20 その名は
ウォーラル王国は大国だ。
狼男の王が治めるこの国は人口、国土、軍事力、経済力、食料生産量など、どれを取っても周辺国の中で高い水準を維持している。
最近では海向こうからの侵略者を撃退し、地方で暴れ手出しできなかった強力な部族を征伐して回り、一気に国力を高めていた。
その飛躍を大きく担ったのは『英雄』と呼ばれる中年の男性。
顔の上部をマスクで隠した彼は己の騎士団を率いて東西南北奔走し、強力な敵を次々と打ち破っていった。
山にいた屈強なオーガ族を攻めて鉱山を手に入れ、湖と宮殿を占拠していた残忍なリザードマン族を攻めて肥沃な大地を開放し、重要な防衛拠点である城砦遺跡に溢れかえっていた死霊騎士らを滅ぼし、谷の街道を封鎖していた恐るべきワイバーンの巣を駆逐するなど、その活躍は周辺諸国にも鳴り響くほど。
そんな彼は40歳を越えていたが、この度その働きの恩賞として王女の一人を与えられ、婚姻を結ぶ事になった。
一兵卒からの成り上がりは民衆にロマンを与え、盛大に祝福された。
そして今、英雄と姫は婚約パレードで騎士団らに囲まれながら、馬車の上で国民へ手を振って熱狂的な歓声に応えていた。
色とりどりの花びらが舞う中、腕を組んで寄り添う二人は仲睦まじい様子だった。
姫の御名はレイラ。御年15歳。
小柄でまだあどけない顔の彼女は可愛らしい姫として人気がある。
ふんわりとした清楚な白いドレスを身に纏い、長い赤毛を一本の三つ編みにしている。頭からは狼の耳がピョコンと立ち、美しく立派な毛並みの尻尾は大人しく垂れ下がっていた。
英雄は中肉中背の人間で、顔の上半分を隠すマスクを付けていた。
貴族服の上に豪奢なマントを羽織り、美しい飾り紐などで着飾っている。
それらを民衆は道端から眺め、或いはアパートメントの上の階から憧憬の目で見送っていた。
「おー。英雄様だ! 隣のレイラ姫とも実にお似合いで、喜ばしい事じゃ」
「しっかし、もう40半ば過ぎてるっていうのに、英雄様はお若くらっしゃる。長耳や小妖精の血でも入っておられるのかねぇ?」
「もうじきご結婚か。国中が忙しくなるな。さぞ各国から色んなお偉いさんを始め、商人などが来る事だろうよ」
「でも、お二人の回りにいる騎士団、あれって近衛だよなぁ。いつも英雄様と一緒の黒狼騎士団はどこだ? 隊列の前にも後ろにもいない……うーん、最近見ないな。どうしたんだろ」
「英雄様がいれば侵略者も怖くないな!」
わいわいがやがや。
そうやって行列は都のメインストリートを回り、都の中にある宮殿へと帰って行く。
門が開き、儀仗兵が道の両脇で儀典用の槍を構え、アーチを作る。
その下を潜って次々にパレードの兵と騎士らが飲み込まれていき、英雄と姫もそれにまた続いて消える。
そして隊列の全てが宮殿の敷地内へと消え、民衆はそれを満足気に見届けてから思い思いに散っていった。
宮殿へと入った姫は英雄にエスコートされて宮中を淑やかに歩いていた。
そんな彼女へ豪華な飾りを身につけた一人の大臣が近づき、耳打ちする。
それを聞いた彼女は途端に大きく目を見開き、まるで太陽が輝くような満面の喜びを浮かべて「本当ですか!?」と勢いよく聞き返した。
大臣が真剣な顔で頷くと、途端に彼女の尻尾が忙しなく左右に揺れ、そこには確かに抑えきれない感情が表れていた。
姫はそれから興奮した面持ちで無言の英雄と歩き、やがて姫の父親――つまり国王の執務室の前へと来た。
ドアを守る兵達に用件を告げ、中へと入る。
ドアが開くとそこには宰相と国王の二人だけが大きな椅子に座って向かい合っていた。
後ろでドアが閉まった途端、姫はパッと英雄の腕を振りほどき、国王らの下へ一目散に駆け寄っていった。
婚約者であるはずの英雄を、だ。
そして英雄もまたそんな姫に対し何も言わず、後ろに控えたままだった。
「お父様! あの方の行方が分かったというのは本当ですか!」
「姫、はしたないですぞ」
「あっ、申し訳ありません。それで、その、あの方は……?」
そわそわと耳と尻尾を動かすレイラ姫に、父であるライカンスロープの王、ローランドは大きな傷跡の残る凄みのある顔を笑みの形に歪める。傍から見ると完全に、獲物を見つけた肉食獣の獰猛な笑みだ。
「うむ。ほぼ間違いないであろう。今、騎士団のやつらも確認に動いておるようだ。余らも今、確認の使者と密偵を出そうと話していた所でな」
「……お父様、私に行かせてください」
「ふむ……火に油を注ぐ事になるやもしれんぞ」
「姫、今は時期を置いた方が良いかと。今、姫がいらっしゃっても、逆効果にしかなりませぬ」
「それでも、行かせてください。それが私の……」
ローランド王と宰相は思案顔でレイラ姫を見、英雄は俯いたまま一言も口を開かず。
