15 行動開始
翌日、太陽が南天に昇り始めた頃の朝。
「……よし、行くか」
俺は一人唾を飲みこんで、銀貨の入った布袋の一つを握り締めながら大通りにある宿屋兼酒場のドアを潜った。聞くところによると、ここが街でも有数の大型店で人の出入りも良いらしい。
「やぁやぁやぁ。主人か女将はいるか!」
「はいはい何でしょう。お酒ですかお肉ですかピザですか?」
ちょうど昼の休憩だったのか、コンビニの倍くらいの広さの店内で八割近くの席が人で埋まっていた。テーブルの上には湯気を立てる料理の大皿や飲み物の入った木のカップが並べられている。
声をかけてきたのはそばかすの若い女の子のウェイトレスさん。奥を見ると厨房で女将さんらしき人が窯の前でピザみたいな平べったいものを取り出している所だった。その横では野菜を切り分けている中年くらいの男性がいた。夫婦なんだろうか? 店内では数人のウェイターやウェイトレスが忙しそうに厨房と客とを行ったり来たりしている。
俺はやって来た一人のウェイトレスさんの目の前に百枚近くの銀貨というかつてない大金が詰まった袋を突き出して、ほとんどヤケクソの勢いで叫ぶ。
「この金で、今日一日ここの酒場に来た全員にありったけの酒と料理を奢ろう! 全部無くなるまでジャンジャン持ってこいやぁ!」
「はぁ?」
「え、マジ? ラッキー」
「誰だ、あいつ?」
怪訝な顔をした客達が何人か振り返ってきた。
ウェイトレスさんも目をパチクリさせている。
一気に視線が集まった事に心臓バクバクだが、構わずに一気行くぞおおおおお!
「俺は新井宗也。昨夜この街を騒がせてる通り魔を返り討ちにした男だ!」
ふんぞり返ってドヤァ――!
☆☆☆★★★
さて。どうして俺がこんな羞恥プレイをしているかというと、話は昨夜のマヤさんとの話に遡る。
「囮……ですか?」
「ええ。そう。ミラちゃんはもって数日。あなたはそれまでに通り魔を確保したい。つまり速やかに事態を進める必要がある」
「はい」
「ではこれからその方法について話しましょう。まずこれまで十回繰り返された犯行、内九回もの犯行を重ねる間ずっと影も形も掴めなかった。それは逃走に馴れている、周辺地理に詳しく逃走ルートを確立しているであろう事。それと犯行現場や時間もバラバラであったのに全て人目につき難い場所、時間帯であるという調査報告が出ていたわ。つまり通り魔は外部からの人やモンスターではなくこの街に詳しい内部の者、住人である可能性が高い。これはほぼ間違いないと考えていいでしょう」
「なるほど住人……つまりどこかに隠れ住んでいると」
「次。犯行についてよ。被害者は二回を除いて一人で行動している時を狙われているわ。おそらく通り魔は突発的ではなく慎重なタイプを伺わせるわ。けれど死体は常にこれみよがしに残している。これは前の慎重さとは矛盾する。この場合、仮に説明をつけるとすれば……通り魔は自らの犯行に誇りや芸術性などを持っており、それを世間に誇示したい承認欲求があり、死体をメッセージとして送り続けている、なんてどうかしら」
「専門家じゃないのでなんとも……でも、おかしくはないと思います」
「専門家でないのは私も一緒よ。さて。ここにきて初めての問題が発生したわ。そう、あなた達よ。通り魔は初めて目撃者を生きて返してしまった。さあ、通り魔はどうするかしら。私はこう考えるわ。その一。慎重さ故に、すぐさまこの街を脱出する」
「ちょ、それって……もうこの街にいないって事ですか!? それは……マズイじゃないですか! どこをどう探せば、追えばいいのか……」
「まあ慌てないで。その二。プライド故、あなた達に執着し、必ず殺しにかかる」
「え……そんな事、ありえるんですか? いや、確かにそういったフィクションの話ならよくあるパターンなんでしょうけど……」
