18 ソーヤ
青年ザックは短剣職の冒険者であり、構成員約10名の中小ギルドであるオーガバスターギルドでトップクラスのアタッカーを担っていた。
短剣職には二種類ある。回避系か攻撃系かだ。彼は攻撃系のクラスを選び、クリティカルの威力、一撃必殺スキルを伸ばしてきた。
敵の背に回り、一突き。それで活きのいい敵が綺麗に即死した時、彼はこの上なく清々しい気分に浸れる。相手がモンスターであれ、亜人であれ、人間であれ。
そんな彼は刃物が好きで、趣味は短剣収集だ。コレクター癖があり、威力や切れ味の高い強力な武器として優秀な逸品はもちろんの事、歴史的な逸話のある古びた短剣や、実用性を度外視した奇剣、名工の作った銘剣を手に入れる機会があればすぐに飛びついていた。
それらを自分の部屋の壁に飾り、手入れをし、心ゆくまで眺めるのだ。勿論愛でるだけではない。実際に使ってみて、感触を直に味わう事こそ最大の醍醐味だった。
そして彼が収拾する対象には魔剣の類もあった。
彼がその短剣を入手したのは偶然だった。
街で開かれた骨董市。立ち寄ったその一画ではとある冒険者の遺品だという品物がいくつも雑多に並べられていた。
その中にあったのだ、その短剣は。
最初は奇剣に対する単純な興味だった。
次にその禍々しい造形美に目を惹かれ、更に刃の具合を確かめようと手に取った。
間近で見たその刃の光、そのどこまでも吸い込まれるような透き通った輝きに彼は一瞬で魅了された。
そこそこ値段は張ったが彼はその場で短剣を購入した。
その際、売っていた紫色の髪をした若い女性は冗談めかして、
「その短剣はね、怖いこわーい魔神様が使っていた短剣を再現しようと悪魔が作った物なんだよー。だーかーら、使う時は悪魔に呪われて破滅しないよう気をつけてねっ! クスクスクス」
そう童女のようにあどけなく笑っていた。
確かにその短剣の形状は伝説に謳われる魔神の短剣と一致するように見えた。
曰く、血の雫を滴らせた真っ赤な瞳を持つ。
曰く、死霊の怨念を塗り固めた。
曰く、討ち滅ぼした悪魔や魔獣などの骨を使った。
彼は話半分に聞いたまま買った短剣を持ち帰り、手頃な木を使って試し切りをしてみた。
「……ワォ」
刃はどこまでも軽く、良く切れた。
その切れ味は、彼が知る中でもトップクラスだった。
彼は慌てて色々な物で試し切りを始め、この切れ味が本物である事を知った。これまで使ったあらゆる短剣より素晴らしい切れ味である事を。
彼は確信する。未だ手にした事はないけれど、最強クラスの短剣にも匹敵すると。
「まさか……本当に、伝説の……? 偽者とかじゃなくて、この切れ味、本物なんじゃ……?」
彼は思った。
今すぐ人を、モンスターをこの短剣で切り裂きたいと。
感触を味わいたいと。
だが今は手頃な相手がいない。ギルドでも短剣を振るうに相応しい仕事はなく、雇い主の元で待機ばかり。簡単な依頼ならあるが、戦闘系の依頼は含まれず、全て下位の構成員に回されてしまう。
彼はすぐに我慢ができなくなった。
通り魔の連続殺人事件はこうして始まる事となる。
そして――
★★★★★★
「おやぁ?」
通り魔――ザックは足を止めた。
目の前で転がる獲物の男の様子が急におかしくなったからだ。
全身がおこりのように震え、慟哭しているかのような低い唸り声をし始めていた。
「うぅぅぅぅ…………あぁぁあああぁあぁ……!」
転がっている男はバッファーであり、『水神の愛』でフルバフ強化しているザックの敵ではない。よもや被ダメージ時攻撃能力向上を使ってきた事には内心肝を冷やしたが、ペアの魔法戦士を討ち崩し、男の右腕を潰した今となっては既に脅威ではない。
後は他に何か罠が隠されていないか周囲を警戒しつつ、男へ確実にトドメを刺すだけ。
遠距離から仕留めても良かったが、やはり最後は自分の手で短剣を捻じ込みたかった。
だから、ザックはその声に僅かな嗜虐心を刺激されただけで、歩みを止めようとはしなかった。
変化は突然だった。
「ウウウウウウ、ガ、アアアアァァア、オオオオオオオオ――――――ッッッッ!!」
蹲る男の、その搾り出すような声が豹変した。
慟哭から、獣が咆哮するかのように。
その急激な変化に、思わずザックは足を止める。
速やかにトドメを刺すべきか、それとも様子を見るべきか。
答えは簡単だ。
己の状況は既に逃亡に傾いている。衛兵だっていつ追加でやって来るか分からない。ここに転がっている二人を始末して、速やかに街を出るべきだ。
瞬時に短剣を心臓に突き刺すべきだ。
そう、頭が瞬時に判断を下す。
「……ん?」
だがザックが行動に移す前に異変が起きた。
「な、なんだぁ?」
