十一日目(2)
「今日、何かやりたいことある?」
朝食後、僕は洗い物をしながらキヨに聞いてみた。
「きゅいん」
「えっ、ドライブ行くの?」
「きゅいーん」
キヨは手を広げて、走り出した。
――それ、飛行機じゃん。
キュインというなら高速。
でも、今日はゴールデンウィーク最終日。
上りは大渋滞になるはず。
高速を使うとしたら下りだけ。
行きは高速の下り、帰りは下道。
それで、お子様が楽しめる場所は……。
人気のある観光地はパス。
遠出は厳しい。
ならば――
海老名まで高速で行って、海老名駅周辺のショッピングモールでお買い物。
子供用の布団を買いたいと思っていたのでちょうど良い。
――今日こそ45mmと35‐100mmを使おう。
今日はキヨだけを撮る。
そう考えて、僕はカメラの設定を変えた。
僕の愛機には、顔優先AFとか瞳優先AFという機能がある。
僕は人の写真は撮らないし、以前気味の悪いこともあったので、普段、この機能はOFFになっている。
気味の悪いこと、というのは――
あの日、僕は横浜で街の風景を撮っていた。
飲み屋街が面白そうに思えて、錆びた非常階段とか、放置されたバイクとか、雰囲気のある飲み屋とか、ちょっとダークな風景を切り取って楽しんでいた。
薄汚い路地に入ったとき、突然、カメラが何もない壁に顔を認識した。
不思議に思って壁を確認しに行くと、そこにあったのは、確かに顔。
それはたぶん壁に顔を押し付けられた痕跡。
顔の右半分が壁に転写され、茶色くなっていた。
壁に残った顔の皮脂が変質したのか、あるいは血の痕なのか。
それは、誰かの怨念が形になったような、不気味な染みだった。
僕はそれを見て、すごく嫌な気分になった。
それ以来、顔優先AFはずっとOFFにしていた。
――今日、あの嫌な思い出を上書きしてやる。
僕はそう決心して家を出た。
助手席のドアを開け、キヨを車に乗せる。
いつものように、レカ〇のチャイルドシートに座ると、キヨはテンションが上がる。ものすごく上がる。
「にゅふふふふ」
そして、僕がエンジンをかけると――
「うきゃー」
保土ヶ谷バイパスに乗ってセカンダリターボが効くと――
「きゅいーん」
キヨは手を振り回している。
でも、横浜町田インターに近づくと大渋滞。
キヨ、テンションダダ下がり。
「むきー、ひゃーく」
「無理」
僕はあきらめて、横浜町田ジャンクションの手前で降りた。
下道ものろのろ状態ではあったが、まだましだ。
行先はグランベリーパークに変更。
僕は頬を膨らませたキヨを横目に見て、一刻も早く機嫌をとらないと、と焦っていた。
だけど、事態はさらに深刻になった。
「おとしゃん、んこ」
――この状態でトイレですか……。
グランベリーパークの駐車場はたぶん入るのにも時間がかかる。
僕はグランベリーパーク手前の駐車場に車を入れた。
ここはパーク外にあるいくつかの店の契約駐車場。
契約店で買い物をすれば駐車料金は無料になる。
どうせ子供用布団を買うのだからちょうど良い。
こっちが正解だ。
二十分後、トイレを済ませ、僕たちは家具店の布団売り場にいた。
「枕、どれが良い?」
「あちしのまくあー、こえっ」
キヨは僕の腕にしがみついた。
――確かに、現状ではそうだけど……。
「じゃあ、布団カバーはどれが良い?」
「やー」
キヨはこれからも僕の布団で寝る気だ。
――でも、それは寒いんだよ。
キヨの頭に掛け布団をかぶせないようにすると、僕の右肩と胸が布団から出る。
それに、敷き布団の方もスペースに問題がある。
僕の左腕と左足は畳の上にはみ出ていることが多い。
それに、もうすぐ夏。
夏場にくっついて寝るのは厳しいと思う。
「じゃあ、僕がキヨのために選んであげよう」
僕は子供用布団一式を適当に選んだ。
布団を一式買うと、駐車場は二時間無料になった。
得をしたな、と思ってキヨを見ると、頬が膨らんでいる。
僕は黙って手を伸ばした。
キヨは黙って僕の手をとる。
僕たちは手をつないで店を出た。
緊張が解けないまま。
布団を車の後部座席に突っ込んでいると、キヨが僕の背中をよじ登って来た。
そして、いつもの特等席につき、僕の頭をドラムのように叩き始めた。
叩く力がいつもより強い。
でも、グランベリーパークに入ると、叩く調子が変わった。
「おー」
キヨが驚いている。
グランベリーモールの頃、僕はここに来たことがある。
けれども、パークになってからは初めてだ。
僕の目から見ても、以前に比べてかなり洗練されたように思う。
キヨにしてみれば、全く未知の雰囲気だろう。
たぶん、あのお婆さんの記憶の中にも、こういった場所の記憶はなかったはずだ。




