2 未知の世界へ
説明回。
新井宗也22歳。入社日を待ちながらMMOゲームをしていた成人男性。
ただ今どう見てもゲームの中としか思えない世界の街中でポツンと一人で街角に座ってます。
「どーすんだよ、これ……」
頭抱えて呻くしかないこの状況。
アパートの部屋で着ていた服も今はなく、代わりに着ていたのはやけに使い込まれて年季を感じさせる黒ローブとズボンの上にサーコート。不思議とまったく重さを感じさせない服だ。黒尽くめの中に金の刺繍がアクセントになっている。
そして鞘に納められた長剣。やたらと柄の部分の装飾が華美で、鍔の中央にはこれまた大きな宝石みたいな玉が埋め込まれていた。
「間違いなく俺の1stキャラのソーヤ・アスリアが使ってた装備だ。この柄の意匠はボスドロップオークションで競り落とした愛用の魔法剣か。うわぁ、ってことはこれ、まさかソーヤの体だったりしないよな?」
そう思って戦々恐々としたけれど、どうやら顔や体自体はメイキングしたキャラではなく俺自身のものであるらしい。よく見たら手のホクロとか古傷とか変わらないし。
「念のため、後で水か何かで顔を確認しておくか……」
重い息を吐いて顔を上げると、通りを行き交う人々が見える。その中には明らかに人間でないような姿もあった。
「ああ……うん、ゲームの種族だな。エルフにダークエルフにドワーフに小妖精に狼男に……」
中々賑やかな街中で、住人が喋ってる言葉は日本語だったのは本当に助かった。
最初、この街の人々を見かけてパニックになって一人騒いで醜態晒した時、完全に衛兵を呼ばれる一歩手前だった……足元に転がっていたマスクらしきものを蹴飛ばしながら慌てて逃げ出したけど、今思えばアウトギリギリだったなぁ。
腰の大きなカバンにはコインやら葉っぱやら本やら刃物やら札やらが入っていた。
コインはたぶんお金だろう。金貨かな? まあレア装備ではないとはいえ、最高クラスの装備やアクセサリを身につけている事からお金の心配はそうしなくても大丈夫なはずだ……たぶん。宝石っぽいのがどこかの店か商売人に高く売れればいいんだけど。
もう一度ため息。
「問題は寝る所と水、食事だよなぁ」
最悪、寝るのは路上を覚悟しなくちゃいけないかもしれない。けど、治安が不安すぎる。朝起きたら身包み剥がれてた、はまだいいとして……縛られて人身売買される可能性も……楽観はしないほうが良さそうだ。
「見知らぬ国の見知らぬ街にたった一人で放り出されるなんて、死ねって言ってるもんじゃねえかよ……どうしろっていうんだよ、畜生」
考えれば考えるほど胃が痛くなってくる。
けどこうやっていても喉は渇くし、腹は空くだろう。とにかく行動しないといけない。
「旅館やホテルみたいな所探すか……とにかく今は落ち着ける所が必要だ」
行動方針を決めると、次にずっと気になっていた事に目を向ける。
「しっかし……なんだ、さっきから俺の側に浮いてるこの黒いピンポン玉みたいなのは」
この街で俺が気がついてからずっと、ふよふよと浮いて俺から離れない謎の黒い球体があった。
「触っても大丈夫なのかな……? というか触れるのか?」
どうやら幽霊とかホログラフみたいなものなのか、壁とかすり抜けて影も写らない。
怖々と、けれど意を決して黒の手袋で包まれた指先で突ついてみる。
「お、触れた」
重さはなかった。そして風船みたいにふわふわと少し離れて行くも、まるでゴムヒモで俺と結ばれているようにまたこっちに戻ってきた。
「なんだろな、これ。害はなさげだけど……」
ちょっと面白いのでもう一度突いてみる。
ちょんちょんっと。
「――うお!?」
二度連続で突いたら、黒い球体が初めて激しい反応を見せた。
黒い球体が一瞬震えたかと思ったら、いきなり四角くなったのだ。15インチモニタみたいな薄い長方形で、そこには絵と文字と数字があった。
っていうか……
「俺……?」
そう、元黒い球体、今長方形の中には毎日鏡で見慣れた自分の全身姿があった。長方形を縦に左右に割った左側、そこに全身黒尽くめのローブ姿でカバンと剣をぶら下げた俺の姿。
そして右半分には英語と思われる文字で書かれた単語らしきものと、その隣に英数字がある。
俺はツリー状になっているその単語のいくつかを見て閃いた。
「これ、ステータス画面なのか?」
最上の階層の単語は俺にとってよく馴染みのあるものだった。
「俺のユーザIDだよな、どう見ても」
MMOゲームにログインする際に使う自分だけのID。それがツリーの一番上にあった。
