞ、21個目だ。詠唱速度強化」
「うん……じゃあ、またまたいっくよー! そーれ!」
三度、ミラが駆け出す。だがそこに先ほどまでの俊敏さはどこにもなかった。
最初にキス・オブ・シルフを掛ける前の足の速さだった。
「やっぱりミラにかけられるバフの数は20個までだな」
「はぁー。あたし、こんなの初めて知ったよ。まさか数に限りがあるなんて」
「まあそんなもんだろ。よほど高位のバッファーがいないとバフを押し出すなんて事にはならないしな」
「押し出す……ああ、最初にかけたバフが消えて、新しく掛けたバフが残るって事ね」
「うん。とまあ、そんなわけで、俺が使える有用なバフは数がたくさんあるから、少しでも多くバフをかけられるようにしておきたい。そこで、この本の出番となるわけだ」
先ほど闇商人から買った品物の内の一つ、『古代の禁書(第一巻)』を取り出す。
ちなみに各種薬も数個購入し、アミュレット、タリスマンなどはミラに渡した。指輪や護符などの装飾品がミラの指や首元で光っている。
少し綺麗になったな。うん、やっぱり可愛い。まあ自分の好みで外見を固めたキャラにそっくりなんだから、当たり前だろうけど。あとはもうちょっと服を綺麗にしてやりたいな。
「俺はもう最大限までバフをかけられるようになっているから、これはミラが使って」
「……ありがとうね、ソーヤさん」
うおお……ちょ、ミラの頬を染めた笑顔はちょっとくるものがあるな……いかんいかん。俺はロリじゃない俺はロリじゃない俺はロリじゃない……
「急に変な顔してどうしたの?」
「ん、いやなんでもない。それよりほら、開いてみて」
「まあいっか。じゃあ開くね。えっと、闇商人のおじさんが教えてくれた使い方は……」
そこそこの厚みを持つ『古代の禁書第一巻』の表紙を手にとり、ゆっくりと開いていく。最初のページは白紙だ。
ミラは持っていた裁縫用の針で自分の人差し指の腹を突き刺し、ちょっと顔をしかめる。それから指にできた小さな血の雫を白紙に押し付けた。
「これでいいんだよね」
「ああ」
すると、突然本が淡く光りだし、放電を始めた。
ほ、本当にこれ大丈夫なんだよな……?
「わ、わ、わ、あれ、でも痛くない……?」
やがてミラの手が持つ本から一本の稲妻が一瞬現れ、ミラの胸を撃った。
「だ、大丈夫か!?」
「う、うん。平気。ちょっとびっくりしたけど……これで終わり?」
あ、気がつけばミラの手の中にあった本が灰になって崩れている。
「みたいだね……じゃあ、早速もう一度検証してみようか」
「うん!」
手順はさっきと一緒だ。
まずキス・オブ・シルフをかけて、それから重複せず、かつ脚力が上がらないバフを適当に20個掛ける。今のミラに掛かっているバフは21個。さっきはこれでキス・オブ・シルフのバフは消えていた。
結果は。
「消えない! 消えてないよ、お兄ちゃん! ほらほらっ!」
「おおー! 速い速い! やったな、ミラ! これでミラもバフ枠21の仲間入りだ!」
よし、これでミラに掛けられるバフの数が21までって判明したし、ギリギリまでバフをかけられる! ミラは自己バフが少ない生産職で、更にレベルも低いはずだから今の所自己バフはまったくないはずだ。なら俺がかけるバフだけを考えればいい。
うん。バフかけるのは二人だけだし、余裕でMPは持ちそうだな。これが7人フルパーティだったらズラしバフをしなくちゃいけなかったけど。
一度に7人全員にバフを掛けると、掛け終わる前にMPが切れてしまう。その対策としてバフ効果時間が切れる前のバフ更新を半分に区切ってする手法がズラしバフだ。例えば20分持続するバフを20個ずつ七人にかけるとして、10分経ったら全員に10個のバフを、もう10分経ったら全員に残り10個のバフをかける。こうする事で時間当たりのMP消費を下げられる。
バッファーのパッシブスキルには、武器で直接敵にダメージを与えればほんのわずかMPが回復するものがある。時間経過によるMP回復と合わせれば十分にバフに必要なMPが確保できるという具合だ。
「これいいね! さっすがお兄ちゃん! うんうん、これならあたしもガンガン行けちゃいそう! 昔、あたし一人だとスケルトン一体倒すのでも精一杯だったし、あー明日が楽しみになってきた。たっくさん骨を持って帰ろうね! 目指せ、脱路地裏!」
弾んだ声。ミラは宙返りをして見事な着地をした後、陽気なステップを踏んで腕を広げながら踊っていた。
だけど、ミラにはちゃんと一つ訂正しておこう。
「でもな、ミラ。今のそれは魔法攻撃職向けのバフも混じってるからな。明日実際に使うのは全部近接攻撃職向けのバフにするから、今よりもう少し動けるようになるぞ。何より今回、ソウル・オブシリーズのバフも使ってないしな」
あれ、全体的に能力向上するから脚力比較する時に邪魔になるからな。
「うん。楽しみにしてるよ、相棒! あたし、頑張るからね!」
「ああ、俺も頑張るよ」
ミラが手の平を突き出してくる。
一瞬、意味が分からずにいると、ミラが更に手の平を前に突き出してきた。
「ん!」
「……ああ」
そういう事か。
ミラの意図を察し、俺も勢いをつけて手の平を出す。
裏道に乾いた、心地良い音が響く。俺の黒の手袋ごしに伝わる小さな痺れが熱かった。
