14 相棒
ミラが近い内に死ぬ。
「……はぁ……ぅん……」
目の前にはベッドで寝苦しそうにしているミラの顔。少し顔が赤い。汗もある。褐色の長い尖った耳も、今は萎れたように下がっている。
マヤさんとゲイツさんは席を外してくれた。用が済めばドアの向こうで待機しているメイドさんに声を掛けてくれとの事だった。
好都合だ。
俺は左側にふよふよ浮いていた黒い球体を引っ張り寄せて、二回連続で突く。
すると球体は四角いウィンドウに変化し、俺のステータス画面と全体像が現れる。
「さて……」
頼むからこれで解決してくれと願う気持ちが半分、もう半分はこの手段では無理なのではないかという不安だ。
『class』の横にあるのは数値とクラス名。俺は数値に指を置く。数値を一ずつ順番に上げ下げしていると、ほどなくして『大司教』へと切り替わった。
よし。二種類あるヒーラー職で、最も回復スキルに特化した職だ。
次に各種スキルのレベルの数値をいじる。数値に指を添えて頭に『FF』を浮かべる。それで自動的にレベルMAXまで設定される。それを必要なスキル分だけ繰り返す。
ステータスパラメータの魔力の数値もMAX。武器に設定されている魔法力も最高レベル。魔力と武器の魔法力、この二つを合わせた力が使うスキルレベルに設定されている最低要求魔法力より低いとヒール量などの効果が低下し、パフォーマンスが悪くなるんだよな。でもそれもチート能力のおかげもあって当然問題なくクリア。
さあ、やるぞ。
「ミラ……」
魔法剣を鞘から抜き、ミラに向ける。
「最上位回復」
眩い光がミラの全身を包んだ。
純粋なヒール魔法の中で最高位の魔法だ。これでミラの状態が改善するか……。
少し待ってみたけれど、変化はない。
次だ。
「パーセント回復」
これも回復魔法。たださっきと違うのは、これはパーセンテージで回復させるという事。つまり、最大HPが多いほど回復量が上がるという魔法だ。タフなライカンスロープやドワーフ種族の前衛に有効とされる。
けれどこれもやはり変化なし。ミラの顔は赤いまま。少しおでこを触ってみたけれど、熱がある。
「ダメか……やっぱりヒール系じゃ回復しないな。なら、状態異常完全回復」
ミラの上空にサッカーボールくらいの水球が現れ、そこから一滴の雫が滴り落ちる。
それは空間に波紋のエフェクトを残して消えた。
これは全スキル中、最も数多くの状態異常を回復させられるスキルであり、最上級職のアークビショップにしか使えないスキル。今、一番ミラに相応しいであろう魔法だ。
頼むからこれで治ってくれ……
「う……うぅ……」
毛布をはいで意識のない子の服を勝手に脱がすのもアレなので、少し待ってみる。
………………熱は、引かないようだ。
仕方ない。気は進まないが、念の為背中の例の痣がどうなっているのか確認しておこう。
「ミラ、すまないが、状態を見るため少し触るからな」
意識がないとはいえ、一度断りを入れる。それから改めて覚悟を入れ直した。
毛布をめくると、ミラの貫頭衣に似た病人の服が出てくる。
そーっとミラをうつ伏せに変える。やっぱり子供だけあって軽いなぁ。
それから服をめくり上げ……
「やっぱりだめだったか……」
ランプに照らされたその小さな背中。そこには少しばかり拡大した黒い痣と、気味悪い瘤があった。ゲイツさんはこの瘤が毒だと言っていた。そして除去できないとも。してもまたすぐ再発するだけだと。
ついでに側にあった手ぬぐいで汗を拭いてやってからまた服と毛布を元通りに戻す。
疲労感が重く肩に圧し掛かってきた気がした。
いや、これは無力感か? どっちにしろ、気分が最悪な事には変わりない。
でも、一番最悪なのはミラだろう。
「まだ。まだだ……」