「まあ仮面を着けていたし、そうそうすぐに正体はバレないだろうと判断して、逆に目撃者を消しにかかる可能性はあると思うわ。さて、まず第一、既に逃亡中の場合を鑑みて、この街の領主である伯爵経由でこの街を出る者の身元は厳重にチェックし、氏名や持ち物等の記録を残すよう要望書を今書いている所よ。これが通れば、これから数日中の間に不自然に、急にこの街からいなくなった人物をリスト化して洗い出していけば通り魔の尻尾を掴めるかもしれないわ」
「で、でもそれじゃあ! 遅すぎる……! ミラの体力が持たない!」
「そう。第一の場合だったら、近日中に逃走中の通り魔を探し出して討つのは厳しいと言わざるを得ない。だから私達は第二の場合を前提にして動きましょう。まだ通り魔がこの街に潜伏していると考えて、よ。そこでソーヤ君、あなたは明日から街に出て、思いっきり派手に自分の事を喧伝なさい。そう、『自分が通り魔を追い払った』と。通り魔のプライドをより刺激するために、より誇張してホラを吹いてもいいわよ。そして街中にあなたがいる場所を知らしめなさい。そうすればきっと通り魔にも伝わって、巣穴から顔を出してくるわ。あ、これがお金ね。しっかり宣伝してきて頂戴」
★★★☆☆☆
そんなわけで。
「さぁ、しけたツラなんか見たくねぇ! もう通り魔なんて怖くねーぞ! あんなやつ大した事ねえぜ、ハハハハハハハハ! 次出てきたら今度こそ俺が蹴飛ばしてふんづかまえてやるさ! だからそう暗くならずにお前らパーーーっと明るく行こうぜ!」
「お客さーん……椅子に乗らないでください」
「あっ、はい。すいません……」
ウェイトレスさんに注意された……ノリすぎたか。
とにかく、ただ今絶賛名前と居場所をアピール中なのだ。とにかく目立って目立って、どこにいるかも分からない通り魔の耳に絶っ対っに! 入ってもらわないといけないわけで。
「おいおい、昨夜騒がしかったのはおめえのせいだったのかよ。衛兵が血痕だけで死体がないってんで騒いでたぞ」
「なあなあ、通り魔見たの? マジでマジで? どんなやつだった? 男? 女?」
「ん? 悲鳴は女子供の声だったって話だが……?」
「オゴリか、よっしゃ今こそチャレンジの時! 女将さーん、特大トリプルデラックスピザくれー!」
「……確かにこの若者の装備、最上級職のそれ……なら、手練だと見られていた通り魔を撃退したというのも……あながち……何者……」
「ふっ、どうやら我輩の出番は必要ないようだな」
「気前いいな、兄ちゃん。よーし、女将! とびっきりのエールを出してくれや、俺が兄ちゃんに注ぐぜ! さぁー、飲むぞ騒ぐぞー! ぐわははははは!」
「えー、本当にー? まあ嘘でもホントでもオゴリっていうなら別にいいけどねー」
俺のテーブルに一気にたくさんの人が押し寄せてきた。そして次々に食べ物と飲み物がテーブルに所狭しと置かれていく。うえっ、隣のおっちゃん酒くせぇ……! 昼間っから酔っ払い多すぎだろう。
通り魔の詳しい話をせがむ人もいれば、飲み食いを次々勧めてくる人もいる。
その度に俺はパニクらないよう顔だけは平静を心がけて応えていった。おおう、目の前の皿にパンが次々に置かれて山盛りになっていく。誰が食うのか? 俺か。俺なのか。今日一日食材と酒が無くなるまでずっと飲み食いしなくちゃいけないってさすがに胃袋が破裂するな。ここが終わったら次の店に行かなくちゃならないし。いざとなればフランス貴族のように道端でリバースするか……結構キツいんだよなぁ……
でも我慢我慢。今はもう手段は選んでいられない。
「あんなやつ、ボッコボコにしてやったよ。逃げ足だけは一丁前に速かったから逃がしてしまったけど、今度見つけたら一発でぶっ飛ばして皆の前で土下座させてやるさ! ハハハ!」
実際はこっちがズッタズタにされたけどな!
