4 一歩
ミラ・ミルファーラ。24歳。ダークエルフ種族。
彼女は冒険者夫婦の娘として生まれ、ギルドの中で育てられていた。
だが両親の所属していたギルド解体及び両親の死亡により、齢15歳で一人世界に放り出される事になる。
ミラ自身もダークエルフという数百年を生きる長命種族の特性から小児以降の成長が遅く、未だ10歳程度にしか見られない幼い外見ながらも冒険者として独り立ちを志す。
が、未熟な体で頑張っても頑張っても思うように実績が積めず、その幼い容姿から足元を見られる毎日。流れに流れてこの街のスラム街暮らしへと転がり落ちていき、そこから抜けられず、悪循環の中で装備のやりくりにも困窮する有様だった。
そして今では最底辺の冒険者としての体裁も保てなくなり、煙突掃除ですす汚れた体にろくに繕えないボロボロの衣服を身に纏い、二束三文の冒険者道具を売り払うか悩んでいた。
当然学もなく、後は子供でもできそうな仕事で食いつなぐか、或いは犯罪も視野にいれるべきかという所まで追い詰められていた。
☆☆☆☆☆☆
「てめーが汚い手でいきなり押すから服が汚れちまったじゃねーか! これ上等の生地だぞ!」
「汚れるのが嫌なら大事にクローゼットの中にでも仕舞いこんでカギでもかけておきなさいよ!」
街の一角で繰り広げられる罵声の応酬。
片や立派な服で着飾って髪や靴などにしっかり手入れをしているように見える人間の成人男性達。こっちは腰にある剣の鞘に華美な装飾がある事から、きっとそれなりに裕福なんだと思える。しかも今も大声を出している男の剣は宝石らしきものまで付いているくらいだ。
片や褐色の肌で銀髪をショートカットにしたボーイッシュな10歳か或いはそれ以下であろう小さい女の子。それも見た目は煤だらけで、着ているショートパンツにTシャツと袖なしジャケットは随分と無理をして着ているんだろうと分かるくらいくたびれてボロボロだった。洗濯しているかも怪しい。
そして女の子の耳は長く、先が尖っていた。人間でないのは一目瞭然だった。
褐色の肌の耳長といえば、ダークエルフと呼ばれる種族だ。彼らは攻撃に優れた種族で、防御力が低く、また夜の間はステータスがわずかに向上する特徴もある。
そんな二者が敵意をむき出しにして、激しい身振り手振りを交えながらヒートアップしていく。
だけどどう見ても女の子の方は強がりにしか見えなかった。
大の大人数人に逃げられないよう囲まれ、その中でたった一人孤軍奮闘する女の子の握り締めている拳が震えているのがここからでも分かった。
「いやぁね。またあの男達よ……」
「中心が貴族の息子さんなんだって? 一昨日も傍若無人で自慢したいのか、あんなピカピカの剣を振り回して娘さんがケガしたっていうのに仲間達と笑ってたそうよ」
俺の近くからそんなヒソヒソ話が聞こえてきた。
そうしている間も女の子はきっと怖いだろうに、目を男から逸らさず怒鳴り返している。
男達が段々と口を開く頻度が減っていって、それに伴って空気が変わるのが脇から見ていて分かった。
「おい……いい加減にしろよ」
「キャンキャン耳障りな声がうるさいんだよ。こっちが大人しくしてりゃあ調子に乗りやがって」
「な、なによ! やる気? これでもあたし、フリーの冒険者なんだからね!」
「ここじゃ人目につきすぎる……おい、ちょっとこっち来いや。お前ら、こいつ捕まえろ」
「いたっ、ちょっと! 放しなさいよ! このっ、放してってば!」
「ああ、てめえら何見てやがんだ、散れ散れ!」
中心の男が苛立たしげに女の子の腕を掴み、更に別の屈強な男がすばやく女の子の後ろに回り込んで女の子の体を拘束する。
両腕を塞がれた女の子が何度も足で蹴ろうとするが、あまりにも小さすぎて男達にとってはまったく抵抗になっていないようだった。
「あ? なんだ兄ちゃん、何か俺らに言いたいことでもあんのか?」
「え……俺?」
気がつけば周りの人はすっかりいなくなり、俺だけがぽつんと取り残されていた。
「いや、その……」
どうするべきか。そう考えて、ただの通りすがりの俺はそのまま先を急ぐべきだ、という考えが頭に浮かぶ。
