三日目(4)
僕は引き寄せられるように古本屋に入った。
本を手に取れるよう、キヨは肩車にした。
「たかいー」
キヨは僕の頭に左、右、左、右という感じに、叩くのではなく押さえるように手を置いてリズムを取っている。
何だかご機嫌な様子だ。
僕は、最近の子は迷惑を顧みず店内で走り回ったりするものだと思っていたから、おとなしいキヨにほっとした。
これで安心して本棚を確認できる。
以前、現世でこの店に入ったとき、店主の趣味なのか、オカルトと歴史関連の書物が大量に集められていることに驚いた。
それはこの幽世の店でも同じらしい。
日本霊異記といった古典から、法術や呪法を集めた妙法秘法大全など、レパートリーはかなり広い。
宗教関連では、トマスによる福音書やチベットの死者の書もあり、東西を網羅している。
ちょっと外して、クロウリーが書いた法の書なんてものもある。
僕はチベットの死者の書――バルドソドルを手に取った。
この本、実は読んだことがある。
死んだらどうなるか、ということが書いてある本だ。
人は、神界につながる強い光に恐れを感じ、人界だか地獄だかにつながるくすんだ光を選んでしまうとか、何色の光がどういう神とか書いてあった気がする。
ずいぶん前のことなので、はっきり覚えているわけではないが。
ぱらぱらと頁をめくると、メモが挟まれていた。
そこには、要約と考察が書かれている。
≪死後三日半は幻覚を見ていて、その後、平和の神々が代わる代わる現れ、つぎに憤怒の神々が代わる代わる現れる。それがこの本の要旨だ。しかし、平和の神々は強い光であり、憤怒の神々は日本人の感覚からすれば魔神ともいえる姿をしている。両者の姿は明らかに方向性が違う。別々の伝承を無理やり結び付けたのではないかと推察される。この本は、システムの裏をかいて、資格のない者が神界に行く手助けをする、という目的で書かれている。しかし、そこにはかなり無理があるのではなかろうか。裏口入学して有名校に入学しても、授業について行けず落ちこぼれになる。神界ならもっとひどいことになるのではないか。
それから、最初の三日半は幻覚を見ているというのだが、三日半を本人が正しく理解できるのかが疑問だ。どうやって幻覚の中で時間感覚を維持するというのか。そもそも、平和の神々や憤怒の神々の話も、幻覚の続きではないと判別できるのか。いずれにしても、このバルドソドルは、日本人の精神世界とはかけ離れた内容であると言え、日本とは別の世界、別の宇宙のことだと思った方が良い。≫
――この考察、面白い。
もしもバルドソドルに書かれていることが事実なら、いわゆる臨死体験は全部幻覚ということになる。そして、やはり三日半が気になる。三日半が幻覚。だが、本人は幻覚から覚めたことを判別できるのか?三日半が経って、そのあとに見たものが幻覚ではないとわかるのか。バルドソドルは輪廻のシステムの裏をかく方法が記された書物だと言えるが、時の経過がわからず、幻覚から脱したのかもわからない状態では、もしもそこに書かれていることが正しかったとしても、利用することはできないだろう。僕はこのメモを書いた人に同意する。
僕は、その本を棚に返し、適当に別の本を取り出した。すると、そこにも要約と考察を記したメモが挟まれていた。何冊か確認してみたが、すべてにメモが挟まれていた。
「おとしゃん、ひまー」
僕は、キヨに頭をてんてんと叩かれて我に返った。
僕は独り者で、独りでいることが当たり前だ。だから、本に熱中して、キヨがいることをすっかり忘れていた。いや、それよりも、キヨは長い間、よく我慢してくれたものだ、と思う。
帰ったら、キヨの好きなチョコレートをあげないと。そう言えば、家の冷蔵庫に、先日の残りが入っていた。そう思った途端、僕は深刻な問題に気がついた。
――キヨは現世でも人の姿をとるのだろうか。
僕は何もない空間にチョコの欠片が浮かんでいる光景を思い出した。
またキヨが見えなくなったらどうしよう。
姿が見えなくなり、話ができなくなるのは寂しい。
人の姿のまま現世に戻った場合も問題はある。
キヨの姿は幼女。
僕は幼女誘拐犯にされてしまうかもしれない。
――いっそのこと、ずっと幽世で生活するか……。
僕はキヨと暮らす未来を考えながら帰途に就く。
幽世にある自宅に戻り、僕たちはソファに座った。
すると、強い眠気に襲われ、そのまま眠ってしまった。