男の体が何か異形へと変わっていこうとしていた。
同時に月明かりが消え、周囲の明かりは戦闘の余波で残ったわずかな火があるだけ。
続けて空から雷鳴が。
――男へ落雷が直撃した。
「なっ……」
鼓膜が破れるかと思うほど強烈な落雷の衝撃を間近にし、ザックは思わず身構える。
すぐさま落雷の現場を確認すると、男は無傷のままだった。
だが、男は完全に変貌していた。
男は鼻が鋭く盛り上がり、耳も長く伸びていた。歯は牙となり、爪は鋭く伸び、口が大きく裂けている。
体は少しばかり縮み、頭には黒い帽子が一つ。
それはゴブリンに似ていた。
禍々しい短剣を持ったゴブリンだ。
「ア――ウアア――グ、ギギギ」
醜悪な怪物となった男は何かに耐えるように歯を食いしばり、苦悶の呻き声を漏らしている。
傷つき震える右腕を空にさ迷わせ、伸ばした人差し指がぎこちなく虚空を突ついた。
更にその後もほんのわずか、人差し指が宙をふらつく。
途端、まるで今の姿は夢か幻覚だったかのように男の姿が怪物から人間に戻った。
「…………」
彼は静かに立ち上がった。
もう体の震えは収まっていた。
「ん~? 武器が……変わってる? いつの間に? 剣はどこにいった?」
ザックの心中に小さなさざ波が起こる。
男が今まで使っていた魔法剣は忽然と消え、今彼の手元にある短剣はザックが持つ魔神の短剣と瓜二つだったのだ。
ただ唯一違うのは、男の持つ短剣は蛇眼が赤く染まっているという事。
「……影縛り」
男の足元からいくつもの影が伸び、蔦のように絡み付いてきた。
シャドウ・バインド。
それは魔神の武器を装備した者だけが使える武器固有スキル。
「なっ!? なんだ、これは!?」
ザックは立ったまま影の触手に全身を巻き取られ、身動きが取れなくなっていた。
「シャドウ・バインド? そんな魔法、聞いた事がないぞ!」
初めて見るそのスキルに思わず吼えた。
男はバッファーの最上級職、聖戦士である事は確定している。
そして高レベルの冒険者達と幾多もの戦いを経てきた彼をして、クルセイダーの扱う魔法やスキルにシャドウ・バインドというものは存在しない。
「……」
男は身動きできなくなったザックを無視し、穴の空いた右腕を無造作に動かす。
激痛が走っているはずだが、外からは何ら痛痒を感じているようには見えない。
流れ出る血を飛び散らせながら、男の指はスピーディに虚空を踊る。
一切の淀みなく、迷いなく。
その指は何かを描くかのように滑らかに滑っていく。
――class――
変更――大司教
――skill――
全パッシブスキル――取得設定完了
全アクティブスキル――取得設定完了
全トグルスキル――取得設定完了
――equip――
変更――魔神のスタッフ
変更――水神のローブ
変更――水神の手袋
変更――水神のシューズ
変更――水神の冠
わずか二秒。
そこには魔法職用の水神の防具を身に纏い、魔神の杖を片手にした男の姿がいた。
「最上位PT回復」
周囲をも照らす大いなる光が男とマヤを包み、その傷を瞬時に癒していく。
それだけで二人の全ての傷が完治した。
「くっ!」
影の戒めから抜け出したザックが、警戒を露にして短剣を構える。
「…………」
男は無言。
つい先程までとはうって変わって落ち着き払っている。
ザックはその目にギラついた殺気を露にし、問答無用で飛び出した。
もうそこに遊びはない。本気で、全力で殺しにかかった。
「背面取り」
瞬間、二人の距離が0になる。
スキルで男の背に空間跳躍したザックはそのまま己の魔神の短剣を最短最速で男に突き立てる。
「死突」
「……」
だが男には当たらない。
短剣が貫いたのは虚空。
男は既に、何てことない様子でヒラリと軽快に宙を舞っていた。
そしてその間にも男の指は動く。
――class――
変更――大魔導士
――skill――
全パッシブスキル取得設定完了
全アクティブスキル取得設定完了
着地した時にはもうクラスとスキルの全設定が終わっていた。
そして世界最強の魔力を持つ杖から迸るは――
「火の鳥」
それは最上級職アークウィザードが誇る主砲。炎系最強攻撃魔法。
火でできた赤い瞳の鳥がミサイルのようにザックへと高速飛翔する。
「ガァッッッッ!?」
思いもよらぬ反撃と、そのスピード、その広範囲さにザックは逃れること叶わず、炎の嵐に飲み込まれた。
――class――
変更――森の王
三度のクラス変更。
火の鳥が放たれた直後、着弾まで見届ける事なく男は己がステータスを改竄する。
