「ゲームの途中で死んだので悪役の体に転生しました」〜ミステリーオタクの私が、5年かけて壊された令嬢の無念を晴らします〜
視界が真っ赤に染まり、焼けるような熱さに体を支配された。
意識が遠のく直前に聞こえたのは……「おめでとうございます」という、無機質な機械音声だった。
(……何が? どこから?)
バチン、と音を立ててロープが切れた。
豪華な絨毯の上に、私は無様に転がった。
咳が止まらない……喉が焼けるように痛い。
それでも私は、震える腕で上体を起こし、あたりを見回した。
ここは……私のマンションじゃない。
私は西崎シキ、24歳。IT企業の社内ヘルプデスクだ。
趣味はミステリー小説をたくさん読むこと。特技は誰にも気づかれずに退勤すること。
高い天井。巨大なシャンデリア。
壁に飾られた見覚えのある紋章——薔薇と剣を交差させた、ローゼンベルク公爵家の家紋。
全身から、血の気が引いた。
(まさか……『ブラソウ』の紋章?)
「聖女と薔薇の誓約」、通称ブラソウ。
半年前にリリースされたスマホ乙女ゲームだ。
なんとなく広告で見かけたゲーム。
通勤時間の合間に第3章の途中まで進めていたところだった。
何故3章で止まっているかというと……悪役令嬢がひどすぎて、続きを読む気になれなかったのだ。
ゲームの中で、この紋章を持つのは一人しかいない。
「…魂の定着を確認。条件を提示します」
機械的な音声が脳内に直接流れ出す。
そんな非日常的な展開を整理する暇もなく、頭の中に、文字が浮かんだ。
【対象:エリース・フォン・ローゼンベルク。公爵令嬢。自死によりこの肉体を放棄】
【継承者:西崎シキ。享年24歳。横断歩道にて交通事故死】
【遺言の呪い(ラスト・レター):24時間以内にこの肉体の主を死に追いやった『犯人』の嘘を暴け。失敗すれば、あなたの魂も消滅する】
ああ、そうだった。
なんとなく、ぼやけていた記憶がこの文を読むと鮮明になってきた。
今日もいつもの仕事終わりの帰り道、信号が青になった瞬間に飛び込んできたトラック。
そのトラックに轢かれて私は死んだのだ。
こんなところで死んで、誰も私が死んだのに気づかないだろうな……と思いながら目を閉じたのを、今でも鮮明に覚えている。
「……それで私が選ばれた理由って、なんなの?」
誰に問いかけているかもわからなかったが、その独り言に返答するように頭の中にまた文字が浮かんだ。
【ローゼンベルク家に伝わる『遺言の呪い』の発動条件:嘘によって命を奪われた者の無念を晴らすため、真実を暴くことに長けた魂を召喚する。あなたは選ばれた】
エリース・フォン・ローゼンベルクの母が、娘のために遺していった魔術。
「もし私が嘘に殺されたなら、この呪いが正しい人を連れてくる」という、一族秘伝の最後の切り札。
随分と壮大な遺言ね。
でも、そんな大層な呪いに選ばれた理由が「ミステリー小説を2000冊読んでいたから」だとしたら、笑えないけれど笑ってしまいそうだった。
私は豪華な鏡の前に立った。
白い肌。燃えるような赤い髪。
ゲームの中で見たままの美女が、そこにいた。
(私があの、エリース・フォン・ローゼンベルク、か……)
ゲームの設定では、どのルートでも最後に断罪される「共通の悪役」だ。
聖女クララを妬み、嫌がらせを繰り返し、ついには毒殺を試みた罪。
その罪で明日、私は全貴族の前で裁かれる。
私が3章でゲームを止めた理由は、まさにそこだった。
あまりにも彼女が一方的に悪く描かれていて、読んでいて苦しくなったのだ。
その瞬間、エリースの記憶が流れ込んできた。
激しい頭痛と共に、鮮明に大量の記憶が脳内に流れ込んでくる。
12歳の時に出会ったジュリアン王子の、最初の笑顔。
「君がいてくれれば、僕はいつも幸せだよ」という言葉が、どれほど嬉しかったか。
15歳のある日から始まった、ほんの小さな頼み事。
「クララをちょっと怖がらせてくれないか、彼女は少し思い上がっているから」
ひとつ応えれば、次はもう少し大きな「頼み事」。断れば愛情を引き上げられる。