うっ、思い出したらもう無いはずの傷口がズキズキしてきたような気がする……
「兄ちゃんって強いのか? それとも通り魔が弱かったのか?」
「衛兵もやられてるから、早いとことっ捕まえて欲しいんだよ。今度は逃がさないでくれよなー、お兄さん」
「まっかせとけ! なーに、ちょっとこの魔法剣で突いたら泣きながら逃げ出していったからな。今度は絶対逃がさねーよ」
「おー。言うねぇ。さ、飲んで飲んで。アンタの金だ。おっ、丁度新しい料理も来たな。おー、でっけえな」
「ほら、丸ごとチキンの香草焼き一丁あがり! はー、しかしとんだお大尽さまが来たもんだね。ま、夜の分は残しとかなきゃいけないけど、今ある分は全部片っ端から出してあげるよ。あんたら、残すんじゃないよー!」
「おー。女将太っ腹!」
「あぁん誰が太いだってぇ! あんたらミネストローネを頭から被りたいってかぁ!」
「いえいえ!」
「滅相もない!」
「まったく、折角あんたらの好きなワインを出してきたんだけど……どうしよっかねぇ……」
「おおー! さっすが分かってるぅ! 女将さんサイコーっすよ! よっ、グリーフィン街一番の美人料理人! 大好きだぜー!」
「あたしのご飯が、でしょう。まったく五年前から成長しちゃいないんだから」
「えっへっへ。いやぁ、女将さんとご主人さんには頭が上がりませんなぁ。おっ、これこれ、このワインだよ! うーん、あいらびゅー!」
「一番! 駆け出しの吟遊詩人マルコ、歌いまーす! 曲は『通り魔なんてへっちゃらだ』! YEAR!」
もはや店内はカオスだ。
あちこちで好き勝手に騒ぎ、飲めや歌えや騒げやのドンチャン騒ぎ。
女将さんとマスターさんがガンガン炭を消費しながら肉を、パンを焼いて鍋でスープを煮ている。こっちにもトマトみたいないい香りがしてきた。
ふと入口を見ると、騒ぎを聞きつけたのかぞろぞろと店を覗き込んでいる人達がいた。その人達も、中にいた客が近づいて少し言葉を交わすと俺の方を見て顔が喜色に輝いた。そして中に入ってくる。
「いやぁ、話を聞きやしたぜ旦那」
「なんでも今日はオゴリとか……ご相伴に預かっても……?」
「ああ、もちろん! この通り魔をぼっこぼこにした俺がいるからには、辛気臭い湿っぽい空気なんざこうやって吹き飛ばしてやらぁ! ほら、お前たちも今日は目一杯騒げ騒げ! そして俺の事をあちこちに宣伝してくれ!」
「宣伝……ははぁ、そういう……ギルド……かんゆ……」
「へへっ、ありがてぇ! ささ、おいらが注ぎますのでどうぞ一杯」
「ああ、ありがとう……ぷはー!」
よし、こうして店に人が出入りして俺の話が街に広がれば成功だ。ただ『あの店にお大尽様がいてメシを奢ってくれるらしい』だけが流れたら失敗だけどな。そこは上手く俺が調整しないと。
…………しかしこの酒の量、俺は無事に酒場を出れるんだろうか。サークルの卒業旅行以来だな、この酒ビン――じゃなくて酒樽の数。
ま、まあいざとなったら周りの人達にスルーパスして凌ぐか。うん。
さて、これで後2,3回ったら陽が暮れそうだし、そうなったらマヤさんと一度合流しなくちゃな。あの人は今、葬儀に出ている。乳姉妹の葬儀で、夜には決められた場所で合流する事になっている。おそらく襲撃があるとしたら陽が暮れてからだろうし、日中なら俺一人でも大丈夫だろうという判断だった。
ゲイツさんはミラに付いている。手がかりを探すために色んな資料を求めて神殿へ赴いたりもしているそうだ。
ミラは屋敷で安静にしている。昨夜、『一緒にいて欲しい』と言われたけれど、結局は袖にしてしまった事で今朝のミラはひどく口数が少なくなって、落ち込んでいたようだった。
何度かミラを助けるためだって説明したけれど、逆に今度こそ返り討ちにされてしまうと烈火のように反対されてしまった。おかげで今はちょっとした冷戦状態みたいになっている……
ええい、それでも俺はやるんだっ!
