12 死徴
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。さぁ、リラックスリラックス。怖くないよー」
仮面の男――声は男性のものだった――が掴んでいた男の子を放し、短剣に優しくキスをする。
思い出した――あの短剣、あの形状! 魔神シリーズの短剣じゃないか!
いや、でもこいつはモンスターに変身していない。どういう事だ?
ゲーム上では武器を拾った瞬間に呪いのアイコンが現れ、モンスター化したっていうのに……
「背面取り」
仮面の男が消えた。
ハイド・ステップ――狙った相手の背中に瞬間移動する短剣上級職スキル!
「ミラ!」
跳ぶ。
ガクガク震えて言う事を聞かない足を、無理矢理動かす。
直後、俺の後ろから囁き声が。
「死突」
……っ!
ほとんど体当たりの格好でミラを巻き込むように二人で倒れこむ。数メートルくらい地面を転がって、そこいらにあった木箱か何かにぶつかって止まった。静かな夜にけたたましい物音が木霊する。
ぐ……つぅ……
「へぇ、避けたんだ……勘がいいのか、このスキルを知ってたのか……」
俺とミラのどっちを狙っていたのか分からず咄嗟に跳んだけど、俺を狙っていたか……
やばい。急いで立たないと……! い、いや、そうだ! 声、大声出して助けを……!
「……だ……」
誰か助けて、そう叫ぼうとした。
けれどまったく声が出ない。目の前に殺人鬼がいる。それだけで大声一つ出す勇気がでない。心臓が縮こまる。大声を出せば殺される、そんな想像すら勝手に浮かんでしまう。
仮面の男が近づいてくる。
声を出さないと。早く、早く――!
「――誰か! 通り魔よ!! 通り魔がここにいるわ!」
え……
すぐそばから大声が辺り中に響き渡った。
ミラの声だ。
――ピィィィィーーーーーーー!
そしてすぐさまどこか遠くから甲高い笛の音が響いた。
「さぁ! これで人が来るわよ! 最近はあんたのために警戒に当たってる衛兵がたくさんいるし、逃げるなら今のうちじゃない?」
隣でミラが仮面の男、通り魔相手に一歩も引かず、睨み上げてそう強い口調で言った。
「……」
通り魔は無言。ゾッとするような冷たい瞳のまま歩いてくる。
「ちょ、ちょっと……! 聞いてるの!?」
「……」
通り魔が止まらない。
近づいてくる。
何も考えられない。
頭が真っ白だ。
……に、逃げなきゃ。
い、いや、そうだ! バフ! バフだ!
「ソ……降臨・土精王!」
一瞬、通り魔の歩みが緩んだ。
「ふぅん。なるほど。キミ、バッファーだったのか。それも最上級の……!」
「防御力強化、移動速度強化……!」
通り魔の言葉を聞き流しながら必死に急いでバフを自分に掛けていく。
あっ、しまった! 優先順位間違えた……先に詠唱速度強化を唱えるべきだった! そうすればもっと早く、たくさんのバフを掛けれたはずだったのに!
「それっ」
通り魔が一気に飛び込んできた。
体が重い。唐突すぎる事態に未だ手足がガチガチに硬直して棒立ちしかできない。
それでも、月明かりの下に刃が走るのが見えたと思ったら俺の足は、腕は勝手に動いていた。
一歩前へ、ミラをその背に庇って進み出る。
魔法剣が短剣を受け止めた。
「……へぇ」
間近で聞いたその通り魔の声は感嘆しているようだった。
自分でも腰が引けているのが分かるくらい、今にも泣き出してしまいそうなくらい怖い。
それなのに、魔法剣はまるで生きているように動き、短剣を食い止めた。その事に俺自身も驚いている。ほとんど無意識だった。
いや、待て。確か聖戦士の常時発動型スキルには刃の修練があった。当然黒い球体でMAXレベルまで引き上げている。そのおかげなのか?
それならそれで有難い。とにかく、こうなったらもうヤケクソだ!
「詠唱速度強化、攻撃速度強化、攻撃力強化……!」
魔法剣を振り回すのと並行して次々にバフを掛けて行く。
とにかく、まずはこいつからミラを守らないと……!
