6. 夢と公女の問い
その夜、リリアーナは深い眠りの中で夢を見た。幼い頃の記憶が鮮やかに蘇り、彼女を苛んだ。次男のクラウスに「お前が母上を殺した」「悪魔め」と罵倒される日々。家族や屋敷の使用人たちが母を求め、彼女を見ないようにする冷たい視線。それらは現実の記憶だった。しかし、夢はさらに深い闇へと彼女を導いた。
存在しないはずの記憶が現れた。出産の苦しみに耐える美しい女性ーーおそらく母ーーと、その傍で泣きながら懇願する父の姿。
「この子は諦めよう、お前の命の方が大事なんだ……頼む…!」
父の声は震え、絶望に満ちていた。だが女性は首を振ってそれを拒んだ。そして、生まれたばかりのリリアーナに目もくれず、死にゆく女性の手を握り、必死に呼びかける父。誰にも祝われず、喜ばれず、ただ静かに始まった彼女の人生。おそらくこれがリリアーナの誕生の瞬間だったのだろう。
この記憶は実際にあったものなのか、それとも彼女の心が作り出した虚構なのか。定かではない。だが、その夢はリリアーナの胸を深く、深く突き刺した。彼女は長い眠りから目を覚ますと、暗い部屋の中で独りごちた。
「私も母上に会いたい…」
涙が頬を伝うのを感じながら、彼女はベッドから起き上がった。リリアーナはその日、部屋から出ることはなかった。そして夜になると、何かに導かれるようにテオのいる屋敷の古い倉庫へと足を向けた。
倉庫に着くと、薄暗い灯りの下、彼は壁にもたれて座り、膝を抱えていた。リリアーナは無言で近づき、テオの隣に腰を下ろした。2人を包む沈黙がしばらく続いた。テオは彼女の気配に気づき、怪訝そうな目を向けたが、何も言わなかった。
やがて、リリアーナがぽつりと呟いた。
「貴方のお母様ってどんな人だったの?」
その声は独り言のようで、テオに直接問いかけたのかさえ曖昧だった。テオは一瞬戸惑ったが、彼女の様子がいつもと違うことに気づき、小さな声で話し始めた。
「母さんは…優しかった。貧しくて、毎日朝から晩まで働いてたけど、いつも笑ってた。夜には俺を抱き締めて、昔の話をしてくれた…」
彼の言葉は途切れがちで、懐かしさと悲しみが混じっていた。リリアーナは目を閉じ、黙ってそれを聞いた。テオの声が途切れると、彼女は静かに言った。
「それで?」
テオは少し驚いたが、再び話し始めた。
「冬でも暖かくしてくれて…小さな火を囲んで一緒に歌うこともあった」
リリアーナはまた目を閉じて、黙ってテオの話を聞く。
「それで、どうなったの」「あとは?」
リリアーナの催促に、テオはぽつりぽつりと母との思い出を語り続けた。
随分と長い時間が過ぎた。会話とは呼べない、ただ一方的に語り、聞くだけの時間が過ぎた。テオの声が途切れ、静寂が戻ると、リリアーナは小さく呟いた。
「……そう」
彼女は立ち上がり、テオに顔を見せないよう背を向けた。そして、抑えた声で言った。
「お母様がいて、お母様にとても愛されてきた貴方が憎くてたまらない」
その言葉を残し、リリアーナは倉庫を後にした。背後でテオが何か言おうとした気配を感じたが、彼女は振り返らなかった。冷たい夜風が彼女の頬を撫で、夢の中で見た母の顔が浮かんだ。彼女の心は憎しみと寂しさで満たされながらも、どこかで小さな変化が芽生え始めていた。しかし、それを認めるには、彼女はまだあまりにも脆く、傷つきすぎていた。