一度アークビショップへ切り替えたのはマヤと己の傷を癒すため。次にアークウィザードへ変更したのは、アークビショップと同じ魔法職であるため装備の変更を必要とせず、装備変更のタイムロス無く素早く遠距離魔法攻撃で牽制し時間を稼ぐため。そして今、最上級短剣職の一つであるグリーンロードへとクラスチェンジをした。
更に全スキルの設定はおろか、装備の変更、24個のバフ枠を即座に設定し終える。
即ち。
「クソガアアアアアァァァァァァァァ!!」
炎の嵐の中からザックが飛び出してきた。彼の全身からは煙が立ち昇り、顔を始めとした各所の肌が焼け爛れていた。
「……」
男は無言で魔神の短剣を持ち上げ、手の中でクルリと回した。
その全身を包むのは魔法職用のローブ系ではなく、身軽さを売りとした前衛職が装備する軽鎧系に変わっていた。
「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねえええええぇぇぇーーー!」
男とザック、二つの同じ形状をした魔神の短剣が閃光と化す。
切り伏せられたのは――ザック。
「な……!?」
沈む体の体勢を執念で無理矢理直し、再び男へと切り付ける。
今度は短剣同士がぶつかり合い、ザックがあっさりと力負けして吹き飛ばされた。
ヒューマンのstrなどといった基本パラメータ値は他の種族と比べて平均で収まっている。
狼男のような突出した力もなければ、小妖精のような魔力もない。だが代わりに特に低いパラメータ値もなく、弱点は特定の状況に特化した豊富なスキルで補う、それがヒューマンという種族だ。
故に――同じクラスであるのなら、男のチート能力の前にヒューマン種族は敵わない。
男は全ての基本パラメータを最高値まで上げているのだ。
それは突出した値をもたないヒューマンにとっては、全てのパラメータ値で劣るという事に他ならない。
とはいえ、これはあくまで性能上の理論でしかない。
それを現実にするためには少なからず本人の戦闘技術が必要になってくる。
つまり。
「……」
男は即座に追撃に出る。
懐に潜り込み、ザックへと伸びるは神速の斬撃。
ザックの目が追いきれぬ数の怒涛の連撃。それを前に、腕が、足が、腹が、胸が、顔が――切り裂かれていく。
追いつかない。
間に合わない。
ザックも必死で応戦するも、手数の差が圧倒的にすぎた。
そしてここにきてザックの短剣は一度たりとて男にはかすりもしていなかった。
「ク、ソ、がぁ……!」
たまらず、血だらけのザックは後退する。口から毒霧を吐くという置き土産付きで。
だが男の攻勢は止まらない。
恐るべきスピードで毒霧をかわし、一呼吸で再び間合いを詰めてきた。
ここに至ってザックは歯軋りと共に後悔した。
さっさとズラかっていれば良かった、と。
その思いと両肩が貫かれたのは同時だった。
炎によるダメージと短剣の傷とで抵抗する力が急速に失われていく。
無様に尻餅をついて倒れこみ、ザックは唾を飛ばして叫んだ。
「クソが……なんだ、なんなんだよぉ! テメーは!」
「……」
「カウンター・アーツ、セイント・パーティヒールにファイアバードだと!? 何で複数クラスのスキルを一人で使えんだよぉ! そんなの――」
男は無感情のままザックに構わず、彼の手の中から転げ落ちた魔神の短剣を素早く拾い上げた。
「……なるほど。使える固有スキルは呪毒の刃だけか。お粗末な代物だな」
ポツリと、そんな事を呟いた。
そしてそのまま短剣を宙に放り投げ――男の持つ魔神の短剣によって真っ二つにされた。
「これで良し、と」
「あ、ああああ……ボクの、ボクの大事なコレクションが……」
「お前の持っていた物は単なるレプリカだ」
「は……?」
ザックの頭が真っ白になる。
「う、ウソだ! うそだうそだうそだ!! あの切れ味、あの力! あれが偽物のハズが――!」
その目が自然と男の持つ短剣、己の物と瓜二つだった短剣へと向く。
己の物と違って真っ赤な蛇眼をした短剣を。
「まさか、まさかまさか――お前――!」
ザックは震えていた。もはや積み重なったダメージ量は瀕死の状態と言っていい。
そんな彼に男が近づく。近づく度にザックの体の震えは大きくなる。
その顔にはありありと恐怖が浮かんでいた。
まるで男が破滅を告げる死神か何かのように、ザックは顔を蒼白にし何度も首を振る。
「……そう怯えるな。ここで殺しはしない。法の裁きを受けろ」
「あ、あああぁぁぁぁ……畜生……畜生……」
男はやや乱暴にザックの意識を落とした。
「ふぅ……急いで戻るか」
ザックの傷を死なない程度まで回復させてやり、それから地面に伸びたままのマヤをと壊れた魔神の短剣のレプリカを拾って男は屋敷への帰途についた。
空の黒雲は既に散り散りになって消え、月と星々が冷たく静かに地上を照らし上げていた。