3. 歪んだ絆の先に
リリアーナとテオの奇妙な関係は、公爵邸で日々続いていた。彼女のいじめは止まることなく、むしろその残酷さに磨きがかかっていた。テオの赤い瞳が憎悪で燃えるたび、リリアーナの心は歪んだ喜びに震えた。だが、その喜びは一時的なものでしかなく、彼女の内側に巣食う空虚さは埋まるどころか深まる一方だった。
ある日の午後、リリアーナはテオを屋敷の中庭に連れ出し、棘の生えた薔薇の茂みに前に立たせた。
「その中に飛び込みなさい。私の命令よ」
彼女の声は冷たく、どこか試すような響きを帯びていた。テオは一瞬躊躇したが、リリアーナが鞭を手に持つ姿を見て、仕方なく茂みに飛び込んだ。鋭い棘が彼の腕や脚を切り裂き、血が滴り落ちた。テオは痛みに顔を歪めながらも、歯を食いしばって立ち上がった。そして、いつものように彼女を睨んだ。
「悪魔…」
リリアーナは笑いながら呟いた。だがその笑顔は、どこかぎこちなかった。テオの血が地面に染みを作るのを見ているうちに、彼女の胸に小さな疼きが生まれた。それは喜びでも満足でもなく、名前のつけられない感情だった。
その夜、リリアーナは自室で1人、鏡の前に座っていた。母と瓜二つだと言われる顔が映り、彼女は思わず手を伸ばして鏡に触れた。
「母上がいたら、私を愛してくれたかしら…」
彼女の母は彼女を生んだ直後、亡くなった。彼女をその腕に抱くことなく、彼女に触れることなく亡くなった。彼女は、母を知らない。ただ父や兄たちから聞かされた母の優しさだけが彼女の心に残っていた。そして、その母を奪ったのが自分だという罪悪感も。鏡の中の自分を見つめながら、リリアーナはふとテオの顔を思い出した。あの赤い瞳。あの憎しみに満ちた目。なぜか、それが彼女の頭から離れなかった。
一方、テオは彼にあてがわれた公爵邸の古い倉庫の隅の簡素な部屋で夜を過ごしていた。手当てを受けていない傷は疼き、彼は壁にもたれながら小さく息をついた。母と暮らしていた貧しいが温かい日々が、遠い夢のように感じられた。
「なんで俺がこんな目に…」
彼の心は憎しみでいっぱいだった。リリアーナへの、そして彼女を止めない公爵家への怒りが、彼を支える唯一の力だった。だが同時に、彼は気づいていた。リリアーナが彼をいじめるとき、その瞳には何か奇妙な光があることを。喜びでも、憎しみでもない、何か別のもの。
そんなある日、公爵家の静寂を破る出来事が起こる。長男のエドガーが、リリアーナの行動に我慢ならなくなったのか、初めて彼女に声を荒げたのだ。
「いい加減にしろ、リリアーナ!その少年をいじめるのをやめなさい。見ていて不愉快だ」
エドガーはテオを一瞥し、すぐに目を逸らした。リリアーナは一瞬驚いたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。
「お兄様が私に口出しするなんて珍しいわね。私が何をしようと、貴方には関係ないでしょう?」
「お前はこの家の恥だ。父上だって…」
エドガーの言葉はそこで止まった。父の名を出すのを躊躇ったのだ。リリアーナは目を細め、冷たく言い放った。
「父上だって、私を腫れ物扱いしてるじゃない。誰も私を愛さないなら、私がどう生きようと勝手でしょう?」
その言葉に、エドガーは何も言い返せず、ただ黙って立ち去った。リリアーナは勝利を確信したように笑ったが、その笑顔はすぐに消えた。彼女の視線がテオに向かったとき、彼はいつもの憎悪の目ではなく、どこか悲しげな表情で彼女を見ていた。
「何?その目は?」
リリアーナの声が鋭く響いた。テオは小さく呟いた。
「お前…寂しいんだな」
その一言が、リリアーナの心を突き刺した。彼女は反射的にテオに近づき、彼の襟を掴んで叫んだ。
「黙れ!平民の分際で、私の何がわかるっていうの!?」
だが、テオは怯まずに彼女を見つめ続けた。赤い瞳が、まるで彼女の心の奥を見透かすように輝いていた。リリアーナは手を離し、後ずさった。初めて感じる動揺が、彼女を支配していた。
その夜、リリアーナは眠れなかった。テオの言葉が頭の中で繰り返され、彼女の心を乱した。
“寂しい”
確かにその通りだった。だがそれを認めることは、彼女にとって自分の弱さを晒すも同然だった。彼女は拳を握り、呟いた。
「私は寂しくなんてない…私は…」
だが、言葉はそこで途切れ、彼女の目に涙が滲んだ。初めて、自分自身と向き合う瞬間が訪れていた。