ミラはというと「えっへへー」と笑っていた。
「さーて、それじゃあ今度はあたしが明日の準備がてら、街をちょっと案内したげる。さ、いこいこっ」
「お、おーい、ミラ背中そんなに押さないでって……」
ミラと歩きだす。
それから俺は色々と街の事を聞きながら、ミラと二人で夕暮れまでの残り少ない時間で街に改めてくり出した。
明日、ディグルー宮殿に日帰りで出稼ぎに行くに当たっての道具を揃えるためだ。
とは言ってもお金がないおかげで本当にたいした準備はできなかったが。買ったのはせいぜいが食料と傷薬くらい。しかももしディグルー宮殿で何も稼ぎがなかったら、ほぼ無一文という崖っぷち。
「大丈夫だよー。最悪何もなくたってでも一日断食するだけで、明後日にはまた日雇いの仕事探せばいいんだから。ねっ、だからお兄ちゃんもそんな気にしなくていいってー」
「そ、そうか……」
……絶対に、何が何でも成果は出そう。そして俺のせいでこんな暮らしをしているミラの助けに何としてでもならなくちゃ。
路地裏のあばら屋に戻って二人で夜を過ごす。汚れた毛布一枚、俺達はそれにくるまって眠った。
★★★★★★
その夜。
「いい……いいなぁ……手に馴染むっていうのはまさにこの事だよなぁ……」
入り組んだ迷路のような街角にその人影は口元を歪め、悦に浸っていた。
「ああ、折角新しいとびっきりのコレクションが手に入ったっていうのに、なーんでこんな時に限って戦がないのかねー……おかげでこうしてチマチマやるっきゃねーし」
手の中にある禍々しい歪つな造形をした凶器を、うっとりとした様子で丁寧に丁寧に拭う。まるで恋人を愛撫するように。
その足元にはまだ若い、二十歳にもなっていないメイド姿の新しい死体が転がっている。
無残にも、その女性は全身を切り刻まれていた。
何度も、何度も、執拗に。
一見、怨恨にも見えるがそうではない。本当に場当たり的に選ばれた、運の無い犠牲者だった。
開かれた光のない瞳はまだ涙が残っており、骸を中心に血溜りはまだ広がり続けている。何を求めていたのか、その手は何も掴めないまま伸ばされたままだった。
「うーん、折角だしもうちょっといっちゃおーかな。いや、これマジでヤバいなー。さっすが伝説の銘を冠するだけあるわー。ふ、ふふ。ふふふふふふふふふ」
翌朝、また一人通り魔の新たな犠牲者が出る。
九人目の衝撃に街はただ慄いた。
★★★★★★
「あいつら俺に何をしたと思う!? 俺を! この貴族であるこの俺に汚い手で触れたどころか、突き飛ばしてケガまでさせやがったんだぞ! 俺に、血を流させやがったんだ!」
豪奢な室内で人間種族の若い男が口から唾を飛ばしながら喚いていた。
それを涼しげな顔で黙って聞くのは屈強な壮年の男性だ。
「ちくしょう! ちくしょう! なんで僕があんな笑い者にされなきゃならないんだ! いいか、絶対に! 絶対にだ! あいつらを俺の前に引き立ててこい! 俺の剣で滅多刺しにして、バラバラにしてやる!」
憤怒の形相で威丈高に命令するのはミラに絡み、宗也によって醜態を晒された貴族のボンボンだった。
そして屈強な男性は一通りのボンボンの恨み辛みを聞き流した後、音を立てる事なく静かに部屋を辞した。
「……マスター。用命は全部聞こえてきたわよ。扉の意味がないわね」
部屋を出てすぐ、鈴の音のような美声が男性を迎える。廊下の壁に背を預けていたのは氷の美貌をした若きエルフの娘だった。
彼女がマスターと呼んだ男性は一度疲れたように肩を鳴らし、低く且つ重厚なバスの声で応えた。
「人探しだと、サブマスター。聞こえていたのなら話が早い。そういう事だ」
「……なんでこの私達があんな人間の用など聞かないといけないの? あいつから金を払われた覚えなどないのだけれど」
「仕方あるまい。彼は我らオーガバスターギルドの雇い主、支援者の息子様だ。多少の便宜は図っておいても損にはなるまい。雇い主の方もあの子息の見た目通り、甘いからな。さほど忙しくない今、ポイントを稼ぐのも悪くはない。色々とこの件で請求しておくとするさ」
「本当、人間って面倒ね」
冷笑。
そしてエルフの娘と男性は並び、共に自らの拠点であるギルドホームへと帰る。
二人は鬼斬りギルドのギルドマスターとサブマスターで、歴戦の強者たる風格を持ち、世界でも有数の力を誇る冒険者だ。なおギルドのサブマスターはもう一人いて、三人がギルドのトップにいる。
ヒーラー職の上級職司教でありながら最上級職に限りなく近い実力を持つエルフの娘。
そしてアタッカー職の中でも両手持ちの大剣を扱うクラスで最上級職である巨人まで上り詰めた男性。
「小汚いダークエルフの小娘と黒いローブを着た若い人間のバッファーの捕縛ねぇ……」
ギルドNo.1のヒーラー、ソレイユ・タロウルはエルフの冷たい微笑をそのままに、狩人の目でまだ見ぬ獲物を哀れんでいた。
★★★☆☆☆
そして翌日――
「さ、見えたよお兄ちゃん。あそこがディグルー宮殿だよ!」
「おー。あれかー。でっか!」
俺とミラが街を出てしばらく。
遥か彼方の先、途中の川と森を越えた先の小高い丘に宮殿は聳え立っていた。
さあ、いよいよバッファーとしての俺の初挑戦だ。
俺の力がどこまで通用するか、そしてどこまでミラの助けになれるか。そう自問しながら腰の魔法剣を強く握り締めた。