王宮の外では賑やかな声が絶えず、フルートやラッパが陽気に奏でられていた。
☆☆☆☆☆☆
「お兄ちゃーん! お兄ちゃーん!」
グリーフィンの街のストリートを砂埃を上げながら爆走する小さな人影が一つ。長剣を腕にしっかり抱えたその影はちびっこダークエルフのミラだ。
彼女はそのままの勢いでツァオ家の屋敷へと辿り着き、門番二人に挨拶をする。
「お疲れ様でーす!」
顔パスで門を通過し、屋敷のドアをノックする。
メイドが応対し、開いたドアからスルリと中へ。
「ありがとうございまーす!」
呆気にとられるメイドを置いて、ミラは二階のソーヤの部屋へと突撃。
「できたよできたよー! じゃーん! って、あれ?」
部屋は無人だった。
「まだお兄ちゃんお使いから帰ってないの? なーんだ、ちぇー……」
テンションダダ下がりで肩を落としたミラは、そのまま一階へ戻ろうとしたら前から来る知的美人な見た目の雇い主に気がついた。
「あら、ミラちゃんじゃないの」
「あっ、マヤ姉」
「今日は鍛冶屋の親方の所じゃなかったかしら?」
「うん。そうだよ」
「あっ、その抱えてる鞘……もしかして」
「そーそー! そうなんだ! ついにブロンズソードを作れたんだよ、あたし!」
「あらあら。それはおめでたいわね。ミラちゃん、やったじゃないの」
ブロンズソードは片手剣としては最下級に位置する武器だ。
しかし、これまで冒険者初心者用ナイフを作るのが精々だったミラにとっては、格段の進歩だった。
少し前であればその日食べるので一杯一杯で、ブロンズソードを作るにしてもお金、材料、鍛冶場、腕前、その全てが足りなかった。
だが通り魔事件より快復したミラは、ソーヤと共に用意された新しい環境でひたすら己の腕を磨く事に集中した。もう他人と比べてふて腐れる事はなかった。
ソーヤと一緒に外で集めててきたり、店で購入した素材を元にひたすら製作練習の日々。
鍛冶師の親方も紹介してもらった。
生産職としては習うのは初歩中の初歩の事ばかりで、周りを見れば自分より若い者ばっかり。自分の年で自分と同じくらい未熟な腕なんて誰もいなかった。
あまりの腕の悪さに失敗し、怒鳴られる事は日常茶飯事。
それでもめげず、弱音を吐かず、黙々と目の前の事に集中し、ミラは一つ一つ小さな一歩を積み重ねてきた。
そして今日、約十年ぶりにようやく新たなステージに上がれたのだ。
「えへへ……お兄ちゃんに早速見せようと思ったけど、部屋にいなかったんだよねー」
「ソーヤ君ならまだ帰って来てないわよ。変な寄り道していなければ、もうすぐじゃないかしら。リビングで私と一緒に待ってる?」
「うーん、そだねっ!」
二人揃って一階へ。
テーブルに着くと、メイドさんがブドウを持ってきてくれた。
ミラが幸せそうにそれを摘んでいると、マヤはインク壷を横に置いて紙とペンを広げた。
「マヤさんは何してるの?」
「これ? これはね、隣国へ行くための準備よ。もうしばらく後だけど、隣国でお姫様の一人がご結婚なさるから、領主様も行く事になったの。で、その時に私達騎士も一緒に連れて行かれるのだけれど、前もって道中に必要なお金や持って行く物をこうしてリストにしているの」
「あ、英雄様の結婚式だね! うわー! いいなぁ!」
「もう。こっちは色々と大変なのよ」
「英雄様かぁ……あたしも一度見てみたいなぁ……」
マヤのぼやきも、ミーハーなミラには届いていなかった。
目にはキラキラと星を浮かべ、口からはヨダレが垂れている。
「きっとすんごいお金持ちなんだろうなぁ」
「まず真っ先にそれなのね……」
「それでいて強くて格好よくて……あっ、でも顔は半分マスクで隠してるからイケメンかは分かんないか。あれ、そういえば英雄様の名前って何て言うんだっけ?」
「ああ、ミラちゃんは知らなかったの?」
「うん。みーんな英雄様、英雄様って言ってて、そういえば本名覚えてなかったや」
「そう。じゃあちょっと驚くかもしれないわね」
「え、なんでなんで?」
「まあ今となっては英雄様にあやかった名前も一時期増えたし、きっと彼もその一人なんでしょうけど」
マヤは一度ペンを置き、一度クスリと小さく笑う。
「隣国の英雄様の名前はね……ソーヤ・アスリアっていうのよ」
☆☆☆☆☆☆
お祝い事に沸くウォーラル王国。
その首都の外れにある高台には神殿があり、その裏手には共同墓地があった。
本来は静かに死者が眠るこの地であったが、今日は特別で都中を挙げてのお祝い騒ぎ。その喧騒がわずかにここまで聞こえてきていた。
いくつもの墓碑が並び、無人のまま風に吹かれている。
その中で二つ寄り添うように建てられた墓碑があった。
その片方の墓碑銘にはこうあった。
ソーヤ・アスリア。
享年11歳。
これにてエピソード1終了です。