第4話「青空と熱狂」
選挙戦初日。
王都の中央広場には、黒山の人だかりができていた。
空は抜けるような青空。絶好の選挙日和だ。
選挙カーという概念はこの世界にはないが、代わりに「演説台馬車」と呼ばれる、スピーカー代わりの拡声魔道具を積んだ馬車が広場の中央に停められている。
俺は演説台の袖、幕の裏側で待機していた。
胃がキリキリと痛む。前世でも何度も経験した初日の緊張感だが、今回は訳が違う。失敗すれば、コウガだけでなく、俺の人生も、そしてこの国のオメガたちの未来も閉ざされる。
「おい、ミナト。ネクタイが曲がってるぞ」
出番を待つコウガが、俺の首元に手を伸ばしてきた。
彼は今日、いつものラフな格好ではなく、俺が選んだ濃紺のスーツに身を包んでいる。髪も整えられ、まるで別人――いや、本物の王族のような気品を漂わせていた。
だが、その瞳の奥にある野生の光だけは変わらない。
「あ、ありがとうございます……って、逆です! あなたが演説するんですよ。俺のネクタイなんてどうでもいいでしょう」
「俺の参謀がだらしない格好をしていては、俺の沽券に関わるからな」
コウガは悪戯っぽく笑いながら、俺のネクタイをキュッと締めた。
距離が近い。吐息がかかる距離だ。
彼の香り――白檀と鋼鉄の匂いが、緊張で強張った俺の神経を麻痺させていく。
周囲のスタッフたちが、俺たちを微笑ましそうに、あるいは訝しげに見ているのに気づき、俺は慌てて彼を押し返した。
「じ、時間です! 行ってください!」
「ああ、行ってくる。見ていろ、お前の書いた言葉が、世界をどう変えるかを」
コウガは不敵な笑みを浮かべ、演説台へと続く階段を駆け上がっていった。
彼が姿を現した瞬間、広場を埋め尽くした聴衆から歓声と野次が同時に上がった。
「帰れ!」「貴族の落ちこぼれ!」「やって見せろ!」
混沌とした空気を、コウガは両手を広げて受け止めた。
彼はマイクの前に立ち、一呼吸置いた。
静寂が広がる。その間の取り方は、俺が教えた通りだが、それ以上の天性の圧力が彼にはあった。
「……私の声が聞こえるか、同胞たちよ」
第一声。
静かだが、広場の隅々まで染み渡る声。
「私は知っている。君たちが日々の暮らしに疲れ、政治に絶望し、誰が王になろうと変わらないと諦めていることを。私もそうだった。生まれた瞬間から『不義の子』と後ろ指を指され、世の中を呪っていた」
聴衆が息をのむ気配が伝わってくる。
コウガは自分の弱さを晒け出した。強者の論理ではなく、弱者の共感から入る。それが俺の描いたシナリオだ。
「だが、ある男が私に教えてくれた。雨はいつか止むと。夜明けのこない夜はないと。……私は約束しよう。特権階級が肥え太るだけの政治は今日で終わりだ。私が、君たちの盾となり、矛となり、この腐った壁をぶち壊す!」
コウガの声が熱を帯び、クレッシェンドしていく。
彼の背中から、目に見えない金色のオーラが立ち昇っているように見えた。それはアルファとしてのカリスマ性であり、王の覇気だ。
聴衆の目が釘付けになっている。野次を飛ばしていた男たちさえも、口を開けて彼を見上げている。
「うおおおおお!」
誰かが拳を突き上げた。それが波紋のように広がり、瞬く間に広場は大歓声に包まれた。
地響きのような「コウガ」コール。
俺は幕の裏で、震える手で眼鏡を押さえた。
全身に鳥肌が立っていた。
これが、俺の言葉。俺が作り上げた怪物が、今、解き放たれたのだ。
演説を終え、汗だくで戻ってきたコウガは、興奮冷めやらぬ様子で俺の肩を抱き寄せた。
「どうだ、ミナト! 俺の声は届いたか!」
「……ええ。最高でした。合格点をあげましょう」
「へっ、素直じゃないな。泣いてるんじゃないのか?」
「泣いてません! 汗が目に入っただけです」
強がりを言う俺を、コウガは眩しそうに見つめた。
その視線の熱さに耐えきれず、俺は目を逸らした。
だが、俺たちの快進撃は、同時に敵の警戒レベルを最大まで引き上げてしまったことに、まだ気づいていなかった。