その一つ右にズレると今度は『svr』。この単語の横には『02』という数字。おそらくこれは鯖の番号か。となると次の『cha[0]』は……『835c81288384814583418358838a8341』。なんだこりゃ……Cha……Cha……? もしかしてcharacter? キャラ名なのか? あー文字コード表があれば確認できるんだけど。
けど、まあ単語の隣の英数字が16進数でできているのは間違いなさそうだ。
16進数というのは1から9までの文字に加え、10をA、11をBという風に10以上の数字をアルファベットで表し、15であるFまでを一桁で表す。16という10進数の数を16進数に直すと『10』に、なるという具合だ。
更にツリーの下には『sts』や『eqe』などの単語が並ぶ。
「たぶんステータスと装備だな……お、stsの下には基本パラメータまである。レベルにHPにstr、int、これは強化補助魔法枠か?」
MMOゲームだとstrは力を表し、武器の攻撃力と合わせて敵を攻撃した際のダメージ量が決まる。intは魔力だ。魔法を使った際に武器の魔法攻撃力と合わせて、敵に与えるダメージ量が決まり、また弱体化補助魔法の成功率にも関係する。
他にも敵からの魔法攻撃の被ダメージ量に関係する『耐魔』や、回避率や命中率やクリティカル率や攻撃速度に関係する『敏捷』、敵からの眠りや混乱や束縛といったデバフの成功率を下げる『抵抗』といったパラメータもあった。
バフ枠というのは、ステータスを強化するバフ魔法を受けられる上限数だ。バフ魔法は色んな種類があり、それを一つずつ掛けていくんだけど上限に達して更にバフ魔法を掛けようとするととところてん方式に最初にかけたバフ魔法が消えていってしまうのだ。
だからバフは手当たり次第にかければいいものではなく、またパーティ全員に掛けられるだけのバフ魔法をかけるとMPも足りなくなってしまう。職業の種類や装備などを見て、掛ける相手の事を考えて何のバフ魔法を使うのかを取捨選択するのもバッファーに必要な素養なんだ。
あと、時々相手から「このバフいらね。代わりにこれ使って」というリクエストも来るのでちゃんとコミュニケーションを取って相談するのも大事だったりする。例えば攻撃速度に特化した職業が最高レベルに近いと、攻撃速度UPのバフかけたら簡単に攻撃速度値上限に達するので別のバフを掛けたりとか。
そうやって考えながらじっと目の前に浮かぶ黒い長方形、仮称ステータス画面を凝視し続けていると、しばらくした頃に突然ステータス画面はまた元の球体に戻った。
少し思案し、また突いてみる。すると再び現れるステータス画面。
「……この球体は待機状態みたいなものか?」
そんな感じで他にどんな機能があるのか試行錯誤していく内に、strの数値の部分に触れたらそこだけ数値の色が変わり、点滅し始めた。
「なんだ……あ、もしかして」
ステータス画面のどこかに上下を表すボタンや数値のキーボタンがないか探したりしたが見つからず。
「数値をいじれないかなぁ、って思ったんだけどな……違うのか? 例えば1とか――」
そう思案した瞬間、目の前で点滅していた数値が『1』に変わった。
「お!? 変わった!」
内心、ちょっと嬉しいと思ってしまった俺は悪くないだろう。
こうやって試行錯誤して解明していくのはちょっと楽しい。
「あ……元の数値って何だっけ……えーっと」
適当にそれっぽい数値を思い浮かべる度に、点滅する数値が次々に変わっていく。
「なるほど、俺の思考と連動してるのか? ……なんか怖いな、え、俺の頭とこの黒いのって繋がってんの?」
さすがにちょっとばかり口元が引きつる。
「まあ、今更か……こんなわけわからん状況に放り出されてるしなぁ」
さっきまでの明るい気分も、現状を思い出せばすぐに暗く重くなる。ああ、気が滅入ってしまった。くそ。
「しかしなるほど。データ改ざん機能付きなのか」
そうと分かれば、やる事は一つ。
手早くステータスのツリーを広げていき、なんとなくどんなパラメータを表しているのか分かる項目の上に、次々と指を滑らせていく。
「よし、とりあえず基本パラメータは全て上限に設定できたな」
レベルやstrといった基本パラメータを全て上げれるだけ上げた俺は満足して一つ鼻息を出した。
これでたぶん俺個人の能力的には最強の状態になったはずだ。
でも実際どうなんだろうな。本当にこの数値って俺の能力に対応してるのかな?