そこでふと、女の子と目が合った。
その小さな赤い目は涙を浮かべていて、強気な言葉とは裏腹に弱弱しい瞳をこちらに向けていた。
助けて、と。そう見えた。
「あ……」
俺の口から言葉にならない音が漏れる。
胸に突き刺さるような痛みを覚え、目の前の光景から目を逸らすように視線をわずかに下に向ける。
息苦しかった。あの子の姿を見るのが苦痛だった。
立ち去るのが正解。そう俺は思う。
けれど……
「……」
「おい、兄ちゃん? 聞こえねえのか」
視線を地面に固定したまま口の中で小さく呟く。
「詠唱速度強化」
頭がクリアになり、滑舌がよくなる。
更に続けて早口でバフを連続で唱える。
「移動速度強化、防御力強化、攻撃力強化、魔法防御強化、攻撃速度強化」
「おい、てめえ何を――!」
戸惑うような声が聞こえてくるけれど、無視。
あの子の姿、俺の最高クラスの装備とは違うボロボロの姿が否応無しに俺の胸を突く。もしかしたら、とそう思ってしまう。
「降臨・風精王」
最後の締めに、最高レベル近くのバッファーにしか扱えない2分間だけの超強力バフ――風の王の祝福を唱える。
四種類ある『ソウル・オブ』シリーズバフの内の一つである『ソウル・オブ・ジン』は全体的にステータスを強化しつつ、更に速度や急所への一撃系の強化に特化されたバフだ。一撃のダメージは小さいが攻撃スピードが速くクリティカル率の高い短剣を扱うアサシンやニンジャ系列の職業に喜ばれるバフだ。本来なら。けれど今回俺は速度強化という点を利用するためにこのバフを使った。
これ以上ないというくらいに全身に力がみなぎり、体が軽くなる。
そうして、俺は一度大きく息を吸って顔を上げた。
相手は目の前で血相を変えた一人、女の子の周りに三人。
大丈夫なはずだ。きっと勝算は高いはずだ。
もし失敗してもなるようになれ、だ。その時はせめて女の子を庇って殴られるだけでもしてやる。
第一、22歳にもなってこんないじめの現場みたいなのを見過ごすなんてできるわけがない! それが小さな女の子ならなおさら!
都合のいい事を願うなら、俺のゲーム上では最高値のステータスがどうか、――
「ッ!」
まず掴みかかってきた目の前の男を全力で払いのける。
その結果を見届ける前に、全力で俺は駆け出した。
ダークエルフの小さな女の子に向かって。
「街中で魔法をっ!?」
「お前、俺を誰だと!」
「なんのつもりだ!」
後方で何か盛大に屋台か何かが崩れる音とおっさんっぽい誰かの悲鳴が聞こえてきたが、俺は全てを置き去りにして走る。
十歩以上離れていた距離は、驚く事にたった一歩で詰められた。
「え?」
呆気にとられた男達の顔がすぐそこにあった。
俺も呆気にとられていた。
そして俺は予想以上の勢いを持て余してバランスを崩したままボーリングのボールのように連中の中に突っ込んだ。
ぜ、全力を出したのは初めてだけど、こんなになるのか!?
「っとっとっとととととととぉ!?」
ショルダータックルのような体勢で、女の子を拘束していた男に正面衝突。
咄嗟に地面に手と足を地面について勢いを殺す。黒の手袋もブーツも一体どんな素材でできているのか、まったく摩擦の痛みはなかった。
と、とにかく速攻で目的を済ませる!
行き過ぎた俺は、棒立ちになっている男二人の間で地面に転がっている小さな女の子を視界にいれ、すぐさま地面を蹴る。
体操なんてしたことなく、逆立ちもろくにできない俺だけど今この瞬間は体がイメージ通りにスムーズに動いてくれた。これもバフのおかげか。
恐ろしく良くなっている動体視力で、高速で跳んでいる最中でも俺は女の子を見失う事はない。そして掻っ攫うように女の子の体を片腕で脇に抱え上げる事に成功!
「よし、逃げるぞ!」
「え、え? いっ――ひゃあああああ!?」
後はとにかくわき目も振らずに逃げ切るだけだ。
野次馬の輪をひとっ飛びで抜け出して、俺はとにかく走った。
「お前らああぁぁ! 絶対に許さないぞ! どんな事をしてでも捕まえてやる! 絶対にだ!」
そんな絶叫が背中から微かに聞こえたけど、すぐに何も聞こえなくなった。