短剣職はとにかく素早い。しかも相手はハイド・ステップを使う事から上級職の中でも高レベル。最悪、最上級職という事もあり得る。
俺の基本ステータスの敏捷はMAXだけど今の俺はあくまで魔法職。クルセイダーに敏捷関係のパッシブスキルはない。それでも速度向上系のバフ全部掛ければなんとか逃げられるとは思うけど……下級職のミラは論外だ。例えフルバフを掛けたとしても絶対にすぐ追いつかれるだろう。
だから逃げるわけにはいかない。
「っ痛ぅ……!」
「お兄ちゃん!」
後ろから悲痛な叫び声が聞こえる。
二度、三度と通り魔の短剣が稲妻のように閃くたび、必ずどこかがローブごと切り刻まれていく。その度にバフの詠唱が中断され、バフをこれ以上掛けられない。
リザードマンの矢を一度も貫通させなかったローブがこの短剣の前だと何の役にも立ってねぇ! 畜生!
いや、魔神の武器ならそれも仕方ない。何せ攻撃力だけなら世界最強クラスだからな、くそ!
「おおっと」
俺の大振りの魔法剣をかわして通り魔が一旦大きく下がる。
やっぱりバッファーじゃATKとはまともに打ち合えない。
バッファーの刃の修練と、おそらく短剣職であるだろうこいつの短剣の修練とじゃプロとアマくらいの差がある。
けど、まだやれる。顔が、腕がスッパリいってドクドク血が流れて熱を持ち、心臓がバクバク言ってるけど、怯える心を必死に叱咤し続ける。
「これなら!」
アタッカーとして戦うからダメなんだ。なら、バッファーとして戦ってやる!
「水晶封縛!」
地を白い魔法の線が走る。
それがすぐそこにいた通り魔に直撃して。
「やった!」
水晶が通り魔を捕らえ――すぐ消えた。
「――え?」
「効かないねぇ」
あぁくそ! 抵抗されたのか!
「心臓刺し」
「くっ」
また一撃。赤い光を靡かせた短剣が弾丸のように走った。
なんとか即死は避けた――けど。
「あ――ぐぅぅぅぅーーーー!!」
左胸のわずか上を刺し貫かれた。
激痛と衝撃でたたらを踏みながら後ろに下がった。
正直、尻餅ついて倒れこまなかったのが不思議なくらいだ。
ぐぅ……これ以上は下がれない。ミラがすぐ後ろにいる。なんとか、なんとかしなくちゃ……けど、どうすればいいんだよ……ちくしょう、ちくしょう!
助けて……早く、誰か来てくれよ! まだ人は来ないのか。死ぬ。死にたくない。くそ……!
「はっはっはっ……」
息が乱れる。じっとりとした嫌な汗が止まらない。
いつ殺されてもおかしくない恐怖。
少しでも目の前のこいつから気を逸らしたら短剣が俺の首を掻っ切ってそうで、後ろを振り向く余裕もなく、ミラに声をかける事もできない。
「くそぉぉ!」
それでも勇気を振り絞ってとにかく前へ!
これ以上下がったらもう後がない。ミラがいる以上、後ろも横もいけない。前だけだ。そして勝算もくそもない、破れかぶれの特攻しかできない自分に絶望する。
魔法剣は鋭い風切り音を次々と出してくれた。
まるで剣の達人になったかのように、一呼吸で三連撃を見舞う。残像すら見えた。
状況が状況でなければ、竹刀すら持った事のない自分がこんな剣裁きをしている事に有頂天になっていただろう。
けれど、それでもこいつにはまったく通用しない。
全てが短剣でガードされ、無情な甲高い金属音が三度路地に響き渡った。
「ふーむ。意外と粘るねぇ……けど、そろそろ終わろっか」
「ふざけんな!」
余裕そのものの声。いつでも殺せると言わんばかりのその様子に、恐怖がピークに駆け上がっていく。
せめて、もう少しバフを掛けられたら……!
いや、いっそこの横に浮いてる黒い球体を使って一か八かの賭けに出るか? 禁断の、そして未知のデータ領域。装備のデータをいじって、以前検証した数値の更に次の数値で水神装備さえ出てくればこの窮地もきっと……けれど、もし魔神装備が出たら……
だめだ。決心が付かない。
「ハイド・ステップ」
――またっ!?
反射的に後ろに振り返りざま魔法剣で斬り払う。さすがに二度も同じ事をやられれば反応はスムーズだ。
そして、確かに伝わる手応え。
「――や、やった!」
視界に入ったその光景は、俺の魔法剣が通り魔の腕を斬りつけているというものだった。
湧き上がる歓喜。
助かったという安堵。
それが一瞬にして押し寄せて肩の力が抜けたその時。
「――ダメ、ソーヤさん!!」
「え……?」
腰への衝撃。思わず体勢を崩して背中から倒れこんでしまう。
一体何が?