そうやって5年間、彼女は少しずつ、王子の手で「悪役令嬢」に彫り上げられていった。
さらに王子は、贈り物の花瓶の水に精神を不安定にさせる薬草の抽出液を混入させ続けた。 その抽出液は蒸発し、部屋に充満し続けた。じわじわと、エリースの判断力を蝕みながら。
ゲームを通じてどのルートでも「悪女」として処理されていたこの女の、本当の姿はこれだったのだ。
(……なるほどね)
私は鏡の中の赤い髪の美女に向かって、口角を持ち上げた。
「ミステリーの構成としては、ベタだけど悪くないわね」
そう。これは「密室殺人」だ。
外からは悪女に見えるように完璧に偽装されながら、内側では5年かけて一人の人間が壊されていった、精巧な「犯罪」だ。
「職場では誰にも見向きもされなかったけど……ここでは、誰もが私に注目してくれるわけね」
タイムリミットまで、残り約20時間もない。
やってやろうじゃない。
私は屋敷内を丹念に調べた。
エリースの身の回りを世話する使用人たちは、私と目が合うだけで怯えて逃げ出す。
ゲームのキャラクターたちだと頭でわかっていても、少しだけ悲しくなる。
エリースが長い時間をかけて積み重ねてきた恐怖が、この屋敷全体に染みついているのだ。
私はそんな感情を押し込めて、エリースの部屋の「証拠」を探した。
まず、王子の書斎から贈られたという薔薇の花瓶。
その水の底に、微かな沈殿物を見つけた。
どこかの本で読んだことがある。
精神を不安定にさせる薬草の抽出液……
効果がはっきり出るまで時間がかかるから、使用者はほとんど気づかない。
次に、エリースの宝石箱。
これはゲーム内で出てきたので知っている。
ゲーム内ではここにエリースが主人公から奪った宝石などをしまい込んでいた。
ゲームの通りに宝石箱の底の小さなネジを回す。そうすると底の隠してあった収納が開ける。
そこには小さな薬品瓶が一本。
ラベルには王家の刻印が入っている。瓶の底には細工師の彫り込みもあった。
王家御用達の工房、ジュリアン王子個人が管理している特注品であることを示す刻印だ。
「これで証拠は揃ったわね。あとは、どうやって『観客』を味方にするかだけれど…」
私は小説で何度も読んできたことを思い出す。
探偵の仕事は謎を解くことじゃない。
解いたことを、正しい人間に「信じさせる」ことだ。
そんなことをしているうちに、もう窓の外は真っ暗になっていた。
「今日はここまでかしら…でも証拠は見つかった。あとは明日、王子を打ち負かすだけよ!」
この状況がミステリー小説の世界のようで(実際も似たようなものではあるけれど)、なんだか楽しんでいる自分がいた。
(今まで、誰にも気づかれない平凡な人生だったけれど、やっと私のターンがやってきたわ!)
そんなことを考えながら、エリースの豪華なベッドに入り、瞼を閉じた。
翌日。タイムリミットまで、残り約2時間。
王宮の大広間は熱気に包まれていた。
全貴族と外交団、そして聖職者たちが列席する「聖会祭」に合わせて設定された断罪の場。
ジュリアン王子が自分の名声を高めるために選んだ最高の舞台だ。
これで私が泣き崩れ、絶望すれば、彼の「正義の演出」は完璧になる。
私は鎖に繋がれることもなく、優雅に大広間の中心へと歩を進めた。
罵声が飛ぶ。「悪女め」「人でなし」「聖女様を苦しめた怪物」。
胸にチクリと刺さる。
でも、これはエリースに向けられた言葉だ。彼女はこれを5年耐えた。
私が怯む道理はない。
「エリース・フォン・ローゼンベルク」
ジュリアン王子が、氷のような声で宣告した。
「君の罪は、もはや明白だ。聖女クララの喉を焼いた毒。
君の自室から同じものが見つかった。何か言い残すことはあるか?」
王子の目は喜びに輝いていた。
私が泣き出し、許しを請うのを、今か今かと待ち構えている。
私はゆっくりと、扇を広げた。
「…ジュリアン殿下。その脚本、三流以下ですね。この先を読み進める気も起きませんわ」
会場が先程の熱狂とは打って変わって、しーんと凍りついた。
「な……なんだと?」
王子の顔から余裕の色が消える。これよ、この顔!