試せるだけ全部試そう。俺の知る限り、全てのクラスの回復スキルをミラにかけるんだ。
それから俺は黒い球体を片手で操作しつつ、自分がプレイした事のあるクラスのスキルで状態異常回復に関係するスキルを掛け続けていった。
黒い球体のMPを見ると、どんどん削れていっているのが分かった。そしてそれに伴って割れるような頭痛と倦怠感に襲われる。
構うものか。
ほとんど怒りの感情に任せて俺はスキルを使い続けた。
そして最後に。
「自己犠牲・聖光」
途端に全身から力が抜けた。思わず体が崩れ落ち、慌てて目の前のベッドに両手を突く。
直後、全身の各所に鋭い痛みが走った。
「痛つっ!?」
見れば腕に幾つもの裂傷ができて、そこから流血していた。この感じだと足や胴体、顔の各所も似たような事になってそうだ。
己のHPを代償にパーティメンバー全員のHPとMPを回復させるアークビショップのスキル。減るHPの量は固定されているが、通常のヒーラーだと元々の最大HPが低い事もあって、本来なら三分の二以上のHPが削られているスキルだ。俺はチートのおかげでHPも近接ATKトップクラスの量を誇っているため、さほど問題はなかったけど。勿論再詠唱時間はMMOゲーム上では一時間を越えていた。
結果は。
「これでも……だめなのか」
ミラの熱はまったく引いてくれなかった。玉のような汗が出る度に布で拭って、タライに張った水で絞って、魔法で冷やしてから彼女の小さな額に乗せなおす。
スキル全て試した結果、効果なし。つまり。
「スキルでどうにかなる類の異常じゃないのか……ちくしょう」
魔法は万能じゃない。
どこぞのマンガだかラノベだかのセリフであったな。今ほどこのセリフを呪わしく思った事がねえ……
「痛てて……セイント・ヒール」
自分にヒールを掛けて傷を癒す。そして顔や腕などに残った血を簡単に拭った。
うぅ、少し貧血気味か? 頭がくらっとした……
しかし……確かにMMOゲームでは魔法で回復しない異常状態がいくつかある。特定のアイテムでしか回復しない『死の刃』なんかがいい例だ。これもそれに該当するんだろうか。
「あー、くそ。魔神シリーズの武器を装備している間だけ使える武器固有スキルまでは知らないからなぁ……あの装備を入手できる機会なんてレア中のレアだったし。情報サイトも関係ないと思って見てなかったし。やっぱりこれは魔神の武器による状態異常なのか? いや、魔神の武器によるものでないにしろ、俺の知る短剣職のスキルには回復スキルで直せない毒攻撃スキルはなかった事を考えれば、何か特殊な状態異常である事は確実だ。それこそクエストで受けるような……くそっ、分かんねえ……」
やっぱりゲイツさんの調査待ちしかないのかな……でも、時間がないっていうし……他に俺にできる事は……
「ソーヤさん……?」
あ。
「起こしちゃったか」
ミラがベッドの上からうっすらと瞼を開けていた。少し目がぼんやりしているみたいだ。
「お兄ちゃん、そんなぼーっと突っ立ってないで座ったら? そこに椅子あるよ」
「ん、あぁそうだな……」
声にいつもの力がない。当たり前か。
「……」
「……」
椅子に座って向き合ってみたものの、会話がない。
何を話せばいいのか、まったく浮かんでこない。
そういえばミラは……毒の事をどこまで知っているのか……
「あたし、もうすぐ死ぬんだって」
「――!」
心臓が口から飛び出るかと思った。
ゲイツさん、話してたのか。
「怖い顔のおじさんから聞いたよ。不思議だよね。今はちょっと体がだるくて頭がぼーっとなってるだけなんだけど……数日したらもう死んでるんだって。なんかもう……いきなりすぎてわけ分かんないや」
「ミラ……」
なにか、何か言わなきゃ。けれど何を?