「ヘイヘイヘーイ! 通り魔ちゃんビビってるぅー! いつでもかかってこいやぁー!」
「おー! いいぞー! 通り魔殺人鬼がなんぼのもんじゃー! よっ、ソーヤ・アライさんのちょっといいトコ見ってみたい!」
☆☆☆★★★
あれからまた二軒ほどハシゴして、何度か分からないくらいリバースして、とっぷり夜も更けた頃に俺はひたすらどん底テンションで路傍のに腰を下ろしていた。
やがて砂利を踏む重い足音が聞こえてきて顔を上げると、黒いコートを着込んで腰に二本の剣を下げた武装中のマヤさんがいた。コートにはこの国の騎士団のマークと伯爵所属であるマークと己の家紋のマークの三つが刺繍されている。なんでも、これらのマークがあればこっちで勝手に捜査して逮捕してもいいとか。条件によっては切捨て御免もいいらしい。国家騎士ってすげえな。
「…………あぁ、マヤさん。とりあえず言われてた店の内、三店舗でアピールしてきました」
「う、うん。そうなんだ。でも大丈夫? すごく顔色が悪いわよ。これから通り魔を探すために街を回るけど……大丈夫? 襲われた時に戦えそう?」
「平気……です。大分気分は持ち直しました。いけます」
「そう……まあ今日そもそも通り魔がまた出歩いてるかも分からないし、無駄骨の可能性は高いのだけれどね」
「でも、少しでも可能性があるんなら……俺はやりますよ。むざむざ機会を見過ごすなんてできません」
「……よく言ったわ。じゃあ行きましょう。もし通り魔を見つけたら私がなんとしてでも押さえ込むわ。バフとフォローをお願いね」
「はい」
俺達は互いに頷きあう。
魔法剣を抜いて、あらかじめ移動速度強化や詠唱速度強化や防御力強化、回避強化などの防御系バフを中心に掛けておく。基本的に街中で魔法を使い、暴れたり人を傷つけたりするのはご法度らしい。例えそれがバフでも。だから攻撃系バフは通り魔を見つけ出してからだ。まあ日本でも刃渡り約6センチ以上のナイフの所持は禁止されてるし、治安を考えると当然か。
さぁ、夜の散歩だ。くそったれな通り魔を探して、もし今日も出歩いているようなら絶対に逃がさない。
――が、その日は収穫無しだった。
午前三時の鐘が鳴らされるまで真っ暗な夜の街を歩き回ったものの、出会ったのは見回りの衛兵と寝転がってる酔っ払いとみすぼらしい格好をした娼婦とラリった追いはぎと黒ミサから逃げ出してきた少女と無言で佇むピエロだけだった。
屋敷に帰った後は寝る前に黒い球体のチート能力のまとめをする。
マヤさんからもらった紙に、最低限に絞って必要な職業やバフ、装備のデータ値を書いてまとめ、それを頭に叩き込む作業だ。
特に最速のクラスである短剣最上級職の森の王と、最上級の短剣武器のデータ値と軽防具類のデータ値は真っ先に頭に叩き込んだ。基本パラメータの速度もMAXだから、よほど相手が特殊なスキル持ちでない限りは逃がさないはずだ。
例えば最寄りの街にテレポートするなど、他のクラスには逃走に使えるスキルがあるが、昨夜見た所ヤツは短剣職。なら逃走に使えるスキルでトリッキーなものはほとんどなく、これで問題ないはずだ。
「……さて、明日に差し支えるとマズイし、そろそろ寝る……か」
ふわぁ。
灯りを消してベッドに潜り込む。
あ……いかん。疲れがどっと……一気に……眠気……が……
★★★☆☆☆
翌日、マヤさんは騎士の仕事で伯爵の屋敷へ向かった。
俺が屋敷を留守にする事に、ミラはやっぱり良い顔をしてくれなかった。朝食の時にミラの様子を見るために部屋を訪ねたけれど、そっぽを向いてろくに口もきいてくれなかった。
「……今日も行っちゃうんだ」
「ああ。通り魔を捕まえさえすれば、なんとかなるんだ。だからミラ、もう少しの辛抱だぞ」
「無理だよ……そんなの、絶対無理」
「ミラ、大丈夫だ。俺が絶対助けるから…………側にいてやれなくて、ゴメンな」
「……」
それを最後にミラはもう何も喋らなかった。
ゲイツさんに聞いた所、ミラの容態は緩やかに悪化しているそうだった。確かにミラの顔は昨日より赤かったような気がする。声が弱弱しかったのは……熱のせいか、それとも未来を悲観しての事かは分からなかった。或いは両方か。
それでも、俺は通り魔を探しに行く。
日中の俺は昨日と同じように、店や人通りの多い広場などで自分をアピール。
太陽が沈む頃合になってコートとフードですっぽりほぼ全身を隠したマヤさんと合流。
再び二人で夜の街、明かりを片手に街の中心部から外れた場所へ向かう。廃墟や古い建物が多くなり、特に人気のないエリアに入り始めてすぐの時だった。
「……ソーヤ君、こっちへ行きましょう」
三度、袖を引っ張られた。
「はい、分かりました」
……早速釣れたか?
