六日目(2)
道祖神の周囲の空間が揺らいでいる。
――食べる者?現世なのに?
「ゥアーォーァーー」
ネネは毛を逆立て、威嚇する。
「ネネ、静かに。気づかれないように撤退」
ネネは静かになった。
キヨは固まったまま。
気づかれたんじゃないか、僕はそう思いつつ、後退を続けた。
「わぉーん、わんわんわん」
崖下の家で犬が吠えている。
いつもうるさい犬だ。
ひょっとして、あの犬は、いつもこの怪異に反応していたのだろうか。
空間が揺らぐ。
その揺らぎは、道祖神から細い帯状に伸びていく。
食べる者だ。
食べる者が崖下に伸びていく。
道祖神に繋がったままなのはどういうことだ?
そこから完全には抜け出せないということ?
いままで、僕が食べる者を見たのは夢の中と夜の幽世だけ。
現世の昼間は活動しにくいのだろうか?
僕は後退しながらいろいろな可能性を考えていた。
でも、すべては憶測だ。
相手は混沌。
あらゆることが有り得、あらゆることが有り得ない。
考えるだけ無駄なのだ。
可能性を考えながら、僕はいつも通る道まで後退した。
そこでやっと僕は安堵した。
もちろん、僕たちはそのまま家に戻った。
食べる者と戦おうなどとは思わない。
こうして、家に入ろうとしたとき、さっきまでいた方角から声が聞こえた。
「あずき、うるさい」
子どもの声だ。その数秒後、悲鳴が。
「どうしたの?ちょっと、あずき、離れなさい」
大人の女性の叫び声が聞こえ、その後、犬が「きゃいん」と鳴き、静かになった。
「けいちゃん、けいちゃん」
女性が叫んでいる。
「どうした。……圭吾」
僕は現場に向かおうか迷ったが、結局、家に入ってドアを閉めた。
何が起きたのかは想像できる。
見に行くまでもない。
しかし、疑問はある。
これまでも同様の事態はあったはずだ。
それでも犬は食べる者になるのを免れて来た。
たぶん、避けるに十分な運動能力があったのだろう。
しかし今回は?
子どもが出て来たタイミングが悪かった?
子どもが喰われたか、子どもをかばおうと犬が喰われたか。
そこに両親が来て、さらに犠牲者が増えた。
僕はそう推測し、自分のせいで犠牲者が出たような気分になった。
家に入ると、ネネが奥に走って行った。
そして、僕を呼ぶ。
僕はネネを追った。
ネネはメタルラックの下段に置かれている段ボール箱を叩いていた。
僕に開けろと言っているようだ。
僕がその箱を開けると、ネネは箱の中に跳び込み、布に包まれたものを咥えた。
ネネはそれを僕に渡す。
その包みの中には怪しげな法具が入っていた。
それは、不思議な経緯のもと、僕のものになった法具だ。
あれは僕が地方都市で働いていた時期だった。
出張の帰り、僕は東京駅の地下待合所で新幹線を待っていた。
普段なら直接ホームに行くのだが、この日に限っては事故か何かでダイヤが乱れ、待合所で時間をつぶしていた。
その待合所の奥には出店があり、暇つぶしに商品を見ることにした。
それは怪しい店だった。
そこに並べられている商品は密教の法具。
だが、髑髏や魔神の意匠が入っていて、あきらかに日本のものではない。
作りも雑だし、あんなところで売るのだから、完全なパチモノだと思った。
それでも僕はなぜか一つの法具を買った。
自分でも理解できない行動だった。
値段は千五百円。
確かにその金額を支払ったのを憶えている。
だけど、店員の姿が全く記憶に残っていない。
そして、不思議なことに、後日、あの待合所に行ったとき、出店があったスペースは存在していなかった。
待合所には床に固定されたプラスチックの座席が並んでいて、その奥は、人ひとりがやっと通れるくらいのスペースしかない。
店を出せる余裕など一切なかった。
僕が買ったのは、刺突武器のような法具。
独鈷所の一種だと思う。
その法具には刃のような部分がある。
その刃の断面はベンツのトレードマーク――スリーポインテッドスターのようになっていて、三枚の刃を背中合わせに接着したような形状をしている。
握りの部分は髑髏、魔神、仏がトーテムポールのようになっている。
ネットで調べたところ、同じようなものは存在しなかった。
ただ、似たようなデザインの独鈷杵が、チベット仏教で使われていることはわかった。
そう言えば、夢の中で食べる者に追いかけられなくなったのは、この法具を手に入れた時期からのような気がする。
ネネは僕にこれを持たせた。
これは食べる者と戦う武器になるのか?
「これで食べる者を倒せるの?」
ネネに聞いてみたが無反応。
――気休め程度ってことかな。いまから戦いに行けっていう反応じゃないよね。
僕は段ボール箱を片付けた。
そのとき、ひとつの考えが浮かんだ。
――あの古本屋なら……。
あの幽世の古本屋には大量のオカルト本がある。
誰かが書いたメモもある。食べる者に関する情報があるかもしれない。