――そんな事ない。
――大丈夫、絶対に助かる。
――ごめん、俺のせいで。
――元気出して。
――今は落ち着いて休むんだ。
――俺が何とかするからミラは安静にしてて待ってろ。
言葉だけならたくさん浮かんでくる。けど、何をどう言うのが正解なのか分からない。それでもこのままじゃいけない気がして、とにかく口を開こうとして。
「あのね、ちょっと聞いてくれるかな。あたしのパパとママはね、『相棒』だったんだって」
ミラが独り言のように話し出した。
「ミラ……?」
「でね、いつも今よりずぅーっと小さなあたしに相棒のなんたるかをノロケながら言ってたの。今でも覚えてる」
そしてミラはもったいぶるようにして、人差し指を立てて言った。
「『相棒は互いに助け合うもの』。お互いに協力し合って、一人じゃできない事も困難も災難も、二人で乗り越えていくものだ、って。だから、あたしはあの時相棒を助けられて良かったって……心から思えるの」
ミラの言葉は真っ直ぐだった。
一度だって震える事も、口ごもることもなくそう言い切った。
「まあ……ここで死ぬのはちょっと残念かなーって思うけどね! あははっ!」
その顔はどこか誇らしそうにすら見えた。
「仕方ないかなー。あたしは、きっとそういう運命だったんだよ」
「そんな事は……ない。絶対に」
「ありがとう、ソーヤさん。でもこの稼業してるとね、やっぱりどうしても道半ばでドロップアウトする人は多くて、あたしも所詮そんな中の一人だったって事だよ。ね、それよりさ、残り数日の間さ、一緒にいてくれないかな。ねえいいでしょ。ずっと一人でスラム暮らしだったあたしなんかだと、こんなすっごい部屋に一人でいると落ち着かなくて……えへへ。だから……お願い」
「ミラ……」
俺のローブを掴むその小さな手。
幼児ほどの力もないそれを、俺は掴む事も引き剥がす事もできなかった。
★★★★★★
ドアを静かに閉める。
結局俺はミラに当たり障りのない言葉しかかけられず、部屋を後にした。
するとドアの前に控えていたメイドさんから「ご主人様がお呼びです」と呼ばれたので、マヤさんの所に行く事になった。
廊下を足を引きずるようにして歩く。前にはメイドさんの背中。それを見ながら思う。
ミラにとっての相棒の意味。
彼女が以前から何度も口にしていた『相棒』という言葉、その価値。
俺は……俺はどうだったんだろうか。ミラと比べてどれだけ本気だったんだろう。
ただのパートナー。俺は何がなんでもミラの手助けになりたいだけであって、果たして、ミラが見せた覚悟はあったんだろうか……
「……」
重い足を止める。
後ろ髪を引かれる思いでミラのいる部屋を振り返った。
どうしようか考えていたわけじゃない。けれど足は磁石のようにミラの部屋へと再び向かっていた。一歩ずつ、ゆっくりと。
部屋の前まで来た。
「……」
けれど、そこから中に入る勇気も、部屋から離れる決断もつかない。
しばらくそうやって突っ立っていると、中からミラの声がかすかに聞こえてきた。
”ちょっと……格好つけすぎちゃったかなぁ……でもま! あれが本当の気持ちだしね! うん、ソーヤさんが助かって良かった良かった! 天国のパパとママもきっと許してくれる!”
明るい声。
死を前にした女の子とは思えないくらい、溌剌した声。
ミラは本当にそう思っているんだろうか。空元気なんじゃないのか。
俺を、恨んで……わずかでも後悔してはいないんだろうか。
”……………………………………けど”
息が止まった。
つい先ほどまでとはうって変わって落ち着いた、静謐な声音。
『けど』。その先に続く言葉が一体何なのか。
本心では俺を許していないんじゃないか、「どうして自分が」と怒鳴りつけたい気持ちを押し殺していたんじゃないのかと、俺は足が竦んだ。
けどそれも仕方ないと、当然だと、俺は断罪される罪人のような冷えた心持ちで次の言葉を待った。
聞こえてきた言葉は――
”やっぱり死ぬのは……やだなぁ……まだ、こんな所で……せっかく、ようやくソーヤさんと相棒になって楽しくなってきた所だったのに。やっとこれからだって……思って……まだたくさんやりたい事、作りたい物あったのに……”
……
…………
”………………死にたく……ないよぅ……”
もう、その後は静かに小さくすすり泣く声しか聞こえなかった。
年相応の幼い声。
心細さでいっぱいの悲痛な泣き声。
――死にたくないよ、お兄ちゃん。
「……」
俺は、足音を殺して部屋の前から離れた。
行こう。
少し先で俺を待っていてくれていたメイドさんの元へ戻り、マヤさんのいる部屋まで案内される。
「いらっしゃい。そこに座ってくれるかしら」
部屋には机の前で羽ペンらしき物を片手に何か書いているマヤさんがいた。
マヤ・ツァオさん。
俺とは違ってこの世界で地位、権力といった『力』を持っているであろう人。
「……」
「ん、どうしたの?」
俺は……
「ミラは……俺を庇ったんです」
「うん?」
訝しげなマヤさんに構わず膝を曲げ、両手を床につき、頭を下げ額を床に擦り付ける。
強く、強く擦り付ける。
「どうか、ミラを助けるために手を貸してください。どんなにお金がかかっても構いません。一生かかっても返します。どんな事だってやります。だから……だから! お願いします!」
ミラは命を賭けて俺を助けてくれた。
なら、俺も同じようにミラを助ける。
絶対に。
絶対にだ!