三度袖を引っ張るのは、俺達を狙う何者かが近くにいる、或いは尾行者がいるという合図だ。
腰に下げた魔法剣の位置を確認し、いつでも引きぬけるよう心構えをする。もし奇襲を受けたなら、前衛たるマヤさんにバフを掛けて、敵にはデバフを掛けるために。
昨夜は羽振りの良かった俺を狙った追いはぎだったりして、残念な結果に終わっていたが、今度はどうだ……?
いや、今回はほとんど俺達が動き始めた直後と言っていい。これは明らかに俺を狙っているであろう相手だ。
これは……当たり、か?
一方的に短剣で嬲られた記憶が蘇ってきたが、怖いと思う間もなくすぐに冷たいもので塗り替えられる。
ああ、たぶんこれがキレるって事か。今なら通り魔の両手両足切り落としても何も感じないと思う。
マヤさんが何気ない風を装いながらルートを変えて、俺もその後に続く。
住宅などの建物に挟まれた細道だとマヤさんの二刀は扱いにくく、逆に通り魔の短剣が有利になる。なのでこの街でマヤさんが十分に二刀を振り回せる場所をあらかじめピックアップしておき、常にその場所から離れすぎないようにしていた。
あとはそこまで移動するか、相手をおびき寄せるなりすれば……
「あら。私達に何か用かしら」
突然、路地の先から全身真っ黒な人影が無言のまま現れた。足音すら聞こえなかった。
向こうからアクションを起こしてきたか……やる気だな。
「……二人、いえ三人かしら」
「え?」
マヤさんのその言葉と同時に、後ろからいきなり何か大きな鉄球か何かが落ちたような音と揺れがした。
慌てて振り向く。
そこには身の丈ほどもある大剣らしき物を背に担いだやや大柄な人影が立っていた。その隣には頭一つ分ほど小さな細めな体をした人影。
今の音と揺れ、近くの建物の屋根から飛び降りてきたのか?
通り魔とグル? 実は三人組なのか……?
くそ、当然周囲にはろくに明かりがないし、俺の持つ明かりもごく狭い範囲しか照らさないから連中の姿が確認し辛い。しかも、足元もまであるゆったりとした上着を着ていて余計に正体が判別し難い。顔の部分なんかは目元以外全部黒布で覆い隠している。
あれだ。イスラム圏の女性の服装に近い。あの近親者以外には肌見せNG的な。
いや、それよりもこれは……挟み撃ち。マズイ。単独犯でしか想定してなかった。どうする。
「あら、怖いわね。そんな殺気立って……これから襲いますよと言わんばかりね。なぁに、お小遣いでも欲しいの? それとも――」
「マヤ・ツァオだな」
二人組の片割れ、やや大柄な方が覆面の下からくぐもった声を出した。
落ち着いた大人の声だ。渋い。男性か。少なくとも小妖精種族じゃないな。あれは小さな子供くらいの身長しかいないし。かろうじて判別できる部分からすると結構ガタイがよさげだから、エルフやダークエルフでもなさそうか? たぶん人間か狼男のどちらかか……
「お前に用はない。その背の男を我々に大人しく引き渡して欲しい。そうすればお前には何もしない。無論タダとは言わん。そうだな、銀貨100枚でどうだ」
銀貨100枚って……とんでもねえ大金じゃねえか! 確か小市民レベルだったら数ヶ月はたっぷり贅沢な暮らしができる額だろ?
いやいやいや、そんな事考えてる場合じゃない!