「クララ様の喉が焼けたというあの日。
彼女はたしかに、私が贈ったとされるお茶を飲みました。
でも、おかしいと思いませんか?会場にいた誰も、クララ様が私が盛ったとされている、毒を『飲み込む』ところを見ていない」
「何を言う!実際に彼女は苦しみ、倒れたではないか!」
「ええ。演技指導が素晴らしかったんでしょうね。
あらかじめ口に仕込んでおいた揮発性の薬品を魔力で反応させて『煙』を演出しただけです。
クララ様、本当は今、普通に喋れますよね?」
私は、王子の傍で震えているクララに穏やかな笑顔で視線を向けた。
「……っ、それは……」
「あなたはクララ様に命じたのです。
『エリースを破滅させるためなら何でも協力しろ。そうすれば君は真の聖女になれる』、と……」
私は懐から薬品瓶を取り出し、高く掲げた。
「この薬品瓶は王家特注品です。
底に彫られた刻印は、王子が個人管理している特注ロットであることを証明しています。
そしてこれが、5年間私の花瓶の水に溶かし続けた精神錯乱薬の容器です。
私の部屋の花瓶を調べたら、これが本当だということがわかるでしょうね」
広間が一斉にざわめいた。
「なぜ……それを君が……!」
「部屋の調査をしたからですよ。あなたが私の自室に仕込んだ偽の証拠を探していたら、本物が出てきました。
ミステリーの基本ですわ。犯人は証拠を隠したつもりで、必ず痕跡を残していますの。
この薬品瓶を私の部屋に隠すことによって、私に罪を擦り付けやすくしたのではないでしょうか?」
私は一歩、王子に詰め寄った。
「皆さんに申し上げます。
この方は、婚約者を5年かけて精神的に壊し、聖女を使って嵌め、自分の手を汚さずに死刑の舞台を整えた。
これを『犯罪』と呼ばずに何と呼ぶのか。私には、少なくともわかりません」
「やめろ!そんなでたらめを言うな!私はこの国の王子だ!そんな卑劣なことをするわけがなかろう!」
「ミステリーオタクを敵に回したのは、殿下の人生で最大のミスでしたね」
形勢は一瞬で逆転した。
その後、王室警備隊が私の示した証拠を確認すべく王子の身辺を調査したところ、彼の自室の隠し金庫からは、エリース以外の複数の女性に対しても行われていた「記録」が詳細に綴られたメモが見つかった。
私はその結果を、遠くで聞いていた。
衛兵に拘束されていくジュリアンがわめき散らす声が、次第に遠くなっていく。
そして胸の奥で、ほんの小さな声がした。
(……ありがとう)
消え入るような、でもはっきりした声だった。
呪いの熱が体から引いていくのを感じた。
タイムリミット、クリアだ。
エリースの魂が、5年間かけて壊され続けた彼女が、ようやく救われた気がした。
私はゆっくりと目を閉じ、深く息を吸った。
「(……よかった)」
自分がそう思っていることに、少し驚いた。
誰かのために何かをして、よかったと思ったのは、いつぶりだろう。
その夜。
私はエリースに与えられた部屋の窓際の椅子に腰を下ろし、特上のお茶を飲んでいた。
公爵家は私の無罪を認め、父公爵は泣いて謝罪してきた。
社交界での評判も、一夜にして逆転した。
「悪役令嬢」から「王子の策謀を暴いた恐るべき才女」へ。
窓の外には、王都の美しい夜景が広がっている。
「……ふふ」
前世の私……西崎シキは、職場の廊下を歩いても誰も振り返らない、空気みたいな人間だった。
名前を呼ばれるのは、なにかパシリで雑用を押し付けられるときか、パソコンが壊れた時だけだった。
でも今夜は、何百人もの人が私だけを見ていた。
「注目されるのって、やっぱり快感ね」
私は夜空を見上げ、独り言をひとつ漏らした。
この先の『ブラソウ』の展開は私にはわからない。
けれど……この断罪で決まっていた未来から外れて、私だけの物語になっただろうと私は思っている。
あんなくそみたいな会社の狭いデスクより、この世界の方が断然居心地がいい。
「次は、どんな謎が私を試してくれるかしら……」
鏡の中の赤い髪の美女が、かつてなく艶やかに笑っていた。
【完】