「ミラを……助けて下さい」
返事を待つ。
今、マヤさんはどんな顔をしているのか分からない。呆れているのか、困っているのか、不快なのか。少なくとも、喜んではいないはずだ。
わずかな間を経て、冷たい声が降り注いできた。
「私はあなたからの通り魔の情報提供を見返りに、あの子へヒーラーを用意した。上級職のヒーラーを。一般市民なら普通まず受けられない厚遇よ。あなたはこれ以上を望むというの?」
ゆっくりと顔を上げると、そこには『貴族』がいた。
「……あなたは取引を持ちかけた時、ミラを助けると言いました。確かにミラの傷は癒されましたが……まだです。まだあの子は助かっていません。どうかお願いします。解毒に協力して下さい」
自分でも苦しい言い分だとは思う。けど、今は無理にでも突き通すしかない。
「確かにこれまでほぼ正体を掴ませなかった通り魔を直接見て生き延びたあなたの話は貴重だわ。けど、その正体を特定するまでには至らない。上級職ヒーラーの腕をもってしても癒せない毒、それの解決となれば……この国でも極々限られた最上級職ヒーラー様のお手を借り受けなければならないやもしれません。それだけの価値のある何かを、あなたは提供できるの?」
「それは……」
通り魔の情報は渡したものが全てだ。
それ以外に何か……と言われると……お金なんて勿論ない。くそ、考えろ。俺が持っている中で一番価値のある、効果的な取引材料は……全職全スキル使用可能な俺のチート能力を上手いこと怪しまれないように売り込むしか……
「と、本来なら言う所なんでしょうけど……」
「え?」
重い空気が一転軽く、そして明るくなったのを感じた。
「実は今、私の雇ってるギルドにはバッファーがいないのよね。これまではフリーのバッファーを都度雇ってたんだけど……そこでものは相談。あなたフリーのバッファーなのよね?」
「え、ええ」
「よかったら私に雇われてみない? 通り魔と事を構えるに当たってちょうど今、自由に動かせられるバッファーの伝手がなくて困ってたの。話を聞く限り、相手は相当できるようだしね。ポーションバフだけだと厳しそうだから、上級職以上のバッファーが欲しかったのよ。あの通り魔から生き延びた事といい、その装備といい、さぞいいバフを使えるんでしょう? 火水風土四耐性強化を使えたりするのかしら。もしかして、あの降臨・火精王をも扱えたり……?」
探るような目つきで俺を見る。
だけどごめんなさい。ソウル・オブ・イフリートどころか、その更に上のガチトッププレイヤーの証の被ダメージ時攻撃能力向上だって使えます。
でもこれ、言っちゃっても大丈夫なんだろうか。確かこれ、サーバでも使える人かなり少なかったはずだけど……怪しまれないだろうか。
……いや、やっぱりカウンター・アーツの事は話しておこう。
「はい。使えます。それと――」
「そう! なら大歓迎よ! じゃあ私はミラちゃんを助ける援助を続けて、あなたは私に雇われる。それでいいわね」
ニッコリと満面の笑顔になった。
……その、カウンター・アーツも使えるんだけど……言いそびれたなぁ。
まあ、いいか。バフする時はこっそり使っておこう。
「……はい」
「うん。取引成立。そうね、とりあえず一年契約かしら……雇用契約は後で詰めましょう。そ、れ、で。早速だけど、現状あの子を救う可能性のある手立ては二つあるわ。一つは毒に詳しい高名な魔女がいるから、その方から解毒剤を調合してもらう事」
「え、じゃ、じゃあ今すぐにでも!」
「ただし、その魔女様がいるのは国を二つ挟んだずっと東。そこへの往復だけで一ヶ月はかかるわ。しかも解毒剤に必要な材料をそこから調達しなくちゃいけないのよ。到底間に合わないわ」
「そ、そんな……」
「二つ目」
「それは……?」
「あの毒を植えつけたやつ、通り魔を見つけ出す」
「え?」
「ゲイツからの話だけれど、もし毒が単体として完全に独立した力なら解毒魔法でわずかなりとも毒の力が弱まってもいいはずよ。けれどそうはなっていない。つまり、どこからかあの黒い痣に力を送り込んでいるものがあるという可能性がある。そしてもしそうであれば、その力の大元を破壊するなり封印するなり力の及ばない遠くに離すなりすれば、毒に対処できるようになるかもしれない。それがゲイツの見立てよ」
「ほ、本当ですか!」
「あくまで可能性の一つよ。けど、試してみる価値はあると思うわ。どうかしら」
つまり、通り魔を急いで探し出してあの短剣を押さえなくちゃいけないって事か!
「やります」
もちろん即答だ。
ようやく見えた希望だ。絶対に通り魔を見つけ出す……!
「うん、じゃああなたは囮になって頂戴」
「え?」
「よろしくね」