「ちょっと試してみるか」
その辺に転がっていた握りこぶし大の石を拾う。そして思いっきり握り締めてみる。
「おお」
大して苦もなく石は砕けた。
「ふうん……」
今度はstrの数値を1に設定してみて、再チャレンジ。
「ぐうううう……!」
次の石は砕けなかった。というか、力がまったく込められねえ……子供にも負けそうだ。
「よし、やっぱり数値は上限にしておこう」
知らない街に一人ぼっち。目の前では体のあちこちに物騒な傷跡がある見るからにヤバイ系の人がちらほらと闊歩している。
頼れるのは自分だけ。ならとにかく自衛手段は確保しておくにこしたことはない。
ただ、問題はこの数値がどこまで当てになるかどうかだ。正直、目の前を歩いている人達の強さの基準が分からない以上、なるべく穏便に行動したほうがいいだろう。
そもそもこの目の前の光景が何なのかすら分かっていないのだ。
何一つ分からない状況で適当に動き回るには、俺は臆病すぎた。
「ほんと、なんなんだろうな……現実っぽいけど……ゲームの中の世界とか? ははっ……はぁ」 とりあえず一通りざっと試してみて結構分かった事は多いと思う。
まず職業も自由自在に変えられた。
ゲームスタート時の下位職から上位職、そして最上位職までなんでもOK。バッファー4種はおろか、ヒーラーもアタッカーもタンカーもサモナーもウィザードも自由自在。そして残念な事に使えるスキルはその職業が覚えられるものだけ。戦士職でウィザードの魔法を使う事はできなかった。
次に基本ステータスのパラメータの数値には上限が設けられていた。
strやintといったパラメータはキャラクターの種族別に決まっていて、一部の場合を除いて最初の数値から伸びる事はない。けれど俺はこの数値を最大値まで伸ばせた。が、『FF』とデータをいじっても『F0』といじっても、設定後に数値の点滅がなくなった時には同じ数値になってしまう。どうやらそれがこのパラメータの上限値みたいだった。
また『option』の下に『lang』という項目があり、数値を変えてみると通りを行きかう人々の言葉が英語やら聞いた事のない不思議な言葉に変わったりしてとんでもなく焦ったりもした。慌てて日本語の数値を探し出して設定しなおしたけれど。あれは本当に冷や汗ものだった。
バフ枠の数もいじれたので最大値にしておいた。これでギリギリまで多くのバフを掛けていられる。
そして一番驚いたのが装備のデータがいじれる事だった。
カバンにあったナイフを手に持つと武器の数値が変わる。おそらくナイフというデータの数値を表すそれを、更にいじっていくとナイフは剣に変わり、次には槍に変わる。数値を一つ一つ変えていくだけで様々な種類の武器に、そして少しずつ強力になっていった。
「これは……もしかして使える?」
一瞬、安いナイフのデータをいじって最高級の武器に変えてどこかに売り払おうかなと思ったけど、現実?はそう甘くなかった。
「いじったデータは体から放して少しすると元に戻るのか……残念」
データをいじった武器は、地面に置いて少しするとまた元のナイフに戻ってしまった。これでは売れない。
ふと、視線を感じて顔を上げると、そこにはこちらを不審げに眺める男性のグループがあった。「……やべえ」
そりゃあいきなり物が変化したら驚くよな。幻覚の魔法とかってないのだろうか?
俺はあくまで不審者ではない事をアピールするために何気ない風を装って立ち上がり、ローブについた土ぼこりを払ってその場を後にした。
正直顔は引きつってたと思うけど、目がいいやつじゃない限り大丈夫だろうと信じたい。