第6話「月夜の熱と理性の境界」
選挙戦も終盤に差し掛かったある夜。
俺たちは事務所に泊まり込みで、最終決戦となるテレビ討論会の準備を進めていた。
他のスタッフは帰宅し、広い事務所には俺とコウガの二人だけが残っていた。
外は嵐のような風が吹いている。
資料の山に埋もれながら、俺はふと、身体の異変を感じた。
熱い。
指先が震え、視界がぼやける。
胃の奥から、甘ったるい衝動がせり上がってくる。
おかしい。抑制剤は飲んだはずだ。
時計を見る。服用からまだ六時間しか経っていない。なのに、なぜ。
『まさか……耐性ができたのか? それとも、ストレスで周期が早まった?』
嫌な汗が背中を伝う。
部屋の中に充満するコウガの匂いが、先ほどまでとは比較にならないほど強く、暴力的なまでに俺を刺激する。
息が荒くなるのを悟られまいと、俺は口元を手で覆った。
「ミナト? どうした、顔が赤いぞ」
コウガが資料から顔を上げ、心配そうにこちらへ歩み寄ってくる。
来るな、と言おうとしたが、喉が張り付いて声が出ない。
彼が近づくたびに、身体の芯が疼き、理性が溶かされていく。
本能が叫んでいる。『抱いてほしい』『つがいになりたい』と。
「おい、しっかりしろ!」
コウガの手が俺の肩に触れた瞬間、電流が走った。
俺はその場に崩れ落ち、彼の腕にしがみついてしまった。
「はぁ、はぁ……コウガ……」
「っ! この匂い……お前、ヒートか!?」
コウガが驚愕に目を見開く。
密室に放たれたオメガの濃厚なフェロモン。それはアルファにとっても強烈な催淫剤となる。
コウガの瞳孔が開き、金色の瞳が怪しく光った。彼の喉がゴクリと鳴る。
理性と本能のせめぎ合いが、彼の中で起きているのが分かった。
「す、すみません……薬が、効かなくて……離れて、ください……」
俺は必死に彼を突き飛ばそうとしたが、力が入らない。むしろ、身体は勝手に彼に擦り寄ってしまう。
コウガの腕が震えている。彼は歯を食いしばり、必死に自制していた。
「……馬鹿野郎。こんな状態で、俺のそばにいるな」
コウガは荒い息を吐きながら、それでも俺を乱暴に扱うことはしなかった。
彼は俺を抱きかかえると、ソファへと運んだ。
そして、自分は距離を取り、窓を開け放った。
冷たい夜風が吹き込み、熱気を少しだけ散らす。
「俺は外に出る。お前はここにいろ。誰も入れるな」
「待って……」
俺は無意識に手を伸ばしていた。
彼に行ってほしくない。この熱を鎮めてほしい。彼に噛まれて、自分のすべてを委ねてしまいたい。
そんな浅ましい願いが、口をついて出そうになる。
コウガは足を止め、振り返った。
その表情は、苦悶に満ちていた。
「ミナト。俺はお前が欲しい。今すぐ喉笛に噛み付いて、俺のものだと印を刻み込みたい。頭がおかしくなりそうだ」
彼は血が出るほど強く拳を握りしめていた。
「だが、今じゃない。勢いや本能だけでお前を奪いたくない。お前は俺の参謀で、同志で……俺が心から敬愛するパートナーだ。だから、お前が心から望んでくれるまで、俺は手を出さない」
その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも、俺の胸を打った。
彼は本能に抗い、俺の尊厳を守ろうとしてくれている。
涙が溢れてきた。
この人を好きになってよかった。
王冠はなくとも、彼は誰よりも気高い、俺の王だ。
「……ありがとうございます。コウガ……」
「礼は勝ってから言え。……クソ、これ以上ここにいたら理性が飛ぶ」
コウガは悪態をつきながら、逃げるように部屋を出て行った。
残された俺は、ソファの上で身体を丸め、彼の上着を抱きしめた。
残された彼の香りだけが、熱に浮かされる俺を優しく包み込んでいた。




