13 差し伸べられた手に縋って
気がついたら、俺は豪邸の前にいた。路地裏住まいの俺達からは考えられない噴水庭園付きの立派な洋館だった。
ぼんやりした頭のまま俺はミラを抱えてずっと走っていたのはなんとなく覚えている。
途中、兵士らしき人達が松明と怒号と一緒に忙しなく走り回っていたらしいが、マヤと名乗った女の人の背中を追って全力疾走していたらそれもすぐ見えなく、聞こえなくなった。
「帰ったわ。ゲイツはいるわね? 至急呼んで来て、急患よ! 治療の用意を!」
マヤは門番にフードを取って顔を見せながら、俺が抱えるミラを目で指し示す。
ゲイツとは中堅レベルの上級職ヒーラーの事で、医師でもあると説明された。マヤの家が専属で雇っているそうだ。ファミリーネームはないらしい。
というか、ヒーラー。そうかヒーラーか!
そうだよ、俺も簡単なヒールが使えるじゃないか! くそ、なんで今までボケっとしてたんだ!
少しだけ目が覚めたように意識がクリアになる。
二人の門番の内、一人は慌てて洋館の中に引っ込み、マヤも彼が戻って来るのを待たずにズンズン進む。俺もその後に続いた。
熱に浮かされるように額から汗を流し、荒い息を吐くミラ。応急処置として傷口に布を当て、強く圧迫し続けているが、出血と体力が心配だ。
この子の体に負担がかからないよう、細心の注意を払ってなるべく揺らさないよう、衝撃を与えないように運ぶ。
そしてその間ずっとヒールをひたすら掛け続けた。
「ヒール……ヒール……ヒール……ミラ、しっかり……ほら、医者に診てもらおう」
「……」
「大丈夫だ……大丈夫だ。絶対助かる。だから、しっかりしろ、な。もうちょっと頑張ってくれ……ヒール……ヒール……ヒール……!」
土足のまま館に上がりこみ、絨毯を踏みながら階段を上る。
「ここがゲストルームよ。入って」
案内された室内は暗かった。
マヤが台の上に置かれた何かに手をかざす。
「ファイア」
彼女がそう呟いた途端、火が灯って少し室内が明るくなった。
あれは……キャンドルランプかな。
「そこのベッドに寝かせて。すぐ治療させるわ」
「あ、ああ」
そーっと、そーっと。
ゆっくりミラの小さな体をベッドに横たえる。
マヤはその間、部屋に置いてあるいくつかのランプに次々と火を灯していった。
それが終わったと思ったら、今度は後ろから慌しい足音が聞こえてきた。
「おら、イノシシ娘! 患者はどこだ!」
「ゲイツ。この子をお願い。背中を大きく切られているわ」
「ったく、さすがに今日明日は大人しくしてるかと思いきや、まさか一日待たずに飛び出すたぁな。後でたっぷり言いたい事があるからな……さて、診るのはベッドの……ダークエルフのお嬢ちゃんか。どれ」
部屋の入り口に現れたのは全身毛むくじゃらの大男だった。なんというか司教だって聞いていたけれど、山賊が法衣を着ているみたいだ。
ノッシノッシと入ってきたので慌ててヒールを中断し、ベッドから離れて場所を譲る。
「ん? お、おい、兄ちゃんも随分とひどいケガだな。ボロボロだぞ」
「いえそれよりミラを。ミラを早くお願いします!」
「んん……分かった。お前さんもすぐ後で診るからな」
ゲイツさんはミラの背中に巻いていた布と服を丁寧に剥ぎ取り、傷口を見て眉を顰めた。
「ちっ、これはヒデェな……パックリいってやがる。さっきまでのヒール、お前さんヒーラー……じゃねえな。装備のグレードとヒールの力が合ってねえ。祓魔師系のバッファーか」
「は、はい」
「よくやった。お前さんのヒールで多少衰弱が抑えられている。後は俺に任せな――上級回復!」
ミラの小さな体をすっぽり包む眩しい光が部屋中を照らした。俺のヒールが豆電球なら、これはまるでスポットライトだ。
グランド・ヒール。ビショップが最初に覚える回復魔法、中級回復の一つ上のランクの回復魔法だ。この魔法は大体中堅レベルから高レベルの間で使われる。これを使えるという事は、確かにこの人はベテランプレイヤー並のスキルがあるという事だ。
「もう一押しか、グランド・ヒール! おし、これで傷は大体塞がった」
「ほ、本当ですか!」
ミラは助かるのか! 良かったぁ……
「ただし、まだ安静が必要だ。あくまで塞がっただけで、少し油断して動けば傷口がまた開きかねんぞ」
「それでも、それでも! 本当にありがとうございます!」
「あんた、この子の兄代わりか何かか? …………感謝してる所で悪ぃが、安心するにゃちぃっとばかし早いかもしんねえ……」
「え?」
それはどういう……?