狙いはやっぱり俺か……やっぱり通り魔の一味なのか? いや、でもそれなら問答無用で襲い掛かってきてもいいはずなのに。なんでだ。まさかマフィアとかギャングとか裏社会チックな所からのスカウトとか………………ないな。
「あらあら。そんなはした金で引き渡すなんて本当に思ってるの? ケタが違うんじゃないかしら」
この前の雇用条件を聞く限り、やはりというかソウル・オブシリーズのバフを使えるバッファーは貴重らしい。かなりの高待遇を提示された。
さすがに毎月銀貨100枚とまではいかないが、しばらく働いていれば十分手に届く額だったりする。
まあここで金で売られても困るんだけど……
「では銀貨500枚。これでどうだ?」
「じゃあ逆に聞くけど、あなた世界トップクラスのローブ職を銀貨程度で手放せると思って? 最低でも市場に出回らないレア装備くらい用意してきなさい。最も今手放すつもりはないけど」
「……ハナから交渉に応じるつもりはない、か。やれやれ、金を受け取ってくれれば一番穏便に事が済んだのだが。こうなれば仕方ない、お互い不幸な事になってしまうとは残念だ」
「あら、立派な脅迫ね。街の治安を預かる騎士としては見過ごせないわ。国家騎士の名の下、拘束権限を行使するとしましょうか。承知の上でしょうけど、抵抗するならそのまま斬り捨てさせてもらうわね」
またえらく物騒で好戦的な会話がポンポンと……というか。
「そもそもあなた達は何者だ? 俺に何の用があるんだ?」
目の前の二人組から目を離さず、そう誰何した。
なんか……雲行きが怪しいというか、通り魔の仲間にしては変な流れのような気がする。
どうやら今の所いきなり襲い掛かってくる様子はないけれど、もし襲い掛かって来るようならすぐにでも魔法を使えるよう準備しておかないと。
「……」
前後の三人とも返事はない。
まあどう見ても連中、後ろ暗い事情がありそうだし、マトモに答えは返ってこないか。
「この連中、国家騎士でこの街の領主である伯爵直属の私を承知で囲んできているわ。どうやら相当非合法な連中のようね。でなければこの街の最高権力に歯向かおうなんてしないわ。騎士崩れか、或いはどこかの雇われギルドか……この三人の感じからして、弱小ギルドじゃないわね。こいつら全員おそらく上級職よ。それも高レベルの」
なるほど。とんでもなく厄介な状況というのは分かった。
どうしたものか。ここで連中に連れて行かれるわけにもいかないし、ここは撃退するか逃げるかするしかないけれど……
「マヤさん……どうしましょう」
「そうねぇ。機を見て先制して突破するから、遅れずについて来て頂戴。それと合図をしたらすぐに降臨・火精王のバフをお願いね」
「了解」
そう小さく打ち合わせをしていると、やはり大柄な人影が再び声を掛けてきた。
「ところで……ダークエルフの子供はどこだ? 少し前まで一緒にいただろう。調べはついている」
こいつら、ミラも探してるのか。
「……ん?」
あれ、おかしくないか?
通り魔ならミラが毒で死んだか、或いは死に掛けで連れ回せる状態じゃないっていう事は承知のはず……あれ?
「居場所を知っているのなら早めに吐くんだな。でなければ余計な痛い目を見る事になるぞ。屋敷か?」
……んんん?
あれ、なんか本格的に通り魔とは別件っぽいな。
「ちょっと、どういう事? 通り魔と関係ない輩じゃないの、こいつら。あなたこいつらとどういう関係?」
「いや、それが俺にもさっぱり……」
そうだよな。こいつらに心当たりなんて――
”――当分あの連中に狙われるわよ”
「……あ」
唐突に脳裏でリフレインする言葉。
一つ蘇れば、後はその時の光景と言葉が次々にフラッシュバックしていった。
”……その様子だと、何も知らなかったみたいだね”
”ついでに言うと、たぶんあなたこの街にいる限り当分あの連中に狙われるわよ”
”下手すると懸賞金かけられて、額によっては街中から狙われるかもしれないし”
「あ…………あああああああ!!」
完っ璧に忘れてた!
そうか! そうだ! そうだった!!
つまり、こいつらは……
「まさか、あの時ミラと揉め事起こしてたボンボン貴族の差し金か!」
通り魔を釣るはずが、このクソ時間がない時に別のいらん奴が釣れたのかよ!