8. 苛めが消え、問いが残る
それから、リリアーナのテオへのいじめは段々と減っていった。鞭を手に持つこともなくなり、彼を痛めつけることもなくなった。代わりに、彼女はこれまで以上にテオに母との思い出を尋ねるようになった。
「お母様はどんな匂いがした?」
「お母様と一緒に何をして遊んだの?」
その声は穏やかで、彼をいじめていた頃の鋭さが消えていた。テオにはその変化が理解できなかった。単にリリアーナが彼をいじめることに飽きたのか、それともテオへの関心が薄れ、母の話に心を奪われるようになったのか。彼女の意図は、依然として霧の中だった。
ある日、屋敷の中庭で2人が顔を合わせた時、リリアーナがいつものように質問を投げかけた。しかし、その日は少し違っていた。
「お母様はどこに住んでいるの?」
彼女の声は軽く、まるで何気ない雑談のように聞こえた。しかし、テオはその言葉に瞬時に警戒を強めた。彼は目を細め、低い声で返した。
「母さんに何かする気か?」
リリアーナは一瞬黙り、それからくすりと笑った。
「…ふふっ、何かしてほしいの?」
その笑顔には、かつての意地悪さが垣間見えた。テオが答えを拒む様子を見て、彼女はさらに言葉を続けた。
「答えないのなら別にいいわ。父上に直接聞けばいいもの」
その口調は意地悪く、テオを試すような響きがあった。だが、リリアーナは心の中で小さく呟いていた。
(嘘よ。父上は私に会ってくれない)
彼女の胸に、父への寂しさが一瞬よぎったが、それはすぐに押し隠された。
テオはしばらく黙っていたが、リリアーナの言葉に追い詰められたように渋々口を開いた。
「…村の外れだ。小さな家に住んでる」
彼の声は硬く、警戒心がにじんでいた。そしてリリアーナを睨みつけ、続けた。
「前にも言ったが、母さんに何かしたらーー」
その言葉を遮るように、リリアーナが口を挟んだ。
「殺してくれるんでしょう?」
彼女の声は軽やかで、どこか楽しげだった。テオの殺意をまるで玩具のように扱うその態度に、彼は再び言葉を失った。赤い瞳が怒りと困惑で揺れ、リリアーナを見つめた。彼女はそんなテオの視線を受け止めながら、ただ小さく笑った。
「ふふっ、貴方って本当に面白いわね」
リリアーナはそう言うと、くるりと背を向けて歩き出した。テオは彼女の背中を見ながら拳を握り締めたが、何も言えなかった。母への想いとリリアーナへの複雑な感情が、彼の心の中で絡まり合っていた。一方、リリアーナは歩きながら、テオの答えた「村の外れ」と言う言葉を繰り返していた。彼女の心に何かが芽生えつつあるのか、それとも単なる好奇心なのか。彼女自身にも、その理由は分からなかった。
2人の間には、いじめが消えた後の奇妙な空白が広がり始めていた。