難しい顔をしたままミラの背中を見ていたゲイツさんは部屋の入り口にいたメイドさんに薪と毛布を持ってくるよう頼んでから、俺にミラの背中を見せてきた。
「この痣だ」
彼が見せてきたのは……例の瘤と背中に広がる黒い痣だ。ただ気のせいか、さっきよりも広がってるような……?
やっぱりこれ、何かあるのか? 呪いとか……? あいつが使っていた武器が武器だけに、嫌な想像しかできない。
「ちょっと詳しく調べたい。兄ちゃん、マヤ。後でこうなった状況を聞かせてくれや」
「は、はい」
「さて、次は兄ちゃんの番だ……改めて見ると、あんたも相当な重傷だな」
……そういや、俺もあちこち斬られたり、突き刺さされたりしてたっけか。
うわ、改めてみるとローブのあちこちが血だからけだ……黒いからあんまり目立たないけど。
「――うわっ!?」
ゲイツさんが唐突にヒールを唱えた瞬間、目の前が光で真っ白になった。
光が収まる。それと同時に大きな痛みの数々が一気に消えた。すごい。
「ふぅー……さすがに一気にグランド・ヒール三連発するとごっそり力が抜けるな。で、どうよ、兄ちゃん。もう体は平気かい? 他に痛む箇所は?」
「あ、はい。えっと……うん、大丈夫です。ちょっと肌に違和感や小さな痛みは残ってますけど、平気です」
「よし。じゃあ話を聞かせてくれや。この子に何があったかをな」
「いいわよ。とはいっても私が駆けつけた時にはもうこの状態だったのだけれど。彼ら二人、件の通り魔にやられたそうよ」
「ほぅ……こいつは驚いた。初めての生存者か。一般はともかく俺らの界隈じゃ、あの通り魔は玄人だって話で持ちきりだったんだが」
「その、俺達二人はパーティを組んでて、狩りをした後に住んでいる場所へ戻ろうとしたら……」
あの、仮面の男を思い出す。
うっすらと月明かりに照らされた中、片手に血のついた魔神の短剣を、もう片方の手にはピクリとも動かないまだ小さな子供を引きずって……
「……」
足が震えた。
立ちくらみが起きたように視界が揺れる。
恐ろしい短剣の切っ先が目の前をチラ付き、胸や腕になくなったはずの痛みが走り、ミラが死んだように倒れ付す光景がフラッシュバックする。
刃を弾く音が、血の臭いが、甲高い悲鳴が蘇って――
「――!」
しっかりしろ!
内心で渇を入れる。するとなんとか揺れが、震えが収まった。
「おい、大丈夫か。兄ちゃんも調子が悪いのなら横に……」
「大丈夫、です」
歯を食いしばり、顔を上げる。
「俺達は、通り魔に襲われたんです」
一部始終を話した。
通り魔が現れた時の事を。
短剣を持ち、背面取りを使ってきた事。
必死に抵抗した事。
そして抵抗空しくミラが斬られた事。
ただ、魔神の短剣と思われる武器を持っていた事についても話してみたけれど。
「あなた、魔神の武器を見た事があるの? あれはそれこそ神話の伝説の呪われた武器よ。魔神の両手剣なら最近世に現れたから知ってる人も多いけれど、短剣は……実在すらあやふやで、それこそ今なお闇の中よ」
「い、いえ。その。もしかしてそうなんじゃないかなって思ったくらいで……余りにも、その、禍々しかったですし」
「うーん、まあ聞く限りろくでもなさそうな武器である事には間違いなさそうね。あなたのそのローブ、グランノワールね。最上級職の限られた者しか装備していない最上級のローブ。あなたがそれをどこで入手したのかは知らないけれど、そこまでボロボロにできるなんて、そこいらの野盗くずれの凶器じゃ到底不可能だもの」
……あれ、もしかしてこのローブって持ち主を特定できるくらい出回ってる数少ない? いや確かにMMOゲームでもこのローブ装備している人はヒーラー・バッファー合せて鯖で50人いないくらいだったと思うけれど……どうしよう。入手経路とか聞かれたらどう答えればいいんだろう。突っ込まないでくれるといいけれど……
「なるほど。まあ大体の経緯は分かった。んじゃちょっと本腰入れてお嬢ちゃんを診るぜ。集中したいから他の皆は少し部屋から出ていてくんねえか」
「あ……はい。すいませんがどうかよろしくお願いします」
「おう。任されたぜ。兄ちゃんも体調に異変があったらすぐに来いよな」
本音を言うのであればミラの側に居たかった。
本当に信用、信頼できる人物なのかと疑念が一瞬脳裏を掠めたのが正直な所だった。
けど、信用しなくちゃ。少なくとも、ゲイツさんは真面目にミラを診てくれていたと思う。マヤ……さんの方も、名乗った時は真っ直ぐそうな人だった。
ここはこの人達の言う事を信じよう。
「……そんなに心配なら、兄ちゃん、隣の部屋にでもいたらどうだ。おうマヤ。隣、空いてたよな」
「ええ。大丈夫よ」
「というわけだ。ま、知らない家、初めて会う人で不安なのは分かるぜ。けれど、この左腕の医師の証たるアスクの杖と蛇の紋章に賭けて誓うぜ。医者としてお嬢ちゃんを決して害しないってな」
「ゲイツの場合、人相が人相だものね。不安そうな顔になるのもしょうがないわ。ふふふ」
「うるせ」
う……もしかして思いっきり不信が顔に出てたのか?
