一日目(2)
最初の道祖神の周りにはピンクのカタバミがたくさん咲いていた。
僕は、ローアングルからカタバミを撮り、背景にぼんやり道祖神が浮かんでいる画を思い浮かべた。
試しに一枚撮ってみる。
カメラを地面すれすれに持って行き、画像はファインダーではなくモニターで見る。
フォーカスエリアを左に移す。
カタバミをそのエリアに入れ、シャッター半押しでフォーカスさせる。
道祖神との位置関係を確認し、シャッターを押す。
だが、その試し撮りは、満足のいくものではなかった。
構成は良いと思う。しかし、カタバミの花びらが白トビになっている。日が強く当たっているので、露出オーバーになったのだ。
このカメラはセンサーが小さめでダイナミックレンジが狭い。おまけに何世代も前の設計。それは通常なら不利になるはずだが、使いようによっては明暗のメリハリが効いた面白い画になり得る。僕はそこに魅力を感じ、長いこと愛用していたニ〇ンから鞍替えしたのだ。
いまのようなケースだと特に面白い。
最新の高性能センサーだと白トビしにくい。
それはそれで良い写真になるけれど、艶表現がいまひとつ違う。
絵を描く人ならわかると思うが、艶は白で表現する。
つまり、写真なら白トビの度合いが艶表現になり得る。
人の目より高性能なセンサーは、美しい色彩表現を実現するが、艶表現を変えてしまう。明暗のコントラスト度合も変えてしまう。以前は、何かが違うと思うだけだった。でも、このカメラを知って、僕は何が不満だったのかを理解した。
このカメラを使い始め、自分が不満に思っていたことが解消されただけではなく、自分の好みも理解した。
感動だった。
突然、自分の画風がマティスからレンブラントに変わったんだ。
フロントダイヤルを回して露出をマイナス側に補正すると、モニター上のカタバミの花弁は色を取り戻した。
それと同時に、背景にぼやけて映る道祖神の陰影が深くなる。
口元の影が大きな笑みに見える。
――いい!
僕はシャッターボタンを押した。
その道祖神と同じような笑みを浮かべて。
この日、僕は道祖神巡りをした。もちろん写真を撮るためだ。いや、新しいレンズをいじくりまわすため、と言った方が良いかもしれない。実際には、レンズを見てニヤニヤしていることの方が多いわけだし。
レンズの快楽にどっぷりと浸かり、ふと気がつくと、日が沈んでいた。
――おかしい。
そう、おかしい。
左手のチープカ〇オを見ると、まだ時間は十五時半。
日が沈むには早い。
それに、空の色もちがう。
一面薄紫色だ。
それは確かに夕方の色ではあるけれど、空はグラデーションになっておらず、東も西も、どの方向を見ても同じ色。
何よりもおかしいのが建物だ。
建物は確かにそこにある。見覚えのある風景だ。だが、現実味がない。建物の幽霊のように、向こう側が少し透けて見える。試しに触ってみたブロック塀は、確かに手に感触が伝わって来るのだが、ふわふわした感じで、その手ごたえは五割減とでも言えば良いのだろうか。説明しづらい感触だ。
そして、何よりおかしいのは人がいないこと。
学校帰りの小学生は?
散歩をする老人たちは?
この辺り、都心から離れた新興住宅地なので、若い世帯が多い。
だから子どもは結構いる。
老人ホームみたいな施設が乱立しているから、徘徊している老人も多い。
たまに体調を崩して仕事を休むと、賑やかすぎて寝ていられないほどなのに。
子どもたちの遊ぶ声。
老人たちの話し声。
躾の悪い小型犬が吠える声。
そんな音が全く聞こえない。
風の音も聞こえない。
何年か前から悩んでいる、煩わしい耳鳴りさえ聞こえない。
知らないうちに、自分は死んでしまったのか、とさえ思えて来る。
ここは僕の知っている現実ではない。
こんな状態になったら、普通は慌てて帰る方法を探すと思う。
だけど、僕は趣味人。
まず写真を撮ることを考える。
折角異界に迷い込んだのなら、することは一つ。
そうは言っても、ちょっとだけ状況確認はしておきたい。
建物の中はどうなっているのか?
中に人はいないのか?
試しにその辺の家に入ってみる?
しかし、家の中に入ったタイミングで現実に戻ったら?
そうなったら間違いなく不法侵入者だ。
だったら店だ。
店の中なら不法侵入にならない。
僕は近くのコンビニに向かうことにした。