見えたのは腰にしがみつくミラと……その更に向こうに短剣を振り上げ、下ろそうとしている無傷の通り魔がいた。
なんだ、どういう事だ?
気がつけば、視界の端にある俺が斬りつけたはずの通り魔の姿は今まさに陽炎のように消えていっていた。
これって……まさか偽装人形? 自分そっくりの姿をした分身をその場に作り出し、自分を狙っている敵全てのターゲットを強制的にその分身にすり替え身代わりにする上級短剣職スキル。
つまり、俺が魔法剣で斬ったと思っていたのは……偽者だった?
「呪毒の刃」
ボソっとした呟きと共に、通り魔の短剣がミラの背の上を滑る――
「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!?」
ミラのこの世のものとは思えない壮絶な悲鳴が俺の耳をつんざいた。
そして周囲に鮮血が――
「ん……順番が逆になったか」
「あ……あ……あ………………ミ……ラ?」
なんとか上半身を起こすと、俺の腰の辺りで抱きつくようにしてうつ伏せに突っ伏すミラが見えた。
小さな体を揺すってみるけれど、ぐったりしたまま何の反応も無い。手が力なく地面に投げ出されている。
「お、おい……ミラ……?」
ふと、手にぬるぬるとした感触があった。見ると月明かりの下、手の平にべっとりと血が……
「あ、ああああああ……」
「さぁ、いい声上げてね」
「え……?」
気がつけば、通り魔の男がまた短剣を振り上げていた。
あ……もうダメだ。
目を逸らす事もできず、ただ震えてその時を待つ。
そして――突然の横殴りの風に襲われた。
「う、うわっ!?」
サーコートが激しく捲くれ上がる。なんだ、この風。目も開けられないくらいとんでもなく強い……むしろミラごと俺の腰が地面から少し浮いた。
「チッ。この力、最低でも高レベルの上級職か……!」
通り魔がそう吐き捨てるように言うと、そいつは一度風で外れかけた仮面を付け直して風が吹いてきた方向とは逆へ駆け去っていった。
「た……助かっ……た?」
いや、それより!
「ミ、ミラ。ミラ、しっかり、ミラ。助かったぞ。ほら」
「……ぅ……」
小さなうめき声。手に伝わるのは体の温かみ。
まだ、まだ生きてる!
「けど……ど、どうすれば……」
どうしよう。
どうしよう。
その言葉だけが際限なく浮かんでは消えていく。その先が何一つ浮かばない。
「ん……?」
なんだ……これ……
よく見ればミラのパックリ裂けた服の下、流血の中、切り傷の部分に何か……何だろう、何か腫瘍のような小さな瘤が見えた。しかもその瘤を中心に、まるで根を張るように黒い痣の様な何かが広がっている。
それはあまりにも不吉で、おぞましかった。
なんだよ……これ……なんなんだよ……
「貴方達ね、先の声を上げたのは!」
「へ?」
突然の声に顔を上げたその直後、人影が大砲みたく上から降ってきた。着地の瞬間、地面が揺れる。
「う……え……その?」
人影の声は女性のものだった。
彼女は黒いコートに身を包み、抜き身の剣を二本、両手にぶら下げている。二刀流は魔法剣士やバッファーのメジャーな戦闘スタイルの一つだ。
「こ、この子を助けて下さい……その、変な男にいきなり襲われて……お願いします。い、医者を……!」
「貴方達、通り魔を見たの!?」
いきなり両肩を掴まれた。しかも、物凄く力が強い!
「は、はい。けど、今はこの子を、ミラを……血がたくさん出てて……!」
「そう……まだ息はあるわね。傷は……急がないとマズイわね」
そこで、ようやく俺は気付いた。
目の前の女性はセミロングの黒髪に切れ長の瞳。一目見る限りクールな雰囲気を持った女性だった。
俺は、その顔をよく知っている。
「ねえ、取引をしない? 貴方、その身柄を私に預け、通り魔の事を洗いざらい私に吐きなさい。そうすればその対価として私、貴族たるマヤ・ツァオの名でこの子を助けるためにヒーラーを用意しましょう」
真っ直ぐ堂々とした仁王立ちで救いの手を差し伸べようという女性。
彼女こそ俺の4thキャラ、マヤだった。
なお、宗也君はチート能力でヒーラーにクラスチェンジして最強ヒールかける事もできるのですが、ここではヒールという言葉自体が浮かばないくらいテンパってました。
そしてこれで役者が揃いました。