ゲイツさんの服の左腕には屹立する一本の杖と、それに絡みつく一匹の双頭の蛇が刺繍してあった。それがこの国、或いはこの世界での医師の証明なんだろう。
「す、すいません」
「あー、いい、いい。見たところ俺なんかよりよっぽどクラスが上のはずなのに、妙に腰が低い兄ちゃんだな。それより、ほら。マヤ、兄ちゃんを案内しとけ」
「ええ。こっちよ」
「あ、はい」
何か黒一色の服のメイドさんらしき格好の女性と話していたマヤさんの手招きに従って部屋を出る。そして隣の部屋へとまた入っていく。
マヤさんは中年くらいのメイドさんを一人引きつれ、部屋の中央のテーブルまで歩み寄って振り返った。
「どうぞ」
言われるまま、勧められるままに椅子へと座る。マヤさんはメイドさんの手でコートを脱ぎ、二本の剣を腰から外し、コートの下に着けていた軽鎧を外す。軽鎧を脱いだ後、まるでモデルかと思うくらい見事なプロポーションが露になった。
いや、知ってたけどな。そうメイキングしたのは俺だし。
俺の対面にマヤさんが優雅な仕草で座ると、新たなメイドさんがやって来てテーブルにティーカップを置いてくれた。
注がれた琥珀色の液体。立ち昇る湯気からうっすらと香るのは……バラみたいな香りだ。
気がつけば、ガチガチだった肩の力が抜けていた。
あぁ、でも本当にほっとした。とりあえずまだ不安材料は残っているものの、最悪は避けられたんだ……
飲み物を用意し終わるとメイドさんは一礼し、そのまま部屋を出て行った。
そうして部屋には俺とマヤさんと中年のメイドさんの三人だけになる。
「では、改めて自己紹介しましょうか。私はマヤ。マヤ・ツァオよ」
「あ、俺、じゃなくて私は新井宗也です」
「……ソーヤ・アライ?」
「え、ええ。この辺りじゃ変わった名前かもしれませんが、私の遠い故郷じゃこういったネーミングが普通でして……」
「ふぅん」
俺のちょっと必死の弁明も、彼女は素っ気無い風だった。
もしかして気にしすぎだったのかな。そういえばミラも別に名前については気にしてなかったし、別に日本や西洋みたいなネーミングの差なんてないのかも?
「私はこの国の貴族の末席としてグリーファウス伯に仕えている者よ。とは言っても、この街近郊に小さな領地の農場を抱えているだけで、しがない貧乏貴族の一人に過ぎないけどね。見ての通り使用人も少ない、名前だけの冒険者上がりの貴族よ。だからそう畏まる必要はないわ。どちらかと言うと、私の心はまだあなた達と同じ冒険者としてあるんだから」
「冒険者、だったんですか」
「そう。男爵の父の家を出奔した後、先の戦で武功を立ててね。ゲイツも同じ。彼も冒険者で、私と一緒に今をときめくかの英雄と同じ戦場を渡り歩いた戦友よ。今は私がギルドごと雇っているわ。こわーいおじさんに見えるけど、あれで面倒見のいい頼れるヒーラーよ」
マヤさんがティーカップを手に取り、口を付ける。
作法なんて分からない俺でも、彼女のその仕草がとても優雅で様になっているっていうのは分かった。なんというか、本当にお嬢様みたいだ。ちょっと見惚れてしまった。
「さて、ゲイツがあの子を診ている間、さっきの話をもう一度詳しく話してもらえるかしら」
「……分かりました。でも、その前に一ついいですか?」
「何かしら」
「あの……マヤさんは警察、じゃなくって、ええと街の警備関係者でもなさそうなのにどうして通り魔を探しているんでしょうか」
「…………」
「あ、その俺達みたいな人に言い辛い事なら別に、ただの好奇心ですし。ただどういう目的で、どういう事が知りたいのか分かれば少しは話やすいかなって思っただけで……」
「いえ、そうね。別にそう構うような事でもないわ。動悸は単純。仇討ちよ」
「仇……討ち?」
「そう」
声のトーンがいきなり下がった。
その声は、なんというか、地獄の底から轟いてきそうな恐ろしい声だった。
一見冷静そうだけれど、ドロドロに煮えくり返る怒りを腹の底に押し殺しているような、そんな声と形相。
怜悧な美貌なだけに、一層恐ろしい。
「昨夜、通り魔に一人の娘が殺害されたのは聞いているかしら?」
「い、いいえ……」
正直、そんな情報がすぐ入るような環境じゃなかったし。そうか。昨夜も通り魔のやつは殺し歩いていたのか。
「その娘はね、私の乳母の娘……私とは姉妹同然に育った仲だったのよ」
「え……」
「いい娘だったのよ。私が嬉しかった時も、悲しかった時も、いつも一緒に喜んで、泣いてくれた……なのに、昨日母親に会いにこの屋敷を出て……亡骸が見つかったのは今朝。ほんの昨日まであの娘はここにいたっていうのに……」
マヤさんの組んだ両の手、拳が固く震えていた。
「だから私は通り魔は絶対に許さない。必ず私が討つ」
真正面から見たマヤさんの目はある種のひたむきさで満ちていた。
それは凛々しく、その激情は美しいと思えた。
「そのために、あなたの通り魔の話が欲しいのよ。どんな小さな事でもいい。初めて現れた生存者だもの。どんな手を使ってでも聞き出すつもりよ」
そう言ってニコリと笑いかけられた。
いや、笑えない。正直怖いです。なんか拷問も辞さないよう聞こえるんだが……
もしかして一種の脅しか、これは……!
「分かりました」
まあ、俺もミラを斬られている。元からヤツを許すつもりはない。
正直もう会いたいとは思えない相手だけど……善良な一般市民としては凶悪犯罪者の情報提供は義務か。
それにマヤさんには既にミラを診てもらってるし、こっちもキチンと約束は果たさないとな。
「じゃあ改めて最初から話しましょうか」
「ええお願い。今度は途中、気になった事があったら質問していくから、よく思い出して答えてね。あとあなたの話は私の方から自警団と役人へ通しておくから」
「はい」
★★★★★★
しばらく通り魔について語り、まったくない絵心でなんとか似顔絵を布に描こうと筆を片手に四苦八苦していた時だった。
「レディ・ツァオ様、失礼致します。ゲイツ様が参られました」
「邪魔するぜ」
入ってきたその大柄な姿を見て、俺は思わず叫んだ。
「ミラは! ミラは……大丈夫なんですか」
「兄ちゃん、まずは落ち着け。ほれ、まずは筆を置け」
言われて、衝動的に椅子を蹴って立ち上がってしまっていた事に気がついた。
ゲイツさんは急ぐようでもなく、ゆっくりするようでもなく、落ち着いた足取りでテーブルまでやって来た。
「ほら、座れ。立ったままじゃ落ちつかねえだろ」
「はい……」
促されるままに腰を下ろし、筆を置いた。
控えていたメイドさんが新たなティーカップを用意して、新たな飲み物を注いだ。なんだろう、お茶じゃない。ジュースみたいなやつだ。
「さて、じゃあお嬢ちゃんの報告だ。ひとまず一命は取り留めた。傷は問題ない。しばらく傷跡は残るだろうが、時間が経てばそう目立たなくなるはずだ」
「……」
もちろん、それだけで安心できるはずもない。
ミラの背にあった瘤と黒い痣。あれは一体何なのか。
次の言葉を待つ。
「今、お嬢ちゃんは微熱がある」
心臓の音が少しうるさくなった気がした。
「もう少し別の場所で書物を探して詳しく確認しなくちゃーなんねーんだが、お嬢ちゃんの背にあったあの痣、あれは毒をもたらしている可能性が高い。そういった症例が過去にあったと聞いた事がある。薬物によるものではなく、魔法による毒だ」
「毒……?」
「ああ、それもおそろしく強力なものだ。一通り解毒などの魔法やポーションを試してみたが、俺の力不足なのか、それとも別の要因があるのか、まったく効果がねえ」
忌々しそうにそう告げるゲイツさんは、苦しそうだった。
「ミラは……どうなるんですか? ずっと微熱が続いて寝たきりになるんですか?」
「いや……」
ゲイツさんはそこで一度言葉を切り、眉間に皺を寄せて目を閉じた。
そしてすぐにまた目を開き、俺の方を真っ直ぐ向いて言った。
「痣が徐々に広がってきている。そして毒の発生源であろう瘤の魔力が少しずつ強くなっていやがる。このままなら数日としない内に……体力が尽きて、死ぬだろう」
まあ前回の話から、この展開は予想できやすかったかと思います。
さあ、畳みに入らねば。




